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「いきる」をする  作者: 江草 医草
「死ぬ」をする
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「死ぬ」をする 2

「今日もおかわりない、ね。」

草光は診察ついでに刺激を加えてみたが、まったく反応のないその患者に呼びかける。


数日の経過で、彼女は「一命をとりとめた」という状態にはなっていた。

担当医として自分が今まで見て来た人は比較的軽い部類で、本人と会話ができたりすることが当然だった。

しかし、彼女は反応がない。草光にとっては初めての経験であった。

話しかけて返事がないことが、こんなにもどかしいとは。


さらには「彼女」は未だに名前がない。正確には、名前がわからないままである。

遺書もなければ持ち物もない、この地域においては警察に届けられる行方不明人も人口に比して相応にいる。山岳地域が多く、山に付随するレジャーを観光産業のひとつとするこの県では、山があるばかりに起きる事故も相応にあるのだ。県民かどうかもわからないとなれば、その足取りを探すのは困難なのである。

警察が身元を捜索しているが、確実にこの人物だ、と言い切れる人物の確定が取れないままであった。


またネックになるのは外傷の部位である。

彼女は重症頭部外傷-要するに脳、とくに大脳へのダメージが深刻な状態である。

脳は、人の生命活動に必須の臓器である。大脳は意識や神経活動の中枢であり、その障害を劇的に回復する手段はない。医療者は悪化しないように管理できても、治すことはできないのである。本人の力で治っていくことを期待するしかないのだ。

もしも治っていかないのならば、彼女が目を覚ますことは今後もないかもしれないことを意味する。

永久に、目覚めないーしかし、それはいわゆる心臓が止まる、生物としての死とは、違う。

脳の中でも心臓などを自律的に動かす部位、脳幹と呼ばれる部位には傷害がないのだ。

彼女の若い心臓は、まだ当分動き続けるだろう。

呼吸は人工呼吸器が代替している、栄養は経鼻チューブから流し込んでいる。

心臓は止まらず、呼吸は機会まかせ、飢餓状態になることもない。


彼女は、間違いなく生きている。

しかし目覚めず、反応も何もできない。

この人は、生きてはいる、のだけれど…。でも。


「おかわりないですよ。ずっとこのまま。」

「あら。聞いてた?」

いつの間にか病室に入ってきていた斉東さんに、独り言のような呼びかけを聞かれていたらしい。

少しばつが悪い。

「ほんとに、おかわりなし。顔も腫れがひいてきて、見れる顔にはなったけど…」

斉東さんが顔をなでながら、彼女のことを見つめる。

そのしぐさは、きっと彼女のことを慮っているのだろうと思う。

だが、自分はここ数日、この人を診ている気がしなかった。

意識がない。返事も、わずかな反応すらもない。名前すらあるかわからない…。

「…草光先生?大丈夫?」

「…え?あ、すみません。」

「なんで謝るのよ。変な先生。」


ちょうどそのとき、院内PHSがなる。同期の一人、古畑からの電話だ。

「草光、すまんけど助けてくれ。外来がやばい。」

電話の向こうでは上級医たちの怒号が聞こえる。

さっき来ていた外傷患者の対応中なのであろう。

自分は病棟患者の管理のために居残りをしていたが人手が足りないほどの重症らしい。

「了解、行くよ。斉東さん、伝言頼んでいい?患者で困ったら僕に連絡してって。」

「はーい先生。うけたまわりました。」

急ぎ、外来に向かう。

応援を呼ぶことになるとはどれほどの外傷だろうか。

そして、どうしてもこう思わずにはいられない。

頭は無事であってほしい。


―――

「あー…疲れたな…」

「まじで、な。やっぱ重症外傷は大変だわ…草光、助かったわ。ありがとな」

古畑とふたり、外傷対応があらかた片付いて今は医師の控室である。ちなみにもう夜は更けている。

昼過ぎからこの時間まで管理に手がかかる、まさにぎりぎりの対応だったと言わざるを得ない重症だった。

「でも、やっぱ上の先生がたってすごいよなぁ。死んでてもおかしくないかもしれないって外傷だったのに。」

「なー。輸血とか必要な量も全部想定済みで準備してて。診察の対応とか評価とかしながら、あのスピードで血管内治療とか手術まで行けるように采配まで全部してるしさ。化けもんだよ、化けもん。」

笑いながら話す同期は疲れていても元気があるように感じる。他の先生方も初期の治療や今後を手術にあたる医師に引きついでいるのに、まだ手術の様子をうかがっているようだ。熱意で補っているのか、体力が尋常ではない。

「いや、ほんとに…脳みそと体が二つずつあって別々に働いてんじゃないのか。」

脳みそが二つ。古畑のその些細な冗談に反応してしまう。

「…なら一個くれればいいのに。」

ふと、そんなことをつぶやいてしまった。

「何言ってんだ、お前じゃ先生方みたいに使いこなせないって。」

「あ、いや。俺にじゃないよ…そんなのわかってるって。俺じゃなくて、あの子に、さ。」

「ん?ああ、お前の担当してる子な。どんな感じなん?」

「なにも。何も起きない。し、何もできない。」

「ならいいじゃん。別に、大変でもないだろ?」

「大変じゃないけど…。」

気味が悪い。とは、流石に口に出せなかった。

「ま、考えたってできることはないんだし。ゆっくり診てくしかないっしょ。」

「そうだな…。」

「なんか困ることあるのか?」

「まぁ、大変じゃないんだけど。手がかかるわけじゃないし、見守ってるだけだから。」

でも。あの『人型の何か』をずっと診ていないといけないのかと思うと、気は重い。

「なんだよ、どうした。疲れておかしくなっちゃったのか?」

「まぁ、確かに今日は疲れた…。あんま深く考えずに、休むか。」

「おう、そうしようぜ。また大変な患者が次いつくるかもわかんないしな。」


そう。正直、たったひとりの患者に入れ込んではいられない。まして、当面死にそうにない患者には。

手をかけなくても生きていてくれる一人に対して、そのすぐそばには目を離す余裕のない、生きている患者がいる。それは外傷でも感染症でもなんでも、治って生きていくために必死な患者たちだ。その治療を担うのは患者を生かすために必死な医療スタッフなのだ。

自分以外は。最近、感じていたこと。熱意がない、という感覚。それは、自分の疲労に対する耐性や、単純な技術の才覚とは違った。あの少女を診ていくうちに、はっきりと自覚した。


自分は「生かすこと」を必死にできない。


あの少女は、ほうっておいても生きていく患者だが…生きていると思えないでいる。

死んでいないだけで、生きてはいない。

ならば。

いや、そんなことは考えても仕方ない、それは自分たちにはできないのだから。

そんなことはわかっている、わかってはいるが…


帰宅する前に彼女の前に立ち尽くす。

どうしても、考えずにはいられないことがある。

「あなたは…」

「あら、先生。まだお帰りにならないんですか?」

いつの間にか病室には斉東さんがいた。

「!…ああ、いや。僕はもう帰るところですけど。夜勤だったんだ?」

ひとりごとを聞かれてしまったかと驚く。

「そうですよ、夜勤前にちょっと仕事を頼まれてたので早く来てたんです。」

「そっか、大変だね。夜勤大丈夫?」

「昼間の先生がたほど大変な仕事じゃないですから。…先生の大切な患者さんは見とくので大丈夫ですよ。任せてくださいな。」

「大切、か…。…ねえ、この子は、どうだったんだろう。どう思う?」

「…?どういうことですか?」

「だってこんなに家族が見つからないことなんてあるかな。まだ子供なのに。」

「それは…確かに変かも、ですね。」

「それに、自殺の仕方も本気だ。『自分』がわかるものを何ももってなかったんだって。財布も、何も。」

「確かに。あそこって結構な山の中ですよね、どうやって行ったんでしょう。」

「行くだけでも、準備していたんじゃないかな。あるいは何かそうするだけの感情があった…。」

「そんな事情がこの子にある、先生はそう思っているんですか。」

「わからないけど。何か事情はあったんだと思う。突発的な自殺だけなら、あんなところに行く必要がないから。」

「確かに、そうですよね。山の中のつり橋なんて何もなしでいけるわけがないですもんね…。」

「僕にはこの子が、家族に大切されてる、ってのがどうしてもイメージできなくてね。」

「…この歳の子、ですよ?まさか…」

「まさか、なんてことはいっぱいあるんだってのが最近の僕の感想です。」

「ここにいるとそうなっちゃうんですか。」

そう、世の中には思いもかけないことがおきる。それはまた別のお話しだけれども。

この人がこうなるまでの過程は、明らかにおかしい。

他の先生がたも、ここで生きているこの人に手をかけようとはしない。

いや、手をかける必要もない。治療としてできることは何もないのだ。

医者としては見守ることしかできないのだ。ならば、それ以上は手のかけようがない。

「まぁ、ここでやっていくには、考えすぎたらだめなのかも、しれないですけど。」

「…先生、今日は早く帰りなよ。外傷の人で大変だったんでしょ?疲れてるからネガティブになってるんじゃない?」

「そうかも、しれないですね。それでは…よろしくお願いします。」


帰り道。

動くことも目覚めることもない、死んでいない「人形」。

あなたは。

生きていたかったのだろうか。

死にたかったのではないだろうか。

生きていないのではないか。

死んだ方が、いいのではないだろうか。


自分のこの問いにももう、応えてはもらえないのかもしれない。

目覚めることがない、あの娘の思いは、今はもう誰にも確認する方法はない。

いつか、心臓が止まるだけの何かが起きるまで、彼女は死ぬことがないまま、在り続けるしかないのだ。

それを見守る自分には、彼女に何もしてあげられない。

彼女が望んだ、死ぬということに関して、手を貸すことはできない。

「僕は…医者に向いていないのかな。」

手がかからないのではない。

手をかけられないのである。


しかしながら、転機は突然訪れる。警察からの一本の電話。

彼女の母親が、見つかったのであった。

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