09 ユーカリという青年
ユーカリは、サンベリア王国の北端、ヴァンヌという街に住んでいるらしい。郊外の人気が少ない場所で、魔道具店を開いて生活しているそうだ。
ヴァンヌから東、馬車で半日の距離に王国でも有数の貿易港ククリがある。そこで商売をしている飲食店や宿屋を中心に取引をしているのだ。
商品を卸すというにはやや不便な距離ではないかとサリクスは思ったが、どうやらユーカリは風の魔法を使用しているため、通常より短時間で移動できるらしい。意地でも人が多いククリには店を構えないのだと、精霊王が説明していた。
噂に違わず人嫌いな男性なんだなと、サリクスはユーカリの店を見て確信する。
簡素な店だった。煉瓦で造られた建物は飾り気がなく、どこか威圧感がある。
当然だが壁も全て煉瓦なため、王都にある硝子張りで店内が見られるそれと違って、一見わかりにくい。
人目に付くよう壁に飾られた看板がなければ、魔道具店だと判断できなかっただろう。「ユーカリ魔道具店」という直球な店名だったのもありがたかった。
外からでは中の様子が窺えない。サリクスは仕方なく、おそるおそると扉を開けた。来客を知らせる鈴が、チリンチリンと鳴った。
店内も外装と同様、洒落気が無かった。棚に陳列している品物は几帳面に並んでいるが、それだけだ。
商品の表札すら置いておらず、客の不便さなど知ったことではないといった態度がありありと感じ取れた。
店の奥に精算を行なうのであろうカウンターがあったが、人はいない。サリクスは扉を開けたまま、奥に入って行った。
「あの、ユーカリ様はいらっしゃいますか……?」
自信の無い自分の声が、やけに遠くから聞こえた気がした。
サリクスは少し慎重になりながら、カウンターの奥を覗く。木材の机の向こう側には、まだ空間が広がっていた。
この奥にいるのではないかと、サリクスがもう一度名前を呼ぼうとしたら、背後から声が聞こえてきた。
「なんだ? そこで何をしている」
急に話しかけられ、サリクスはびくりと肩を跳ねさせる。
「申し訳ありません、店主を探していて——」
慌てて振り返り事情を話そうとして、サリクスは息をのんだ。
言葉を失うほど、美しい青年だった。
中性的な凛々しい顔立ちに、ローブからのぞくスラリとした体躯。頬や首には鱗があり、僅かに皮膚が青く変色し、硬そうだった。銀髪が風に靡き、太陽の光できらめいていた。
切れ長の目が、サリクスを捉える。瞳孔が縦に長い黄金の瞳は、まるでヘビのようだ。その目に囚われたサリクスは、自ら動くことができなかった。
「俺を探していただって? なんだ、アンタ客か?」
青年の訝しげな声に、サリクスがハッと我に返る。
彼はさっさと扉の前からカウンターまで歩いてきた。肩で担いでいた荷物を机に下ろし、サリクスに再度尋ねる。彼の言葉から、青年がユーカリだと、サリクスは理解した。
頭一つは背が高いユーカリに、サリクスはスカートを摘み少しだけ上げ、頭を下げる。
「いいえ。私はサリクスと申します。精霊王よりユーカリ様の世話を命じられ、ここに参りました者です」
わざと姓は名乗らなかった。正体を隠すわけではないが、セントアイビスの家名は世間に広く知れ渡っている。
ユーカリは人間嫌いで、特に貴族に対しては喧嘩腰だったとサリクスは聞いていた。自分が貴族だということを知らせるのは、得策ではないだろうと考えたのだ。
今のサリクスは、精霊王に用意してもらった平民の服を着用し、髪も一つに括っただけの姿だった。これならば、そう簡単に貴族だとバレないだろうと思ったのだ。
しかし、サリクスの予想は外れ、ユーカリはあっさりと彼女の正体を見破った。
「貴族のお嬢様が、俺の世話だと? 面白くない冗談だ」
突然不機嫌な声になったユーカリに、サリクスがハッと顔を上げる。
どうして正体がバレたのかと、驚く彼女に、ユーカリは顰めっ面で答えた。
「そこらの町娘は、そんな畏まった挨拶はしない。正体を隠したいなら、もっと所作に気をつけるべきだったな」
そう言ってユーカリは、机の端に取り付けられた両開きの扉からカウンターの向こう側へと入る。木材の机を仕切りに、サリクスと対峙した。
「それで? 庶民の暮らしも知らなさそうなお嬢様が、精霊王とやらに頼まれてこんなところまで訪れてきたと? 随分とまあ、舐められたものだ。俺がそんな作り話を信じると思われていたとは」
棘のある言葉は、明確にサリクスを拒絶していた。
サリクスは失敗したと思い、すぐさま謝罪する。
「申し訳ありません。身分を偽っていたことは謝ります。ですが、精霊王の命は嘘ではありません」
サリクスはユーカリに見せるよう、精霊を呼び出した。いくつもの仄かな光が、彼女の周囲に漂う。ユーカリの目つきが僅かに鋭くなった。
「見ての通り、私は精霊使いでございます。ユーカリ様が精霊界に住んでいたことは存じております。精霊から話を聞いてください。私が精霊王から頼み事をされたと、彼らが証言してくれるはずです」
一つの光の球が、ユーカリに近づいた。彼も見えているのだろう。人差し指に精霊を乗っけて、「本当なのか、フェアリー」と声をかけたのだ。
サリクスは地上だと精霊の声は何となくしか聞き取れない。たまに嘘を吐かれる時もあるが、今回は素直に話してくれたそうだ。フェアリーのたどたどしい説明に、ユーカリは納得したのか、精霊をサリクスの元に返した。
「どうやら、精霊王から命令されたことは本当らしいな。疑って悪かった」
ユーカリが信じてくれたことに、ホッと胸を下ろすも束の間。彼は、サリクスに冷たく告げた。
「なおさら、ここから去ってくれ」
「え……」
サリクスは固まった。精霊王の名前を出せば、その弟子であるユーカリは、仕方なくサリクスを受け入れてくれるだろうと考えていたのだ。
だが、ユーカリは先ほどよりも露骨に拒絶し、顔を顰めた。
「アンタには悪いが、俺はとうに精霊王と縁を切っている。今回の頼みは聞けない。俺は元気にやっている、もう二度と来るなと伝えておいてくれ」
ユーカリは机に置いた荷物を手に取り、サリクスに背を向けた。店の奥に入っていく彼に、サリクスは慌てて止めようとする。
「あ、あの! 待って、もう少し話を——」
「早く帰ってくれ」
ユーカリは振り返って、短く言った。
「……あ、あの」
「帰ってくれ」
素っ気ない言葉は、取り付く島もない。有無を言わさない彼の態度に、サリクスは諦めて店から出て行った。
(どうしよう、これから……)
サリクスは店の外に未練がましく立っていた。
さっさと精霊界に帰って、王に報告した方が良いと頭ではわかっている。だが、不思議とあそこに戻りたくなかった。
戻っても、何もすることがないからだ。何をしていいかわからないからだ。どうやって生きればいいか、サリクスにはわからないからだ。
サリクスは折角与えられた仕事をこなせず、精霊界に帰りたくなかった。罪悪感からではない。ただ、誰かの命令をこなしていた方が、彼女にとって楽だからだ。
自由を与えられても己がしたいことが見つからず、いたずらに時間を消費する日々は、サリクスにとって苦痛だった。己には何もないと、空っぽだと、常に突きつけられているような気持ちだった。
だからと言って、公爵家に帰りたいわけでもない。もう両親の言いなりは嫌だった。
己の矛盾した考えに、サリクスは疲れていた。
(もう、楽になりたい)
サリクスは壁に寄りかかるよう座り込み、顔を膝に埋めた。
晴れていた空が分厚い雲に覆われ、雨が降り始める。最初は弱かった雨粒が段々と強くなっても、サリクスはその場から動かなかった。
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