第8話 停滞2
顔を突き合わせ、研究の成果をある程度聞いたアミットはメリーアン達を大げさにねぎらう。
「君たちの研究には学問的探求以上のものがあるよ、メリーアン。」アミットが静かに言った。
「君たちは人類がこれから直面するかもしれない困難に立ち向かう手段を見つけるわけで、大げさな話だが人類を救う可能性があるわけだね。」そう言ってアミットは微笑んだ。
「そうね、アミット。でも君たち、ではなくて私たちでしょ?あなたの教室なんだから。」そう彼女はうなずくと、恥ずかしそうな、それと同時に残念そうな表情を見せ、言葉をつづけた。
「あの、実は正直行き詰っているの。とりあえず現在解剖しているサンプルに関してはそれぞれの港町でよくとれる魚とのDNAがかなり一致しているの。おそらくサケやメバルが変異したものと考えていいのだと思うわ。メバルにしてはすさまじく大きいけど、DNAを見る限りそうなのよ。あと、体の非対称性、ヒレなどの外部器官の体長と比率を変異前のものと比べると牧博士の言う通り、遺伝子変異比率との間に相関性があるのも確認できたわ。でも実際にそれが何を意味しているのかがまだ分からないのよ。」彼女は恥ずかしさを感じながらも、すがるように恩師に意見を求めた。
「ああ、他の変異体と同じで、従来の生物が変異している可能性が非常に高いわけだね。しかし、牧博士のマキ・セオリーか。一度話したことがあるが非常に優秀で物静かな人物だったな。確かこれらの生物の遺伝子変異の度合いと身体変形の度合には相関性があるだけでなく、明確に変化比率が変わる段階があって、そこで変化の度合いを分類できるという仮説だったね?」
「そう。あとそれだけでなく遺伝子変化の度合いが強くなるほど身体変化の対称性が高くなっていく、つまり整った変化を遂げるようになるという点もユニークね。」
「あとは?ほかには気づいていることはないのかい?」
「そうね・・・まず、細胞の大きさが既存の生物よりも大きいのは確かよ。これは最初に報告された通りね。これだけでもかなりすごいことではあるのだけど。」彼女はそう答えてから少し間を置いた。
地球上の生物の大きさはさまざまだが、体内の細胞の大きさはおおよそ同じだとわかっている。象と蟻で細胞の大きさはそれほど変わらず、その数が多いか少ないかでおおよその体のサイズが決まっているのだ。
だが、今回見つかった生物群はどれも従来の生物より大きい細胞を持っており、それだけで従来の生物とは全く別の系統の生物だということがわかるのだ。
「あとは、そうね。解剖学的な特徴としては骨密度の増大、皮膚の厚さの増大、消化器官の短縮、筋肉の体重における割合の増大がマキのステージが上がるごとに大きくなっていくわ。あと、不規則にある生えてる突起物に関しては癌ではなかったわ。これは各国の報告と全く同じで、周囲の組織が盛り上がっただけのようね。あとは筋肉の繊維蛋白の構造にも変化があるようにも見えるけど、まだ手がついてないわ。正直ほかの大学でも調査はしているし、どこかがやると思っているからやるつもりはないわね。」
「なるほど、聞いたことのある話もあるが、私がもっと元気だったらどれか一つでも論文として投稿していたくらいの発見だね。いや、すまない。もし元気だったら君たちを手伝うことを優先していたと思うよ。失言だった。」彼は少し興奮した風になって発言したが、すぐに落ち着き、椅子に深く腰掛けなおした。
「いえ、いいのよ。私もそうしてほしいって言っていたかもしれないし。」
「正直、働きすぎではないかい?この短期間で成果が出すぎている気がする。それに僕から見て君はオーバーワークで正常な思考能力が維持できていないように思うよ。もしよければ今まで見つけた所見をざっとでいいからレポートにして僕に送ってくれないか?何か気づいたことがあったら連絡するよ。」彼はそう提案した。これはメリーアンの目の下にできた隈を見てからずっと言おうと思っていたことだった。
「そうね。ありがとう、アミット。あなたの言う通り、正直行き詰っているというよりもやることが多すぎて手を付けれてないことが多いのよ。手を付けるところがわからないというよりも手を付けるべきところが多すぎるのね。」彼女はそう答える。彼女としても最近やるべきことが多く、考える暇がなかった。その部分をアミットが手伝ってくれるのは非常に助かったのだ。
「そうか。でも時には家に帰ってぐっすりと寝るんだよ。まだまだ若いのだから。多分ここのところずっとラボに泊まり込んでいるんだろ?僕は君が倒れてしまわないか心配だよ。」
そう言うとアミットは微笑んでから杖をとり、別れの挨拶を言ったのちに部屋から出ていった。元々大柄な人物ではなかったが、杖を突き、杖にもたれるようにしてゆっくりと歩き去る彼の姿はとても小さく見えた。