第13章 Praecinxisti me virtute ad bellum(詩篇第十八篇:旧約聖書より)
本作は各章毎にイメージにマッチした楽曲をエピソードタイトルに添えております。
楽曲を視聴しながらお読みいただくとより雰囲気が増しますのでお試しください。
※エピソードタイトル「Praecinxisti me virtute ad bellum」(詩篇第十八篇:旧約聖書より)
(主よ、あなたはわたしに戦いの力を帯びさせられた)
主よあなたは戦う力をわたしの身に帯びさせ
刃向かう者を屈服させ
敵の首筋を踏ませてくださる。
わたしを憎む者をわたしは滅ぼす。
彼らは叫ぶが、助ける者は現れず
主に向かって叫んでも答えはない。
わたしは彼らを風の前の塵と見なし
野の土くれのようにむなしいものとする。
※旧約聖書 詩篇第十八篇 40-43節
丸太の筏はエーテル川を順調に下っていた。
「関所まで行ってしまうとまずい事になるだろうから、そろそろ……」
アルベルトが岸辺を見て固まる。
その目線の先には、曳舟道からこちらを見据える騎乗した二人の銀獅子隊。
「そのままだ! そのまま関所まで進め!」
騎士の一人が、獅子の咆哮のように叫ぶ。
「まずいな。街道だけでなく川も巡回していたか」
胡桃で染めた髪は雨に打たれて半ば落ち、俺の黒髪がはっきりと露わになっていた。
僅かな期待も外れ、騎士たちは馬を走らせながら筏に並走し続ける。
「下手な動きはするな。そのまま進め」
「すまない。こんなことになるなんて」
俺は不安に歪む三人の顔に向かって、静かに頭を下げた。
「いや。街道を行っても同じ事だっただろうさ」
アルベルトは無理に笑みを浮かべるが、すぐに真剣な色に変わる。
大きな橋が見えてきた。
水門は鉄の歯を剥き出し、鈍く光る。
川に架けられた巨大な石橋がそのまま水門となっており、
両脇には波止場が併設されていた。
そこには20を超える銀獅子隊が、整然と並んでいた。
「こっちだ。筏を止めろ」
船頭は震えながら波止場に筏を寄せ、その場にしゃがみこんだ。
「船頭はその場で動くな。他のやつらはゆっくり岸に上がれ」
俺たちは両手を上げながら、ゆっくりと波止場に上がった。
アルベルトは唇を噛み、ガレンは項垂れて肩で息をし、
エレナは震えながらも俺を庇うように一歩前に出る。
胸に獅子の紋章が一際磨き上げられた鎧を纏った騎士——分隊長が歩み出る。
腰の剣を乾いた金属音と共に抜き放つ。
「お前が【あの】タロスだな」
迷いなく、切っ先は俺の喉を指していた。
瞬間——
どこに隠していたのか、ガレンが太鼓のバチを槍に変えて突進する。
まともに食らった分隊長は吹き飛ばされ、橋桁に背を打ちつけた。
同時にアルベルトが隠しナイフを閃かせ、分隊長に馬乗りになる。
が、そこまでだった。
次の瞬間、ガレンは数人掛かりで組み伏せられ、
アルベルトの首には二本の剣が突きつけられていた。
「無駄な抵抗だな」
分隊長は埃を払いながら立ち上がる。
「抵抗する気が起きない程度に痛めつけろ」
それを合図に、
アルベルトが足蹴にされ地面に転がされた。
騎士の盾が肋骨を叩きつけ、折れる音が響く。
ガレンは袋叩きに合い、肩を貫かれながらも唸りを上げる。
エレナは羽交い絞めにされ、顔面を殴り倒された。
俺は地面に顔を押し付けられたまま、ただそれを見ていた。
何もできない。
また、何もできない。
「お前は特別待遇で相手をしてやる」
抑えつける騎士が耳元で囁く。
いつの間にか降り始めた雨が頬を伝う。
涙か、雨か、区別がつかない。
仲間が血溜まりに倒れていく。
剣が俺の首に押し当てられる。
そのとき——
胸の奥、奥底。
前世で一度だけ、教会の聖歌隊で歌った、あの旋律が蘇った。
掠れた、震える、ほとんど呟きのような声で、
俺は歌い始めた。
「主よ……
わたしに……
戦いの力を……
帯びさせたまえ……」
詩篇第十八篇。
ダビデが敵を打ち砕いた時の賛美。
俺はそれを、ルイ・アームストロングのハスキーな節で、
まるでジャズのバラードのように歌った。
「Praecinxisti me……(あなたは私に)
virtute ad bellum……(戦いの力を授けた)
Confringam illos nec poterunt stare……(私は彼らを打ち砕き彼らは立ち上がれぬ)
cadent subtus pedes meos……(私の足の下に倒れ伏す)」
歌声が橋桁の下に響いた。
風が止んだ。
雨が止んだ。
世界が、完全に無音になった。
瞬間——
俺の体は、もはや俺のものではなかった。
縄がはじけ飛ぶ。
抑えつけていた騎士の腕が、俺の指先ひとつで肘から逆方向に捻じ曲がる。
俺は立ち上がった。
ゆっくりと、
まるで聖堂で聖歌を歌う時のように優雅に。
リュートは持っていない。
それでも両手は自然と弦をかき鳴らす仕草を描き、
足取りは聖歌隊の輪舞のように滑らかだった。
一歩。
最も近い騎士の剣が振り下ろされる。
俺は首をわずかに傾けるだけで、剣は空を切り、
そのまま相手の首が、俺の掌に吸い寄せられるように掴まれた。
軽く捻る。
骨が乾いた音を立てて折れる。
「Confringam illos……(彼らを打ち砕き)」
歌声は途切れない。
二歩、三歩。
俺は歩く。
いや、舞う。
まるで讃美歌を歌いながら祭壇を巡る聖職者のように、
両手を広げ、指先を震わせ、
足を交差させながら円を描く。
槍が突き出される。
俺は腰を沈め、指先で槍の穂先を弾く。
そのまま流れるように相手の胸に掌底を打ち込む。
肋骨が内側から砕け、騎士は後ろに吹き飛ぶ。
「nec poterunt stare……(彼らは立ち上がれぬ)」
盾が押し寄せる。
俺は両手を天に掲げ、
歌声が高らかに昇るのと同時に、
その盾を握りしめた騎士ごと持ち上げ、
地面に叩きつけた。
衝撃で石畳がひび割れる。
「cadent subtus pedes meos……(私の足の下に倒れ伏す)」
それは舞いだった。
神がかりの、
血の賛美歌に合わせた舞い。
剣が、槍が、盾が、
次々と俺に向かって殺到する。
だが誰も俺に触れられない。
俺は歌いながら、
まるで楽譜の上で踊る音符のように、
敵の間を縫い、
指先で首を、
掌で胸を、
肘で顎を、
膝で腹を、
それぞれ正確に、優雅に、
そして容赦なく打ち砕いていく。
10目が倒れる頃には、
もう誰も俺に向かって剣を振り上げようとしなかった。
残りの10人は、恐怖に顔を歪めながら後退る。
だが逃げ場はない。
俺は歌い続ける。
最後のフレーズを、
優しく、慈悲深く、
まるで子守唄のように。
20人目の騎士が、
俺の足元に跪き、
首を垂れた瞬間——
歌が終わった。
静寂が戻る。
雨だけが、再び降り始める。
俺はゆっくりと両手を下ろす。
血は一滴も付いていない。
まるで聖餐式を終えた聖職者のように、
清らかで、
神々しく、
そして完全に狂っていた。
「……騒がしい」
声は、俺のものではなかった。
膝が崩れる。
意識が落ちる直前、
アルベルトが血まみれの顔で微笑んだ。
「……やっぱり……
あなたが……本物だった……」
俺は倒れ、雨に打たれながら、自分の手を見た。
まるで、まだ聖歌の余韻を覚えているかのように震えていた。
遠くで、鉄の水門が軋みながら開いていく音がした。
筏が、再び流れ始めた。
フリーハーバーへ——
答えを、探しに。
詩篇第十八篇と言えば「プライベートライアン」と言う映画でジャクソン二等兵が祈りを捧げながらライフルを撃つシーンが印象的です。
これはダビデの敵から救いだしてくれた神への感謝の歌です。
「歌」なんですよね。残念ながら聖書にコードは載っていないようでした。
今回はこだわりたくて、日本語の旧約聖書とラテン語の旧約聖書を読み比べたりもして投稿に時間がかかりました。




