第63話 母になる1
先ほどまで歩いてビルを探していた由美は、今となっては必至に走っていた。探すビル探すビルがオートロック式であったり、健太の言う五階以上の建物ではなかったせいもあるが、それ以上に遠くから聞こえる轟音がどんどん大きくなってきていたせいだった。
もう時間がないのはよくわかる。だが、この住宅地では条件に合うビルが案外見つからないのだ。彼女は必死に走る。隼人が泣いているが、構わず走る。このままでは二人とも死んでしまうのは確かなのだから。
そうして数分も走ると、轟音は先ほどよりも大きくなり、足元からは地面が揺れるような振動を感じるようになっていた。だが、彼女は運がいいことに8階建てで、裏口の空いているマンションを見つけたのだ。おそらく住人が避難する際に閉じていかなかったのだろう。
彼女は急いで裏口から入り、その裏口を閉めて階段を上り始めた。もうすでにこの地域の電気は断線しており、エレベーターは稼働していなかった。彼女はできるだけ高いところまで上ろうとする。
5階まで登ると、階段の手すりから今まで自分が来ていた方向から押し寄せる黒い波が見えた。うごめく様に押し寄せるそれは街の明かりを次々飲み込み、暗闇の中に落としていった。先ほどまで自分がいた小学校はすでに波の中に飲み込まれており、どうなっているかはわからない。ただ、あの状況で大丈夫なわけはないだろう。彼女は健太の判断が間違っていなかったことに心から感謝した。今ほど彼と結婚してよかったと思ったことはない。
そうして、泣いている隼人をあやしていると、黒い波が今いるビルまで押し寄せてきた。彼女はその波を見つめるうちに、その輪郭がぼんやりとだがわかるようになってきた。うごめく巨大な虫の群れ。体のいろいろなところが欠けて、いびつな形になっている。それらが、数千、いや数万と集まりこの街を縦断しているのだ。
彼女はそのあまりにもおぞましい光景を見て、気持ち悪くなり、その場に吐瀉物をぶちまけた。元々夕食を食べてから時間が経っていたため、ほとんどは胃液だったが、それでもこみ上げる嫌悪感に吐くものがなくなっても吐き続けた。
そうしていると、突然衝撃と衝突音が階下から聞こえた。こみ上げる嘔気と嫌悪感を我慢し、急いで手すりから下をのぞき込む。そこには怪獣の群れがビルに到達し、ビルに体当たりをかましているのが見えた。手前にあった民家は崩壊し、群れの中に埋もれて見えなくなっている。
彼女はその光景をみて、一瞬このビルも壊されるのではないかと恐怖し、狂乱の叫びをあげた。誰かが聞いてもかまわない。ただ自分にできることとして肺の底から出せるだけの大音量で叫びをあげていた。
たが、怪獣たちはすぐに方向転換し、左右に分かれてビルを迂回し始めた。数分もすると怪獣たちは迂回を完了し、そのまま先の方向へと進軍を続けた。彼女はそれでも叫び続ける。彼女の脳は周囲の状況を理解することを拒み、ただただ叫べる限り叫び続けた。そのうちに気が遠くなり、地面に片膝をついた。目の前が真っ暗になり、前のめりに倒れそうになるが、すんでのところで踏みとどまる。
腕の中には隼人がいる。そうして彼女はおもいっきり空気を吸い込み、階下の状況を確認する。もう怪獣の群れは見えなくなっており、破壊された街並みの輪郭が暗闇の中に見えるだけだった。
彼女は再度息を整え、そして、まだ泣き続けている隼人に気が付きあやし始めた。




