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前編

 魔力――それは、セレスト国では人の価値を決める絶対的な力だった。

 セレスト国の王族に生まれた者であれば、当然のように強大な魔力を備えているべきだとされている。

 けれども、私――第三王女アリシアには、その「当然」が欠けていた。


「魔力を持たぬ王族など恥だ」


 父王の厳格な顔が思い浮かぶ。何度も耳にした冷たい声が、今も記憶にこびりついている。

 私が幼い頃からどれほど努力を重ねても、願いを込めても、私に魔力が宿ることはなかった。それを知った家族や宮廷の者たちの視線が変わった瞬間を、私は忘れられない。


 やがて私は「存在しない者」として扱われた。

 儀式の場からは外され、祝祭の席でもひっそりとした隅に追いやられる。誰も私を見ようとせず、話しかけてくることもない。宮殿の奥深く、立派すぎる部屋に閉じ込められ、私はただ時間が過ぎるのを待つだけだった。


 窓の外を眺めるのが唯一の楽しみだった。青空が広がる日は、あの向こうにどんな世界があるのかと考えたこともある。けれど、私がこの王宮を出られることはないのだと、いつしか諦めるようになった。

 夢を見ることさえ無意味だ。そんな思いが、いつからか心を覆い始めていた。


 ◇ ◇ ◇


「ソレア国の第二王子の側妃として嫁ぐように。友好の証だ。お前も王族の一員である以上、国のために役に立つべきだろう」


 十八歳になった私に、父王から突然の命令が下された。

「友好の証」という名目だったが、真意は明白。魔力を持たない私を王宮から追い出したい――ただそれだけの理由だ。


 護衛も侍女もつけられず、たった一人で遠く海の向こうにある国へ向かうことになると知っても、不思議なほど心が静かだった。

 なぜなら、やっとここから出られるから。この冷たい檻から解放される……それだけで、この命令を喜ばしくさえ思った。


 だけどこの時私は、この先に待ち受ける運命がどのようなものか理解していなかった。


 ◇ ◇ ◇


 ソレア国に着いた私を迎えたのは、数人の年老いた使用人のみ。夫となる王子の姿はなかった。

 広い部屋に案内され、窓越しに庭を眺めたが、見える景色は森のみで、建物はなにもなかった。


 ――ソレア国は、魔法を持たない人々が多く暮らす国。その代わりに機械技術が発達し、商業国としても軍事大国としても栄えていて、王都は賑やかで活気に満ちている――

 魔力に目覚めていなくても許された幼少の頃、見た目に愛嬌があるからという理由で、外交の場に出されることが多く、ある日、ソレアの使者が連れていた数人の子供たちと数日を共に過ごすことがあった。遊びの途中、少年の一人が自慢げに語っていたことを思い出す。


「ソレアの王都は活気があって、とても賑やかなんだよ。市場には何でも売っているし、祭りの日には町中が踊りで溢れるんだ」


 当時はその話を楽しげに聞き、いつかその王都を訪れてみたいと思っていた。けれど、今の私はその夢を思い出しても、胸の奥に空虚な響きしか残らない。


 私は静かにため息をつきながら、現実に気付く。

 つまりこの離宮は王城どころか王都からも離れているのだろう。


「結局、ここでも同じかもしれないわね……」


 初日にして、期待も不安も、すべてが消え失せていった。


 ◇ ◇ ◇


 薄曇りの空の下、庭の石畳を歩く足音が静かに響く。


 ここに来てから半月が経った。けれど、私の生活は何ひとつ変わらなかった。

 夫であるはずの第二王子に会いたいと願っても、使用人たちは「王子殿下はご多忙でいらっしゃいます」と、決まった答えを繰り返すだけ。その使用人たちも、セレストの王城にいた使用人達に比べれば、私を蔑む目で見ないだけマシに思えたけど、ずっとよそよそしい距離感のまま、打ち解けることはなかった。


 離宮の中で行ける場所は限られている。外出は許されず、広い敷地の中をただ行き来するだけの日々。目に映るのはいつも同じ庭、同じ景色、同じ冷たい空気。


「私はここでも“存在しない者”なのかしら……」


 何気なく漏らした小さな呟きが、庭を吹き抜ける冷たい風にかき消されるはずだった。けれど、思いがけない声がその呟きに重なる。


「そんなことはありませんよ」


 驚いて振り返ると、そこには私の護衛の騎士であるセリルが立っていた。彼の銀髪が曇り空の下でもほのかな輝きを放っていて、その姿はまるで絵画の中から飛び出してきたようだった。


「そうかしら……?」


 思わず問い返した私を見て、セリルはほんの少しだけ視線を伏せた。答えは返ってこない。けれど、不思議と彼の静かな眼差しは、「そうだ」と語っているように感じられた。


 彼は寡黙だ。余計なことは口にせず、いつも落ち着いていて、何かを隠しているような気さえする。それでも、彼の存在は私にとって大きな救いだった。ここに来てから――いや、元の国にいたときから、こんなふうに私の言葉に耳を傾けてくれる人など誰一人いなかったのだから。


「ねえ、セリル。もし私が“存在しない者”ではないのなら、私は誰に必要とされてここにいるのかしら」


 自分でも、どうしてこんな問いを投げかけたのか分からなかった。ただ、この胸の中に溜まった言葉を誰かに聞いてほしかっただけなのだと思う。答えが返ってこなくても、それでいい。

 しかし、意外なことにセリルは答えた。


「貴女を必要とする者はいます……」


 その静かな声に驚いて顔を上げると、セリルの瞳がまっすぐに私を見つめていた。彼の目は、いつもは落ち着いた湖のような深い緑色をしている。けれど、その瞳の奥に、今はどこか熱を宿しているように感じられた。

 なぜか胸がドキドキと早鐘を打ち始める。意味もなく、目をそらさなければならないような気がした。


(なにかしら……この感じ)


 赤く色づき始めた葉が足元に舞い落ちる。それをじっと見つめながら、私は胸の高鳴りを落ち着かせようと深く息を吐いた。


 ◇ ◇ ◇


 季節がめぐり、庭に雪が積もり始めた頃、私とセリルの間に小さな変化が生まれていた。

 彼と交わす言葉が、少しずつ増え始めたのだ。彼の返事は相変わらず短くそっけないが、それでも構わなかった。


「セリル、貴方は好きな花とかある?」

「……特にありません」

「この庭、綺麗だと思う?」

「手入れは行き届いています」


 本当に素っ気ない。けれど、そのやり取りの一つ一つが私にとってはかけがえのないものだった。誰かと話すことができる。それだけで心の中の孤独が少しずつ溶かされていくような気がする。


「セリル、貴方は不思議ね」

「……何がでしょう?」

「貴方と話すと、私、少しだけ楽になれるのよ」


 その言葉に、セリルはふっと短い息をついた。そしてほんの一瞬、目を閉じて何かを隠すような仕草を見せた。

 何かを隠している?だけどその意味を問い詰めることはしなかった。

 私はただ、この静かで穏やかな時間が続いてほしいと心から願うだけだから。


 そして私はまた歩き出す。後ろから響くセリルの足音が、寄り添うように私を追ってくる。

 彼がいる。今の私にはそれだけで十分だった。


 ◇ ◇ ◇


 庭に積もっていた雪が解け始め、冷たかった風がどこか柔らかくなった。少しずつ庭にも色が戻り始め、春の訪れを感じさせる景色が広がっている。


 私はゆっくりと歩きながら、咲き始めた花々の控えめな彩りを目に留めた。

 隣を歩くのは、いつものように無言で寄り添うセリル。彼の存在が、言葉以上の安心感を静かに私に与えてくれる。


「今日は穏やかね」


 ぽつりと呟くと、セリルは小さく頷いた。その控えめな仕草に、私は思わず微笑む。


「セレストでは、風と水の精霊の祝福で庭の花は一年中満開なの。でもね……ずっと変わらない景色は、少し退屈だったわ」


 セリルは黙って聞いてくれている。彼の静かな存在が、私に心地よい安心感を与えてくれる。


「ここは季節が移り変わるからいいわね。庭の景色も日ごとに変わっていく。それを眺めるのがとても楽しいの。でも、それは……」


 そう言いながら、そっとセリルのほうに目を向ける。


「貴方がこうして私と一緒に庭を眺めてくれるからかもしれないわ」

(私はいつもひとりだったから)


 その言葉は飲み込んだ。心の奥底にしまっておきたい気持ちだったから。


 セリルは短く「ありがとうございます」とだけ言った。その一言に特別な感情が込められているように思えたのは、きっと私の思い込みではないだろう。

 そして彼の横顔が、いつもよりわずかに柔らかな笑みを浮かべているのを、私は見逃さなかった。

 その表情を見て、胸の中が少し温かくなる。それと同時に、どこかくすぐったい気持ちも湧き上がり、私は話題を変えるように花壇に目を向け、しゃがみ込んだ。

 咲き始めた花々にそっと手を伸ばしながら、私は呟いた。


「この花、まだ蕾だったのに、いつの間にか咲いているのね」

「庭師が手入れをしているからでしょう」


 セリルの静かな声が、私の耳に優しく響く。


「精霊や魔法に頼らなくても、手入れをすれば、美しく咲くものなのね……」


 私は花を見つめたまま、そっと続ける。


「私も、誰かが手入れしてくれたら……少しは変われるかしら?」


 冗談めかしたつもりの言葉だった。けれど、セリルはその言葉に眉を少し寄せると、静かに口を開いた。


「アリシア様は……そのままで十分お美しい」


 その一言に驚いて、思わず彼の顔を見上げた。

 セリルはいつも通りの無表情だったけれど、その瞳には誠実な揺らぎが感じられた。それが本心からの言葉であることを、私は無意識に悟った。


「や……やだ。セリルったら。貴方、そんなお世辞が言えたのね」


 動揺を隠そうと軽口を叩く私に、セリルは首を横に振る。


「お世辞ではありません。本心です」


 その瞳には、一片の曇りもなかった。


 胸の奥がじんわりと熱くなり、心臓がドキドキと速くなる。セリルとの距離が、少しずつ近づいている気がして――そう思ってもいいのだろうか。


 今日の散策は、いつもより少しだけ特別なものに思えた。


「また、一緒に歩いてくれる?」

「いつでも」


 あたたかな春の風が、私たちの間をそっと包むように流れていった。


 ◇ ◇ ◇


 暖かな日差しが庭の芝生を照らし、柔らかな風が頬を撫でる。ここ数日、セリルは遠征で不在だった。


 庭に出るときは護衛のセリルを連れて行かなければならないのが決まりだ。けれど、窓の外から感じる春の陽気に誘われ、私はこっそりと庭に足を踏み出していた。


 この離宮に不審者が入り込んだという話を聞いたことは一度もない。そもそも、こんな誰も知らないような辺境の地に、使用人やセリル以外の人が訪れるだろうか? そんな考えが、少しだけ私の背中を押したのかもしれない。


 庭を歩きながら、ふとセリルとの日々が思い出される。

 無口で感情をほとんど見せない彼との何気ない会話。それが私にとって、この場所での孤独を和らげてくれる唯一の支えだった。彼のそばにいると、不思議と心が落ち着いていた。


 足元に咲く花々に目をやりながら、ぼんやりと考え事をする。少しずつ、ここでの生活にも慣れてきた。王子には相変わらず会えないけれど、寂しさを紛らわせるものが見つかった――そう思えるようになっていた。


 そんなことを考えていたとき、不意に遠くから小声で話し合う声が聞こえてきた。誘われるように声のするほうへ歩み寄る。視界の先に使用人たちが集まっているのが見えた。

 はっと、セリルがいないのに庭に出ていたことを思い出し、思わず近くの木の影に隠れる。彼女たちは何か楽しそうに話している。聞くつもりはなかったけれど、言葉が耳に飛び込んできた。


「セリル様、やっぱり素敵よね。でも女性に靡かないことで有名なあの冷徹な騎士様が、王女様にあそこまで尽くすなんて意外だわ」

「ああ、それは出世のためじゃない? 王女様からセレスト国の情報を引き出すのが目的だって聞いたことがあるもの」

「そうそう。それにセリル様には、すでに結婚したい相手がいるって噂よね」

「その女性との縁談を進めるために、王子の信頼を得たくて必死なんじゃない? じゃなければあんなに甲斐甲斐しく世話を焼くなんて、ありえないわ」

「でた、冷徹な騎士様ファンの嫉妬発言」

「あはは!」


 使用人たちの笑い声が、心を鋭くえぐった。


 ――セリルが、私を利用している? 出世のために……好きな人と結婚するために。


 頭が真っ白になり、足元がふらつく。視界がぼんやりと揺れる気がして、その場から逃げ出すように歩き始めた。


 部屋に戻ると、全身から力が抜け、ベッドに倒れ込んだ。


「私は……ただ利用されていただけ……」


 セリルの優しい眼差しも、私に向けてくれた言葉も、すべてが嘘だった。私が孤独を紛らわせるために彼を頼ったように、彼もまた私を利用するために近づいてきた――そういうこと?


 胸の奥がズキズキと痛む。何度も深呼吸をするけれど、その痛みは消えなかった。


「やっぱり……私は……ここでも居場所はないのね……」


 涙が溢れるわけでもなく、ただ冷たい虚しさだけが広がっていく。


 ◇ ◇ ◇


 それから数日、私はどうやって過ごしていたか記憶になかった。ただぼんやりと部屋で過ごしていたと思う。


 そうしているうちに、セリルが遠征から帰ってきた知らせを聞く。

 マメなことに、セリルは遠征から戻ってすぐ離宮に来たのだろうか、知らせを聞いて数時間と経たずにセリルは私の部屋のドアを叩いた。だが、私は彼との面会を断った。話をするのも顔を見るのも耐えられないから。

 セリルは何度かドアを叩いたが、すべて無視した。やがて諦めたようで、廊下を去っていく足音が聞こえて安堵する。

 窓の外を見ると、離宮から出てゆくセリルの姿があった。


「ある意味、私はセリルに必要とされていたのよね。利用するための“駒”として……ふふ……あははっ」


 胸の奥で感じた温かさや、彼に対して芽生えた恋心。そのすべてが、一瞬で砕け散った気がした。


「これは……私への罰なのね」


 夫がいる身で身の程知らずな想いを抱いて舞い上がっていた私への罰。

 私は布団に顔を埋めて泣いた。何時間泣き続けたか分からない。ただ、涙が枯れることはなかった。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、泣き腫らした目を見られたくなくて、使用人の出入りも断った。外では朝から雨が降り続け、部屋の中は薄暗い。まるで今の私の心の中そのものだった。


 そんなとき、扉を叩く音がした。


「アリシア様。どうか、この扉を開けてください」


 セリルの声だった。切羽詰まったような響きで、まるで本気で私を心配しているかのようだった。


(大事な“駒”が引きこもってしまったから、焦っているのかしら)


 冷たい感情が胸を占める。


(……もう、私は耐えられない)


 誰からも必要とされず、ただ静かに生きてきた。耐えるだけの日々を過ごし、ようやく光が差し込むと思ったのに――その光は、冷たい裏切りの影を伴っていた。

 セリルの優しい眼差しも、穏やかな声も、私を守るために差し伸べられた手も、すべて嘘だったのだから。

 心の中にあったわずかな希望は、砕け散り、その破片が刺さったかのように痛い。


「結局、私は……誰からも必要とされない……」


 そう呟く声は震えていて、自分のものではないようだった。


 もう、これ以上は無理だ。ここで生き続ける意味も、この先に何かを期待する気力も、すべてが消え失せてしまった。


 もう、終わりにしよう――なにもかも。


 私はふらふらと立ち上がり、バルコニーへと続く窓へ向かった。

 重たい雨音が静かな部屋の中にも響いている。

 窓を開けると、冷たい雨が容赦なく肌を打った。その冷たさが、心の中の痛みを少しでも和らげてくれることを期待してしまう自分がいる。


 バルコニーの欄干に手をかける。雨に濡れた石の冷たさが、手のひらにじんわりと染み込む。その感触を確かめるように目を閉じた。


 ――終われば、きっと楽になれる。


 重く沈んだ空を見上げる。涙が溢れるわけではなく、ただ虚無だけが胸を占めていた。


「さようなら……セリル……」


 小さく呟くと、欄干から身を乗り出し……そして――

 重力に引かれる感覚と共に、冷たい風が頬を切り、私は意識を手放した。


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