胸騒ぎの、予感
私は李月さんからの依頼を受けに鈴屋へと歩いていた。
実は、半年程前に李月さんの奥さんが、赤ちゃんを産んだのだ。
最近は奥さんの代わりに、李月さんが面倒をみることが増えたのだが、接客もあるので私も頻繁に顔を出して、お世話を手伝うのだ。
今回もピンチヒッターらしい。
果たしてこんなモヤモヤした気持ちで、赤ちゃんに会ってもいいのだろうか。
私は少し悩んだが、早くさっきの事を忘れられたかった。
とにかく今は気持ちを切り替えたい。
申し訳なくも思ったが、私はこのまま鈴屋に向かうことにした。
「あ! ひなたちゃんじゃない」
後ろから声をかけてきたのは一葉くんだ。
手には赤ちゃん用のミルクを持っていた。
「もしかして、一葉くんも鈴屋に行くの?」
「そうそう、可愛い姪っ子の為に買い出し行ってきた」
そう言って嬉しそうに笑う一葉くんの笑顔に、私は心底ホッとした。
鈴屋に着く前に、彼に会えて良かった。
お陰で少しの間だが、さっきの事を忘れることが出来たから。
そのまま一緒に鈴屋に向かっていると、突然一葉くんが足を止めた。
「どうしたの?」
「いや……。 何か妙な気配を感じる」
「え……?」
私は周りを見回したが、何も感じない。
一葉くんは『烏』の血を引く一族で、ちょっとした違和感にも敏感なのだろう。
すると、一葉くんの表情が少し険しくなった。
「ひなたちゃん、こっち来て」
そう言って私を路地裏へと連れて行き、何かから身を隠す様に二人で息を潜めた。
「念の為これ着てて。 これなら何かあった時に上手く隠してあげられるから」
そう言って一葉くんは、持っていた紺色の上着を私の肩にかけた。
以前よりも厳重な対応に、何だか胸騒ぎがする。
何か良くない事でも起きるのだろうか……。
すると、向こうから満月さんが歩いてきたのだ。
『満月さん!』
私は小声で名前を呼んだ。
『ひなたちゃん、何で知ってるの?!』
『さっきお店で、たまたま一緒に本の話をしたの』
『なんだって……』
満月さんと弦太くんは、さっき二人で何か話していた。
だから二人でいるはずなのに、今は彼の姿が見えない。
そして満月さんの表情が少し暗い。
一緒に本の話をしていた時は、あんなに楽しそうだったのに。
弦太くんと話していた時の表情も、もっと柔らかかったのに。
何だろう。
私の中が、どんどんざわついてきた。
すると、突然満月さんの背後から、何か黒いものが彼女に襲いかかった。
満月さんは直前で気づいたようで、その奇襲を回避し距離をとった。
動物? 違う、人の姿に見える。
そしてあの服装、見覚えがある……。
「弦太……?!」
一葉くんが先に気づき、驚きのあまり声に出した。
フードを被っているが、そこからちらりと見える顔は、確かに弦太くんのようだ。
けれど、纏っている雰囲気がおかしい。
まるで荒振る獣のように、敵意を剥き出し血で染めたような朱い瞳で満月さんを狙っていたのだった。