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乳母リリエルの後悔

 リリエル・ラードン。

 ファーメル侯爵家の娘であり、今はラードン伯爵家に嫁いだ人妻である。


 同時に……今は亡き皇妃の一人、ミラス・ゼラ・アルグランドの親友でもあった。


(懐かしいわね、この城に来るのも)


 皇城の廊下を歩きながら、リリエルは過去の記憶を回想する。


 ミラスがまだ“エスカレーナ”だった頃、皇家に嫁がされることを「まるで人質みたいだわ」などと文句を言っていたのが、昨日のことのようだ。


 良くも悪くも自分に正直で、恐れ知らずで、快活で、気ままに周囲を振り回す彼女が皇族の一員になるなどと、とても似合わないと思ったのをよく覚えている。


 だから……「皇族もうちの実家も嫌いよ、みんな揃いも揃って人の心ってものがないわ」などとブツクサ言っていた彼女が、生まれた娘が可愛くて仕方ないと笑顔を見せているのを目にして、随分と驚いたものだ。


 元気過ぎて頭が痛くなるくらいだった彼女が、出産後にかかった流行病であっさりと逝ってしまったことも。


『お願い、リリエル……私が頼れるのはもう、あなたしかいないの……この子を……レメリアを……守って、あげて……』


 そんな親友の最期の言葉を胸に、五歳頃までは乳母として、それからは教師として彼女を指導した。


 我儘放題で手のかかる子だったが、それは別に苦ではなかった。

 むしろ、元気過ぎるレメリアの姿がミラスと重なり、懐かしさを覚えたくらいである。


 ただ……そんなレメリアを認めなかったのが、ミラスの実家であるエスカレーナ公爵家だ。


 皇女らしく、厳かで品のある女性に育てろという圧が日に日に強まっていく中で、畳み掛けるようにリリエルの頭を悩ませた問題がある。


 母親の死を理解し、二度と会えないということを理解したレメリアは、強く父親を求めるようになったのだ。


 それを何とか抑えようと、「勉強を頑張っていれば、いつかお父上に会えますよ」などとでまかせを口にしたのだが……それが失敗だった。


 読み書き教育の一環として父親宛に書かれた手紙を、当の皇帝陛下に渡していなかった……その権限すらなかったことがバレて、決定的に嫌われてしまったのだ。


『もういや!! リリエルのうそつき!! もうこないで!!』


 それを最後に、教育係を辞めることにしたリリエルは、この三年間ラードン家で穏やかな日々を過ごしてきた。


 後を受けた教師が、レメリアをしっかり教育してくれていることを願いながら。


(それがまさか、毒殺騒ぎだなんて……レメリア様、無事だといいけれど)


 もちろん、既に治療が済んでいることは知っている。

 前任者が文字通り()()()()()、その代わりにと皇女自身が指名したのが自分だと聞かされた時、嬉しかった。


 自分のことを、まだ覚えてくれていたのかと。


(きっとレメリア様は深く傷付いているはず……私が支えて差し上げないと)


 気合いを入れつつ、リリエルは皇女宮を目指し歩を進める。


 かつての記憶を頼りに、皇女の部屋を目指し……近付いてきたところで、ふと言い争うような声が聞こえて来た。


「レメリア様──おやめ──!」


 よく分からないが、レメリアに関することだということだけは分かった。

 どうやら、中庭の方らしいと、そちらに進路を変え……そこで、上がる炎を前に言い争う、レメリアとメイドの姿を見付ける。


「レメリア様!! どうして燃やしてしまわれるのですか!? それは、レメリア様がずっと大事に仕舞っていた、皇帝陛下からのお手紙ではないですか!!」


 ドクンッ、と心臓が跳ねるのを、リリエルは感じた。

 その理由も分からないまま、レメリアとメイドの話は続いていく。


「落ち着いて、メア。こんなもの、大したものじゃないから」


「大したものじゃないって……!!」


「だって、全部偽物だもの。これ」


「え……?」


 メイドの唖然とした表情を余所に、レメリアはポイポイと炎に紙の束を放り込んでいく。


 レメリア自身がどんな表情をしているのか、リリエルの位置からは分からない。

 ただ……それを確認するのが怖くて、足が止まってしまった。


「カロラインは、私を洗脳しやすくするために、自分への好感度を稼ぎたかったの。この手紙は、そのための手段……私をぬか喜びさせるために、あいつ自身が書いたのよ。でなきゃ、お父様が私のために、こんなにもたくさんの手紙を書くなんてありえないでしょう?」


「レメリア……様……」


「もう、どうしてメアが泣くのよ」


 メアと呼ばれたメイドが静かに涙を流す中、レメリアは全ての紙束を炎に投げ入れ、ひと仕事終わったとばかりに手を叩いた。


「心配しないで。私はもう、お父様のことなんて、なんとも思っていないから」


 どさりと、リリエルが手に持っていた荷物が地面に落ちる。


 その音に気付いたのか、レメリアがリリエルの方へと振り返った。


「あら、リリエル様! お久しぶりです、お元気でしたか?」


 にこりと笑うレメリアの表情に、なんの陰も見られない。

 まるで、本当に父親のことなどどうでもいいと思っているかのように。

 自分が殺されかけたことなど、もうすっかり忘れてしまったかのように。


 それが、リリエルにはあまりにも悲しくて……気付けば、涙を流していた。


「えっ、リリエル様!? あの……!?」


「レメリア様……!! 本当に、申し訳ありませんでした……!!」


 急いで駆け寄ったリリエルは、そのままレメリアの事を抱き締める。


 この小さく幼い姫君が、一体どれだけの孤独と悲しみを抱え込み、傷付けられ、心を閉ざすに至ったのかと……自分のいなかった三年間を、不憫に思いながら。


「私が……私がきちんと、レメリア様と向き合って指導出来ていれば……このようなことには……!!」


 レメリアを毒殺しそうになったのは、前任者のカロラインだ。

 父親を求めるレメリアの心を弄び、自分にとって都合よくコントロールしようとした外道も、カロラインだ。


 しかし、自分にその前任者を責める資格があるのだろうかと、リリエルは自責の念に駆られた。


 父親を想う心を利用してレメリアをコントロールしようとしたのは、自分も同じだったではないかと。


「リリエル様のせいではありませんよ」


 そんなリリエルに対して、レメリアは穏やかに告げる。

 あまりにも、残酷な一言を。


「全て私の……自業自得ですから」


 本当に、レメリアが本心からそう思っているのだと、リリエルはすぐに分かってしまった。


 こんな幼い子供が、両親を想う気持ちを利用されて、毒殺されかけて、それでもなお自分のせいだと思い込むなど。


 本当に、どんな三年間を送ればこれほどまでに変わり果ててしまうのかと、リリエルは激しい怒りを覚えた。


 自分にも、そして……全ての元凶たる、カロラインにも。


「そんなことは絶対にありえません!! レメリア様は、何も悪くないのです……!! もっと周りを責めていいのです……ご自分を、もっと大切になさってください……!!」


「えぇ……」


 どうしてそこまで言われるのか分からないと、本気で困惑しているレメリアを見て、今度こそミラスの代わりに私が守っていくのだと、リリエルは決心し──


 カロラインは地獄に落ちろと、当人がいたら泣いて弁明するような呪詛を吐き捨てるのだった。


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