第五話 境界の崩壊と、もうひとつの断罪
空が裂けた。
王国の方角――東の地平に、眩い青の光柱が立ち上る。
その輝きは太陽のようで、けれどどこか異様に冷たい。
世界を照らす光ではなく、焼き払うための光。
「……来たな」
リオルが静かに言った。
その声には恐れはない。ただ、決意だけがあった。
「王国の聖堂が“境界層”を破った。奴ら、ついに禁忌の術を使ったな」
「禁忌……?」
「魂の楔だ。おまえの魂を王国に引き戻すための術。
本来、神聖教会の長老クラスにしか扱えないはずだ。」
リオルは窓辺に立ち、黒い外套を翻す。
その背に、先ほどよりもさらに濃い漆黒の翼が現れる。
「奴らは、おまえを“贄”として再利用するつもりだ。
あの光が届けば、魂ごと引き裂かれる」
「だったら……わたしも行く」
そう言った瞬間、リオルの黄金の瞳がわずかに揺れた。
「危険だ。おまえの身体はまだ完全にこちらの世界に馴染んでいない」
「でも、わたしのせいで戦いが始まるなら――このまま見ていられない!」
リオルはしばらく私を見つめ、やがて小さく頷いた。
「……わかった。ただし、絶対に俺のそばを離れるな」
彼が手を伸ばす。
その指先に、微かな光が灯る。
まるで星のかけらのような淡い光。
「契約印の最終解放だ。おまえの記憶と力を繋ぐために」
触れた瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。
視界の隅に、無数の光景が流れ込んでくる――。
――断罪の日。
処刑台の上、燃える空。
リオルが王国の兵に取り押さえられ、私の名前を叫んでいる。
『彼女は無実だ! 彼女は俺の婚約者だ!』
それでも剣が振り下ろされる。
その刃が私を裂く瞬間、リオルの魔力が暴走し、王都が炎に包まれた。
そして、世界は――崩れた。
「……あの日、世界が分かれたのね」
「そうだ」リオルが答える。
「おまえの魂を守るために、俺は王国を滅ぼした。
その結果、世界は“人の領域”と“魔の領域”に分断された。
――おまえは、その狭間で眠り続けていたんだ」
私は言葉を失った。
自分の死が、世界を二つに裂いた――。
胸の奥が痛む。けれど、それ以上に、リオルの瞳が痛かった。
「おまえを救ったはずなのに、俺はすべてを壊した」
「……違うわ」
私は首を振る。
「壊したんじゃない。守ったのよ。
あの時、あなたが泣いていたのを、わたしは覚えてる」
リオルの瞳が揺れる。
その一瞬の隙に、窓の外――空の光柱が突然、脈打った。
「来る!」
リオルが私を抱き寄せる。
轟音。
結界が弾け、冷たい風が部屋に吹き込む。
光の中から、銀の鎧に身を包んだ聖堂騎士たちが姿を現した。
「王国の命により、悪役令嬢レイシアを回収する!」
その声は、かつて私を断罪した者たちと同じ響きだった。
私は咄嗟にリオルの腕を掴む。
彼は静かに、けれど絶対の力を込めて言った。
「俺の婚約者に手を出すな」
その声と同時に、空気が裂ける。
闇の剣が生まれ、光の壁を一閃した。
衝撃で聖堂騎士たちが吹き飛ぶ。
床が割れ、炎が迸る。
けれど彼らは、倒れてもなお祈りの言葉を口にした。
「神の名のもとに――魂を清めよ!」
青い光が、私の胸の紋を狙う。
熱。痛み。
魂が引かれる。
――このままでは、またあの日と同じ。
「レイシア!」
リオルの声が遠ざかる。
視界が白く染まり、耳鳴りが世界を覆う。
その時、誰かの声がした。
私の中の、もう一人の“私”の声。
『恐れないで。あなたは、もう贄じゃない。
今度は――選ぶ側よ。』
光が爆ぜた。
白い世界の中で、私は自分の右手を見た。
そこに刻まれていたのは、もう黒い紋ではなかった。
純白の紋章――光と闇、ふたつの世界を繋ぐ“境界の印”。
「レイシア……?」
リオルが息を呑む。
「まさか……“境界の乙女”の再誕――!」
世界が震えた。
青の光柱が砕け、空が赤く裂ける。
光と闇がせめぎ合う空の下、私ははっきりと見た。
――あの日、私を断罪した王。
父の姿が、光の中に浮かんでいた。
「……お父様」
リオルが剣を構え、私の前に立つ。
「世界は、再び裁きを始める。だが――今度は俺たちが選ぶ番だ」
風が巻き起こる。
境界が崩れ、ふたつの世界が交わろうとしていた。




