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第69話 学研区域①

 学研区域、イーター研究所。


 銀縁眼鏡の小柄な少女は、白衣の女性に応接室へと案内された。


「待っていましたよ、ええ、待っていましたとも、セクレ・ターリさん。どうぞそちらへ」


 白髪の中年男が、自分の対面にあるソファーへお座り下さいと手で示す。

 少女は不気味に笑う男の顔を見つめながら大きな黒いソファーの前へ移動し、無言のまま腰を下ろす。


「ウィッヒ」


 瞬間、少女の体に強烈な悪寒が走る。それは落下の感覚。悪夢から()める直前に感じることの多い、予期せぬ落下の感覚。

 しかしいま、少女の感じたそれは錯覚ではなかった。

 少女の体が黒い椅子を通り抜けて落下している。ソファーはホログラムだったのだ。そこに椅子は存在しない。

 そして、床も存在しない。床には四角く切り取られたような穴が開いている。


 少女はとっさに両手を伸ばした。穴の両端へはギリギリ手が届いた。

 か弱き少女が手だけで踏みとどまれたのは奇跡に近い。しかし、重力に長く(あらが)いつづけることは難しいだろう。


「ウィッヒヒヒ。待っていましたよぉ。ゲス・エストの仲間をぶち殺せるこのときをねぇ! セクレ・ターリさん、いまどんなお気持ちですか? 私が憎いですか? それともゲス・エストが憎いですかぁ? それどころではありませんかねぇ。どうやって体勢を戻そうかと考えていたりするんですかねぇ!」


 白髪の男はカツカツとわざとらしく足音を立てて少女に近寄ってきた。

 少女が見上げた先には、ひどく冷たい視線で自分を見下ろす男の顔があった。口は笑っているが、それは作り物だ。赤熱した鉄が冷えて黒ずむように、怒りの先にある冷酷無慈悲な目がそこにあった。


「あなたが落ちるまで、私がただ見ているだけだと思いましたか? そんなわけないでしょう。私の時間は大変貴重なのですよ。私の一秒間は、帝国軍人の訓練に費やす一時間にも匹敵する価値があるのです。だから、あなたが落ちないなら私が落としますとも。あなた、もしかしてあなたを蹴落とそうと私が足を伸ばしたところを、その足を掴んでやろうと考えていますか? あなたは見た感じだと堅実タイプのようですが、しかし枠から手を離す以上、私の足を掴めなかったら確実に落ちますねぇ。さあ、いきますよ。心の準備はいいですかぁ? えいっ!」


 白髪の下にある顔がニタァッと(ゆが)んだその瞬間、少女に強烈な重みが加わる。胸や腹だけではない。全身を上から押さえつけられる感覚。

 白衣の裾から見える足はさっきから動かされていない。見えない何かに押さえつけられている。

 いや、押さえつけられているだけではない。下からもひっぱられる感覚がある。


「ウィッヒヒヒ。こう見えて私も堅実でしてねぇ。私が落下するリスクを背負うはずがありませんよぉ。ビックリしてますか? 重力局所発生装置ですよぉ」


 少女の手が自身の体の重みに耐えきれず、ずるずると滑っていく。

 そして、ついに手が床の縁から離れた。

 吸気ダクトに吸い込まれた紙切れみたいに、少女の身体は勢いよく穴の中へと落ちていった。


「ごぼっ」


 少女が落ちた先は水の中だった。慌てて口を閉じる。

 周囲を透明な強化ガラスが円筒状に一周しており、出口は上にしかない。先ほど落ちた穴はすでに(ふさ)がっているが、幸いなことに上の方に空気がある。

 少女は冷静に上へと泳いで水から頭を出した。


 しかしこの水、普通の水ではない。どんな性質のものなのかは不明だが、紫色の水が普通の水のわけがない。

 ガラス越しに見える水槽の外の景色は、何かのラボのようだ。床も壁も無機質な金属性で、ところどころ腐食している。ときおりガンッと壁を叩くような音が響いてくる。


「――ッ!?」


 少女は体の異変に気づいた。

 水に浸かっている部分がチクチクしだしたのだ。

 やはりただの水ではない。


「ウィッヒヒヒヒッ!」


 聞き覚えのある高笑いが近づいてくる。

 金属の扉が開くと、そこには先ほどの白髪の男がいた。

 カンカンカンと金属床の音を響かせて、ゆっくりと近づいてくる。


「ウィッヒ、ウィッヒヒヒヒ! いい顔をしていますねぇ。無感情そうな人の恐怖する顔、大好物です。四番目くらいに好きなんですよぉ。ちなみに、上位三つも聞きます? 三番目は幸福そうな人の絶望した顔、二番目は温厚な人の激昂する顔、一番は自信家の悔しそうな顔です。蛇足ですが、五番目は人気者が恥を晒して赤面した顔です。ウィッヒヒヒ」


 少女は陰険に笑う中年男を無視して周囲を探った。

 ガラスは叩いても割れない。上に昇ろうにも滑って上れないし、昇ったところで蓋が閉まっている。


 そうこうしているうちに、だんだんと全身の痛みが増してきた。


「無駄ですよぉ。そうなってしまったら、もう逃れられるわけないじゃないですかぁ。それより気になりません? その液体の正体ですよ。気になりませんかぁ? それはねぇ、イーター合成液なんですよぉ。人間を生きたまま液状に溶かすんです。ま、生存の定義が意識の残存ならば、ですがね。溶けた体は二度と戻せませんから、そういう意味では死んでしまうんですがね。ウィッヒ!」


 少女が両手で液面を叩く。

 バシャバシャと飛沫が上がる。

 両脚をバタバタさせて液中に溶け込んだ気泡がブクブクと泡立つ。


「おやおやおや! どうやら痛みに耐えられなくなってきましたかぁ? 少しでも液体との接触を減らそうともがいているんですね? でも無駄です。衝撃を与えると、液体が撹拌されて溶解能力は高まるだけですよ。私としては、じっくりじわじわ人体が溶けていく様を観察しているのが好きなのですが、こうしてもがき苦しむ姿を眺めるのも嫌いではありませんよ。ウィッヒヒヒ!」


 液体の動きがだんだん静かになっていく。


 少女の体は溶け、頭部だけになった。


 そして少女の顔も、マッドサイエンティストを見つめたまま溶けてなくなった。


「ウィッヒヒヒ! さて、(えさ)やりの時間だ」

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