愛情と憎悪
「意外ですね、陛下」
「……何がだ?」
「ウィル皇子のことです。まさか、あんな言葉をかけるとは思いませんでした」
いつもの執務室で作業するファーガルへと、宰相ライゼスが別件の報告がてら話を振る。
傍に控えていたわけでもないお前がなぜそれを知っている? と、ファーガルから視線という名の刃を突き付けられたが、そこはしれっとスルーした。
いつものやり取りに、本日先に屈することになったファーガルは溜息を吐く。
「レメリアがそうして欲しいと頼んで来たからな。恩赦だけで褒美とするのも足りないと思っていたところだ、ちょうどいい」
「皇女様から頼まれたのは、自分のことは隠して陛下から贈ることだったじゃないですか。それを、わざわざ皇女様からだと伝えた上で、“期待している”だなんて、さぞ深い理由があるのだろうと……って危なぁ!?」
「……ちっ、外したか」
手に持っていた羽根ペンを、まるで矢の如きスピードで投擲したファーガルは、何事もなかったかのように予備の羽根ペンで仕事に戻る。
一方、顔面直撃コースを辛うじて回避したライゼスは、壁に深々と突き刺さった羽根ペンを見て頬を引き攣らせた。
「全く、少しからかっただけじゃないですか。あんまりそういうことをしていると、皇女様に嫌われますよ?」
「…………」
レメリアに嫌われる、という一言がよほど効いたのか、ファーガルはペンを動かす手を止めてしまう。
分かりやすい主の姿に、ライゼスはやれやれと肩を竦める。
「もっと素直になりましょうよ。皇帝だからって、自分の子供達を可愛がっちゃいけないなんて決まりはありません」
前皇帝は、端的に言って腐っていた。
自分にとって都合の良い者や身内ばかりを優遇し、いくら正しい行いをする者であっても自らに逆らう者に容赦がない。
そんな父を見て育った反動か、ファーガルは自分に対しても、他者に対しても、分け隔てなく厳し過ぎるところがある。
もう少し丸くなろう、というライゼスの提案に、ファーガルはしばし逡巡し……問い掛けた。
「……どうすればいい?」
「へ?」
「子供を可愛がる、というのは……どうすればいいんだ?」
そこからか、とライゼスは頭を抱えた。
確かに、何度かレメリアがここへ訪れた時も、おやつを与えはしても会話すらロクにせず、ただ自分の仕事をこなしながら、時折食べている様子を眺めるだけという有様だ。
レメリアも、明らかにファーガルの真意が分からず困惑している様子だったし、もう少し上手くやれよと密かに思っていたのだが……これは重症だ。
「そうですねえ……ではまず、笑顔になりましょう、笑顔! 自分は皇女様と一緒にいて楽しいんだっていうことを、表情に出してアピールするんです!」
「ふむ……こうか?」
ニタリ、と。
威圧感溢れるその表情に、ライゼスは獲物を狙う大蛇の姿を幻視した。
「よし、表情は諦めましょう! やっぱり愛情を伝えるにはスキンシップが一番です!」
「おい」
何もなかったかのように話を進められ、ファーガルは文句を口にするが……ライゼスは鋼の意思でそれをスルーした。
世の中、時には諦めも肝心なのだ。
「分かった、それで……スキンシップとは、何をするんだ?」
「頭を撫でるのが鉄板でしょうね。とはいえ、陛下がいきなりそれをするのは、ハードルが高いかもしれませんので、私で練習するところから始めましょう!」
「お前は俺を何だと思っている?」
さあ! とその場に跪いて頭を差し出すライゼスに、ファーガルは心底嫌そうな顔をしながらも手を伸ばす。
その荒い手付きに、ライゼスはくわっと目を見開いた。
「そんな撫で方ではダメです!! もっと優しく、慈しむように!!」
「なぜお前を慈しまなければならんのだ……」
「練習のためです!! いざ皇女様を撫でるとなった時、逆に傷付けるようなことになったら悲しいでしょう!?」
「…………」
嫌々ながらも、ファーガルは大人しくスキンシップの練習を続ける。
その相手がライゼスという事実に苛立ちを感じながらも、無心になってその頭を撫で続けて……。
コンコン、と響いたノックの音に、反射的に拳が飛び出した。
「入れ」
「失礼します、陛下、一つお話が……」
話題に登っていたレメリアの登場……なのだが、扉を開けたところでぴしりと固まり、なかなか入って来ない。
その視線の先には、ファーガルの拳を受けてひっくり返ったライゼスがいて……。
「気にするな、こいつは昼寝の時間だ」
「そ、そうですか……その、ウィル兄様の件で、お礼を伝えに来ただけですので、私はすぐに帰ります」
ありがとうございました、それでは!
まるで逃げるように去っていったレメリアを見送ったファーガルは、倒れたライゼスに責めるような眼差しを向ける。
「いや、これは陛下の自業自得では……?」
「うるさい」
理不尽!! と叫ぶライゼスは、泣き真似をしながら立ち上がる。
とはいえ、これ以上ふざけていると本気で怒られかねないので、一つ咳払いをして真面目な顔を作った。
「それで……本当に、ウィル皇子の夢を支援なさるおつもりで?」
「ああ。近頃、魔物の出現頻度が増加しているからな。研究したいというのなら、支援するのも悪くないだろう」
悪くないとは言うが、ウィル皇子はまだ九歳だ。しかも、第三とはいえ皇族の一員である。
支援したところで物になるには何十年とかかり、本人がそれを望んだとて周囲がそれを許すかはかなり怪しい。
事実、レレム皇妃は「期待している」というファーガルの言葉に、この世の終わりかのような顔をしていた。本心では、ウィルにそのような事をさせたくないのだろう。
それくらい、ファーガルも当然理解している。
故に、以前までのファーガルなら、決してあのような行動には出なかったはずだ。
(皇女様と関わるようになって、陛下も少しずつ変わって来ている。この調子で、少しは人並みの幸せを掴んで貰いたいものだ)
旧い友人として、長らく国のために尽くしてきた男の幸福を純粋に祈りながら、ライゼスは自らの仕事に戻っていくのだった。
「くそっ!! どうしてこうなるのよ!!」
皇都に構えられた、大きな教会。
アルグランド帝国の国境、ルミナ教の総本山でもあるその場所の一室で、皇妃レレムは苛立ちのままにテーブルを叩いていた。
そのあまりの剣幕に、専属のメイド達も距離を置いている。
「何が“期待している”よ……要するに、“皇族としては期待してない”ってことじゃない!!」
魔物研究など、皇族がすることではない。
それを期待しているということは、裏を返せば皇族らしい役目は期待していないということ。
少なくとも、レレムはそう解釈した。
「くそっ、くそっ、くそっ!! これも全部、あの小娘のせいよ!!」
奇行の目立つウィルは、それが落ち着くまで人前には出さないと決めていた。
特に、皇帝であるファーガルの目に留まっては教会ごと切り捨てられかねないと考えていたため、とにかく目立たないようにと箱入りに育てたのだ。
しかし、レメリアが関わってから全てが狂った。
ウィルの奇行が皇帝の知るところとなり、完全に見限られてしまったのだ。
「絶対に許さない……!!」
ドス黒い逆恨みの感情を抱きながら、レレムはニタリと邪悪な笑みを浮かべるのだった。




