感謝と謝罪
「────はっ!?」
飛び起きた私は、自分の首に触れて……まだ繋がっていることに、頭が混乱した。
「私……生き、てる……? なんで……?」
確かに私は、処刑台で首を落とされたはず。
それがどうして、まだ生きて……しかも、ベッドに寝かされてるの?
しかもここ、地下牢でも医務室でもない……私の部屋だ。
「……あれ……?」
全身にかいた嫌な汗のせいで張り付いたパジャマを剥がしたくて、襟に手を伸ばすと……その手が、異様に短いことに気が付いた。
まさか、と思いながらベッドから降りると、イメージしていたよりずっと高い位置にあったせいで着地に失敗し、派手に転んだ。
いえ……これは、ベッドが高いんじゃなくて……。
「はあ、はあ……」
ほんの数メートルしか動いてないのに、息が上がる。
冷や汗が止まらなくて気持ち悪いけど、今はこの違和感の正体を突き止めることの方がずっと大事だ。
だから私は、部屋に備え付けられた姿見の前に立って……愕然とした。
「私……子供に、戻ってる……?」
短い手足。ぷっくりとした頬。
お父様譲りの銀の髪と黄金の瞳はそのままだけど、顔付きが随分と幼いせいか、私ってこんな感じだったかと少し疑問符が浮かぶ。
でも、これは間違いなく私だ。
背丈からして、恐らく八歳くらいの頃。お父様に会えない不満と、お祖父様から付けられた講師の厳しい指導にストレスを溜め込み、人生の中でも一番と言っていいくらい荒れていた時期。
その只中に、私は戻って来たのだ。
「なんでよ……夢なら、覚めてよ……」
絶望のあまり、私はその場で膝から崩れ落ちた。
確かに私は、もし来世があるのなら、って願ったけれど……こんなのは、あんまりだ。
誰からも疎まれ、嫌われ、拒絶され……最期は実の父親の手で処刑される運命を、もう一度受け入れろってこと?
そんなの……そんなの、嫌だ。
「うぅ、うっ……うわぁぁぁぁん!!」
感情のままに、私は泣いた。
泣くなんて皇女としてあるまじき行為だからって、悲しいことがあっても涙だけは見せまいとしてきたから……こんな風に号泣するなんて、生まれて初めてかもしれない。
「うわぁぁぁぁん!!」
けれど、あの地下牢で過ごした数日間で、皇女としてのプライドなんてとっくにへし折られた。
今は子供の体なのも手伝ってか、涙が溢れて止まらない。
いつまでも、いつまでも、喉が枯れるほどに泣き続けていると……部屋の扉が、突然開け放たれた。
「レメリア様、どうされたのですか!?」
入ってきたのは、一人のメイド。
まだ若い、十六歳くらいだろうか? よほど慌てているのか、ブラウンの髪があちこち跳ねている。
誰だろう、と思っていると……そのメイドは、私の体をあちこち触れながら、優しく問い掛けて来た。
「まさかお怪我を? どこか痛むのですか?」
「ぐすっ、うぅ、うぅぅ……!! うわぁぁ……!!」
何か答えなければ、とは思うものの、一度流れ始めた涙はなかなか止まってくれない。
首を横に振って、怪我をしたわけじゃないと何とか伝えるも、事情を話す余裕はなかった。
というか……お父様に処刑されて、七年前の過去に戻って来ました、なんて話、誰が信じてくれるっていうの?
少なくとも、私だったらそいつがおかしくなったとしか思わない。なんて説明したらいいの?
こういう時、私はどうしてたんだっけ……?
「大丈夫ですよ、レメリア様」
「ぐすっ……うぇ……?」
泣き続ける私を、メイドは突然抱き締めた。
困惑する私に、彼女はそっと囁く。
「今はいくらでも泣いてください。全部吐き出しちゃった方が、楽になることもありますから」
「っ……うわぁぁ……!!」
メイドに促される形で、私は結局そのまま泣き続けた。
落ち着いたのは、それからしばらく経って……朝日がしっかりと部屋の中を照らし始めた頃。
まだ、起きるには随分と早い時間だったみたいね……混乱してて、気付かなかったわ。
「……その、えっと……」
落ち着くと、一気に恥ずかしさが押し寄せて来た。
体を離しても、メイドの顔を正面からまっすぐ見られない。
こういう時、なんて言ったらいいの!?
「ふふ、落ち着いたみたいですね。良かったです」
ロクに言葉も紡げない私と違って、メイドの方はすんなりとそう言ってのける。
それが何だか悔しくて、私は無理やり口を開いた。
「その、あなたもよくやってくれたわ。お陰で私も、助かったから……何か欲しいものがあるなら、買ってあげてもいいけど!?」
これでいいのかと聞かれたら、違うのだと思う。
けれど私は、そんな風にしか言えなくて……そんな私に、メイドは小さく微笑んだ。
「レメリア様に買って頂きたいものはありません。ですが……代わりに一つ、欲しいものがあります」
「……何よ?」
「“ありがとう”って、レメリア様の口から聞かせて貰いたいです」
「は、はぁ?」
そんなものが欲しいのかと、私は正気を疑った。
けれど、どうやら本気みたい。まるで期待するかのように、私をじっと見つめている。
「えっと……その……」
仕方ない、言ってあげよう……と思ったけど、いざ口にしようとすると、なんだか気恥ずかしくて、言葉に出来ない。
ただ一言、ありがとうって言うだけなのに、舌が回らずいつまでもウジウジする私を、メイドはいつまでもじっと待っていてくれた。
……ああもう!
「あ……あり、がとう!! これでいい!?」
「はい、どういたしまして、レメリア様♪」
何が嬉しいのか、更にニコニコと笑みを深めるメイドの姿に、私はうぐぐと羞恥に震えて……ふと、気付いた。
メイドの顔に、つい最近出来たばかりであろう痣があることに。
「あなた……その、痣……」
「え? ああ、これは……」
困ったように笑うメイドの反応を見て、思い出した。
そうだ。この子の名前は、メア。
私にとっては、一番長い間仕えてくれていたメイドであると同時に……私が、初めてこの宮殿から追い出したメイドでもある。
何かと世話焼きで、私の横暴な振る舞いにも口うるさく注意してくるのが鬱陶しくて、よく癇癪を起こしては近くにあった物を投げ付けていた。
この痣も……それで出来たものなんだろう。
「……ごめん、なさい」
「レメリア様……?」
今度は、すんなりと言えた。
困惑するメアにしがみつきながら、私はもう一度……何度も、謝罪の言葉を繰り返す。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
全部、思い出したわ。
あんなにも傷付けたのに、メアは辛抱強く私のお世話をし続けてくれた。
それなのに私は、ただ鬱陶しいからという理由で……メアの前でわざと転んで、怪我をして、この子が暴力を振るってきたと嘘を吐いて、強引に追い出したんだ。
本当に、最低だ。メアは、私に優しくしてくれていた、数少ない人間の一人だったのに……あの頃の私は、そんなことにも気付かなくて。
だから。
「ごめんなさい、メア……ごめん、なさい……!」
「……いいんですよ、レメリア様。私は大丈夫ですから」
最悪の人生をもう一度送らなければならないなんて、絶望しかないと思っていた。
ううん、その思いは今も変わってない。きっと私は、いつか一度の死では償いきれなかった罪に押しつぶされて、二度目の死を迎えることになるんでしょう。
けれど……こうして、本当に私に優しくしてくれていた人のためにも、その恩に少しでも報いて、一度目の罪を償っていきたい。
私なんかには、その資格すらないけれど……ティアラみたいな優しい皇女に、少しでも近付けるように。