エリサの力
今日の家庭教師はレオではなくお兄様だ。
今日からは本格的に自分の能力向上の訓練を開始する。
訓練服に着替えて、今日は馬車で森に向かう。
お兄様は様々な動物や魔獣と意思疎通できる力を持っていて、馬車の馬もお兄様と仲が良いのか上機嫌で走っている。
森について馬車から降りると、お兄様はピューッと口笛を吹いた。
すると、森の奥から色んな動物たちが走ってきた。
動物たちはみんな、お兄様を見て飛びついた。
『ルディ!』
『久しぶり!』
『会いたかったよ!』
動物の話している言葉が鳴き声に重なって聞こえてくる。
お兄様は動物たちを撫でて私の方にやって来た。
「エリサ、この子達の声が聞こえるか?」
「はい。お兄様はとても懐かれているのですね」
「この子達はみんな、人懐っこい性格だからな。エリサも撫でてみるといい」
「分かりました」
ゆっくり手を伸ばすと、グレーの毛並みをした動物は歯をむき出して威嚇し、他の小動物たちはお兄様の後ろに隠れた。
どこが人懐っこいの?
少しむくれてお兄様の顔を見上げると楽しそうに笑っていた。
「エリサが怖いって思ったら、この子達にもその感情が伝わるんだよ。そういう力なんだから」
「そっか」
「初めまして、よろしくねって気持ちで近付いてごらん」
私はお兄様に言われた通り、初めましてと挨拶する気持ちで動物に近付いた。
すると、さっきまで威嚇していた動物がゆっくりと私に近付いて私の手に自分の首を擦り寄せた。
可愛いかも。
他の動物たちとも少し話して森から帰ることになった。
馬車に乗り込もうとしたとき、どこからか子供のなきごえが聴こえてきた。
「お兄様、このなきごえ。迷子でしょうか?」
「いや、これは人間じゃないな」
お兄様は顔色を変えて馬車を降りた。
その瞬間、頭に助けて!という声が聴こえてきた。
お兄様と顔を見合わせて、声がする方に走った。
そこには、ライトウルフと呼ばれる魔獣が群れで一匹のライトウルフを虐めていた。
「そこをどけ。道を開けろ」
お兄様が声に魔力を込めると、ライトウルフの群れははすぐに分かれて道を開けた。
お兄様は傷だらけライトウルフを抱き上げてその群れに散れ!と命令をすると、ライトウルフの群れは走ってどこかに行ってしまった。
ライトウルフは通常、金色の毛にグレーの瞳をしている。
けれど、このライトウルフは真っ黒で瞳は真っ赤に染まっていた。
群れの中で一匹だけ色が違うから、虐められていたのだろうとお兄様はライトウルフを撫でて言った。
「お兄様、その子、私が預かってもよろしいですか?」
「殿下からのお許しが出たらな」
「魔獣ですものね」
実家では魔獣の保護を許可されている。
相当強いものでない限りは、先程のように、お兄様やお父様がいれば魔獣は命令に逆らえないからだ。
それに、魔獣はある程度の年齢になると人間化する者もいる。
魔力が多ければ人間化、少なければ魔獣のままである。
このライトウルフは人間化するかもしれない。
とりあえず、今日はお兄様が実家に連れて帰って保護することになった。
「殿下に手紙を出しておくから、エリサが保護する許可が出たら連れて行くよ」
「ありがとうございます」
お兄様が魔力で手紙を作り出して、指を鳴らすと手紙が紙飛行機に変わって飛んでいった。
お兄様は王宮の門まで私を送って実家に帰っていった。
門で別の馬車に乗り換えて王宮内に行くと、レオと同じ執事服を着た紫色の髪をした男性が迎えに来てくれた。
「執事のカイルと申します。レオ様の代わりにエリサお嬢様のお迎えにあがりました」
「ありがとう」
部屋に行くと、侍女たちが待ち構えていた。
何事かと思ってカイルの方を見ると、無表情でこちらを見ていた。
「支度が済ましたら、またお迎えにあがります」
そう言い残して、カイルは部屋から出て行った。
そして、私は森に行ったためお風呂に入って髪を乾かされながらドレスに着替えてヘアセットをしてもらってメイクまで終えた。
ちょうどよいタイミングでカイルが扉を叩いて部屋に入ってきた。
「殿下が執務室でお待ちです」
「殿下が?」
「お話があるそうです」
「そう」
カイルに執務室まで案内してもらって、中に入ると護衛騎士であるロッソ様とレオとアル様以外いなかった。
アル様は私に座るように促すと、机の上の書類を片付けて手を組んで私の方を見た。
「ヒルディードから手紙が届いたよ。ライトウルフを拾ったそうだね」
「はい」
「保護したいと訊いたが、主従を結ぶつもりか?」
私の一族は人間化した魔獣と主従関係を結ぶことが許されている。
だけど、
「主従は結ぶつもりはありません。助けたのはお兄様ですし。私は、力を使ってあの子の傷を癒やしたいだけです」
「傷の癒し方は分かるのか?」
「はい。叔母様に習っているので、致命傷でない限りは癒やすことができるかと」
「そうか。では、試しに私で、」
殿下はそう言うと手紙の封筒を切るナイフで自分の指を切ろうとした。
レオが慌てて止めて、私がしますとピッと親指の腹をナイフで切った。
出来るとは言ったけど、まさか実現することになるとは。
「レオ、指を見せて」
「はい」
私はレオの手を支えて傷を見た。
本当に痛そう。
レオの指の傷に触れないように手を重ねて、傷が癒えるように願って魔力を込めた。
パアッと光って、レオの指の傷が消えていく。
「早いな。これなら致命傷も治せそうだけど、無理なのか?」
「無理というわけではありません。進んで行いたくないだけです」
「それは、何故だ?」
私は殿下に視線を向けて逸らした。
殿下はロッソ様とレオとカイルに執務室から出るように言って、部屋に私と殿下だけの状況にした。
私は、ザッと扇子を広げて殿下から視線を逸らした。
「致命傷を治すには………口づけが必要なのです」
「ほう、」
「それに、治癒は基本的に愛している相手にしか使えないのです。致命傷の治癒に関してはたった一人にしか効果はありません」
「そうか。では、エリサはレオを愛しているのだな」
「もちろんです。大切な幼馴染みですから」
動物や魔獣は自分が可愛く思っていれば治癒を使うことができる。
話が終わって、部屋から出ると、入れ替わるようにカイルとロッソ様が部屋に入った。
レオは何の話をしていたのかと少し気になっていたようだけど、なんだか気恥ずかしくて目を逸らして言わなかった。
部屋に戻って夕食を終えて、パジャマに着替えてそろそろ寝ようかと思っていると、レオが小瓶を私の目の前に持ってきた。
小瓶には黒っぽい色の液体が入っていた。
このすごく不味そうなのは何か問わずともレオは教えてくれた。
「これは殿下が作ってくださった記憶回復薬だよ。エリサは、とても大きな秘密を知っていて思い出してもらわないと困るんだ」
「ごめん。思い出せなくて」
「いや、エリサが謝ることはないんだ。私も、無理矢理飲めとは言わない。だけど、1週間以内に思い出さなかったらこれを飲んでもらう」
「分かった。それまでレオが預かってて」
「ああ」
レオは申し訳無さそうな顔をして、小瓶を両手で包んだ。
その顔が切なくて、なんだか懐かしくて無意識にレオの頬を両手で挟んでいた。
そのまま、自分の額にレオの額をくっつけて微笑んだ。
「そんなに、申し訳なく思わなくてもいいんだよ。大きな秘密を抱えているなら仕方がないし、私も大切な幼馴染みのことを思い出したいから」
そう言って離れると、レオは私に背を向けた。
「エリサ、他の人に今のようなことはしないでね」
「しないけど」
「それなら、いいんだ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
レオは早足で部屋から出て行った。
私もベッドに横になって目をつぶった。
あれ?さっきまですごく眠かったのに、眠れない。
なかなか寝付けなくて、眠りに落ちたのは日が少し顔を出した頃だった。
重い目を開けて、侍女たちに支度をしてもらった。
朝食は全部は食べられず、レオは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「体調があまりよろしくないように思われますが、昨日、私が言ったことのせいでしょうか?」
「いや、それは全然大丈夫なんだけど、寝付きが悪くて」
「そうでしたか。無理はなさらないようにしてください」
「ありがとう」
今日はお父様とブラックが王宮にやって来る。
ブラックとはライトウルフの名前だ。
お父様とブラックには直接部屋に来てもらった。
昨日、家でブラックの体を洗ってもらっているのでそのまま部屋にあげて傷を癒やす。
お父様がブラックを抱いていて、下ろすと、右足を引きずりながらクッションに横になった。
他にも小さな傷はあるけど、右足には引っかき傷がある。
そこを先に治して他の小さな傷も力を使って癒した。
「セレナに教わっていたとは聞いていたが、さすが私の娘だ。こんなにすぐに傷を癒してしまうなんて」
「ありがとうございます。ですけど、叔母様の方が早いですよ。それに大きな傷でも傷跡が残りませんし」
「自慢の妹だからな」
お父様は笑ってブラックの頭を撫でた。
私もブラックの頭を撫でると、そのまま飛びつかれた。
魔獣にしては珍しくとても人懐っこい。
ブラックは、傷を治してくれてありがとうと尻尾を振りながら言った。
どういたしまして、と笑ってブラックの鼻に口づけをすると、ブラックは急に人間化してそのまま私の上に倒れた。
だけど、自分で人間化したことに気がついていないのかそのまま私に抱きついた。
すると、レオがブラックを引き剥がしてお父様はマントを羽織らせた。
「ブラック様のお着替えを準備いたします」
「ああ、頼む」
レオが着替えを取りに行ってる間、ブラックはお父様に動かないように命じられた。
着替えを取って戻って来たレオに促されてブラックはバスルームに連れて行かれた。
バスルームからレオと一緒に戻って来たブラックは、黒髪にルービーのように綺麗な紅い瞳をした青年だった。
「もう痛いところはない?」
ブラックの方を見て首を傾げると、ブラックは私の前まで歩いてきて私の頰に口づけをして抱きついた。
「エリサ、好き」
「へぁ!?」
思わず変な声が出てしまった。
思っていた以上に懐かれてしまったらしい。
けど、唇に口づけをしようとされるのは流石に止めた。
ブラックは懲りずに私の頬や瞼や耳に口づけをしては抱きついてくる。
ライトウルフって分かっていても、見た目は美青年だから流石に慣れていなくてどう反応したら良いか分からなくて困る。
ブラックが抱きついたまま私の胸に顔を埋めようとすると、レオが笑顔でブラックを引き剥がして庇うように私の前に立った。
「これだから魔獣は。人間化したなら理性を保ってください」
「エリサ、抱きしめたい」
「それ以上エリサに近づいたら許さない」
「はぁ?お前に関係ないし」
ブラックがレオの胸ぐらを掴むと、レオはブラックの腕を掴んで自分の服から手を離した。
「エリサから離れろ。君は助けてもらった恩人を困らせて楽しいか?」
「困らせてない。怪我を治してくれたからエリサが好きになったんだ。ハグやキスでエリサは困らない。そうだよな?」
「えっ、と、ちょっと困ってる」
レオの背中から少しだけ顔を出してブラックの様子を伺うと、世界の終わりのような顔をしていた。
少し申し訳なく思って、レオの前に出てブラックを抱きしめた。
「キスは困るけど、ちょっとハグをするくらいなら困らないよ。あ、人前は困るけど」
慌てて付け足すと、ブラックは笑って力強く抱きしめた。
「エリサ!ありがとう!」
「どういたしまして」
笑ってブラックの背中を軽く叩いていると、レオがブラックを引き剥がしてお父様に突き出した。
「ジグモンド様、彼を引き取っていただけますか?エリサは優しいから彼が悲しんでいるのに罪悪感を感じてさっきのようなことをしたのでしょうけど、婚約していない淑女に抱きつくのはたとえ元魔獣だとしてもエリサの株が下がります。せめて、教育をしてください」
「承知しました。ブラック、今日は帰るぞ」
「ああ」
お父様はブラックを連れて部屋から出ていった。
レオは私の顔を見て、何かを言いたそうな顔をして結局やめたのかお茶の準備をして参りますと言って部屋を出て行った。
ソファに座ってはぁ、と息を吐いた。
レオは昔から、何か言うとしてもその言葉を呑み込むことが多かった。
今日もそう。
信頼されていないのかな?
レオがお茶を持ってきてくれてそれを飲みながらどうしたら記憶を取り戻せるか考えた。
やっぱり、記憶回復薬を飲むのが手っ取り早いよね?
でも、自力で思い出したい気持ちもある。
どうせ、あと6日で思い出せなかったら飲むんだし、それまでは自力で頑張ろう。
「レオ、アル様の方で仕事あるならそっち行っていいよ。何かあったら侍女に頼むから」
「ですが、」
「記憶、取り戻せる方法探したいから図書室で調べてみる」
「承知しました」
図書室に行って、司書に記憶に関わる本を持ってきてもらって調べてみた。
けれど、寝不足だったからか途中で寝落ちしてしまった。
目が覚めるともうすっかり夕方になっていた。
記憶を取り戻す方法は色々なものがあったけど、主に3つ。
記憶回復薬(脳の神経を刺激するもの)を使う、時間が経つのを待つ、物理的または精神的に衝撃を与える。
とりあえず、衝撃を与えることから初めて見よう。
部屋に戻って夕食を食べ終えると、カイルが部屋にやってきた。
「殿下がエリサ様にお話があるそうです」
「伝言ありがとう」
「レオ様はお部屋の外で待つようにとのことです」
「承知いたしました」
レオと一緒にアル様の執務室に行って中に入ると、ロッソ様は部屋から出てアル様と2人になった。
呼び出されるのは何回目だろうか。
呼び出された内容は分かっている。
きっと、私がレオのことについて思い出したかということだろう。
笑顔で扇子を広げてアル様の方を見た。
「お話があるとお伺いしましたが」
「レオのことだが、記憶回復薬は服用したか?」
「いえ、1週間以内に思い出せなかったら服用する予定です」
「1週間。ギリだな」
「すみません」
「私としては、なるべく早く思い出してもらわないと困る。回復薬がどれくらいの時間で効き目が出るから分からないからな」
「では、今日にも服用するようにします」
「ああ。頼む」
アル様は髪を掻き回してため息をついた。
レオには一国の王子様をこんなに困らせるくらいの秘密があるの?
それにしても、似てるなぁ。
ん?似てる?誰に?
頭がズキズキする。
「エリサ」
「はい」
「もう帰っても良い」
「はい。失礼しました」
アル様の執務室を出てレオと部屋に戻った。
寝る支度を終えて、バルコニーに出た。
少し冷たい風に髪がなびく。
レオは私の肩に上着を掛けてくれた。
振り返ってレオの方に手を出した。
「記憶回復薬、今持ってる?」
「まだ1週間経っていません」
「けど、早く思い出したいから。自力で思い出せる気がしないし」
「どうして焦っているのですか?」
「焦ってなんかないよ。お願い。飲ませて」
レオは渋々小瓶を取り出して私の手に置いた。
固く締められた栓を抜くと、なんとも言えない嫌な匂いがした。
絶対に不味い。
飲まなくても分かる。
唾を飲み込んで目を閉じて小瓶に口をつけると、レオが小瓶を私の手から攫った。
「やっぱり明日でもいいんじゃないかな。」
「今日じゃないとダメなの。返して」
「………そう、言われたのか?」
「誰に?」
「殿下に」
「そんなわけないでしょ」
レオの手から小瓶を取り上げると、手を滑らせて落としてしまった。
身を乗り出して小瓶を取ろうとすると、レオが私の手を引いて後ろから抱きしめた。
「落ちていたら、どうするつもりだったんだ!?」
「けど、薬が」
「浮かせたから大丈夫だ」
「そっか。ごめん。助けてくれてありがとう」
レオの手をほどこうとすると、レオは私を抱きしめる腕に力を込めた。
バルコニーだから、もし誰かが庭を通ったりしたら見られてしまう。
客人である私と第一王子の執事で今は私の執事をしているレオと抱き合っていたなんて噂が流れたら、レオの立場が悪くなる。
だけど、何故か振りほどけなくてレオの気が済むまでずっとその場に立っていた。
寒くなってきて、レオが宙に浮かせていた小瓶を持ち上げて部屋に入った。
レオに心配と迷惑を掛けてしまって、落ち込んでいるとレオが私の頭に手を置いた。
「さっきは怒ってごめんね。エリサが無事で良かったよ」
「レオ、」
その瞬間、思い出した。
私の目の前にいる人はアル様の執事なんかじゃない。
アル様より2歳年下の弟。
王位継承権第二位のレオンハルト。
王位継承権で争いで兄弟が過激派に殺されることを心配した国王様の命で社交界では大きな傷があると言って仮面をつけていて、レオの顔を知っている人でもレオが第二王子ということを知らない人がほとんどだ。
知っているのは私とお兄様とお父様、ロッソ様ご兄弟、そして王族の方のみ。
私も社交の場ではレオンハルト様と呼んでいた。
レオは、ただの幼馴染みではなかった。
アル様が早く思い出してくれないと困ると言った理由が分かった。
確かに、王宮外で思い出して、口に出してしまったら大事になる。
記憶を取り戻したと同時にこれまでで一番鋭い痛みが頭を走った。
そして、そのまま私は意識を失った。




