嫌われ者の皇女
ルーラック家への滞在二日目。朝早くから、近衛騎士が地元の騎士団に協力する形で、周辺地域の調査を始めた。
その結果が出たら、私はこのルーラック領を離れることになっている。
まあ、当然よね。私の視察はあくまでお試しのようなもので、あまり長期間皇都を離れることは想定されていない。
どんな結果が出たとしても、その後の対応で多少延期されたとしても、私がここにいられるのは精々後二日ほどが良いところだろう。
昼下がりのお屋敷で、メアの私室にて一人窓の外を眺めながら、私はそんなことを考えていた。
「本当に、良いところね、ここは。空気も美味しいし、優しい人ばかりだし、賑やかだし……」
メアは今、家のお手伝いで出掛けているので、私は一人だ。
一応、部屋の前に護衛の騎士は立っているけど、中には誰もいない。だから……誰に聞かれる心配もなく、本音が口から溢れ落ちた。
「……帰りたく、ないよぉ……!!」
ポタポタと、涙が溢れて窓辺についた手の甲に垂れ落ちる。
ずっとここにいたい。
ルーラック家の人達と一緒に暮らしたい。
味方なんて誰一人いなくて、私を嫌う人と利用しようとする人ばかりの皇城なんて、二度と戻りたくない。
畑仕事だって覚えるから。洗濯も、掃除も、なんだって頑張るから、だから……ここに、いさせてください。
心の底から……そう言いたかった。
「ぐすっ、うっ……うぅ……!!」
でも言えない。言えるわけがない。
いくら嫌われ者だろうと、皇女は皇女。一時的な滞在ならまだしも、ずっとここに居ようとなんてすれば、間違いなくルーラック家に迷惑がかかる。
私のせいで、私の我儘で、メアの家族が……あの温かな空間が壊されるようなことだけは、絶対にあっちゃいけないんだ。
「うあぁっ、あっ、うっ……うぅぅ……!!」
だからこれは、それでもここに残りたがってばかりいる聞き分けのない心を抑えるために、必要な涙なんだ。
涙が枯れるくらい泣き喚けば、きっと私の心も落ち着いてくれるはずだって、そう信じて。
「……?」
そうやって、しばらく感情のままに泣いていたら……何やら、慌ただしく駆け抜ける近衛騎士の姿が目に映った。
彼は確か……調査に協力することになっていた人のはず。
よほど急いでいたんだろう、私に見られていることにも気付いていない様子の彼に、私の心がざわついた。
もしかして……見付かったの?
すぐに私は、確証を得るために部屋を飛び出し、近衛の向かった方へと先回りする。
気配を殺す歩き方なら熟知しているから、バレないように息を潜めて……グランデル団長への報告内容を、盗み聞きした。
「団長、ルーラック領の山に、魔物の痕跡を多数確認しました。足跡の量と大きさから見て、かなり大きな群れではないかと」
「魔物か……何の個体かは、確認出来たか?」
「いえ。状況証拠と足跡の形から、狼系の魔物だとは推測されますが、それ以上のことは……ただ、かなり凶暴なボスに率いられているのか、森のあちこちに争ったような破壊跡がありました。既にほとんどの動物達は魔物から逃れるために息を潜めているようで、子リス一匹見付かりません。あれでは、いつ餌を求めてこの町に襲来するか、分かりませんよ」
「そうか……」
やっぱり、魔物がいたんだ。
でも、今回は事件が起こる前に、それを察知出来たんだから、後は近衛のみんなと現地の騎士団で協力して駆除に当たれば、きっと……。
「ならば、すぐにでも皇女様をこのルーラック領から避難させよう。予定を早めて、我々は皇都へ戻る」
……は?
「しかし団長、もうじき魔物が襲来することが予想される中で、我々だけ逃げ出すというのは、あまりにも……」
「忘れたか? 我々近衛の使命は、皇族を守護することだ。万が一すら許されない以上、まずは皇女様の身の安全の確保が最優先だ。無論、早馬を出して救援要請を出すくらいの手伝いはするが、直接討伐戦に参加することはしない。調査協力すら、本来ならあまり好ましくない越権行為なのだからな」
何よ、それ。
私の安全が、ルーラック領の人達よりも優先されるっていうの?
そんなの……。
「心配するな、狼系の魔物は数こそ多いが、それほど強くはない。ルーラック家とてバカではないのだ、それくらいの対策は十分に……っ、皇女様!?」
気配を殺すのを止めて近付いていくと、ようやくグランデル団長が私の存在に気が付いた。
いつからそこに? と口に出さずとも雄弁に語る彼ともう一人の騎士へ、私は問い掛ける。
「私を逃がして……その間に何かあったら、どうするつもりなの? 救援なんて……この山奥に他の領地から騎士が来るには、数日じゃとても足りないわ。今この場にいるあなた達が協力しないと、手遅れになるかもしれないのよ!?」
「皇女様……全ては、御身の安全のためです、ご理解下さい」
理解? ふざけないでよ。
一度目の時は、誰一人として私のことを守ってなんてくれなかったのに。
カロラインに、お祖父様にいいように使われて洗脳された私をそのままにして、最後は何の躊躇もなく処刑した癖に!! 今更、何が私の身の安全よ、ふざけないで!!
幾百もの文句が頭に浮かび、反射的にそれを叫びそうになって……でも、言えなかった。
私よりずっと、何倍も怒ってる子が、視界に映ってしまったからだ。
「なんだよ、それ……」
「ルトス……」
ルーラック家長男で、口が悪く粗野な彼は、地元の騎士団に勝手に出入りしていると言っていた。きっと、彼もまた魔物が襲来する危険性について聞かされて、父であるバードン男爵に報告に来たんだろう。
その途中で、私達の話を聞かれてしまったんだ。
「勝手に来て、勝手に見て、自分達は田舎貴族にも優しいですよって、そんなポーズを取るだけ取って……いざ危ないと思ったら、そんなに簡単に見捨てるのかよ!! あんなに、楽しそうに笑ってた癖に……心の中では、俺達のことバカにしてたのか!? そうなんだろ!!」
「お前、今の言葉は……!!」
「グランデル、下がりなさい」
ルトスを叱ろうとする団長を下がらせ、私はその罵声を最後まで受け止める。
すると……騒ぎを聞き付けて、他の子供達まで集まって来た。
「ニア……ルル……ミミ……」
一体何をしていたのか、ルルとニアは手足も服も泥で汚れていて、手には泥で出来た団子みたいなものを握っていた。
そういえば、朝に私がもう少し寝てるからって部屋に残った時、起きたら後で新しい遊びを教えてあげるって言ってたわね……それが、あの泥なのかしら?
「今の、ルトス兄ちゃんの話……本当なの? お姫さま……私たちのこと、嫌いなの……? だから……私たちのこと、置いてっちゃうの……?」
「…………」
ニアの言葉を、違うって、そう否定したかった。
私は、あなた達を助けたくて、ここに来て……でも。
それを否定して……何の説得力があるの?
安全な皇都で暮らしている私と違って、この子達は魔物の恐怖をずっと身近に感じているはず。
そんな彼女達を、誰よりも強力な護衛を引き連れた私が見捨てようとしている、この状況で。
「……嫌い!!」
ニアが、手に持った泥団子を私に投げ付けて来た。
すぐに、傍にいたグランデルが動こうとしたのを感じ取って、私は叫ぶ。
「下がれって言ったはずよ!!」
私の叫び声に反応して、グランデルが足を止める。
何も防ぐものがなかった泥団子は、私の頭にぶつかって……ぐちゃりと、私の髪と顔を汚していく。
「……私、お姫さまのこと、好きだったのに……そんないじわるするお姫さまなんて、嫌い!! 出てって!!」
「…………」
心が、沈んでいく。
氷みたいに、冷たく凍てついて……悲しみも、痛みも、何も感じなくなっていく。
でも、その分だけ、頭も冷たく冷静になって……自分が何をするべきか、自然と思い浮かんだ。
「行くわよ、グランデル」
「……よろしいのですか?」
気遣わしげな視線を送ってくる彼に、皮肉の一つでも言ってやろうかと思って……やめた。
彼は彼の職務を遂行しようとしているだけ。何も悪くないんだから。
悪いのは……この程度のことも想定出来なかった、私だけだ。だから。
「構わないわ。私に相応しい結末でしょう?」
私みたいな……嫌われ者の鮮血皇女には。
「そんなことは……」
「早く馬車を用意しなさい。さっさと出ていくわよ」
「……はっ」
でも、私にだって意地がある。
ルーラック家は、メアの家族。
私自身の贖罪のために、私自身が守ると誓った、大切な人達だ。
嫌われようが、何だろうが……守ってみせる。
他ならぬ、私自身のために。
「それより……グランデル。あなた言ったわよね? 近衛の使命は、皇族を守ることだって」
「はい、その通りです」
「ならば、騎士の誇りを懸けて誓いなさい。何時いかなる時も、どんな危険を前にしても、必ず私を守り抜くと」
「……? もちろん、誓いましょう。私は……我々近衛騎士団は、何があろうとも皇女様をお守りします」
どうしてそんな誓いの言葉を、わざわざ口にさせるのか分からないと言いたげなグランデル。
そんな彼に、それ以上は何も伝えることなく、私は帰り支度を整えるために、一度屋敷へと入るのだった。




