第三皇子と鮮血皇女
第三皇子ウィルは、昔から“妖精”を目にすることが出来た。
そう呼ばれている存在が実際にいるわけではなく、自分だけが見える不思議な光を、ウィル自身がそう名付けただけだが……それ故に、周囲からは奇異の目で見られることが多い。
それこそ、母親や祖父からも半ば見放されて、一日中大した勉強もせずに自由にフラフラと歩き回れるくらいには。
だからこそ。
「ウィル兄様、こんにちは」
「……こんにちは」
約束通り、翌日の昼頃に再び現れた腹違いの妹に、ウィルは少なからず驚いていた。
遠出した先で負った怪我もまだ癒えきっていないのだろう、左腕を三角巾で吊り下げ、専属メイドと護衛の騎士を連れて現れた少女に対し、ウィルは挨拶以外に口にすべき言葉が思い浮かばない。
ただ分かるのは……“妖精”が、レメリアの周りで綺麗な光を放っていることだけだ。
(妖精さんが、こんなに綺麗なの……初めて、見たかも……)
ウィルの知る限り、妖精は周囲にいる生物の放つ感情に反応して、放つ光の色を変えていく存在だ。
陰謀渦巻く皇居の中では、どんな人間だろうとそこに近付いた妖精は醜く不気味な光に染まってしまうのが普通であり、以前まではレメリアもその一人だった。
むしろ、誰よりも悲しみと憎悪を秘めたドス黒い光を放っていたため、ウィルは彼女のことが苦手だったのだ。
それが、しばらく会わない内にここまで変わってしまうのだから、困惑するばかりである。
「じっと見つめて、どうしたの?」
考え事をしていたら、レメリアがすぐ目の前まで近付いていた。
びっくりして腰を抜かすと、レメリアは困り顔で手を差し伸べて来る。
「ほら、大丈夫?」
「……うん」
手を掴み、立ち上がる。
久しぶりに触れ合った他人の手は、どこかひんやりとしていた。
子供らしくぷにぷにとした触り心地に、何となくにぎにぎと力を込める。
「ええと……ウィル兄様がこのままがいいから、そうするけど……」
「あ……ごめん」
慌てて手を離すと、レメリアはくすりと笑みを溢しながら、花壇へと目を向ける。
穏やかなその横顔に、しばしじっと見惚れていると……レメリアの方から、もう一度声をかけられた。
「ねえ、今日の妖精はどう? 私のこと、ちゃんと歓迎してくれてる?」
「……大丈夫。レメリアと一緒にいると、キラキラしてる」
「そう。それなら、ちょっと安心したわ」
その言葉が嘘ではないと、ウィルは周囲に漂う妖精の反応からすぐに察した。
だからこそ、やはり信じられない。
どうして、自分の言葉を信じて貰えたのだろうかと。
「ねえ、レメリア。どうして……ボクのこと、信じてくれたの?」
「? 妖精のことなら、昨日も言ったでしょ、世の中そういう不思議なことがいっぱいあるものだって」
「だとしても……他の人は、誰も信じてくれなかったから」
「……まあ確かに、お父様は絶対に信じないでしょうね。自分の目で見たもの以外」
少しだけ、妖精の色が悲しみに染まった。
それを振り払うように首を振ると、レメリアは気を取り直すように問いかけて来る。
「ねえ、ウィル兄様は妖精達とどんな話をしているの?」
「えっと……他の場所……皇子宮の妖精の話とか……今日見た生き物の話とか……」
「へえ、例えば?」
「例えば……」
促されるままに、ウィルはいつも妖精相手にしている話を口にする。
去年まで目にしなかった蝶がいただとか、カマキリが虫を捕らえる瞬間を目撃しただとか、自分の体の何倍もの大きさの餌を巣へ運ぶアリの行列の話だとか。
最初は遠慮がちに話していたのだが、段々と口調が早口になっていき、最後はほとんどノンストップで一方的に捲し立てていた。
「それで、この時期はミツバチと蝶が花の蜜を集めに来るんだけど、虫ごとに好みがあるのか集まる花が全然違ってね。新しく見付けた蝶なんて、絶対にほら、この花にしか留まらないんだよ。この花は西方から取り寄せられた花だから、もしかしたらあの蝶もこの花の種と一緒に幼虫が紛れ込んだんじゃないかって思ってるんだ。それから……あっ」
いくらなんでも熱く語り過ぎたと気付いたのは、レメリアが目をまん丸に見開いているのを目にした後だった。
「ごめん……一人で、喋り過ぎて……」
「ううん、別にいいわよ。本当に生き物が好きなのね、ウィル兄様。すっごく詳しいし」
裏表のない笑顔でそう言われ、ウィルはドキリと胸が高鳴る。
それが一体どんな感情なのかも分からないまま、ウィルは慌てて口を開いた。
「レメリアは? レメリアは……何が、好きなの?」
「私? 私は……何、かしらね。私の好きなもの……分からないわ」
今初めてそれを考えたとばかりに、レメリアの表情に戸惑いが浮かび……また、悲しみの感情が灯る。
そんなレメリアの顔を、なぜかウィルはそれ以上見ていたくないと強く思った。
「じゃ、じゃあ……明日は、一緒に皇宮の書庫に行かない!?」
「え、書庫に?」
「うん……たくさん本があって、ボクもそこで色んな生き物について調べるのが好きなんだ。だから……レメリアも、きっと……好きなもの、見付かるよ」
昨日といい、今日といい、自分から誰かを誘うなどという行為は、ウィルの人生で初めてのことだった。
どうしてそこまでしてしまうのか、ウィル自身よく分かっていない。
ただ……。
「うん……ありがとう、ウィル兄様。それじゃあ、また明日ね」
妖精達の純粋な輝きに照らされるレメリアの笑顔を、もっと見ていたいと。そう思ったのだ。




