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「いきる」をする  作者: 江草 医草
「死ぬ」をする
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「死ぬ」をする 3

「あの子、親が見つかったんだって?」

「ああ、古橋。そうなんだ、何か進展があるといいけど。」

「つってもななぁ、進展もなにも。あのまま以外になんかあるのか?」

「いやまぁ…そりゃ、そうなんだけどさ。」

治療として、親が見つかることには何の影響もしない。

むしろ手間が増えるだけだ。家族に説明したり、同意を得たり…。

まして、あの娘に関しては、説明することも億劫だ。

なにせ治療ができないことを説明しなければならないのだから。

あのまま、目覚めないまま、ずっとそのまま…。

患者やその家族にとって希望のない説明をしなければならない気の重さたるや。

「それでも、状況を変えるきっかけになるかもしれないからさ。」

それは停滞した状況を変えたいという自分の希望でしかないのだが。


かくして、母親と名乗る人物が面会に現れた。

警察が言うには、彼女がこの病院に搬送されたころから、行方不明になった娘さんの捜索願いを出していた隣の県の方とのことだった。

とはいえ、特徴が合致していてもまだ確定情報ではない。なにせ、娘とされている人には何も本人を証明するものがない。

もしも彼女がこの人の娘でなければ、ふりだしに戻る。

しかし、その心配は幸か不幸か、杞憂だった。

「早希…。」

「娘さん、でお間違いないですか?」

「ええ…間違いありません。私の娘です…。」

その時、母親は娘が見つかった安堵とも、呼吸器に繋がれた娘に対する悲壮とも取れない表情をしていた。

いや。していた、というのは間違いであろう。何も、なかった。何も、変わらなかった、というのが正しい。

茫然自失するだけのショックを受けているのだろうか?ひどく動揺していないのは、この後のより非情な話をする身としてはありがたいのだが…。

母親の反応にやや違和感を覚えつつも、何かしらの前進を得た。その事実が自分にとっては重要であった。

「詳しい話をしなければいけません。こちらへ、どうぞ。」

「ええ…。ええ。」

母親を面談室に促し、早希と呼ばれて初めて人の要素を取り戻した彼女を置いて病室を出る。


「相田と、もうします。」

「相田さん、娘さんの早希さん、でお間違いないでしょうか。」

「はい。まちがいありません。娘、です。」

面談室には、草光と相田さん、また救命病棟の担当ナースとして斉東さんにも同席してもらっている。

「わかりました。状況など、警察から聞いていますか?」

「ええ…。橋から飛び降りて、たまたま車で通りがかった人が見ていて通報されたのだ、と。」

「そうなんです。目撃が早く、救助も早かった。怪我が致命的ではなかった。非常に運が良かったというしかない。」

「…」

「しかしながら、運の悪いこともありました。けがをした部位です。そして、その結果が運が悪かった。」

母親は黙って聞いている。

「早希さんは頭に重篤なけがを負っています。意識がない状態です。心臓が止まるような致命的な怪我はありませんでしたが、意識が戻らないでいる状態です。」

「意識が…ないんですか。」

「はい。意識がなく、自分で呼吸をするということができません。なので見ていただいたように、人工呼吸器で代わりをして、なんとか生きています。」

「なんとか…。治るの、でしょうか。」

「治るか、に関しては、わからないとしかお伝えできません。本人の力次第、と言う他ないかと。」

「どうして…?人を治すための病院でしょう…?」

「脳の障害に関しては、医療で治すことは、基本的にできないんです。自分で脳の細胞が復活していくような治り方をしてくれれば治るかもしれませんが…」

ああ、しんどい。こういう説明は、本当にしんどい。

治せるものなら自分だってとっくにしているんだ。

ここを一から説明しなくてはいけないことは本当にしんどい。

「先生、横からごめんなさいね。相田さん、まずは今の状態からお伝えさせてください。これからのことはまた説明します。」

斉東さん、ありがとう。こういうパスは非常に助かる。同席しておいてもらってよかった。

「そうですね。まずは怪我の概要から、説明しますね。頭の怪我とお伝えしましたが…」

検査結果と合わせて、怪我の全容を伝えていく。

といっても、頭意外に大きなけがはなかったのだが。

母親も先ほどの反応以降は押し黙って聞いているように見える。といっても、頭に入っているのかわからないが。

やはり気になっているのは意識のことだろう。無理もない、大切な娘が意識がないなどと言われて動揺しないわけがないのだ。

「…と、ここまでが怪我自体の説明になります。」

「…はい。はい。わかった、ような。とりあえず頭以外は無事ということですよね。」

「そうですね、一番の問題はやはり頭への影響です。そして、これからのこと、です。」

「これから…。」

「そう、これから、です。今なっていることに関してはもう、取り戻せません。これから何ができるか、が大事です。」

「でも、治せない、んでしょう…?どうするというのですか。」

「仰るとおりで、頭自体は、残念ながら誰にも治す、ということはできません。治るのを見守るしかない。だから、見守るための準備だったりが必要なんです。」

「見守るための準備?」

呼吸器の管理を継続するための気管切開という手術。栄養を投与するための方法。見守りが長期間化するなら、地元の病院に移ってもらうこと。

この辺りの説明は、自分で準備したものではない。上級医に教えられたほぼそのままを、お伝えしていく。

こういった話は、もう定例通りでしかないのだ。あの子の心臓が止まらない限り、せざるを得ないものだ。いつまでもここに寝ていてもらっては困るのが正直なところだ。

「地元の…病院ですか。それは…。」

「ああ、大丈夫ですよ。その話を進めるのはもっと先の話です。その前にー」

と、ここまで説明したところで定例通りでないことが起きた。

ブー、ブー、と携帯電話が鳴ったのである。

相田さんは明らかにビクッと体をこわばらせた。

そして、恐る恐るこちらを見る。

「…大丈夫ですよ、相田さん。出ていただいて、問題ないですから。」

「いえ、あの…申し訳ない、んですが。ひとりに、してもらえませんか。」

「あ、それなら、廊下でー」

「あ!いえ!」

声を荒げる相田さんに我々も仰天する。

「ここで、ひとりで、電話、させてください…。」

…どういうことだろう。そんなに誰かに聞かれてはまずい電話なのだろうか?

しかも、それをこちらに出ていてくれ、とは珍しいことを言う。

気弱そうなこのお母さんにしては、少し不遜にすぎる気もする。

「…ええ、わかりました。終わったら、また、声をかけてくださいね。」

斉東さんとも目を交し合うが、どうにも普通でないその様子にこちらも気圧されるしかなかった。

退室する際に携帯電話を握る相田さんが明らかにおびえている風なのを尻目に、いったん面談室を退室したのであった。



「先生。絶対変ですよ。」

退室させられてしまったので、斉東さんと二人、ナースステーションまで出て来たら開口一番これである。

でも、もっともなご意見だとも思う。

「そうだねぇ、僕らに出ててくださいとは。大きく出たもんだ。」

「違いますよ、そこじゃなくて。いやまぁ、それもですけど。あのお母さん、あまりにも冷静過ぎませんか?」

「ええ…?そんなに変かなぁ。かなり落ち込んでいるように見えたけど」

「そりゃそうですよ、だってあの年の娘ですよ?探してた娘があんな状態になってるって聞かされて、あれだけのリアクションしかないなんて。」

「感情が表に出てきづらい人もいるから、そんな感じかと思ってたけど。」

「あの年でそんな風になるもんですか。絶対、変。」

「女の勘ってだけじゃ、なさそうだね。」

「先生。冗談言ってる場合じゃないですよ。」

「あら、ごめんごめん。でも、普通じゃないってのは僕も最初から思ってたことだけどね。」


「あの…」

電話を終えたらしい相田さんが声をかけて来たのは、その時だった。

「すみませんでした。先生、お時間いただいているのに…」

「それは大丈夫ですよ。お話し、すみましたか?」

「はい。それで、あの子のことなんですけど…。」

「ああ、話の続きをしないとですね」

「いえ、大丈夫です。あの子のことなんですけど…楽にしてあげることは、できますか?」

「え」

まったくもって普通ではないその提案に、驚きの声が出てしまった。

「楽に、とは。死なせてくれ、と、そういう、意味ですか?治療を、しないと。そういうことですか?どうして。」

「あの子は、一人では生きていけないんですよね…?」

「え、ええ…。自分一人で生きていくのは、難しいでしょうね。」

「それなら、保護者の私からの、お願いです。あの子は、がんばってくれたから…もう、楽にしてあげてほしいんです。」

そんなことは、こんなすぐに勢いだけで決めることではない。

まったくもって、受け入れがたいその提案の真意も分からない。

「待ってください、相田さん。それは、そんな、すぐにぱっと決めることじゃない。心臓が止まったりするにはまだ時間がある。慌てなくていいんです。なんでそうお考えになるのか聞かせてもらってもいいですか?」

「ごめんなさい、先生。でも、私はー私たち、あの子の両親は、あの子にこれ以上生きていて欲しいとは思いません。」

「さっきの電話…。旦那さん、ですか?」

斉東さんがそう問いかける。

「ええ…。話をして、決めました。あの子のこれ以上の治療を、私たちは望みません。」

そういうことは、高齢者では往々にしてある。意識の回復の見込みがなければ、延命治療であろうと。

それなら、もう苦しめないでやってくれと、そういう家族も確かにいる。

だが、あんなに若い、自分の子供の最期を願う親がいるものだろうか。


「せ、せめて旦那さんとも話をさせてもらわないと」

「だめっ!」

相田さんが急に声を荒げる。

思いもよらない提案に動揺していた所に想定外の反応をされ、もう呆気にとられるしかなかった。

「やめてください。あの人には連絡を取らないでください。」

あまりにもすごい気迫に気圧され、声もでない。

「相田さん…。先ほどの電話。なにか、あったんですか?」

斉東さんがそのただならぬ雰囲気を察して声をかける。

「いえ…。なにも。なにも、なかったんです。だから。もう、いいんです。」

なにもなかったから、とはどういう意味だろう。その言葉に少し疑問を持ちながらも、明らかに並々ならぬ気迫に気圧される。

「相田さん…?」

「あ…ごめんなさい、先生。看護師さん。あの子のこと、よろしくお願いします。もう、苦しめたくないんです。」

「相田さん、それは」

「先生。今日はいったん帰ってもらいませんか?慌てて決める必要がないのは、先生がおっしゃったことでしょう?」

「そう、ね。相田さんが落ち着かれてから、もう一度話してもいいことですから。一度お家で落ち着かれて、旦那さんとかともしっかり話をしてから考えましょう。それでもいいですか?」

「…わかりました。また、来ます。絶対に。そうします。」


そうして相田さんは帰っていった。その背中は、来た時のようにやや頼りない印象に戻っていたが、先ほどの気迫はなんだったのだろう。

自分が思い描いていた流れとあまりにもかけ離れた対応になってしまったが、少なくてもこの一歩は皆にとって大きな一歩のはずである。

早希さんにとっても、相田さんにとっても。我々にとっても、一歩である。


しかし、その一歩もまた、僕の思い描いていたそれとはまたかけ離れていたことを、思い知ることになる。


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