書庫のひと時
ウィル兄様に誘われて、今日は書庫へ行くことになった。
正直予想外過ぎる展開だし、勝手な同情心から近付いた身としては恥ずかしいくらいなんだけど……今更やっぱりなしで、というわけにはいかない。
というわけで、朝からその準備を進めてるんだけど……その前に、メアとちょっとした口論になっていた。
具体的には、私が着るドレスのことで。
「レメリア様!! そろそろ新しいドレスを購入なさるべきです、予算はちゃんとあるのですから!!」
「いや……買うだけ買って、結局一度も着ずに死蔵しているドレスがいくらでもあるでしょう? いらないわよ、新しいのなんて」
以前は無駄遣いし過ぎだって怒られていた気がするんだけど、今はまさかの立場が逆転してしまった。
優しい皇女になるために、無駄遣いはやめよう……って決めたのも理由の一つだけど、正直なところ、綺麗なドレスにあまり興味がなくなってしまったのも大きい。
もちろん、今でも嫌いじゃないし、好きといえば好きなんだけど……何というか、わざわざ商人を呼びつけてまで買い求める熱量がなくなったというか。
それはドレスに限った話でもなく、以前はあんなに毎日貪っていたケーキやお菓子みたいな甘い物も、そこまで食べたい欲求が湧かなくなっていた。
この体に戻った直後は、ちゃんと我慢しないといけないくらいには食べたかったはずなのに……段々それが薄れて来たのよね。
でも……何となく、その理由は分かってる。
「どうしてもって言うなら……私じゃなくて、メアに選んで欲しいわ。私に似合いそうなの、期待してる」
誰かが傍にいてくれる、その幸せに比べたら、綺麗なドレスも豪華な食事も、全部どうでもいいと思えるから。
私が皇女でなければ、今もルーラック領のあの屋敷で、メアの弟妹達と一緒に暮らしたかったって……情けない未練が心の中にあるくらいには。
失くさないようにって腕に巻いたこのあやとりを、あれ以来一度も手放せていないのも、そういう理由だ。
「うぅー……分かりました。でも、覚悟してくださいね。私が選ぶからには、妥協なんてしません! 新しいドレスを購入する際は、レメリア様にもたっぷり試着して頂きますから」
「うん、楽しみにしてるわね」
だから……メアが私を着せ替え人形にしてドレスを選んでくれるというなら、それはとても楽しそうに思える。
ここ最近は肩の怪我で腕を吊っていなきゃいけないから、お洒落も何もあったものじゃないってずっと不満そうだったし、ちょっと大変かもしれないけどね。
「さて、それじゃあ書庫に向かいましょうか。どこにあるんだっけ?」
「ああ、お連れ致しますよ」
「うん、お願いね。……抱っこはいらないから」
見た目より動きやすさ、体への負担の少なさを考慮した装いになった私は、メアに確認を取る。
当たり前のように私を抱っこしようとするメアの要求を固辞した私は、そのまま自分の足で歩き出した。
……いい加減、運動もしないと、まん丸の子牛になっちゃいそうだもの。
怪我が治ったら、本格的に体を鍛えようって密かに企んでもいるし。
というわけで、ゆっくり歩いて皇子宮の書庫まで向かうと、既にウィル兄様が部屋の前に待っていた。
私を見るなり笑みを浮かべたウィル兄様は、小さく手を振ってみせる。
「レメリア……! おはよう」
「おはよう、ウィル兄様。今日はよろしくね」
私の好きなものがきっと見つかると、ウィル兄様はこの場所に誘ってくれた。
ついさっきのメアとの会話と繋がるところがあるその内容に、私個人としてはどう受け止めるべきか悩ましいけれど……仲良くなれるのは、素直に嬉しい。
やっぱり、家族とは……出来れば、一緒にいたいもの。
一度はこの手で殺しておいて、今更何を言ってるんだって話だけど。
「レメリア……大丈夫?」
「え、何が?」
「レメリアが、悲しそうだったから……」
ウィル兄様は"妖精"が見える。
それが一体何なのかは、私には分からないけれど……もしかしたらその影響で、私の心の機微が読み取れるのかもしれない。
……皇子宮の外を出歩きながら、お世話役のメイドも、護衛の一人も連れていないのは不思議だったんだけど、案外そういうところが避けられているのかしら。
そこは、お父様がちゃんと誰かに専属になるよう命じなさいよって思うのだけど……それをしないってことは、お父様はウィル兄様にもあまり興味はないのかもしれない。
私だけが不遇だと、嫌われているんだと思っていたけど、それはただの勘違いだったってわけね。
「大丈夫よ。その……ウィル兄様がこんなにも優しい人だとは思っていなかったから、今までずっと邪険にしていて、申し訳ないなって」
若干誤魔化すような感じになったけど、全くの嘘でもない。
だからか、ウィル兄様も私の言葉を疑う様子もなく、首を横に振った。
「避けてたのは、ボクの方だから……だからその、ごめん」
「そうね、じゃあ、お互い様ってことで」
あまりこの話を引っ張っても仕方ないから、そう言って微笑むことで一旦終わりにする。
そのまま、二人で書庫に入って……大量に並ぶ本棚と、そこにぎっしりと詰まった本の山に、目を奪われた。
「これは……すごいわね」
やり直す前から、カロラインの指導で山ほど勉強していたけど……自分の意思で学ぼうとしていたわけじゃないから、こういった場所に足を踏み入れたことは一度もなかった。
思わずその感動が声になって零れる私を見て、ウィル兄様は少しだけご機嫌そうに手を引いてくれる。
「こっち……どこに何があるか、ここで調べるんだ」
「へえ……ウィル兄様は、やっぱり生き物の本を読むのかしら?」
「うん、面白いよ」
この書庫の使い方や、普段読んでいる本などを教えて貰いながら、読書を楽しむ。
正直、生き物にしろ何にしろ、私はあまり興味が持てなかったのだけど……誰かと一緒に本を読む時間は、嫌いじゃない。
「レメリアは……魔法、好きなの?」
「へ?」
「他の本を読んでる時より、楽しそうだから」
だから、私個人としてはどんな本でも同じように楽しんでいたつもりで……ウィル兄様にそう言われて、本気で驚いた。
でも、ウィル兄様の目にはそう見えたらしい。
「そう……なのかしら」
魔法は、この手でたくさんの人を殺した時に使った武器だ。あまり、良い思い出はない。
だけど……今にして思えば、他の勉強をしていた時より、魔法の方が気が楽だったかもしれない。
いや、それもちょっと違う。
私は、きっと……。
「きっと、そうだよ。レメリアは……魔法使いになりたいんだね」
みんなが憧れるような偉大な魔法使いになって、みんなから愛されたかったんだ。
不思議な力を意のままに操る魔法使いなら、それが出来るかもって……心の奥底で、私自身が密かな憧れを抱いていた。
ウィル兄様の言葉で、私は初めてそれを自覚した気がする。
「……なら、ウィル兄様はさしずめ動物博士かしら? そんなに生き物が好きなんだし」
何となく感じる気恥ずかしさを誤魔化すように、私はウィル兄様にカウンターをかける。
すると、ウィル兄様は少しだけ躊躇うように視線を彷徨わせで……ゆっくりと、口を開いた。
「ボクは……魔物研究者に、なりたいな」
「魔物? なんで?」
おっとりしているウィル兄様は、魔物みたいな凶悪な生物より、蝶とか小鳥とか、そういう生き物の方が似合ってると思うけど。
「ボクは……生き物のことしか、分からないから。でも、皇族は民のために尽くす義務があるって、お父様も言ってたし……それなら、魔物のことを、たくさん勉強して……魔物に苦しむ人も、魔物になって苦しむ動物達も、いなくなったらいいなって……そう思ってる」
「そうなんだ……」
ああ……優しい子だな、ウィル兄様は。
私なんて、どこまでも……自分のための夢しか持てなかったのに。
まだ九歳の兄様は、民や動物達のために出来ることを考えてるなんて。
「素敵な夢だと、思うわ」
だから私は、素直にそう思った。
でも、ウィル兄様はそんな私の言葉が信じられないとばかりに目を見開く。
「本当に……そう思う?」
「当然でしょう? 皇族らしい、立派な夢よ。お父様も、きっと誇りに思ってくれるはずよ」
嘘じゃない。お父様は、帝国に利益をもたらす人物なら、地位も身分も関係なく、ちゃんと評価する人だから。
魔物による被害は、今も未来もずっと人々の暮らしを脅かす脅威の一つ……それを解消するための研究者を、お父様は邪険にしたりしない。
「ありがとう、レメリア……! そんな風に言ってくれたの、君が初めてだよ……嬉しい……!」
「大袈裟ね、ウィル兄様は」
私の手を取って、キラキラとした眼差しを向けるウィル兄様に、私はただ苦笑を浮かべるのだった。




