目覚める激情
私が気が付いた時には、全てが終わった後だった。
メアは奇跡的に一命を取り留めたけど、いつ目を覚ますのかは分からない状態。
犯人に繋がる証拠もなく、お父様の介入もあってしばらく皇女宮は厳戒態勢だ。
でも……そんなこと、今の私には全部どうでも良かった。
「メア……起きてよ……」
起きてからずっと、未だベッドで眠るメアの傍で、私はただそう呟くことしか出来ない。
そんな私に、アフィーが声を掛けてきた。
「レメリア様……もう夜です、一度お休みになられた方が……」
「いい。……せめて……せめて、ここにいさせて……」
無力感でいっぱいになり、涙すらとっくに枯れ果てた今の私に出来ることは、ただメアに寄り添うことだけだから。
「分かりました」
アフィーはそう言って、少し距離を置いた。
距離を置くだけで、決して部屋を出たり休んだりしようとはしないその姿勢に、私は渇いた笑みを漏らす。
私に、守る価値なんてないのに、って。
「どうして……メアが、こんな目に……」
事件からそれなりに時間も経ったから、私の頭もようやく衝撃から立ち直り、ゆっくりと回り始めた。
少なくとも、やり直す前の人生では、処刑されるあの日まで、皇女宮で一度だってこんな事件は起きなかったはず。
いくら周囲の人間に興味のない私でも、住んでいる場所でこんな事件が起きれば嫌でも記憶に残るもの。
つまり、これは元々あった何かの事件にメアが巻き込まれたわけじゃなくて、二度目の今だからこそ起きた、全く新しい事件ということだ。
じゃあ、一度目の時と今とで、何が変わった?
その元凶は、間違いなく私だろう。
「証拠が何も出てこなかった……つまり、相手は衝動的にたまたまメアを刺したんじゃなくて……計画的に、確固たる意思をもってメアを狙った……」
元凶が私なのに、メアが狙われた理由があるとしたら……ここ最近は、私の周りにいつもアフィーが控えていて、狙う隙がなかなか見付からなかったから?
つまりこの事件の意図は、私を害することよりもむしろ、私の大切なものを傷付けて、何らかの牽制をしたかったということなのかもしれない。
事実、お父様の号令で調査が開始されてなお尻尾が掴めないほど凄腕の暗殺者が、メアを仕留め損ねている。
首を狙えば一発なのに、あえて急所を外してギリギリ致命傷にならないようにしたんだ。
「私の行動が、気に入らなかった誰かが……それを止めさせようと……?」
だとすれば、既に処分が済んでいるカロラインの件や、ルーラック領の騒動は関係ない可能性が高い。
今も継続して行われている、私の“何か”で……私が恨まれるような心当たりがあるとすれば、それは──
「あらレメリアさん、調子は如何かしら?」
ノックもなしに、誰かが部屋に入って来た。
その声だけで、それが誰なのか容易に思い浮かぶ。
「レレム様……ノックもなしに入ってくるというのは、些か礼儀に欠ける行いではないでしょうか」
「いいじゃない、私は皇妃の一人で、レメリアは皇女……つまり、家族のようなものなのだから」
レレム・ゼラ・アルグランド。
彼女は今、“私”がいるからノックはいらないと口にした。ここは、“メアの”病室なのに。
つまり、用があるのは私だ。
「レメリアの専属メイドが襲撃を受けたって聞いて、心配になったから様子を見に来たのよ? とっても仲が良いって聞いていたから、さぞ傷付いているだろうと思って」
心を閉ざせ。氷漬けにしろ。
でないと、今の私は何をしでかすか分からない。
「でもね? レメリアも良くないと思うのよ」
だって……。
「最近、皇女宮を出てあちこち飛び回っているでしょう? あまりそういうことをしていると、知らないうちに誰かの恨みを買ってしまったりするものよ」
メアを半殺しの目に遭わせたのは、まず間違いなくこの女だから。
「これ以上、大事なものを壊されたくなかったら……しばらく、皇女宮でじっとしているのをお勧めするわ。次は、こんなものじゃ済まないかもしれないし……ね?」
「────」
必死に封じ込めようとしていた感情が、憎悪となって溢れ出す。
何が……何が、《《こんなもの》》だ。
メアは、私の全部だ。私なんかよりずっとずっと優しくて、人気者で……! あんたが来るまでのほんの数時間で、一体どれだけの人がお見舞いに来たと思ってる!! この皇女宮で、メアを嫌ってる人なんか誰一人見たことがない、私の自慢のメイドだ!!
何一つとして誇れるものがない私の人生で、たった一つだけ自慢出来る、私の大切な家族なんだ!!
それを……それを、あんたは!!
「レレム様、レメリア様に対して何を言っておられるのですか!! いくら皇妃といえど、限度というものがあります!!」
この女を殺すのに、一秒もいらない。
魔法で氷のナイフでも生み出して、嫌味ったらしくふざけたことを喋るその喉を切り裂いてやれば、あっという間だ。アフィーが止めに入る暇すらなく、地獄に叩き落とせる。
殺意のままに手のひらへと凝縮されていく魔力が、今にも武器へと変じようとしたその瞬間──頭の中に、ウィル兄様の顔が過ぎった。
──そんなこと、ないよ。レメリアの魔法も、剣も……すごく綺麗で、ボクは好きだよ。
強引に拳を握り締めて、形になりかけた魔法を中断する。
半端に生成された氷の破片が手のひらを傷付け、血が滴り落ちた。
「あら、私はただ親切心で言っているだけですよ。ねえ、レメリア?」
「……そうですね」
「分かって貰えて良かったわ。それじゃあ、私はこれで」
怒りを露わにするアフィーに手を振りながら、レレム皇妃は部屋を後にする。
静かになった病室で、アフィーはすぐに私のところへ駆け寄ってくれた。
「レメリア様、あの女の言葉は気になさらないでください、あんなもの……!?」
アフィーが、驚いた様子で言葉を詰まらせる。
……今の私は、アフィーからどう見えているんだろう?
一つだけ、確かなのは……私は今、どうしようもないほどの憎しみで心がいっぱいになっているってことだけだ。
「アフィー、手伝って欲しいことがあるの。協力してくれる?」
「構いませんが……一体、何を……?」
「そんなに警戒しなくても、大したことじゃないわ。ただ、メアが一日も早く回復するように、教会に祈りを捧げに行くの。普通でしょ?」
こういう時、妹ならどうしていたんだろう?
外道を極めた私みたいなクズですら、処刑されるとなれば心を痛めていたような子だ。間違っても、私と同じ行動には出ないだろう。
でも……やっぱり、私には無理だ。
「お布施が必要ね……そういえば、私のための予算が随分と余ってるって聞いたから、それを持っていきましょうか。まずはその手配からお願いね」
「……承知しました」
ごめんね、ウィル兄様。
ごめんね、メア。
やっぱり私は、優しい皇女様にはなれないみたい。
私……あの女がふんぞり返っている教会を、完膚なきまでにぶっ潰すわ。




