第12話 小さな一歩
2015年の秋は例年よりも短く、気温が低かった。季節はもう冬となっており、今まばらに降っている雪もあと一ヵ月もすれば膝ほどに高く積もるであろうことは想像に難くなかった。
いつも以上に閑散とした大学のカフェテラスで、窓の外にしとしとと降り注ぐ雨を見られる席でメリーアンとスージーが昼食を囲んでいた。
ここは開放的で、大学内にあるにしてはかなりおしゃれなカフェで、いつもは大学生たちでごった返している。大学自体も立地が自然豊かな場所にあるせいか、景色が非常によい。だが、ここ最近の襲撃事件などで里帰りをしている学生や、もろもろの事務作業に対応している職員が忙しいのか、ここ最近では空いているときが多くなっていた。
窓側の、一番景色がいい席ですらまばらに開いていて、そこに彼女たちは腰かけていた。
スージーはタブレットを片手にアミットからの提案についてのメールを開いている。
「アミットはさすがというしかないわ。彼のおかげで物事がスムーズに運ぶようになったわ。それこそ、体表から見える奇形や遺伝子変化そのものにばかり気を取られていたけど、それぞれのサンプルの年齢には気を払うべきだったわ。」スージーが感心しながら言う。
メリーアンは食べていたサラダからフォークを離し、真剣な表情で答えた。「ええ、彼の洞察力にはいつも驚かされるわ。で、実際にデータを見たとき、何かパターンは見えた?」
「うん、驚くことに、年齢が若いサンプルほど遺伝子変異が高いという明確な傾向が見られたの。というよりも世代というべきかしら?おそらく世代を経るごとに遺伝子変異も増加傾向を示しているわ。もちろん、対称性なんかも比例してよくなっていくわ。たぶん、マキのステージングに年齢や世代の概念を追加してもいいかもしれない。」スージーは興奮を抑えきれずに言う。
メリーアンは、コーヒーを一口飲みながら、考え込む。「世代を経るごとに変異の度合いが強くなっていく、か。まるで継続的に改造を受けているみたいね。」
スージーは頷き、更に詳細を説明する。「そうね。昨日アミットにもこの内容は送ったのだけど、彼もこの関連性が、現在進行中の異常現象の背後にあるメカニズムを解明する鍵になるかもしれないと指摘していたわ。」
「そうね。本当。でも、やはりまだ原因がよくわからないわ。さらにこの裏に隠れている事実を見つけ出す必要がありそうね」メリーアンは硬い表情のまま言葉を紡いだ。
「ねえ、メリーアン、どうしたの?そんな顔して、何か心配事?」スージーは彼女の顔を一瞥し、心配そうなトーンで言った。
「えっと、先月日本で起きた襲撃事件。覚えているでしょ?あの後から各国で同様の事件が起きているわ。まるで堰を切ったかのように事件件数が増えているのよ。」
「知っているわ。それぞれ襲撃している動物の種類は違うけど明らかに巨大化、狂暴化しているわね。」
「そう。この前テムズ川から現れた大きなトカゲなんて正直恐竜かと思うような姿だったわ。幸い被害は出なかったけど。でも、それに対して私たちは何一つ有効な手が打ててないわ。原因もわからない。どの動物が変異しているのかのパターンもつかめない。ドイツや韓国が出した筋肉の構造変化、骨構造の変化に関する報告は非常にためになったけど、どの報告を読んでも必ず浮かぶ疑問があるのよ。」コーヒーを飲み終わったメリーアンは食器を横にどかし、両手を組んでテーブルに置きながら姿勢を直した。
「何が根本的な原因か?ね。たぶん世界中の研究者が同じことを思っているわね。」
「そう、ね。ただ、なんというか、このままだと本当にまずいことが起こりそうな気がして・・・」メリーアンの硬かった表情がさらに硬くなり、眉間にもしわが寄った。
「なんというか、らしくないわね。いつもはあんなにも冷静なあなたがそこまで思いつめるなんて。」
「毎日流れるニュースを見ているとどうしても。自分がもっと優秀だったらなんて思ってしまうのよ。」
「ねえ、メリーアン。あなたは優秀よ。でも私もあなたも一日は24時間しかないし、手は二本しかないわ。やれることには限界があるのよ。」そういうとスージーはコーヒーに口をつけて半分ほど飲んだ。
「ところでメリーアン、あなた家に何日帰っていないの?そのブラウス2日前にも着てたでしょ?あと髪もぼさぼさだし、肌もあれているわよ。あなた化粧はそんなに上手じゃないんだから気づいちゃうわよ。」
「・・・」メリーアンはバツの悪そうな顔で黙り込む。いつもはきはきとしていて、自信に満ちている彼女としては非常に珍しい態度であった。
「ねえ、あなたは優秀よ。たぶん私では気づいてない何かに気づきかけているからこそそれだけ焦るのだと思うの。でももう限界じゃない?一度家に帰って、ゆっくり体を休めてよ。届は私が出しておくから。あなたの友人として、私あなたが心配よ。」
「スージー・・・ごめんなさい。心配させるつもりはなかったのよ。ただ、いてもたってもいられなくて。」すこし目をそらしながらメリーアンは口を開く。
「いいのよ。今日は早退して。明日明後日も土日なわけだからゆっくりして。私はまだメールを返したりするからここにいるけど、あなたはもう荷物をまとめて家に帰りなさいよ。月曜日にまた会いましょう。」スージーは微笑みながら、彼女に見せていたタブレットを自分の手元に引き寄せた。
「ありがとう。あなたの言う通り、少しゆっくりすることにするわ。」彼女はそういうと立ち上がりながら伝票を手に取り、自分の分の会計だけ済ませ、こちらに手を振ってから歩き去っていった。