ルーラック男爵領へ
よく分からないけど、外出許可は降りた。
というわけで、私はメアと一緒にルーラック男爵領を目指して出発することになったんだけど……。
「ねえ、メア」
「はい、なんでしょう?」
「……あれって、近衛騎士団長よね? なんでここにいるの?」
私とメアが乗る馬車を囲うように、馬に乗った騎士が四人、徒歩で周囲を警戒する騎士が四人の計八人の護衛がいるんだけど、その八人を統率するリーダーがまさかの近衛騎士団長……グランデル・ソードランドなのだ。
茶色の短髪に、彫りの深い顔。
筋骨隆々のその肉体は、鎧を纏っていてなお、そのサイズ感によって常に周囲を威圧する風格を醸し出している。
ハッキリ言うけど、皇女がちょっと遠出する程度の話で駆り出されるような人物じゃない。
馬車の右斜め前方を馬で進む男の背中を指差す私に、メアは呑気に呟いた。
「それだけ、陛下もレメリア様のことを心配してらっしゃるのではないでしょうか! 近衛騎士団長を動かしてまで守りたいと思うほどに」
「ぷっ、あはは……! ないない、あり得ないわ」
私の気持ちを慮ってくれてるんだろうけど、あの皇帝陛下が私なんかのために無理を通すわけがない。
「理由が分からないのは気持ち悪いけれど、陛下にも何かしら近衛を動かしたい事情があったんでしょうね」
「うぅ、レメリア様……またそんな悲しいことを……!」
「もう……メア? これからあなたの家族に会いに行くのよ? 今からそんなに泣いてたら、せっかくの再会が台無しじゃない」
結局自分で結論を出した私に、メアが泣き出してしまった。
本当に泣き虫ね、なんて苦笑しながら、馬車に揺られ続け……途中で町に停泊したりなんかしながら、一週間。
私はついに、メアの故郷……ルーラック男爵領に辿り着いた。
「うわぁ……本当に山ばっかりね」
右を見ても山、左を見ても山、正面にも山があるし、そもそも私達が辿ってきた道がまず山道だった。
木々が生い茂るそんな山奥に、なんとか馬車一台通れる道を通しただけの地域。
すれ違う時はどうするのかしら? とごく当たり前の疑問を抱きながらも、私はずっと気になっていたことを聞いてみる。
「そういえば、メアご自慢の茶畑はどこにあるのかしら? 見るのを楽しみにしていたんだけど」
「それはもう少し先に行ったところにありますね。ただ、今はもう収穫の時期も終わっているので、レメリア様のご期待に添える状態かはちょっと分かりませんが……」
「そうなの? ちょっと残念ね」
私はやり直す前、ずっと皇女宮に引き篭っていたから……こうして外に出る機会は滅多になかったし、外の景色を見るのは新鮮でとても楽しい。
そんな外の景色を見慣れているメアでも美しいと感じるのなら、それは素晴らしい景色が広がっているんだろうと期待していたの。
でもまあ、リリエル先生が茶葉を入手出来ているくらいなのだから、そうなるのも当然か。
「申し訳ありません……最初にお伝えしておくべきでした……」
「いいのよ、見れたらいいな、くらいの気持ちだったし。あなたとこうして一緒にお出掛けしているだけで、私は十分幸せよ」
だって……。
「私にとっては、その……あなたが……家族、みたいなもの、だし……」
本当に、こういう言葉は上手く口に出来ない。
そんな自分が情けなくて、顔を俯かせていると……メアの嗚咽が聞こえてきた。
「えっ、あの、メア?」
「レメリア様ぁ〜〜!! 私は、私は必ず……ずっと、レメリア様のお傍にいますからぁ!!」
「もう、メアったら……」
号泣するメアをよしよしと慰めながら、馬車は進み続ける。
やがて見えてきたのは、山を切り開いて作られた広大は茶畑。
まるで階段のように段差になって連なるその大地は、収穫後の少し寂しい状態であっても目を奪われた。
「ルーラック領はお茶の産地ですが、何も飲むだけがお茶じゃないんです。お茶の葉を使った料理もたくさんあって、どれもとっても美味しいので、楽しみにしていてくださいね」
「へえー、お茶の葉を使った料理……」
どんなのだろう? よくあるハーブみたいに、料理の上に散らすのかしら?
そんな風に考えながら外を眺めていると、近付くに連れて領民達の姿もチラホラと見え始めて来た。
既に私が来るってお触れでも回っていたのか、馬車が近付くだけで誰もが自然と茶畑での作業を中断し、膝を折って頭を下げている。
嫌々下げてるんじゃない、本当に貴い存在として、敬うように。
……こんな風に、誰かから皇族として敬意を払われるの、初めてかもしれないわね。
「わぁ、お姫さまだ! きれー!」
そんな時、幼い声が私の耳に届いた。
目を向けると、そこには幼い……精々五歳程度の男の子がいて、馬車の窓から顔を出す私をじっと見つめ、あろうことか近付いて来る。
もっと近くで見たいと、そんな風に思ったのかもしれないけれど……皇族の馬車が通過している最中に、何の許可もなく不用意に近付いて来るのは、決して許されない行為だ。
暗殺防止の観点からも、事故を防止する観点からも……それこそ、その場で斬り捨てられたって文句は言えない。
馬車の側面を固めていた徒歩の騎士二人が、剣呑な眼差しで立ち塞がったことで、男の子もびくりと足を止め、遅れてやって来た母親らしき人が慌てた様子で現れた。
「申し訳ありません!! 私が目を離したばかりに、このような……!! どうかお許しを!!」
「その子の行いがどれだけ危ういものだったかは、よく分かっているようだな。ならば当然、その結果がどのような事態を招くかも、当然理解しているな?」
「まだほんの子供なのです、どうか寛大な処置を!!」
騎士の対応に、何ら間違ったところはない。
見たところ、本気で罰そうとしているというより、厳重に注意しておきたいっていう考えが見えるし、慈悲深い部類だろう。
でも……何が起きたのかも分からず、目に涙を溜めながら騎士達の説教を聞く男の子を見ていると、心が痛む。
なんだか、昔の自分を見ているみたいで。
「二人とも、それくらいにしておきなさい。その者達も十分反省したでしょう」
「はっ」
「お前達、皇女様の寛大な処置に感謝するように」
私の言葉に、騎士達はちょうどいいタイミングだとばかりに元の位置へ下がっていく。
すると、必然的に「ありがとうございます!」と頭を下げる母親と、呆然とする男の子が目に留まる。
「……次からは、気を付けなさい」
言葉に迷った私は、それだけ言うと軽く手を振って親子と別れる。
ようやく馬車の中に意識を戻すと、優しく微笑むメアと目が合った。
「どうしたの?」
「いえ……やっぱり、レメリア様はお優しいなって、そう思いまして」
「……そんなんじゃないわよ」
ただ私は、大人に説教され続ける恐怖心を、よく知っているというだけ。
カロラインとの嫌な記憶が、ちょっと頭に過ぎっただけだ。
「全部、自分のためだもの」
メアの故郷を守りたいと思ってここに来たのも、私に優しくしてくれるメアを、どうしても悲しませたくなかったから。ずっと傍に置いておきたかったからだ。
これが見知らぬ誰かなら、お父様に罰せられるリスクを負ってまで、こんな所には来なかったと思う。
全部全部、私のためだ。
妹とは、違う。
「自分のために、誰かの力になれる人のことを……人は、優しいというのですよ」
でもメアは、そんな反論をしてまで、私を優しいと評してくれる。
それが、なんだか嬉しくて……私は、くすりと笑みを溢した。
「ありがとう、メア」