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【ノスタルジー系SFマイコン短編小説】電脳境界のラプソディ ~1980年代、8ビットのあの庭で~


## 第1章:電脳の風


 風は東から吹いていた。桜の花びらが舞い散る四月の午後、篠原燎は通学路の坂道で立ち止まり、ふと空を見上げた。まるで古いブラウン管の残像のように、薄い雲が春の空に溶けていく。彼の背中には、愛機X1Dの重みが心地よく感じられた。


「まだ間に合うはずだ……」


 つぶやきながら、燎は制服のポケットからフロッピーディスクを取り出した。透明なケースに収められた円盤状の記憶媒体には、彼が徹夜で完成させたばかりのプログラムが眠っている。あと数時間後には、コンピュータ部の仲間たちの前でデモンストレーションを行うことになっていた。


 坂を上りきったところで、突然の衝撃が燎を襲った。


「あ、ごめんなさい!」


 転校生と噂されていた少女が、階段を駆け下りてきて彼に激突したのだ。散らばったフロッピーディスクを拾いながら、燎は思わず息を呑んだ。少女の手には、見覚えのある機械が抱えられていた。


「それは……MZ-2000?」


「え? ええ、そうよ。あなたも……コンピュータに興味があるの?」


 少女の瞳が輝いた。髪の毛は栗色で、後ろで一つに束ねられている。制服の胸には転校生を示す赤いリボンが付けられていた。


「朱鷺原詩音です。今日から2年B組に転入することになりました」


 彼女は柔らかな笑みを浮かべながら、自己紹介した。その声は、古い真空管アンプから流れる音楽のように温かく、どこか懐かしい響きを持っていた。


「篠原……燎です。コンピュータ部の者ですが」


 燎は少し照れくさそうに答えた。詩音の持つMZ-2000は、彼のX1Dとは違う魅力を放っている。それは彼女自身のような、柔らかな輝きだった。


 教室に向かう途中、二人は自然と会話を交わしていた。詩音は前の学校でもコンピュータ部に所属していたという。彼女の父親はプログラマーで、幼い頃からコンピュータに親しんできたそうだ。


「私、ゲームを作りたいの。アドベンチャーゲーム」


 詩音は真剣な表情で言った。


「面白いですね。実は私も……」


 燎が答えようとした時、チャイムが鳴り響いた。二人は急いで教室に向かった。春の風が、桜の花びらと共に彼らの後を追いかけていく。


 放課後、燎はコンピュータ部の部室で自作プログラムのデモンストレーションを行った。部員たちは、彼の作ったシューティングゲームに歓声を上げる。しかし、燎の心は少し落ち着かなかった。朝に出会った詩音の言葉が、まるでプログラムの無限ループのように、頭の中を巡り続けていたからだ。


「いいじゃないか、篠原」


 声をかけてきたのは、部長の速水孝明だった。彼は学年一の成績を誇る優等生で、PC-9801を使いこなす天才プログラマーとして知られている。


「ありがとうございます」


「だが、これだけじゃない。君にはもっと可能性がある」


 速水は真面目な顔つきで続けた。


「来月の『全国高校生プログラミングコンテスト』、うちの学校から出場するのは君に決めた」


 燎は驚いて速水を見つめた。全国大会への出場権を得られるのは、各校でただ一人。それは誰もが憧れる栄誉であり、同時に重い責任でもあった。


「でも、部長こそ……」


「いや、私は今年は出ない。3年だしな。君に任せたい」


 速水の言葉は、燎の心に期待と不安を同時に植え付けた。


 その夜、自室でX1Dの電源を入れた燎は、画面に向かって長い時間座り続けた。キーボードに指を置いたまま、彼は考え続ける。全国大会に出るなら、何か特別なものを作らなければ。しかし、アイデアが浮かばない。


 ふと、朝の詩音の言葉を思い出した。アドベンチャーゲーム――。これまで彼が作ってきたのは、単純なシューティングゲームばかりだった。だが、もしかしたら……。


 燎は急いでキーボードを叩き始めた。画面には、新しいプログラムの最初の行が表示される。


```basic

10 REM "THE LAST ADVENTURE"

20 SCREEN 3

30 COLOR 7

```


 夜は更けていった。カーテンの隙間から、街灯の光が部屋に差し込む。それは、まるで古いコンピュータの起動音のように、静かに明滅を繰り返していた。


## 第2章:記憶装置


 翌日の放課後、燎は図書室で詩音を見つけた。彼女は一人で、分厚いプログラミングの専門書を読んでいた。


「朱鷺原さん」


「あ、篠原君。昨日は急いでしまってごめんなさい」


 詩音は本から顔を上げ、微笑んだ。


「アドベンチャーゲームの話なんですが……一緒に作りませんか?」


 燎は思い切って切り出した。詩音の目が大きく開かれる。


「本当に?」


「はい。実は、全国高校生プログラミングコンテストに出場することになって。そこで、最高のアドベンチャーゲームを作りたいんです」


 燎は前日の出来事を説明した。詩音は熱心に聞き入り、時折頷いている。


「素敵な機会ですね。私も力になれたら嬉しいです」


 二人は早速、企画会議を始めた。図書室の窓から差し込む夕陽が、二人の影を長く伸ばしていく。


「私が考えているのは、現実と仮想世界が交差するような物語です」


 詩音はノートを取り出しながら話し始めた。そこには既に、細かな設定や構想が書き込まれていた。


「主人公は、不思議なコンピュータプログラムを手に入れた高校生。そのプログラムを実行すると、現実世界に電脳空間からの干渉が始まるんです」


 燎は思わず身を乗り出した。


「面白いですね。具体的にはどんな……」


 その時、図書室のドアが開く音がした。


「やあ、篠原」


 入ってきたのは速水だった。彼は二人の様子を見て、少し驚いたような表情を見せる。


「朱鷺原さんですよね? 転校生の。私は速水、コンピュータ部の部長です」


「はい、よろしくお願いします」


 詩音は丁寧に挨拶をした。速水は二人の間に置かれたノートに目を留めた。


「何をしているんですか?」


「あ、その……コンテストの企画を」


 燎が説明しようとすると、速水は手を上げて遮った。


「篠原、大事な話がある。ちょっと来てくれないか」


 燎は詩音に謝りながら、速水について図書室を出た。廊下に出ると、速水は深刻な表情で話し始めた。


「コンテストのプログラムは、一人で作るべきだ」


「えっ?」


「これは君の腕を試す機会なんだ。他人の力を借りるべきじゃない」


 速水の声は冷たかった。


「でも、朱鷺原さんはとても優秀で……」


「だからこそ危険だ。彼女は前の学校でも優秀なプログラマーとして知られていた。去年の地区大会では、準優勝している」


 燎は驚いて声を上げた。


「そんな……」


「彼女と組めば、確かにいいものができるかもしれない。でも、それは本当の意味で君の作品とは言えない」


 速水の言葉は正論だった。しかし、燎の心の中で何かが引っかかる。それは、詩音と話していた時に感じた、あの不思議な高揚感。二人で何かを作り上げることへの期待。それは、プログラミングの本質とは違うのだろうか。


「考えておきます」


 燎はそう答えて、図書室に戻った。しかし、詩音の姿はもうそこにはなかった。ノートだけが、夕陽に照らされて机の上に置かれていた。


 その夜、燎は再びX1Dの前に座っていた。画面には、昨夜書き始めたプログラムが表示されている。カーソルが規則正しく点滅を繰り返す中、彼は考え続けた。


 速水の言葉は正しい。全国大会は、プログラマーとしての自分の真価を問われる場所だ。しかし、詩音のアイデアは確かに魅力的だった。現実と仮想世界の交差――それは、まさに今の自分自身が直面している問題そのものではないだろうか。


 ふと、部屋の窓から月明かりが差し込んだ。その光は、ブラウン管の青白い光と混ざり合って、不思議な模様を作り出す。燎は、キーボードに手を伸ばした。


```basic

100 REM "BETWEEN REALITY AND VIRTUAL"

110 DIM memory$(100)

120 FOR i=1 TO 100

130 memory$(i)=""

140 NEXT i

```


 プログラムは、少しずつ形を作り始めていた。それは、現実と仮想の境界線上で揺れ動く、一つの物語のように。


## 第3章:プログラムの迷宮


 週末、燎は学校の近くにある古い電気街を訪れていた。新しいソフトウェアの参考になるものを探すためだ。雑居ビルの谷間を歩きながら、彼は様々なショップのディスプレイを眺めていく。


「あら、篠原君」


 突然、後ろから声がかけられた。振り返ると、そこに詩音が立っていた。彼女は今日は私服姿で、淡いピンク色のワンピースを着ていた。


「朱鷺原さん。こんなところで」


「ええ、新しいソフトを探してるの」


 二人は自然と一緒に歩き始めた。狭い通りには、様々な電気製品の音が混ざり合って流れている。古いテレビから漏れるノイズ、ラジオの断片的な音楽、そしてゲームセンターから聞こえてくるピコピコという電子音。


「あの日は突然帰ってしまってごめんなさい」


 詩音が唐突に謝った。


「いえ、私こそ」


「速水先輩と何を話していたの?」


 燎は少し躊躇したが、正直に話すことにした。速水の言葉、そして自分の迷いについて。詩音は黙って聞いていた。


「なるほど。確かに、速水先輩の言うことももっともね」


 詩音は立ち止まり、近くのショーウィンドウに映る自分たちの姿を見つめた。


「でも私は、プログラミングって本来、もっと自由なものだと思うの」


 彼女の言葉に、燎は耳を傾けた。


「コードを書くことは、確かに個人の技術が問われる。でも、アイデアは違う。アイデアは、人と人が出会うことで、思いもよらない方向に発展することがある」


 詩音はポケットからフロッピーディスクを取り出した。


「これ、見てもらえる? 私が考えていた企画の、プロトタイプ」


 二人は近くのパソコンショップに入った。店主の許可を得て、展示用のMZ-2000を使わせてもらう。詩音がディスクを入れ、プログラムを起動した。


 画面に表示されたのは、シンプルなグラフィカルインターフェースだった。画面の中央には、不思議な模様が浮かび上がっている。それは万華鏡のような、しかし何か規則性を持った図形だった。


「これは……」


「ユーザーの入力に応じて、パターンが変化していくの。見ていて」


 詩音がキーボードを操作すると、画面の模様が徐々に変化していく。それは波紋のように広がり、時には収縮し、まるで生命を持っているかのように見えた。


「コンピュータって、冷たい機械だって思われがち。でも、人の心に触れることだってできる。そう信じているの」


 詩音の横顔が、店内の蛍光灯に照らされて輝いていた。燎は、彼女のプログラムに込められた思いを感じ取っていた。それは技術的な完成度以上の何かを持っていた。


「朱鷺原さん、僕も……」


 その時、店内のテレビから流れていたニュース番組が、突然大きなノイズを立てた。画面が歪み、不規則な模様が現れる。


「おや、また壊れたのかな」


 店主が首をかしげる。しかし、詩音の表情が急に変わった。


「これ、見覚えがある……」


 彼女は画面を食い入るように見つめていた。ノイズの中に、何か意味ありげなパターンが見えるような……。


「どういうことです?」


「前の学校で、似たような現象があったの。そして、その後……」


 詩音の言葉は途切れた。彼女は何かを言いかけて、急に口を閉ざした。


「もう、行かなきゃ。また学校で」


 そう言って、詩音は慌ただしく店を出て行った。燎は彼女を追いかけようとしたが、人混みの中に姿を消されてしまった。


 夕暮れの電気街で、燎は立ち尽くしていた。詩音の作ったプログラム、そして彼女の言葉が、頭の中でぐるぐると回っている。現実と電脳空間の境界。それは本当に存在するのだろうか。そして、詩音の見せた不安げな表情の意味は……。


 その夜、燎は新しいコードを書き始めた。詩音のプログラムから着想を得て、画面上の模様が現実世界の出来事と連動して変化していくようなシステムを考えた。


```basic

200 REM "PATTERN RECOGNITION SYSTEM"

210 DEF FN wave(x)=SIN(x/10)*COS(x/20)

220 FOR y=0 TO 199

230 FOR x=0 TO 319

240 c=FN wave(x+time)

250 PSET(x,y),c

260 NEXT x

270 NEXT y

```


 深夜、プログラムのデバッグを終えた燎は、ふと窓の外を見た。街灯が不規則に明滅している。まるで、彼の書いたプログラムのパターンのように。


 そして彼は気づいた。詩音の言っていた「現実と仮想世界の交差」とは、単なるゲームの設定ではないのかもしれないと。それは、彼女が実際に経験した何かなのではないか。


 燎は再びキーボードに向かった。画面には、新しい可能性が広がっていた。それは、プログラミングコンテストの枠を超えた、もっと大きな物語の始まりのような予感がしていた。


## 第4章:バグとノイズ


 月曜日の朝。燎は早めに登校し、コンピュータ部の部室でプログラムの動作確認をしていた。週末に書いたコードは、予想以上に安定して動いている。


「おはよう、篠原」


 速水が部室に入ってきた。彼は燎の画面をちらりと見て、眉をひそめた。


「それは……パターン認識?」


「はい。コンテストのプログラムの一部です」


 燎は説明を始めようとしたが、速水は腕を組んで黙り込んでしまった。


「アドベンチャーゲームの新しい形を模索していて……」


「君は、朱鷺原さんの影響を受けすぎている」


 速水の声は厳しかった。


「そうではありません。これは僕自身の……」


 その時、突然校内放送が鳴り響いた。しかし、それは通常の放送とは明らかに違っていた。ノイズまじりの電子音が、建物中に反響する。


「これは……」


 燎は立ち上がった。この音は、先日電気街で聞いたノイズに似ている。速水も困惑した表情を見せている。


 突然、部室のドアが開いた。詩音が息を切らして立っていた。


「やっぱり、ここでも始まった」


 彼女の声は震えていた。


「朱鷺原さん、これは一体……」


「説明する時間はないわ。あなたのプログラム、完成してる?」


 燎は頷いた。


「なら、すぐに実行して。私のと同期させれば、何かが見えるはず」


 速水が二人の間に割って入った。


「待て。これは危険かもしれない」


「でも、もう始まってしまったのよ」


 詩音は決意に満ちた表情で言った。


「現実世界への干渉が。前の学校でも、同じことが起きた。でも、その時は止められなかった。今度は違う。二人のプログラムを組み合わせれば……」


 放送のノイズが更に大きくなる。廊下から生徒たちの騒ぎ声が聞こえてきた。


 燎は決断した。速水の制止を振り切り、プログラムを起動する。詩音も自分のラップトップを取り出し、プログラムを立ち上げた。


 二つの画面に、同じようなパターンが浮かび上がる。しかし、それらは少しずつ異なっていた。まるで、同じ現象を異なる角度から見ているかのように。


「これを……重ね合わせるの」


 詩音が自分のプログラムのコードを修正し始めた。燎も、彼女の動きに合わせてプログラムを調整する。速水は、ただ呆然と二人の作業を見つめていた。


 突然、二つの画面が強く明滅した。そして、そこに何かが見えた。数字の羅列。それは、まるでメッセージのように。


「これは……座標?」


 燎が気づいた時、詩音は既にメモを取り始めていた。


「図書室。この数字が指し示しているのは、図書室の位置よ」


 三人は急いで図書室に向かった。廊下は混乱に包まれていた。放送システムから漏れ出す異様な電子音。携帯電話やスマートウォッチの誤作動。そして、それらの中心にあるものを、彼らは探そうとしていた。


 図書室に着くと、そこにも異変が起きていた。コンピュータの検索システムが暴走し、モニターには意味不明な文字列が流れている。


「ここよ」


 詩音は奥の書架に向かった。そこには、古い技術書が並んでいる。彼女は迷うことなく、一冊の本を引き出した。


『電脳空間と現実の干渉に関する研究』


 著者は、詩音の父親の名前だった。


「お父さんは、これを研究していたの。現実世界とコンピュータネットワークの境界で起きる現象を。でも、ある日突然……」


 詩音の声が詰まる。


「研究を中止して、姿を消してしまった。そして、各地でこの現象が起き始めた」


 燎は本を手に取った。しかし、その瞬間、さらに大きなノイズが響き渡った。図書室の電気が消え、非常灯だけが不気味な明かりを放っている。


「逃げて!」


 詩音の叫び声と共に、本棚が大きな音を立てて倒れ始めた。三人は急いで図書室を飛び出す。廊下では、より多くの異変が起きていた。


 電子機器が次々と誤作動を起こし、建物全体がまるで生き物のように唸りを上げている。それは、詩音の父が研究していた「干渉現象」の本質なのか。それとも、別の何かが……。


 燎は走りながら考えていた。彼らの作ったプログラムは、この現象を解明する鍵になるのかもしれない。しかし同時に、それは予期せぬ危険も伴うことを、彼は理解し始めていた。


## 第5章:デバッグの季節


 学校は臨時休校となった。電気系統の不具合による措置とされたが、真相を知る者たちにとって、それは表向きの理由に過ぎなかった。


 燎は自宅で、詩音から借りた本を読み込んでいた。彼女の父、朱鷺原仁の研究は、驚くほど緻密で先進的だった。現実世界とコンピュータネットワークの境界に生じる「干渉現象」。それは単なる電磁的な乱れではなく、もっと本質的な何かを示唆していた。


 ディスプレイに、新しいプログラムのコードが表示されている。


```basic

300 REM "INTERFERENCE DETECTOR"

310 DIM wave(1000)

320 DIM pattern(1000)

330 FOR i=0 TO 999

340 wave(i)=0

350 pattern(i)=0

360 NEXT i

```


 電話が鳴った。詩音からだった。


「篠原君、新しい動きがあったわ」


 彼女の声は緊張に満ちていた。


「お父さんからのメッセージ、見つけたの。研究データの中に埋め込まれていた」


「どんな内容です?」


「まだ完全には解読できていないけど……どうやら、この現象には周期があるみたい。そして、次のピークは……」


 電話が突然切れた。同時に、家中の電気が消えた。停電――しかし、これは通常の停電ではないことを、燎は直感的に理解していた。


 無停電電源装置につながれたX1Dの画面だけが、暗闇の中で青白く光っている。そこには、詩音の言っていた「周期」を示すようなパターンが、はっきりと表れていた。


 燎は急いで着替え、外に飛び出した。街頭も信号機も消え、町は不気味な静けさに包まれている。しかし、どこかで電子音が鳴っているような……。


 詩音の家に向かう途中、速水と出くわした。


「篠原!」


「部長、これは……」


「ああ、街中で起きている。そして、震源のようなものがある」


 速水はスマートフォンを取り出した。画面には、町の電磁波分布を示す地図が表示されている。異常な電磁波が、渦を巻くように広がっていた。


「だが、これは……」


 速水の言葉が途切れた。地図上の渦の中心は、彼らの住む町はずれの廃工場だった。そして、その近くには……。


「朱鷺原さんの家!」


 二人は走り出した。途中、街頭で立ち往生する車。パニックになった群衆。しかし、彼らには立ち止まっている時間はなかった。


 詩音の家に着くと、そこにも既に異変の兆候があった。窓から漏れる不自然な光。そして、断続的に響く電子音。


「朱鷺原さん!」


 燎が呼びかけると、中から返事があった。


「こっち! 早く!」


 二人が家に駆け込むと、詩音は自室で複数のコンピュータを起動させていた。


「見て。これが、お父さんの残したデータ」


 画面には複雑な図形が表示されている。それは、現実世界と電脳空間の接点を示す地図のようだった。


「これによると、干渉現象は制御可能なの。でも、そのためには……」


 詩音の説明は、突然の轟音によって遮られた。家全体が揺れる。窓の外を見ると、廃工場の方角から強い光が漏れていた。


「行かなきゃ。お父さんは、あそこで何かを……」


 詩音が立ち上がろうとした時、速水が彼女の腕を掴んだ。


「危険すぎる」


「でも!」


「私たちには、別の方法がある」


 速水は冷静に言った。


「君たちのプログラム。あれを使えば、ここから状況を把握できるはずだ」


 燎と詩音は顔を見合わせた。確かに、二人のプログラムには特殊な「干渉現象」を可視化する機能があった。


「でも、それだけじゃ……」


「私のPC-9801のプログラムと組み合わせれば、より詳細なデータが得られる」


 速水は自分のバッグからノートパソコンを取り出した。


 三人は急いでプログラムの結合作業に取り掛かった。燎のパターン認識システム、詩音の波動解析プログラム、そして速水の高度なデータ処理システム。それぞれの特性を活かし、一つのシステムを作り上げていく。


```basic

400 REM "UNIFIED INTERFERENCE ANALYSIS SYSTEM"

410 CALL pattern_recognition

420 CALL wave_analysis

430 CALL data_processing

440 IF interference_level > threshold THEN

450 CALL emergency_protocol

460 END IF

```


 プログラムが起動すると、画面に鮮明な立体的なパターンが浮かび上がった。それは、町全体を覆う電磁波の流れを示していた。


「これは……」


 詩音が息を呑む。パターンの中心にある廃工場では、通常ではありえない強度の干渉が発生していた。そして、そこには人影らしきものも。


「お父さん……!」


 詩音が叫んだ時、家の電気系統が完全に停止した。バッテリーで動作していたコンピュータだけが、かろうじて機能を維持している。


「行くしかない」


 燎が決意を示した。速水も、しぶしぶ同意する。


「だが、このプログラムは持って行こう。状況の把握に必要になる」


 三人はノートパソコンを持って、廃工場に向かった。街は完全な停電状態で、月明かりだけが道を照らしている。時折、異様な電子音が響き、空気が振動しているような感覚があった。


 廃工場に近づくにつれ、その振動は強くなっていった。まるで、現実世界の生地が引き裂かれていくような感覚。詩音の父は、この場所で一体何を試みていたのか。


 工場の正門は、錆びついて開かなくなっていた。しかし、フェンスには人が通れそうな隙間があった。


「気をつけて」


 速水が先頭に立って中に入る。工場の内部は、月明かりと不自然な電子光が入り混じって、幻想的な光景を作り出していた。


 そして、中央のホールで、彼らは「それ」を目にした。


 巨大なコンピュータシステム。古い機械と新しい装置が組み合わさり、まるで生命体のような形を成している。その周囲には無数のケーブルが這い、床一面にモニターが並べられていた。


 そして、その中心に一人の男が立っていた。


「お父さん!」


 詩音が叫ぶ。朱鷺原仁は、娘の声に振り返った。やつれた表情ながら、確かに詩音の父親だった。


「詩音……来てはいけないと言ったはずだ」


「でも、もう分かったわ。お父さんが何をしようとしていたのか」


 詩音が一歩前に出る。その時、巨大なシステムが唸りを上げ、さらに強い電磁波を放射し始めた。


「制御できない。もう、手遅れなんだ」


 仁の声は諦めに満ちていた。


「二つの世界の境界が……崩壊し始めている」


## 第6章:最後のコンパイル


 巨大なシステムからの唸り声が、工場中に響き渡る。モニター群には、意味不明な文字列が滝のように流れ落ちていた。


「これは、現実世界と電脳空間の境界を……消去しようとしているの?」


 詩音の問いに、仁は苦しげに頷いた。


「人類の次のステージを目指したんだ。物理的な制約から解放された世界を……」


「でも、それは危険すぎる!」


 速水が叫ぶ。彼のノートパソコンの画面には、異常な数値が表示されている。


「この状態が続けば、町中の電子機器が破壊される。最悪の場合、人体にも影響が……」


 燎は、持参したプログラムを必死で解析していた。詩音と速水のプログラムと組み合わせることで、システムの動作パターンが少しずつ見えてきた。


「これは……再帰的なループ?」


 システムは自己増殖的なプログラムを実行していた。それは既存のネットワークに干渉し、その構造自体を書き換えようとしている。


「止められる」


 燎が突然立ち上がった。


「このパターン、僕たちのプログラムで制御できるはずです」


「無理だ」


 仁が首を振る。


「システムはもう暴走している。制御プログラムを受け付けない」


「いいえ」


 今度は詩音が声を上げた。


「お父さんのプログラムは、人の心を持っているはず。だから、きっと……」


 彼女は自分のプログラムを起動させた。画面に、あの美しいパターンが浮かび上がる。波紋のように広がり、時に収縮する。まるで、呼吸をしているかのように。


 燎も、自分のプログラムを起動した。速水も続く。三つのプログラムが、それぞれ異なる角度からシステムに働きかける。


 巨大なシステムの唸り声が変化した。モニター群のノイズパターンが、わずかに乱れ始める。


「これは……」


 仁が驚いた表情を見せる。


「システムが、応答している?」


 三人のプログラムは、徐々にシステムの深部に侵入していった。それは、単なるハッキングではない。まるで、対話するかのように。


 燎のパターン認識システムが、異常な電磁波のパターンを分析し、その流れを制御しようとする。詩音のプログラムは、システムの「感情」とでも呼ぶべき部分に働きかけ、その暴走を抑制していく。そして速水のプログラムが、全体のバランスを整えていく。


「これが、本当のプログラミングなのかもしれない」


 燎がつぶやく。


「技術だけじゃない。心と心をつなぐ手段として……」


 システムの唸り声が、徐々に穏やかになっていく。モニターのノイズも、規則的なパターンに変化していった。


 そして――。


「成功した?」


 速水が画面を確認する。電磁波の異常な放射が、確実に減少していた。町の電気も、少しずつ復旧し始めている。


 仁は、呆然とシステムを見つめていた。


「こんな方法があったなんて……」


「お父さん」


 詩音が父親に駆け寄る。


「私たち、分かったの。プログラムってね、一人で完成させるものじゃないって」


 燎も頷く。


「それぞれの個性があって、それが重なり合って、初めて新しいものが生まれる」


 速水は、少し照れくさそうに咳払いをした。


「ああ、私が間違っていた。チームワークの重要性を、忘れていたよ」


 システムは最後の光を放って、ゆっくりと停止していった。現実世界と電脳空間の境界は、元の状態に戻りつつあった。しかし、何かが確実に変化していた。


 それは、プログラミングの新しい可能性。そして、人と人、心と心をつなぐ技術の未来。


 夜が明けていく。工場の窓から、朝日が差し込み始めた。


## 第7章:セーブポイント


 それから一週間後。学校は通常通り再開され、コンピュータ部の活動も再び始まっていた。


 燎は部室で、全国高校生プログラミングコンテストに向けた最後の調整をしていた。画面には、あの夜に完成した三人のプログラムが表示されている。


「やあ」


 詩音が部室に入ってきた。


「朱鷺原さん、お父さんは?」


「うん、落ち着いたみたい。研究の続きをするって。でも今度は、もっと安全な方法で」


 彼女は燎の隣に座った。


「見せて。コンテストのプログラム」


 燎は少し誇らしげに画面を見せる。それは、あの夜の経験を元に作られた、新しい形のアドベンチャーゲーム。プレイヤーは、現実と仮想の境界で起こる不思議な現象を解き明かしていく。


 しかし、それは単なるゲームではない。プレイヤー同士が協力し、それぞれの視点を共有することで、初めて真実に到達できる仕組みになっていた。


「素敵」


 詩音が目を輝かせる。


「これなら、きっと入賞できるわ」


「いや、それ以上かもしれないぞ」


 速水が入ってきた。


「篠原、朱鷺原さん。二人に知らせたいことがある」


 彼は一枚の書類を取り出した。


「工業大学の研究室から、共同研究の打診があった。君たちのプログラムに興味を持ったらしい」


 燎と詩音は驚いて顔を見合わせた。


「これは、新しい扉が開くかもしれないね」


 燎がつぶやく。詩音も嬉しそうに頷く。


 窓の外では、桜の花びらが舞っていた。春の風が、新しい季節の訪れを告げている。


 電脳の風は、今も静かに吹き続けていた。それは、現実と夢の境界で、新しい物語の始まりを待っているように見えた。


(終わり)


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