24 王子の訪問
「今日もお客様は来ませんねー」
サリクスは箒を手にしながら、ふよふよと浮いている緑色の球、シルフに話しかけていた。
店内はがらんと空いており、いるのはサリクスのみだ。店主であるユーカリも、今はいない。
「ユーカリ様が王都へ行って二日目。そろそろあっちに着いた頃でしょうか」
ユーカリの王都への出張が決まったのは三日前のことである。
どうやら王都に彼の親戚がいるらしく、身内間で大事な話し合いができたため、急遽王都へ赴く事になったのだ。
先日、ユーカリの身の上話を聞いていたサリクスは深く尋ねず、店番を快く承り、今に至る。
サリクスは店の床をあらかた掃き終えてから、カウンターの奥へ戻った。
椅子に座って、下級ポーションを作成する。慣れた手つきで作業していると、ガラス瓶に身に着けている髪飾りが映る。
先週購入した、青いビーズのピンである。
「……ふふ」
サリクスが思わず微笑むと、シルフが風で彼女の髪を靡かせた。
『なんで笑ってるの、サリクス』
「嬉しいからよ。ふふふ」
『ふーん。へんなの~』
シルフがからかうように風でサリクスの前髪を上げる。サリクスは仕返しに緑色の球を両手で挟み、ぐるぐると揉んだ。シルフが楽しそうな声を上げる。しばらく遊んだあと、緑色の球はふよふよとサリクスから離れ、店内を徘徊し始めた。
必要になったとき声をかければ戻ってくるだろう。サリクスはポーション作りを再開した。
(浮かれてばかりでは、ダメだけどね)
小鍋から漏れる蒸気を前に、サリクスはため息を吐いた。
(……いい加減、ユーカリ様に本当のことを話さないと)
サリクスはまだ自分の身分を明かしていない。最初はユーカリを信用していなかったため、今は告白するタイミングを伺っているためである。
ユーカリは真摯に自分と向き合ってくれている。サリクスも彼に報いるべきだ。
そう思う一方で、話して何になる、という考えもあった。サリクスの立ち位置は複雑だ。ユーカリが事情を知ったところで、どうにもできない。どうにかしてほしいとも思っていない。むしろ、彼を巻き込みたくない、とサリクスは思っていた。
お人好しなユーカリを巻き込んでしまうならいっそ黙っていた方が……だが、こんなに自分をよくしてくれている彼に、重要なことを隠したままだなんて……でも巻き込むのは……。
堂々巡りをしていると、来客を知らせる鈴が鳴った。サリクスは慌てて顔を上げる。
「あ、いらっしゃいませ――!?」
サリクスは息を飲んだ。思わず立ち上がり、椅子を床に倒す。
来客は開いた扉に寄りかかり、翠玉の瞳でサリクスを捉えていた。
「まさか、こんな田舎にいたとは。随分見違えたじゃないか、サリクス」
その姿に、サリクスは目を見開く。宮廷の普段着とは違う地味な格好だが、十年以上顔を合わせてきたのだ。彼女が見間違えるはずがなかった。
震える声で、彼の名を呼ぶ。
「ノエル殿下……どうして、あなたがここに」
「それは私の台詞だ、サリクス。おかげで手間取ってしまった」
ノエルが無遠慮に店へ入ってくる。サリクスが無意識に後ずさると、彼女の腕をノエルが掴んだ。
「サリクス。セントアイビス家に帰ってこい。公爵夫妻があなたを心配している」
「心配、ですって……!?」
頭に血が上り、カッとなって言い返す。
「あれだけ私を振り回しておきながら、どの口が。公爵家になど帰るものですか。私は死んだと両親にお伝えください。これ以上話すことはありません。お帰りになってください、ノエル殿下」
サリクスの反抗的な態度に、ノエルの目がわずかに険しくなる。
「猫を被るのはやめたのか? 慣れぬ威勢ほど見苦しいものはないな。王国の四大公爵の娘ならば、立場をわきまえ貴族としての義務を果たしたらどうだ」
掴んでいる手に力を込めれば、サリクスの顔が痛みで歪む。
反射的に声を上げた瞬間、店内で突風が巻き起こった。
『――っ! ――っ!!』
言葉こそ聞き取れはしなかったが、シルフが怒っているとサリクスはすぐ理解した。
飾っている魔道具の数々が風に乗り、ノエルに襲い掛かろうとする。サリクスは叫んだ。
「シルフやめて! 私は大丈夫だから!」
ノエルに魔道具がぶつかろうとした手前で、動きが止まる。怒っているシルフを必死に宥めれば、彼女は渋々と魔道具を元の場所に戻し、姿を消した。
ノエルは一連の流れに微塵も動じていなかった。サリクスが止めるとわかっていたのか、あるいは自分で対処できる自信があったのか。サリクスは「相変わらずですね」と腕を払った。
「ノエル殿下はよく私が何を考えているかわからないと仰っていましたが、私も同じです。殿下の望んでいることが、私にはわからない。いきなり婚約解消したかと思えば、今度は帰ってこいだなんて。一体、何を考えているのですか」
ノエルはサリクスに睨まれるも物ともせず、懐から一枚の紙を取り出した。
「どうやら、あなたは己の状況を理解していないようだ」
机の上に叩き出されたそれは、どうやら新聞の記事のようだ。
サリクスが訝しんで記事を読むと、目を見開いた。
「誘拐!? 私が!? まさか、そんな」
驚いて口を抑える。ハッとしてノエルを見れば、彼は記事を指差した。
「見ての通り、あなたは一夜にして行方不明になった次期王太子妃ということになっている。セントアイビス家どころか、王族にとってもとんでもない醜聞だ。あなた一人の我儘で問題を放置しておけないのは、理解できたか?」
「そ、そんな。ヴァンヌはともかく、ククリですらこのような噂、聞いてないというのに……」
「北方の新聞はフィルタ社一強だ。公爵は王都周辺の新聞社にしか協力を呼びかけなかった。貴族や商人ならともかく、ククリの住民まで情報が行き渡らなかったのだろう」
知っていたとしても噂するほど興味を持たなかったのかもな、とノエルは付け加えた。
「とはいえ、今、宮廷は混乱している。あなたの生死によって、それぞれ対応する内容が変わるからだ。たかが結婚相手一人決めるぐらいで馬鹿馬鹿しい……と、君は考えないだろう、サリクス」
「………」
「それを踏まえて、もう一度言おう。サリクス・セントアイビス。一度王都へ戻り、今後のことを公爵夫妻と話し合いなさい」
ノエルの命令に「知ったことではない」とサリクスは突っぱねることができなかった。
貴族として育てられてきた彼女にとって、責任を放り投げるのは愚かで蔑むべき行為であると身に染みているからだ。
しかし、ここでノエルの口車にすぐ乗るほど、サリクスは愚鈍ではない。公爵家に戻ってしまえば軟禁される可能性がある。警戒を露わにするサリクスに、ノエルは探るような視線をやった。
「……傍から見れば、ここの店主は、王太子の婚約者を攫った犯人にしか思えないな」
その台詞が脅しであると、サリクスはすぐ理解した。
「応じなければ、ユーカリ様を誘拐犯に仕立て上げると? 最初から、そのつもりで」
「さあ、なんのことだか。今の私は隠れて遊びにきた先で、たまたま君を見つけ、保護しようとしているだけだ。そういうことにした方が、互いに都合がいいだろう?」
サリクスは手を強く握った。うつむき、髪に飾っている青いピンに触れる。
(……ユーカリ様に、迷惑をかけるわけにはいかない。私の問題だ。大丈夫、大丈夫)
サリクスは決意を固め、顔を上げた。
「書置きと表の張り紙を作る時間を下さい。そしたら、殿下と共に王都へ参ります」
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