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悲劇のヒロイン

「人はなぜ、生きるのか」


まだ幼き頃、顎髭が似合う恩師に訊ねられたこの質問。

当時の私は困り顔でただ首を横に振ることしか出来なかったが、今ならばこう答える。


「死ねないから、生きている」








私は異臭が漂う貧民街の路上で這うようにして歩きながら、火で炙られているような膣の鈍痛に耐え忍んでいた。


(今日はまた一段と、激しかったなぁ)


私の右手には、2枚の銀貨を握りしめられている。


幾人もの血と汗と涙で錆びれたその銀貨で、私の生命はなんとか繋ぎ止められている。


私が暮らす国、聖フランソワ民国の市場は基本【金・銀・銅】の通貨で取引される。


相場は時期によって変動するが、小麦の収穫が好調だった今季ならば、銀貨2枚で2週間分の食糧は手に入れられるはずだ。

もちろん、贅沢しなければの話だが。


3日前に賊もどきに僅かな蓄えを強奪されてから、食べ物どころかまともな飲み水さえも体内に入れていないので、久しぶりの食事に今から浮き足立ってしまう。


10年前に起きた革命以来、国の治安が安定せず素性の知れない貧民街の住人でしかも女子供ともなると、仕事になかなか巡り会えない状況なので、今回はタイミング的にラッキーだった。


ハクスブル氏は、国内でも指折りの金持ちが暮らす一番街に暮らす資本家であるがそんな彼が特殊な性癖を持っていることを知っているのは貧民街に暮らす住民の中でもごくわずかだ。


「俺さぁ、汚い身なりをした女が大好物なんだよなぁ。なんだろう、泥とゴミにまみれて虫のように生きてるこの感じ?堪んないよなぁ」


ひょうたんみたいなだらしない身体を汗で濡らし、ハァハァと生臭い息を空気中にばら撒きながら、彼は私を使い捨てのおしぼりのように扱う。


正直、内容だけ見れば銀貨よりも金貨2枚の方が額としたら適切のように思えたが、自分がそんな身分に無いことは分かっているので、笑顔で銀貨を受け取った。


「またよろしくね、シェルちゃん」


その言葉が、私の今の人生の全てである。


もはやいつ尽きたとしても後悔も未練もない命。その命が、まだこの世にあるのはそんな物好きな変態のお陰と言うべきか「せい」と言うべきか。


「おにいちゃん。おなかすいた」


日夜問わず底辺同士の揉め事や精神的にイカれた人々の叫び声によって騒然としている貧民街の中心部であるが、そんな子供の声が魔法のようにスーッと耳に入ってきた。


声のする方を振り向くと、そこには2人の兄妹が身を寄せあって転がるように座り込んでいた。


「ごめんな。もう少し体を休めたら、また出発するから」


さほど妹と歳が変わらないであろう兄の方が、やせ細っていることから手に入った食料もほとんど妹に与えていることが伺える。


大人でさえなかなか仕事に巡り会えないこの状況で、子供二人で生きていく方法といったら1つしかない。


兄の体には、大人からやられたであろう痛々しい傷が、隠す余裕もないのか露わになっていた。


「ねえ、君たち」


私は気づいたら、兄妹に声を掛けていた。


見知らぬ女に声を掛けられて兄は警戒心をむき出しにしていたが、私が手の平に乗せた銀貨を差し出すと、戸惑いの表情に変化する。


「これ、あげる。通貨の使い方くらいは、分かるわよね?」


柔らかい笑みを浮かべながら、躊躇している兄の小さく汚れた手に半ば強引に2枚の銀貨を握らせる。


根は良い子なのだろう。目を輝かせる妹とは対照的に、兄は遠慮がちに首を振りながら握られた拳を私に突きつける。


「他人の厚意は、素直に受け取るのが人生の基本だよ」


恩師の言葉をこんな状況で借りることになるとは、当時の私は予想だにしなかっただろう。


遂に堪忍したのか、兄もここでようやくぶっきらぼうに頭を下げ「ありがと」と小鳥の囀りのような小さい声で礼を言ってくれた。


「お互い、強く生きていこうね」


兄妹の頭を撫でて別れを告げ、その場を後にした私は脳裏に懐かしい記憶を蘇らせていた。



まだ革命が起きる前。この国が【聖フランソワ王国】だった時代。


私がまだ「姫」と呼ばれていたあの頃を。



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