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悲劇

 ウィル兄様と関わり始めて一週間、私はようやく肩の傷も癒えて、普通に過ごせるようになった。


 そこで、今は皇女宮の中庭で、魔法を交えつつ体を動かし、剣術の型稽古をしている。


「ふっ……! ほっ……!」


 氷の魔法で作った、小さな剣。

 それを両手に構えて、踊るように振るう。


 頭のてっぺんから、足の指先まで神経を張り巡らせ、思い描く理想の動作が出来るようになるまで、無限に同じ動作を繰り返すこの時間は……正直、嫌いじゃない。


 体を動かしている間は、余計なことを考えなくて済むから。


「はぁっ!!」


 手に持っていた二本の氷剣を投げ飛ばし、一つの巨大な氷塊へと変えて自由落下させる。


 その後、私はすぐさま新しい剣を生成。両手でしっかりと握り締めた長めのひと振りを、勢いよく一閃。


 真っ二つになった氷塊が、私の左右に落ちてズズンッ! と重々しい音を立てた。


「ふぅー……」


 大きく息を吐いて、緊張を解く。

 そんな私へ、拍手の音が二つ響いた。


「レメリア、すごい……! 本当の、騎士みたい……!」


「ええ、本当に……まだ八歳とは、とても思えません。魔法の発動速度、精度、それに剣技の冴えも……魔法ありきとはいえ、まさかこれほどの氷塊を両断してみせるとは……自然の岩と比べても、遜色ない強度ですよ」


 ウィル兄様とアフィーが、口々に私を褒めてくれる。


 特にアフィーは、落ちた氷塊を拳で叩いてその強度を確かめながらしみじみと言うものだから、ウィル兄様からの尊敬の眼差しが更に強まってしまっていた。


 まあ、十五歳まで生きた記憶も経験もそのままなんだし、これくらいはね。


「レメリア、ボクも振ってみていい?」


「ええ、いいわよ。怪我をしないように、気を付けてね」


「うん」


 私の型稽古と最後の実演を見て興味が湧いたのか、私が作った氷の剣を持って瞳を輝かせるウィル兄様。


 それを見て、アフィーが目を丸くしている。


「ウィル様が普通に持ち上げられるとは……相当軽いのですね。これは……刃が、薄いのですか」


「ええ、いくら身体強化魔法があると言っても、私の体格で重厚な剣なんて振れるわけないでしょう?」


 だから、刃を極限まで薄く生成して、私の体でも振り回せる程度の重量にしてるってわけ。

 少し振るくらいなら、九歳のウィル兄様でも魔法なしで何とかなるわ。


「ですがそれだと、刃の強度が足りなくなるはず……」


「あっ……!」


 アフィーの疑問の正当性を示すように、お試しで氷塊へ剣を振り下ろしたウィル兄様が、悲しそうな声を上げる。


 見れば案の定、氷剣が粉々に砕けていた。


「確かに強度は足りないから、これで攻撃を受けたりするのは無理だけどね。こちらから斬るだけなら、しっかりとブレなく刃を通せば……」


 新しく生成した極薄の氷剣で、一閃。

 再び氷塊が真っ二つになり、斜めにズレて滑り落ちた。


「この通り、案外何とかなるものよ」


「……凄すぎて、もはや言葉もありませんね。レメリア様は、本当に天才です」


「レメリア、カッコイイ……!」


「皇女がこんなことばかり得意になっても、仕方ないのだけどね」


 人殺しにしか使えないし──という自虐の言葉は、口に出す前に飲み込んだ。


 実際に人殺しの技として磨き上げてしまった私はともかく、騎士であるアフィーは誰かを守るために同じ技を学んでるんだから。

 そんな彼女まで間接的に蔑むことになりかねない言動は、避けないと。


「そんなこと、ないよ。レメリアの魔法も、剣も……すごく綺麗で、ボクは好きだよ」


「…………」


 そんな私の、ささくれ立ったマイナスの感情を解すように、ウィル兄様の純粋な言葉がじんわりと心に染み渡る。


 泣きそうになるのをぐっと堪えるんだけど、上手く行かなくて、私は慌てて顔を逸らした。


「レメリア、どうしたの……?」


「な、なんでもないわ。それにしても、メアは遅いわね、休憩用のお茶を取りに行くって言ってたのに」


 誤魔化すように、私は今この場にいないメアの名前を口に出す。


 実際、いつもならとっくに戻って来てるはずのメアが連絡もなしにこんなに遅れるなんて初めてのことだから、何かトラブルでもあったんだろうかと心配だ。


「誰かに頼んで、様子を見に行かせましょうか?」


「ううん、私が行くわ。お茶なら中で飲んでもいいんだし、忙しいメイド達の手を煩わせるのも悪いから」


 ウィル兄様も来る? と誘ったら、もちろんと頷いてくれたので、アフィーも連れて三人で皇女宮の中へ。


 すると……なぜか、肌がピリつくような緊張感を覚えた。


「……?」


 上手く口には出来ないけど、“日常”から一歩踏み外して、見知らぬ世界に足を踏み入れてしまったかのような違和感。


 ここで、何かが起きている。あるいは、起きてしまった。


「メア……!」


「レメリア様、お待ちください!!」


 帰って来ないメア。どこかおかしな雰囲気の皇女宮。

 この二つを結び付けるなと言われても、私には無理だった。


 アフィーの制止を振り切り、ウィル兄様も置いてきぼりにして廊下を走る。

 向かう先は、メイド達がお茶を用意するために使用される部屋。厨房とは別に用意されていて、お茶の葉もたくさん納められている場所だ。


 そこに近付くごとに、違和感は強まっていく。


 緊張を孕んだメイド達の様子、姿の見えない見回りの衛兵、少しずつ大きくなっていく騒ぎ。


 やがて、お茶汲み部屋の前にやって来た時、そこには中に入らないよう扉の前に立つ衛兵と、野次馬のように集まるメイド達の姿があった。


「通しなさい」


 足を止めた私は、ただ一言そう告げる。

 そこまで大きな声を出したわけじゃなかったんだけど、不思議と重く響いた私の声に、メイド達がスッと左右に割れていく。


 その中心を歩き、扉の前に立った私は、衛兵にも同じ言葉を口にした。


「通しなさい」


「皇女様、あなたを今通すわけには……」


「私はね、お願いしてるわけじゃないの。……通しなさい、命令よ」


 有無を言わさぬ私の言葉に、衛兵は諦めたようにその場を退いた。


 扉を開き、中に足を踏み入れて……まず感じたのは、血の匂い。

 次いで、切羽詰まった衛兵や医師の声だった。


「そこ抑えて!! まずは何よりも止血が最優先!! 医務室への搬入も傷の縫合も後だ後!!」


 そんなわけないって、信じたかった。

 私は未来を一つ変えたんだから、もう大丈夫なんだって、そう思い込んでいた。


 だから……体に深々とナイフが突き刺さり、大量の血を流して床を真っ赤に染め上げるメアの姿を前にして、一瞬で頭が真っ白になる。


「嘘、よ……メア、メアぁぁぁぁぁ!!」


「レメリア様!!」


 衝動的に駆け寄ろうとした私の体を、追い付いたアフィーが抱き締めるようにして押し留めた。


 それも構わず、私は必死に手を伸ばす。


「アフィー、メアが、メアが!! 私、なんで……嫌、嫌よ、メア、メアぁぁぁ!!」


「レメリア様、落ち着いてください……!!」


 どうして、どうしてメアが。私じゃなくて、どうしてメアが!!


 完全にパニックになって、何も考えられずただ暴れることしか出来ない私に、アフィーは絞り出すような声で呟く。


「……申し訳ありません。しばし、眠っていてください」


「ぁ……」


 アフィーの手が私の顔を覆い、魔力の輝きが一瞬にして私の意識を闇に閉ざしていく。


 最後に目にしたのは、どれだけ伸ばしても届かなかった私の手が、力無く垂れ落ちる所だった。

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