後編
目が覚めると、視界がぼんやりと霞んでいた。頭が重く、全身に鈍い痛みが広がっている。
「……ここは……?」
喉が渇いているのか、声を出すのもままならない。視線を彷徨わせると、銀色の髪が視界の端に映り込んだ。
セリル――。
彼は私の手を握りしめ、目を閉じたまま祈るような姿勢で座っていた。その表情には苦悩が浮かび、頬には涙の跡が残っている。あの寡黙で感情を表に出さないセリルが泣いている……?
「アリシア様……!」
私が目を開けたことに気づいた彼が、驚きと安堵の入り混じった声で名前を呼ぶ。そして、私の手を強く握りしめた。
「どうして……どうしてこんなことを……!」
震える声、泣き出しそうな顔――こんなセリルを見るのは初めてだった。だけど、彼の言葉に答える前に、一つの記憶が鮮明に蘇る。
――私はバルコニーから飛び降りたのだ。
胸が締め付けられるような感覚に襲われる。飛び降りて、すべてが終わるはずだった。それなのに……。
「……どうして、助かったの……?」
掠れた声で問うと、セリルは顔を伏せ、しばらく黙った後、低く抑えた声で答えた。
「アリシア様が落ちた先が花壇で……まるで花々が守るように包み込んでいました。そのおかげで、命は救われたのです」
「花が……私を守った?」
信じられない。けれど、彼の真剣な表情はうそを言っているようには見えなかった。
「この国では精霊や魔法は存在しないはずですが……アリシア様はセレスト国の王族ですから、精霊の加護が働いたのかもしれません」
「でも私は……魔力を持たない、出来損ない……」
その言葉に、セリルは痛ましげな顔をして首を振った。
「そんなことはありません」
私はセリルがそんな顔をする必要はないと伝えたかったのに、言葉が出なかった。
「まだ痛み止めの効果が残っています。無理をなさらず、もう少しおやすみください」
セリルの声に導かれるように、私は再び意識を手放した。
◇ ◇ ◇
次に目を覚ましたとき、セリルはまだ傍にいた。薄暗い部屋の中、彼は窓の外を見つめている。その横顔は険しく、なにかを深く考え込んでいるようだった。
「セリル……」
名前を呼ぶと、彼は小さく肩を震わせ、こちらを振り返った。
「目が覚めましたか。痛みは?」
どれほどの時間がたったのだろう。彼はずっとここにいてくれたのだろうか。
「……少しだけマシになったわ」
体中に鈍い痛みは残っているが、意識ははっきりしている。どうして自分が飛び降りたのか、その理由も鮮明に思い出せる。
こうなってしまった以上、セリルに話をして、別れを切り出す方が早いのかもしれない。いつまでも、一緒にいるのは……もう私には無理だから。
とはいえ、どうやって話を切り出せばいいのか。そんなことを考え込んでいると、セリルが口を開いた。
「二日間寝込んでいましたので、まずはなにか口にしたほうがよろしいかと。」
セリルの言葉に、私は思い出したように空腹を感じた。きちんと話をするためにも、腹ごしらえは必要かもしれない、セリルの提案に頷く。
しかし、起き上がるのもやっとなので、まだ自力で食事をするには難しいような気がする。使用人を呼んでもらうよう、セリルに頼んだが……。
「その必要はありません。私がしますので」
「……え?」
セリルは当然のような顔で食事を準備し始めた。
スープの器を手に持った彼は、まるでひな鳥に餌を与える親鳥のように丁寧に世話をしてくれた。
「無理に飲み込まず、ゆっくりと」
セリルはただ私の食事を介助しているだけとわかっているけど、どこか甘さすら感じた。以前の私なら天にも昇るほど嬉しかったと思う。
だけど今はもう――以前のように彼を信じることはできないから、ただ辛いだけ……。
「次はこちらのスープを。口を開けてください」
言われるままに口を開ける。セリルによって適温に冷まされたスープはするりと喉を通っていく。
セリルの本心がわからない。
これは彼なりの贖罪なのか、それとも何かの策略なのか……疑念が頭をよぎるたび、心が冷たく沈んでいった。
食事を終え、セリルが片付けをしている間、私は彼にどう切り出すべきかを考えていた。
早く終わらせなければ――そう思いながらも、どこかでこの時間が終わるのが惜しいと考える自分がいる。その葛藤が口を重くしていた。
けれど、このままではいけない。私は思い切って口を開く。
「セリル……話があるの」
私の雰囲気にセリルもなにかを察したのか、黙ってベッドの傍に座った。
私は深呼吸をして、静かに口を開いた。
「セリル。もう終わりにしましょう」
そう告げた瞬間、彼の瞳が大きく揺れたのが見えた。
「終わり……?おっしゃっている意味が……」
「貴方の知りたい情報は話すから、その後は……二度と私の前に姿を見せないで」
私の言葉に、普段は冷静なセリルの動揺がありありと見て取れる。拳を固く握りしめるその手が、かすかに震えていた。
「……なにを……情報とはなんのことですか?」
「もう知らないふりをしなくていいの。使用人たちの話を聞いたのよ――出世のために、私から情報を引き出したくて近づいてきたんでしょう?」
彼の瞳が鋭く細められる。動揺は強い怒りに変わったのがわかった。セリルは衝動のまま私の肩を掴む。
「誰が……そんなことを……っ」
「っ……!」
傷に触れたのか、思わず声が漏れる。それに気づいたセリルはすぐに手を離し、眉を寄せて謝罪した。そして自身を落ち着かせるかのように深く息をため息をついた。
「何を聞いたかは知りませんが、それは事実ではありません」
わずかに怒気を含む声音と、私を真っ直ぐに見つめる瞳。訴えかけるように見つめられて思わず目をそらす。
だけどそんなセリルからはっと息をのむ気配がした。
「……まさか、このことで……飛び降りを……?」
「……」
沈黙は肯定と同じ。私は答えられなかったが、セリルはなにかを察したようにうなだれた。
私はきちんと終わらせるために、話を続けた。
「貴方には結婚したい相手がいて、そのために王子の信頼を得て出世したいと聞いたわ。私に近寄ったのはそのためだと」
「なるほど……そういう風に伝わっていたのか……」
セリルが苦い表情を浮かべる。どこかしくじったような表情に、「やはり裏切ったのは本当のことでしょ!」と声を上げようとしたその瞬間――。
「結婚したい相手がいるのは、本当です」
その言葉に、衝撃で息が詰まる。
血の気が引いて行くのを感じる。もうこれ以上聞きたくない――そう思ったとき、セリルの低くはっきりとした声が耳に届いた。
「ですが、それは……貴女のことです」
「え……?」
――……私?――
言葉の意味を理解できず、彼の顔のほうを見る。セリルの瞳は真剣そのもので……。
「私が口下手なせいで、こんなことになってしまって……貴女を救いたいと思い、ソレアに連れてきたのに……自死に追いやるなど……」
セリルは再び私の前に腰を下ろした。先ほどの激情は収まり、どこか叱られた大型犬のような弱気な雰囲気を漂わせている。
彼の言葉のひとつひとつに理解が追いつかない。だけど……。
「ねえ、セリル。本当のことを教えて……」
セリルは私の目を見てうなずいたあと、静かに話し始めた。
「貴女は覚えていないかもしれませんが、私たちは十数年前に会っているんです。ソレアからの使者が訪れたことは覚えてないでしょうか?」
ソレアの使者……覚えている。だってソレアの街の様子を楽しそうに教えてくれたのは、その使者の少年だったもの。
「私は陛下とフランシス殿下に同行し、セレストを訪れました。その時、貴女に出会い……その可憐さに衝撃を受けました。一目ぼれ――そう表現しても間違いではないでしょう」
「一目ぼれ……」
「私は妖精というものをおとぎ話でしか知りませんが、もし現実にいるとすれば、まさに貴女のような姿をしているのだろうと思ったものです」
セリルの言葉に、私は思わず顔が熱くなる。
「アリシア様は、王子殿下たちの影に座り、静かに微笑んでいました。貴女と直接言葉を交わすことはほとんどありませんでしたが、その姿を心に刻みつけて、国へ帰ったのです」
私が表に出ることを許されていたのは、見目が良いとか愛嬌があるといった理由だけだ。それでも魔力がないことは恥だとされ、口を開かないように――自分を主張しないように――注意されていた。ただ座っているしかなかった。その姿を見られていただけではなく、一目ぼれされていたなんて――。
それにしても、もしかしてフランシス殿下の側妃の件は突然の話ではなかったのかもしれない。使者の一人にフランシス殿下がいたのであれば、殿下からすれば私は面識のある相手だったということだから。それで側妃に選ばれた可能性はある……と言っても、セリルのように私に一目ぼれをしていたとして、それならここに来てから一度も会いに来ないのは腑に落ちないけど……。
そこまで考えて、セリルの言葉に舞い上がりかけていた心が一気に沈んだ。
そう――私はフランシス殿下の側妃だ。
もしセリルがまだ私のことを想ってくれていたとしても、私たちは結ばれることは許されない。
「もちろん、私はわかっていました。貴女は第三王女。恋心を抱いても叶うはずのない相手だと」
「………」
「貴女のことを心の奥に仕舞おうとしました。けれど、それは叶わなかった。私の心には貴女の記憶が残り続けた、私を悩ませるほどに……。そんな私の様子を見かねたフランシス殿下が、貴女の動向を調べてくれました。そして……貴女が王宮で冷遇されていることを知ったのです」
「そんなことまで……」
セリルの言葉に驚きつつ、閉鎖的なセレストの内情を調べ上げたソレアの情報網のすごさに感嘆する。
「私はそれを知り、貴女を救いたいと思いました。貴女をセレストという檻から解放したいと……」
「セリル……」
誰からも見向きされなくなった私を、そんな風に気にかけてくれる人がいたなんて……。嬉しさのあまり思わず涙がこみあげてくる。
そんな私の様子を見て、セリルはそっと私の手に触れながら、言葉を続けた。
「ですので、フランシス殿下とともに、貴女を側妃として迎え入れる計画を立てたのです」
「……? 待って、私を救うことが、なぜフランシス殿下の側妃に繋がるの?」
驚きで涙が引っ込み、問い返す。セリルの想いを聞いたばかりの今、どうしてそうなるのか理解できない。
「貴女をセレストから連れ出すには、それが最も穏便な理由だったのです」
「穏便な理由……?」
「危険を犯さずに貴女を連れ出せるので。とはいえ、無謀な賭けでもありました。私たち使者が訪れて以降、両国の間に大きな交流がほとんどありませんでしたから。急な申し出を受け入れてもらえるかどうか……正直、不安でした」
セリルは静かに言葉を紡ぎながら、どこか遠くを見るような目をしていた。
「しかし、それは杞憂に終わりました。セレストはあっさりと承諾してくれた」
「それは……不要な者を追い出すには、ちょうどいい条件だったから」
思わず漏らした言葉に、セリルの顔が曇る。
「確かに、セレストの国王にはその思惑があったのでしょう。しかし――そのおかげで、こうしてアリシア様をソレアにお迎えすることができました」
「だけど、それならセリルが娶りたいって理由ではダメだったの? これじゃあ私は、フランシス殿下の夫のまま……セリルと一緒にはなれないじゃない……!」
感情が溢れてしまい、声が震える。
セリルは私の言葉に一瞬驚いたような顔をしたあと、穏やかで、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべた。その笑顔は、これまで見たことのないものだった。
「それはつまり、私と結婚してもいいと?」
「……え……あ、ずるいわ。茶化さないで!」
「いいえ、大事なことです。アリシア様は、私のことをどう思っていますか?」
セリルはそっと私の手を取り、その瞳で真剣に問いかけてくる。
恥ずかしさに思わず後ずさるけれど、彼はその分だけ静かに距離を詰めてくる。
「セリル……私は……」
言葉に詰まる。なんと答えたらいいのだろう。だって、さっきまでセリルの裏切りに絶望していた。全てを終わらせようとしていたのに……。
セリルを信じていいの? 私の想いを伝えても……。
「先ほども申し上げましたが、私は口下手で――アリシア様を前にすると舞い上がってしまい、ろくに会話ができなかった」
「舞い上がる……?」
意外な言葉に戸惑う。セリルが? とてもそんなふうには見えなかったけれど……。
でも、今までのセリルは“舞い上がって会話ができなかった”のだと言われれば――納得できなくもないかもしれない。それくらい、今のセリルは饒舌だから。
「ですが、それで貴女を誤解させてしまった。そして貴女を失うところだった。舞い上がって大事なことを伝えられなかった私はただの馬鹿者です」
「そんな風に言わないで……」
自分を卑下するセリルが見ていられなくて思わず言ってしまう。セリルはやや困り顔で恥ずかしそうに私を見た。
「フランシス殿下からも忠告を受けていました。いくら私が片想いをしていても、アリシア様からすれば初対面の男――そんな得体の知れない者と結婚するのは不幸な結果を招くかもしれない、と。だから、まずはアリシア様の心を射止めることが必要だと言われました。それで……仕事の合間に離宮に通い、貴女の心を射止めるために必死だったのです」
「セリル……それは本当?」
「ええ、誓って。私は貴女に嘘をついたことはありません」
そう言うと、セリルは私の右手の甲にそっとキスを落とした。その瞳は真っ直ぐで、嘘など微塵も感じられない。思えば最初から、セリルはいつだってこの瞳で私を真っ直ぐ見ていた。
「……私は、誰からも必要とされない不要な王女よ。それでもいいの?」
声が震える。幼い頃から「存在しない者」として扱われてきた自分が、誰かに必要とされることなどあるはずがない――そう思い続けてきた。だから、セリルの言葉を信じ切るのが怖くて、確かめたかった。
しかし、彼は迷いのない声で言った。
「私には必要な方です。ずっと求めていた……貴女が欲しかった」
その言葉は私の心にまっすぐ届く。凍りついていた心が、静かにとけていくのを感じた。
「セリル……」
涙が溢れそうになるのを抑えながら、震える声で言葉を紡いだ。
「好きよ。私も、貴方が好き」
彼の瞳が驚きと喜びで揺れる。そして、次の瞬間、セリルが私を抱きしめた。
「アリシア様……っ」
彼の腕は温かくて、強くて、何もかも包み込んでくれるようだった。ずっと冷たい檻の中に閉じ込められていた私にとって、その温もりは救いそのものだったから。
だけど――
「さっきの話に戻るけど、側妃とはいえ、私はフランシス殿下と結婚してしまった。セリルと一緒にはなれないわ……」
絞り出すように言葉を紡ぐ。これからどうしたらいいのだろう。一度も会えないフランシス殿下に情は無いけど、セリルと両想いになったところで後ろめたさしかない。
「……え?」
驚いて顔を上げようとすると、セリルは私をさらに強く抱きしめた。まるで私を逃さないと言わんばかりに。
「貴女はセレスト国の王女殿下。一介の騎士が妻にと望んで許可を得られるわけがありません。だからこの無謀な賭けに勝つための嘘だったのです」
「でも……そんな嘘、いつかばれてしまう」
「そうかもしれません。、ですが、こうも考えられます。セレスト国とはほとんど交流を断っている。今後も関わってくることは少ない。そうであれば、貴女がこの国でどのように過ごしていても、調べることも、関与してくることもない確率のほうが高い」
たしかにセリルの言う通りだ。まして私は「存在しない者」だった。友好の証という命で体よく追い出した後、あの人たちが私の生活を気にするとは思えない。それがたとえ私が王子殿下から離縁されたとしても……自死をしていても――。
「つまり……私は最初から、セリルと結婚するために……?」
「そうです」
やっとセリルが私を解放し、微笑みを見せた。その笑顔を見た瞬間、胸が熱くなった。
「最初からそう言ってくれれば……」
「最初にそう言って、私を受け入れてくれましたか?」
「……」
たしかに――ここに来たばかりの私なら、セリルの言葉を信じていないだろう。ましてフランシス殿下の側妃として迎えられて、本当は見知らぬ騎士と結婚するなんて、それこそ殿下からも必要とされないのかと誤解して、今より拗れていた可能性が高い。
「離宮に閉じ込めてしまったことは、申し訳ないと思っています。ただ……貴女に私を受け入れていただくための時間が必要でしたし、正直に言うと、手続きにてこずっていたのです」
「手続き……?」
私の問いに、セリルは少し困ったような表情を浮かべた。
「今回のことは、フランシス殿下と私が共謀し、内密に進めた計画です。セレストが交流の薄い国とはいえ、王女殿下を攫ったと誤解されれば、国際問題になりかねません。それを避けるために、陛下や貴族院たちを説得する必要がありました」
セリルの言葉を飲み込むのに時間がかかった。
「もしかして、私がこの国に来たことは陛下すら知らないことなの?」
「はい……。ですので、貴女の存在が外に漏れてはいけなかったため、王都から離れたこの離宮におられるしかありませんでした」
申し訳なさそうに言葉を続けるセリル。
「信頼のおける使用人しか頼ることができず、十分な人数を連れて来られなかったのも、結果的に不便を強いる形になってしまいました」
「そう……だったの……」
彼の説明を聞きながら、私は思わず力が抜けてしまった。これまでこの離宮で感じていた孤独や冷遇が、気のせいではなかったかもしれないが、それでも自分が思っていたものと違ったから。
「すみません……私が上手く立ち回れず、結果的に貴女を傷付けてしまいました。本当に……貴女を失うところだった……」
その声には深い後悔と苦しみが込められていた。
次の瞬間、セリルはそっと私を抱きしめた。その腕の温かさに、胸がじんわりと熱くなる。
「もう二度と、貴女を傷付けることはしません。何があっても守ると誓います。だから――どうか、私と結婚してほしい」
その言葉に、心が揺れる。
「……ええ……」
気づけば涙が頬を伝っている。
セリルの腕の中は温かく、そしてどこまでも安心感に満ちていた。
◇ ◇ ◇
王都にあるセリルの屋敷に移り住んでから数日が経った。
広々とした庭は四季折々の花々が彩り、どこを歩いても美しい景色が広がっている。離宮とはまた違う雰囲気に、私は毎日散策するのが楽しみになっていた。
「ここは本当に素敵な庭ね。手入れが行き届いているわ」
隣を歩くセリルに向けてそう言うと、彼は小さく頷いた。
「ありがとうございます。庭師たちが精を尽くしてくれているおかげです。アリシア様が気に入ってくださるなら、何よりです」
彼の穏やかな声に微笑みを返しながら、ふと、昔の彼の姿を思い出した。
「セリル……今はこんなふうに普通に会話できるけれど、最初の頃は無口で何も話してくれなかったわよね」
軽い冗談交じりに言うと、セリルは少し表情を曇らせた。
「……あの頃は、自分の想いをどう言葉にすればいいのかわからなかったのです。それに――伝えたいことをきちんと伝えないと、取り返しのつかない道を選んでしまうこともあると、今回身に染みてわかりました」
彼の声には、かすかに後悔の色が滲んでいた。
「セリル……」
その横顔を見ていると、胸が少し痛む。私のために尽くしてくれた彼が、まだ自分を責めているように見えたからだ。
そっと立ち止まり、彼の手を取る。
「もういいのよ、セリル。今はすべてがいい方向に進んだのだから。後悔なんてしないで。私は今、とても幸せなんだから」
その言葉に、セリルの瞳が微かに揺れる。そして、私を見つめ返しながら、穏やかに微笑んだ。
「アリシア様がそうおっしゃってくださるなら……。ですが、これで終わりではありません。貴女をもっと幸せにすることを、私は誓います」
彼の真っ直ぐな瞳に見つめられ、胸が熱くなる。
「セリル……」
その言葉がどれほど心強いものか、彼にはきっとわからないだろう。
庭を渡る暖かな風が、私たちを祝福するように、そっと吹き抜けていった――。