旅立ち
キヤルは困っていた。
悩んでもいた。
大鬼討伐の後、街に帰ってから、シアンからある提案をされた。
節約のために同じ部屋に泊まろうという。
それは良かった。
問題は部屋にベッドが一つしか無い事だ。
厳密に言えば、それも問題ではない。
キヤルが床で、毛布に包まって寝ればいい。
雨露が凌げれば御の字だった。
真の問題は。
「一緒に寝れば良いじゃない」
この言葉だ。
「子供が変な遠慮しなくていいのよ?」
これも困る。
旅と戦いを通じて仲が良くなったのは良いが、子供扱いされるのは、困るのだ。
確かに、身体は清らかな子供の物に違いない。
しかし、その心には、スカーレットの伽の相手をさせられた記憶と経験が有る。
女の体が気持ち良い事を知っている。
「いえ、子供といえ、僕は男です。軽々しく女性と同衾するわけにはいきません!」
ここで折れては安らかには眠れない。
「大体、何故、一人部屋なんですか?」
「お金を節約するためだって言ったでしょ」
「聞きました。しかしですね、普通二人部屋でしょう?それでも二部屋取るより安くすむんですから!」
「一人部屋が一番安いのよ?」
「知ってます。でも、シアンさんは女性で、僕は男です。ベッドは二ついるんですから、二人部屋を取るべきでしょう。いえ、ベッドが一つでも構わないんです。一緒にベッドに入る訳にはいかないと言ってるんです!」
「だから、子供が遠慮しないでって言ってるでしょう」
こんな堂々巡りのやり取りをずっとやっている。
「もう!子供は大人の言う事を聞きなさい!」
「シアンさんだって大して大人じゃないんですから、大人風吹かさないでください!」
「私、十五だもーん、大人だもーん、キヤルは幾つだっけ?」
それが大人の物言いか。
「十歳です…」
「ほら、子供だよねー」
この場合、我儘を言っているのはキヤルの方だ。
男女の別があるとはいえ、大人と子供だ。
一緒に寝るのに何の問題も無い、と考えるのが普通なのだ。
シアンが納得するかもしれない言葉が一つある。
貴女に欲情したら責任取ってくれるんですか?
こう言えばシアンも引き下がってくれるかもしれない。
しかし、そんな事言えない。
恥ずかしい。
恥ずかしいのを我慢して言ったとしても。
子供が何を言ってるの?
で、終わってしまうかもしれない。
結局のところ、身も心も子供なのだ。
シアンは納得せず、押し切られたキヤルは結局、同じベッドで寝る事になった。
シアンはベッドに入るとすぐに寝息を立て始めた。
シアンは、寝付きも寝相も良い。
それは一緒に旅をして知っている。
そっとベッドから出て床で寝る準備をする。
始めからこうすればよかったと、溜息を吐く。
困っている事は別にもある。
この先、どうすれば良いのか。
やり直すと言って、時間遡行したのは良いが、一年と数か月だけ遡っただけ。
シアンに関しては、性格が歪む前に出会えて上手くいったが、他の二人は既にダメ人間になっている筈だ。
更に遡る事は出来ないし、意味も無い。
魔血魂はもう無いし、これ以上遡ることが出来ても、更に幼くなるだけで、余計に動きにくくなる。
スカーレットとロックに関しては、シアンにしたように悪人にならないように導くのではなく、既に悪人になっている二人を更生させないといけない。
それにやり直しさせたい人物はもう一人いる。
どうすれば良いのだろうか。
キヤルは他人の記憶を読んで知識だけはある。
しかし、その知識をどう使って良いのか分からない。
知識だけが幾ら有ったとしても、キヤルは十歳、時間遡行した事を考慮しても十一歳か十ニ歳位の精神年齢という事になる。
圧倒的に経験が足りない。
それを積む時間は無い。
それに子供の見た目も問題だ。
どうしても言う事の信憑性が下がる。
先程のシアンとの口論も、キヤルが大人ならもっと簡単に話が付いた筈だ。
いや、そもそも口論にさえ、なっていないだろう。
「早く大人になりたい…」
言っても詮無き事と思いつつも、つい愚痴ってしまった。
翌朝。
キヤルは旅に出たいとシアンに申し出た。
何をするにも相手に接触しないと話にならない。
シアンは快く承諾してくれた。
承諾しなかったのはギルドだ。
この街のギルドを中心に依頼をこなすべきだ。
キヤルの後見役としての意見だった。
ここでも子供だという事が足を引っ張る。
しかし、意外な所から助け舟が出た。
エイス達である。
曰く。
「坊ちゃんは世界を救う器であります。この様な片田舎のギルドに縛り付けるより、世界を旅して経験を積むべきだと愚考するであります」
「坊ちゃんは既に一人前であります。このギルドで教えられる事は皆無と思われます」
「こんなギルドで飼い殺しにするなんて、ギルドマスターは魔族のスパイでありますか?」
あまりの言い草にギルドマスターの怒りを買ったが、旅に出る許可は下りた。
しかも三人は餞別だと言ってお金をくれた。
大鬼討伐の報酬が全て二人の物になった。
「こんなにしてもらうのは悪いですよ」
一度は断ろうとしたが。
「いや、受け取ってください。これは自分たちを真人間にしてくれたお礼でもあります」
「今の自分達にはこれくらいしか感謝を表す術が無いのであります。なんなら少なすぎるぐらいでありますよ」
「多過ぎると思うなら、いつか帰って来た時、返してくだされば良いのです」
不器用な再会の約束。
「分かりました。有難う御座います」
快く受け取り、三人と笑顔で別れた。
「何処に向かうの?」
出発してからシアンが聞いてくる。
「ある人物に会うために南へ向かいます」
「街道沿いに?」
街道沿だと一旦東に向かうことになる。
急ぐ必要があるなら南の森を突っ切る方法もある。
「はい。そこまで急ぎませんから」
少し遠回りしたいくらいだった。
その間に考えを纏め、自分とシアンを鍛える。
旅の途中、立ち寄った街のギルドで仕事をして路銀を補給する必要もある。
「そうだ。今日からシアンさんに稽古を付けて差し上げます」
「え、遠慮したいかな」
何をさせられるか分からない。
「遠慮は無用です。怪我をしてもすぐ治して差し上げますよ」
怪我をする前提なのか。
「痛いのは嫌かな」
「大人なんですから少しくらい我慢してください」
子供にそう言われてしまうと、大人を自称する彼女には断る言葉が無くなってしまう。
という事で、二人で修行しながら旅することになった。
夕方。
早目に野営の準備をし、夕食も採った後。
二人は向かい合って立っていた。
キヤルは無手。
シアンは鞘に納めたままの刀を左手に。
「まず、一度、僕を斬って見てください」
「え?痛いよ?」
「我慢します。そうですね、こう、肩の所から腕を落とすつもりでお願いします」
右手人差し指で左肩に線を示す。
「しゅっ!」
短く息を吐いて、抜刀。
チン。
そして、納刀。
「なんで?」
言われた通りに左手を落とした筈なのに、キヤルは何の変りもなく立っていた。
「躊躇いなく来られましたね」
「うん、回復術がどんな物か見せてくれるんだと思ったから。躊躇する方が痛い目に会わせちゃうし。でも、斬れなかったみたいだからもう一度」
「いえ、少しお待ちください。先に説明させてください」
少し不満気な顔で柄から手を放す。
結局、根は斬りたがりなのだろうか。
「今、僕の腕は、その刀で斬られました。何も無かった様に見えるのは、斬られた端から回復したからです」
「えっ!ナニそれ!無敵じゃない?」
「いいえ、無敵では有りません。しかし、今のシアンさんに僕は斬れません。ですから稽古台に最適かと」
「でも、おかしくない?回復術使う時って何時もヒールって言ってるでしょ?今は何も言ってないよね?」
「僕は修行によって自身に使用する分は、常時発動状態に出来るんです」
「ナニそれ!ズルい!」
「ずるく有りません」
大人風を吹かせる割に幼い物言いをするシアンに呆れる。
「兎に角、今の僕をちゃんと斬れる位にはなってもらいます」
どうやれば、そんな芸当が可能になるのか。
シアンには見当も付かない。
だが、キヤルはそれを目指せと言う。
であれば何時か出来る様になるのだろうか。
月が中天に差し掛かるまで稽古は続いた。
街道を外れ森に入ってすぐの所に小川が流れていた。
稽古を終えたシアンはそこで汗を流す事にする。
一糸纏わぬ姿で水浴びを楽しむ。
月明りと水を弾く、白い肌が眩しい。
「結局、斬れなかったな…」
水の冷たさを楽しみながらも、その口から零れる言葉は悩みに満ちていた。
「水は斬れるんだけどなぁ」
言いながら刀を手に取り。
「しっ!」
抜き放つ。
足元から少し離れた所で、水が左右に割れる。
不思議な事にその割れ目は暫くそのまま残り、ゆっくりと流れに埋まっていった。
数回、それを繰り返しても、納得のいく手応えは得られなかった。
二人の鍛錬は思わぬ効果を生んでいた。
それは、旅の途中で立ち寄ったギルドで盗賊討伐の依頼を受けた時のこと。
盗賊数人と乱戦になったのだが、シアンは落ち着いてそれに対処出来ていた。
慌てもせず、怖がりもせず、冷静に。
小鬼退治にもおっかなびっくりだったのに。
斬っても斬っても、痛がりもしないキヤルに比べれば全然怖くなかった。
斬れば怪我をするし、痛がるし、死にもする。
「どうしよう、キヤル。全然怖くないよ」
言いながら三人同時に斬り伏せる。
「それは良かった。でも、やり過ぎないでくださいね。この人達にはちゃんと反省してもらうんですから」
ああ、この人達もお仕置きされるんだ。
死ぬのと、どっちが楽なんだろう。
十数人の男達で結成された盗賊団は十分と持たずに壊滅した。
死者は出なかった。
怪我人は出たが全てキヤルの手で癒された。
ギルドに引き渡した時には、こんな善良な人間が盗賊な訳が無いと言われたが、本人達の自供と被害者の証言によって、彼らの罪は確定した。
「キヤルは何故、殺さないの?」
悪人は殺されてもしょうがない。
それがこの世界の倫理観だ。
キヤルの力なら盗賊団程度、瞬殺できるだろうし、わざわざ時間をかけて更生させる手間をかける意味が分からない。
「根っからの悪人なんていないからですよ。ちゃんとお話すれば心を入れ替えて、世のため人のために頑張ってくださるに違いありません」
あの、『お仕置き』を『ちゃんとお話』と言っていい物か。
「性善説って言うんだっけ、そういうの」
「おや、博識ですね。その通りです。人は皆、何かの間違いで悪い事をしてしまうだけです。それなら殺してしまうより、やり直して頂いた方が、皆、幸せになれます」
そう、人は皆、善人だ。
スカーレットもロックも善人なのだ。
シアンと話す事で自分のすべき事がはっきりした気がした。
二人が今、どんなに悪人でも真心を込めて接すれば分かってくれるはず。
「でも、子鬼や大鬼は簡単に殺すよね?」
命は同じではないか。
「ええ、だって彼らは人じゃ無いでしょ」
そういう基準なのか。
シアンは納得した。
季節はすっかり夏だった。
「あそこが目的の街なの?」
街道を街に向かって歩きながら尋ねる。
日差しが厳しい。
「はい。もうすぐこの街に彼が来る筈なんです」
「来る筈?街に住んでるんじゃないの?」
「はい。もうそろそろこの辺りで活動される筈なんです」
「なにそれ?」
キヤルの言い回しに違和感を覚える。
それと同時に腰に違和感を覚える。
「がはは!可愛いお尻ちゃん、ゲットー!」
シアンは見知らぬ男の小脇に抱えられていた。
違和感の正体は腰に回された男の腕だった。
「キャー!なに?何が起きてるの?助けてキヤル―!」
「がはは!イキのいい奴だ!グッドだ!がはは!」
いきなりの出来事に、つい見送ってしまうキヤル。
男に連れ去られたシアンを追いかけなければ!
キヤルは追いつく事が出来るのか?
シアンは貞操を守り切る事が出来るのか?
謎の男の正体とは?