1話
「...また、同じ夢...」
春。
花や土や水の匂いが混じる季節。
人々は、いわゆる「春の匂い」を吸い込むことで新生活を予感し、色とりどりの花を見て目を綻ばせるのだろう。
私、久礼野 華燈にとって、それは難しいことだった。
私にとって、春は涙の季節だからだ。
暦上春となって数日後、私はとある夢をみる。誰かと、花を見に行こうと約束する夢だ。そしてその夢を見た日は、決まって涙を流して起きる。
ただ、花を見に行こうと約束するだけ。たったそれだけなのに、私は悲しいと感じるのだ。
約束の相手は誰なのか、ちっとも検討がつかない。顔も姿も、夢から醒めた時には既に忘れている。台詞は覚えているのに、声は覚えていない。というかそもそも、過去に誰かと花を見に行く約束をした覚えがない。
一度だけならまだしも、毎年同じ夢を見るのだ。正直気持ち悪い。そしてその夢を見たあとは、どんなに綺麗な花をみても、何かがせりあがってくる気分がして、訳もわからず悲しくなる。そして、訳も分からず歓喜するのだ。
花を見るたびに、「何か」を思い出そうとする。「何か」を思い出そうとするから悲しくなり、同時に歓喜する。二律背反だ。
その「何か」については、皆目検討もつかない。
何もかもが分からないのだ。
分かるのは、約束の相手が穏やかに笑っていることと、悲しくなることだけ。
「...顔洗おう」
新生活が始まるというのに目を腫らすなんて、本当に最悪だ。
これだから春は好きになれない。
ある程度目の腫れが引いた後、メイクをし、髪を巻く。私の髪は、何故か赤みを濃く帯びている。親は父母共に綺麗な黒髪であるにもかかわらず、だ。親戚にも黒髪か濃い茶髪しかいないらしく、母は不貞を疑われて大変だったらしい。ちなみにちゃんと父は父だった。
突然変異であろうこの髪は気に入っている。染髪だと疑われて呼び出されたり、黒染めしろと言われたことがあったりと大変なこともあったが、珍しく、そして綺麗な赤髪は私にとって自慢のものだ。
「よし、今日も可愛い」
綺麗な髪に加え、私はそれなりに整った容姿をしている。
陶器のように白く滑らかな肌。赤みを帯びた、星が埋め込まれたように輝く瞳と、それを守るかのように長く伸びた睫毛。そして、花びらのような唇。
もちろん、美のための努力はしている。だがそれを抜きにしても、恵まれた容姿をしていると言っていいだろう。
そう、私は恵まれている。
整った容姿に、珍しい髪色。
よく回る頭に、努力を継続できる力。
弁護士の母と、大企業に勤める父。
そして―――
「あっ、おはよう華燈!」
学校の王子、阿緒伊 聖斗が幼馴染だからだ。
聖斗とは、生まれた頃からの仲である。
私が生まれた1時間後に、同じ病院で聖斗が生まれたのである。出産予定日はあと3ヶ月後だったのにも関わらず、急に産気づきそのまま出産となったため、生まれてすぐの聖斗はとても小さかったらしい。
「今年もよろしくね!」
それが今じゃ、180cm越えの高身長である。
ぺかっという輝く擬音がつきそうな笑顔を浮かべ歩み寄ってくる聖斗は、私より随分と高い。私も165cmと女子にしては高い方なのに。
誰もが見上げる身長。程よくついた筋肉。
濡羽色と表現される黒髪に、アーモンド型の黒い瞳。
鋭い眉も相まって、纏う雰囲気は冷たい。
一見クールに見えるが、話してみると犬のように人懐っこいギャップにやられる生徒は多く、私たちが通う大学では王子と呼ばれている。
そう。彼とは生まれた頃から、20歳となる今までずっと、同じ学校に通っている。
このことを知った人たちは全員、「仲が良いんだね」と言う。私はそれに対し、ただ苦笑いを浮かべるだけだ。
別に仲が悪いわけではない。思い出も沢山あるし、彼も私に懐いてくれている。嫌いではない。
嫌いではないが、複雑だ。
私は彼を見るたびに、春に咲く花をみるときの気分に陥るのだ。