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第93話 リオン城③

「貴様、陛下を狙ったな!?」


 リーン・リッヒの怒声は素の怒りを(はら)んでいた。

 彼女は俺たちにマジックイーターの排除を頼んだが、俺が狙ったのは皇帝だ。皇帝はマジックイーターではない。ただの木偶(でく)の棒だ。


 だからこそ俺は皇帝を狙う。皇帝としての器も能力もないのに元首の椅子に座ることは罪だ。大きな大きな大罪だ。

 それに、リーン・リッヒも俺が皇帝を狙うのであれば敵の排除に遠慮はしないだろう。俺は本気のリーン・リッヒを打ち倒したいのだ。


「おい、どういうことだ、サキーユ!」


 突如として奇声をあげたのは大臣だった。その矛先は第三皇妃のサキーユである。

 彼女は蒼白していた。ボディラインがはっきり出る黒のローブに包まれた華奢(きゃしゃ)な体を自らの腕で抱きしめ、生気のない目を漂わせて震えていた。


「ゲス・エストは始末したんじゃなかったのか!?」


 どうやらサキーユは大臣に嘘の報告をしていたらしい。おそらく五護臣にはサキーユ自らゲス・エストを抹殺せよと命令していたのだろう。


「どうしたのじゃ、大臣。わしの妻にそのような口の利き方をするでない」


 皇帝が大臣をたしなめる。政治においては大臣の言いなりでも、国家の元首であるというプライドは持ち合わせているらしい。

 しかし同時にマジックイーターの国家侵食にまるで気がついていない無能であることも証明している。

 サキーユは第三皇妃だから当然ながら大臣より身分は上だが、大臣とサキーユはおそらくはマジックイーター組織の幹部であり、序列は大臣のほうが上なのだ。


「ボスに報告を上げたのは私だぞ! 虚偽の報告だったと知れたらどうなることか。責任を取ってもらうぞ」


 大臣は皇帝の声が耳に入っていないのか、あるいは自分の立場に胡座(あぐら)をかいて無視を決め込んでいるのか、皇帝に言葉を返さず、なおもサキーユを責め立てた。


「うるさい! あいつの恐ろしさを知らないくせに!」


 サキーユが狂乱気味に叫び、大臣に手をかざした。大臣が背中から壁に叩きつけられ、さらに壁に亀裂が入るほど押さえつけられる。サキーユが重力魔法で大臣を押し潰そうとしている。


 まともに首も回らない大臣だが、どうにか首を捻り、サキーユを(にら)みつけた。瞬間、大臣を横向きに押さえつけていた見えない重石(おもし)は消え去った。

 今度はサキーユが頭を抱えて震えだした。彼女は怯えている。とてつもなく怯えている。

 しかし何に怯えているのかはさっぱり分からない。これは大臣の魔術だろうか。睨んだ相手に恐怖を与えるという魔術なのかもしれない。


 サキーユがよろめき、背中から倒れそうになったところへ、リーン・リッヒが座標を転移したかのような瞬間的な移動を見せ、サキーユを抱きかかえた。

 サキーユは守護者の腕に抱かれたまま全身を震わせながら、より震える指先を大臣へと向けた。


「リーン、あやつを処断してくれ」


 皇妃の命令は皇帝に次ぐ強制力を有する。緊急性を(かんが)みれば、先ほどの皇帝の命令よりも優先されるものである。


「陛下、よろしいですね?」


「駄目じゃ!」


 しかしながら、皇帝に許可を求めてしまっては優先順位も覆らない。リーンが確認せずに大臣を斬っていれば、それは皇帝家への反逆にはならずにマジックイーターを排除できたはずだ。それをしなかったのは、リーンに指輪の縛り以上の皇帝への忠誠があるからにほかならない。

 もはや彼女の元来の性質が呪われていると言うほかはない。


「陛下、サキーユ様はいままさに大臣の魔術に苦しめられておいでです。一刻を争う事態です。どうか大臣処刑の許可を」


「駄目じゃ。わしのサキーユに魔術を使うことは許されんことだが、大臣がいなくなったら誰がわしに執政の助言をくれるのじゃ? 大臣、サキーユに魔術をかけているのなら、すぐにやめるのじゃ」


 サキーユは両手の指を頭に減り込ませてのたうち、とめどない涙を目から押し出しながら皇帝を睨んだ。


「あなた、魔術は見えないから、あいつがわたくしにどれほどの恐怖と苦痛を与えているか分からないのですわ! どうか、どうか処断の命をお下しください!」


「そう言われてもなぁ。わしはおまえが大事だが、大臣いなくなると困るしなぁ」


「ああああっ、あああああああ!!」


 サキーユは十本の指で頭を押さえたまま立ち上がった。ふらつき、足を引きずり、こちらへ向かってくる。

 そして、頭から離れた手は俺の両腕を掴んだ。それから長い黒髪を振り乱し、涙に濡れ赤く充血した目で見上げてきた。


「どうか、どうか大臣を殺して……」


 俺はサキーユとは敵同士の関係にあるが、サキーユは俺なら大臣を殺してくれるかもしれないと思ったのだろう。

 たしかに可能性はいちばん高い。

 だが、残念なことに俺はそんなに優しくない。

 俺はサキーユの胸倉を掴み、引き上げ、そこに自分の顔を寄せ、そして笑った。いや、(わら)った。


「おい、あいつは俺よりも怖いのか?」


 俺は震えていた。都合のいいサキーユの懇願に(いきどお)ったから? 違う! 嬉しいのだ。嬉しくて、嬉しくて、俺は狂喜に打ち震えている。

 以前、自分がゲスの限りを尽くして痛めつけたサキーユが、その自分より怖い相手がいると言う。それは俺にとって極上の獲物が現れたことにほかならない。


 しかし、現実は違っていた。サキーユはそんな俺の表情を見て思い出したようだ。幻などではなく、本物の恐怖を。

 そして涙の上から涙を上書きした。


「怖く、ない……。あなたに比べたら、あんな奴は……」


 そう言った後のサキーユは、大臣がいくら魔術をかけても怯むことはなかった。


 ゲス・エストに比べたらぜんぜん怖くない。さっきまでは突発的に押しつけられた恐怖によって気が動転してしまっていただけ。自分の心があまりにも弱い。脆い。情けない。

 いや、ゲス・エストの仕打ちにより恐怖に対する恐怖が強まり、恐怖への耐性が落ちてしまっていたせいだ。

 そういうふうにサキーユの思考を俺の中で勝手に補完する。


「キング・テラー、わたくしが自らあなたを処断して差し上げますわ!」


 キング・テラー。それが大臣の名だった。王ではないのにキングとは。もちろん、マジックイーターのトップでもない。

 名は体を表すというが、彼はマジックイーターの刺客として皇帝の座を狙っているのかもしれない。


「サキーユ、この私が誰だか分かっているのか! おい、サキーユ・クイン!」


 大臣が(ひたい)に粒の汗を浮かべている。(ほお)がひきつっている。もはやこの部屋の恐怖は彼が独占していると言っていい。彼だけが恐怖していた。


「ええ、分かっておりますとも。大した力もないくせに野望だけは大きく、その野望すらも借り物で、存在する価値すらない半端者ですわ。臣下の身でありながら皇妃に欲情する(いや)しい豚ですわ。もうじきただの肉の塊になる哀れで(みじ)めな生ゴミですわ!」


 大臣が再び壁に叩きつけられた。間髪入れず、天井へ、床へと自由落下以上の速さで叩きつけられた。

 攻撃はまだ続こうとしている。


「サキーユ、大臣を殺すのか? よさぬか! 大臣が死んだら、わしが困るじゃろ」


「わたくしを殺すか、大臣を見殺しにするか、どちらかを選んでくださいませ」


「陛下、お慈悲を! お助けを! これまで私は陛下に尽くしてきました。これからもその忠義は変わりませぬ!」


 皇帝、第三皇妃、大臣。いずれものっぴきならぬ状況に(おちい)った。もはや俺もリーン・リッヒも蚊帳(かや)の外、なんてことになるわけはない。


「困った。リーン、お主はどうすればよいと思う?」


「大臣を処断しましょう!」


 即答だった。さっきからそう進言している。それを突っぱねているのは皇帝だ。

 皇帝はそれを思い出したらしい。勢いよく頭をかき、椅子から立ち上がった。


「あー、やっぱり駄目だ。リーン、サキーユを止めてくれ。頭を冷やすべきなのじゃ。わしにはどちらも大事。サキーユが一番じゃが、大臣も必要なのじゃ」


「……分かりました」


 リーンがサキーユに向かって手をかざす。魔導師はそういう動作をしなくても魔法を発動させられる。一流の魔導師ならばなおさらだ。

 手をかざす理由は、第三者に魔法を使っていることを知らしめるためか、あるいは精密なイメージを要する繊細な魔法を使うかだ。


 リーンという最強魔導師の一角が魔法を使うというアクションを見せたことで、全員の視線がいっせいにそこへ注目する。

 リーンが集中しているならなお好都合。俺だけは焦点を皇帝に当てていた。

 リーンのように手をかざしたりはしない。誰にも悟られぬよう、皇帝の(のど)をめがけて空気弾を飛ばす。音をできるだけ(しぼ)るためスピードはあまり出せない。だから額では頭蓋骨(ずがいこつ)に防がれると思い喉を狙ったのだ。

 空気弾はわずかな距離のうちに加速され、その殺傷力を高めていった。


「ふん!」


 リーンがサキーユにかざしていない左手のほうを振り、俺の空気弾がかき消された。腕に振動を与えていたようだ。


「ほう、よく分かったな。発生型魔導師がどうやったら魔法を感知に応用できるんだ?」


「殺気だ。人の殺気を感じ取れないようでは剣士など務まらん。ゲス・エスト、貴様、サキーユ様を助けるのか?」


「俺が敵を助けるわけないだろう。ただ利用して皇帝を始末しようとしただけだ。ただ、ここからは違う。せっかくサキーユが大臣を殺そうとしてくれているんだ。そのサキーユを邪魔するなら俺があんたの邪魔をする」


 いまのリーン・リッヒは俺にとって、敵の敵の敵であり、つまり敵だ。裏向きには仲間だったはずだが、俺が皇帝をも狙う以上、彼女にとっても俺は直接的な敵になる。


「命が下った以上、私は全力で任務をまっとうせねばならない。加減はできんぞ」


「馬鹿言ってんなよ。あんたを倒したら、俺はそこでふんぞり返っているクソの役にも立たないジジイを殺すんだぜ。本気出すしかねえだろ。俺を一瞬でも(あなど)ればジジイは死ぬ。それを思い知れ」


「陛下、私はあなたを最優先でお守りいたします」


 先ほど皇帝がサキーユを止めろと命令したとき、大臣の顔は苦痛に(ゆが)んでいたが、その歪みの中には卑しい笑みが含まれていた。

 しかし状況が変わり、大臣の表情もわずかに変わった。表情の歪みはただの悲痛の歪みに変わった。


「私のことも同時に守ってくれ! おまえは世界最強の剣士だろ。帝国の守護者だろ!」


「この相手はかなりの手練(てだれ)と見受けられます。二人を同時に守るのは不可能です」


「陛下、どうか私のことも守るように命令を!」


「大臣よ、わしが死んだら元も子もないじゃろう。それくらいわしでも分かる。おまえもだいぶモウロクしてきたのではないか?」


 軽い苦笑の下にその発言はなされた。皇帝はそれを厭味(いやみ)ではなく本気で言っている様子だった。

 モウロクした皇帝をさんざん利用してきた大臣だが、開いた両目と口が(ふさ)がらなくなって呆然自失となった。


 大臣の体がフワリと浮く。そして、本来の重力とは反対方向へ加速する。


「ジジィィイイイッ!!」


 大臣の絶叫が響き渡る中、リーンがサキーユの邪魔をしないよう、俺は念のために皇帝へ空気弾を飛ばした。

 今度はもっと早く予見されていたらしく、振動魔法を直接ぶつけられた。弾丸形状に押し固めていた空気は解きほぐされ、漂う空気へと返っていった。


 ――ドシン!


 大臣が天井に叩きつけられ、血を吐いた。首を支える力を失い、頭が垂れる。

 そのタイミングで急降下。大臣が床に叩きつけられたとき、頭から入った。首が元来の駆動範囲を越えた曲がり方をしているように見える。


 皇帝は玉座に腰を落とし、背もたれに深く身を預けた。


「ああ、大臣が()ってしもうた」


 皇帝の力ない吐息にのって出てきた軽い言葉に、俺は思わず噴き出した。


「他人事じゃねーぞ、皇帝! 次はおまえだ!」


 それでもまだ、皇帝の表情に危機感は(いろど)られなかった。よほどリーン・リッヒを、リーンの強さを信頼しているらしい。

 彼の少し横では、床にぺたんと座り込んで虚空(こくう)を見つめたまま動かない第三皇妃の姿があった。

 第二皇妃らしき女性は皇帝の後方で、絢爛(けんらん)な小さい椅子に座っている。彼女はいまだひと言も発さず、ただただ傍観している。

 部屋を壁のように覆う帝国の守護騎士たちは、遠くから聞く街の喧騒のようなガヤを空間に充満させていた。

 レイジーの姿はない。


「エア、いるか? マーリンの捜索はレイジーに引き継いで戻ってこい」


「分かった」


 ここからは俺とリーン・リッヒの戦いだ。

 世界最強の一角を担う魔導師ともなれば、契約精霊は人成しているだろう。魔導師というのは契約精霊が人成すれば、精霊のサポートなしに魔法を最大限に活用できるらしい。

 さすがに()めてかかれる相手ではない。


「ゲス・エスト。あなたの(うわさ)はよく聞き及んでいる。しかし、ひとつ忠告しておこう。私の振動の発生型魔法は、振動が関連する現象種、それから液体と気体の物質種に対して相性がいい。つまり、あなたの魔法は私の魔法の射程圏内ということだ。それでも身を引かないか?」


「好都合だ。あんたが負けたとき、魔法の相性を言い訳にできないからな。俺も一つだけ教えておいてやる。あんたは重大なミスを犯した。もし俺に退いてほしかったなら、姿勢を低くして許しを請うべきだったな」


 リーン・リッヒは一度、目を閉じてからゆっくりと開けた。決闘者の目つきだ。口角をわずかに上げて笑っている。

 彼女の隙のない凛とした(たたず)まいには、壁から嘆息が出るほどに美しいものが感じられた。


「私は最強と(うた)われているが、(いくさ)は好まない。だが、リッヒ家の誇りを忘れたことはない。ゲス・エスト、そんなに私に人を斬らせたいか。噂どおりのゲス野郎だ、あなたは」


「ふん、ほざきやがる」

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