キヤル巻き戻す
目を開けたキヤルは、そこが自分の部屋であることに気づいた。
時間を巻き戻すことには成功したようだ。
出来るという確信はあったが、初めての試みである。
まったく不安がなかったわけではない。
例えば、魔血魂での強化が思ったより弱かった場合、魔王との戦い直前に戻るなど、意味のないことになる可能性もあった。
ひとまずの成功に胸を撫で下ろす。
部屋を出てみる。
期待した人はいなかった。
朝である。
生きているのなら、彼は朝食の用意をしてくれているはず。
いないということは。
二人とも。
もう、いない。
暫く、目を閉じて、心を落ち着かせる。
悲しんでいる暇はない。
今が、いつなのか、確認する必要がある。
外に出る。
初夏の日差しを感じる。
と、いうことは。
八歳の年、領主の館へ行く直前ごろか。
お隣で朝食をいただくときに確認した。
今後の予定を考える。
ロックとスカーレットの人生に介入して、矯正するのには、もう遅い。
この頃には、二人とも、もう歪んでいる。
シアンの方は、まだ、間に合う。
彼女の人生の転換期は、三つ。
祖父の死。
村を襲った小鬼の撃退。
三人の冒険者に襲われたこと。
祖父の死に介入すれば、より長い間、彼の指導を受け、より強い彼女になるだろう。
しかし、彼は、天寿を全うしたのだ。
それを、回復術で歪めるのは、いけないことのように思えた。
小鬼の撃退時に、その場にいて、彼女が傷付けた人を癒す、それか、そもそも怪我をさせないのはどうか。
この場合、シアンが旅立たない可能性が高い。
刀の修行は続けてくれるかもしれないが、実戦を経験するよりは効率が悪い。
それに、怪我人が出ても、死人は出なかった。
ここに介入する意味は少ない。
やはり、冒険者になった後の彼女を助けて、恩を売るのが、後々よい気がする。
方針が決まり、すぐに旅立つかと思ったが、思い止まる。
彼女を救う必要はある。
彼女とは、領主の娘のこと。
あの病気は、放っておけば、死に至る。
救える命は、救わねば。
数日、普通に過ごす。
やがて、領主からの迎えが来た。
領主の娘を癒すと、褒美はなにがよいか問われる。
少年は、この機会に旅立とうと思い、いくばくかの金子を求めた。
それと、自分のことは他言無用と頼む。
彼からスカーレットに、キヤルの存在が伝わり、彼女が動いた。
彼女が来たところで、キヤルはいないのだから、村人に危害が及ぶことはないだろうが、念のためだ。
また、自分がいなくなっても、村の人間が心配しないように伝えて欲しいと頼んだ。
暫くの間だけでも護衛をつけようと言ってくれたが、丁寧に断った。
領主は、キヤルのことを、何者かと訝しんだが、愛娘の恩人には変わりなく、詮索はしないことにした。
キヤルは、街道を外れ、山に入った。
まだ時間がある。
修行をしながら移動することにする。
舗装された街道を歩くより、道無き山を歩く方が、体力がつく。
回復術で強化するにしても、元の能力が高い方が、効果も高い。
食事と睡眠は、回復術があるので不要だ。
それでも、夜は毛布に包まる。
そして、いろいろな人の記憶を読む。
だから、キヤルには色々な知識がある。
魔法も、実は使える。
彼が、一番興味を持ったのは、ある格闘家の記憶。
キヤルの背丈程もある、大きな岩を拳一つで砕く。
その技に心を惹かれた。
気というものを使うらしい。
自分でも使えないかと修練してみる。
中々、うまくいかないが、自分の中に気が存在することは感じることができるようになった。
山賊に遭遇。
早速、気を使った戦いを試してみるが、うまくいかない。
独特の呼吸を維持することが難しい。
結局、決定的な打撃を与える前に、山賊たちが疲れ切ってへたり込んでしまう。
練習したりないと感じた少年は、それでも殴るのをやめない。
すると。
その男が謝って来た。
反省した相手を殴り続けるのはよくないかと思い、手を止める。
しかし、反省は演技。
隙ありと見た賊は、土を投げ付け、目潰しを試みる。
もちろん、そんな手にはかからない。
軽く躱した少年はあることを閃く。
子供は、悪いことをすれば、叱られる。
拳骨をもらうこともある。
そして、反省して、大人になっていく。
ならば、大人にも、同じようにしてみてはどうか。
本当に反省したかどうかは、回復術で記憶を読めばわかる。
やってみよう。
結果。
効果はあった。
数時間かかったが、男は心を入れ替えた。
もっと効率よくできないか。
そう思って、辺りを見ると、山賊の仲間たちは、既に逃げたあと。
もう少し、試してみたかった。
残念に思ったが、まあ、いい。
山賊、盗賊、悪い大人はいっぱいいる。
試す機会は、まだまだある。
実際にあった。
『おしおき』は、一応の完成をみた。
まず、反省するまで殴り続けることを宣言する。
これをしておかないと、何故、殴られているか理解せずに、中々、反省しない。
そして、回復術を乗せた左右の拳の連打。
もちろん、素のままでは打撃力が足らないので、回復術で強化する。
また、相手の背後には、壁や、木などがある場所で始める。
そうしないと、殴った勢いで、吹き飛ばしてしまい、連打が続かない。
骨が折れようが、内臓が破れようが、次の瞬間には、完治する。
痛みも消える。
しかし、痛みの記憶までは消えない。
そこに間を置かず、次の痛撃。
何故、こんな目に。
たいてい初めにそう思う。
止まらない痛み。
身体が壊れるほどの打撃。
実際に死んでもおかしくない。
しかし、痛みには慣れる。
そして、上辺だけの反省を口にする。
しかし、?は見破られる。
少年は、回復術で、記憶が読めるのだから。
相手の人生を、一から読むには時間がかかるが、今、何を考えているかは、すぐにわかる。
本を読むのと同じだ。
物語の結末を知る為に、始めから読むのは時間がかかるが、後ろから読めば時間はいらない。
まだ、反省が足りないと告げて、連打を続ける。
死なない。
気絶すら出来ない。
こんな現実は、おかしい。
しかし、夢ではないことは、痛みが教える。
では、何故、こんな現実離れした目に合うのか。
もしかすると、目の前の子供は、人間ではないのか。
超常のもの。
例えば、神や、その使い。
それが自分に罰を与えに来たのではないか。
自分の?を見破れるのも、その為ではないか。
であれば、本当に心を入れ替えない限り、この痛みは続くのか。
永遠に。
畏れ。
心が折れる。
心が入れ替わる。
これは、一種の精神疾患であるかもしれない。
悪事を働こうとすれば、いや、自分が善から外れようとすれば、この時のことを思い出す。
故に善人として生きていくしかできなくなる。
例えば、死罪になることが分かった上でも、自首をする。
そうしないと、また、あの子供がやってきて、今度こそ、永遠に終わらない苦痛に苛まれることになる。
そんな風に思うのだ。
しかし、効果のない者もいた。
一度、邪心を崇める集団に遭遇したことがあった。
子供を生贄にしようとしたのを止めたのだが、『おしおき』が効かない者がいた。
自分の行いが善であると心底から思っていた。
幾ら殴られても、怪我をせず、死に至らないのは、自分の行いが正しく、神に守られているからだと。
こんな相手を幾ら殴ってもどうにもならない。
折角、よい手段を手に入れたと思っていたのに。
ロックにも、スカーレットにも効果はなさそうだ。
ロックは、女性を犯すことに罪の意識を持っていない。
脅しや、騙したりしたとしても、一応、相手の了承を得てから抱く。
そして、抱いたからには、相手も気持ちよくしてやる。
自分が抱いてやったのだから、気持ちよくなった筈だ。
ならば、なにも問題はなし!
本気でそう考えている。
もちろん、彼に敵対した女性に関しては、その限りではない。
勝者には、敗者を自由にする権利がある。
スカーレットも同じ、自分が悪いとは、欠片も思っていない。
この世のすべては自分の物。
いま、そうではないのは、世界が間違っている。
なら、それを正すために行動する。
それが彼女だ。
『おしおき』を改善するか、他の手段を考えなければ。
『おしおき』が、一応の完成を見た頃。
キヤルに、もう一つ、目標ができた。
それは、クロエのことだ。
魔王の記憶を読んだ。
それは、実際は、魔王になることに抵抗し、打ち勝ち、しかし、それと混じり合ったことで、元の少女ではなくなってしまったもの。
自由を求め、得られず、終わりを望んだもの。
彼女は、救われるべきだ。
方法は、簡単。
彼女が、魔王に接触しないように護ればいい。
ということで、シアンとロックに合流、その後、エイトブリッジでクロエを護る。
そうすれば、スカーレットもエイトブリッジに来るだろう。
時は流れ、ヨークァンの街に着く。
まず、服を買いに店へ。
旅で汚れ、戦いで破れている。
少年の成長の為に丈も合わなくなっている。
買った服に着替えた少年は、冒険者ギルドへ。
受付の女性に、冒険者になりたい旨を告げる。
しかし、女性は取り合ってくれない。
命の危険がある仕事だ。
子供に務まるものではない。
女性の言い分は、少年にも理解できるが、だからといって、引き下がるわけにはいかない。
押し問答をしていると、奥から中年の男性が出てくる。
このギルドの長だった。
事情を聴いた男は、少年に試験を受けろと言ってきた。
キヤルは、それを受けることにした。
マスターは、ギルドの隅で暇をしていた男に声をかけて外へ。
ギルドの裏の開けた土地。
一応、ギルドの訓練場と呼ばれている場所だ。
マスターは、男とキヤルに木剣を手渡し、試合うように告げる。
キヤルが、男から一本を取れれば合格ということだ。
しかし、マスターも男も、キヤルが合格するとは思っていない。
少し痛い目を見れば諦めるだろう。
もし、それでも諦めないくらいに骨があるなら、見習いとして小間使いとして使ってもいい。
マスターが、初めの合図を出す。
キヤルは、スッと相手に近づき、手を取って投げる。
男には、何が起きたのか理解できなかった。
気付いたら地面に座らされており、痛みもない。
「これでよろしいでしょうか?」
「いや、待て。
おい、幾ら子供相手とはいえ、油断のし過ぎだ。
もう一度だ」
その判定に、少年は不満気だが、抗議はしなかった。
「では、改めて、始め!」
今度は、両者とも動かない。
睨み合い。
キヤルの方は、また瞬殺すれば、油断だなんだと言われるのではないかと、相手が打ちかかってくるのを待っている。
男は、打ち込もうとして、隙が見つけられず動けないでいる。
動かない時間。
男の顔に脂汗が浮かぶ。
マスターの方も、観察する時間が有れば、少年の技量を感じることができた。
なんだ、この子供は。
二人の共通した思い。
「あの…」
かかってきてくれないか。
そう言おうとして、口を開いた瞬間。
男が木剣を振り上げた。
口を開けただけの少年に恐怖したが故の行動だった。
キヤルは、踏み込んで、振り下ろされる剣を持つ手に向けて、下から拳を振り上げる。
剣を持つ手を下から殴られた男は、万歳の形で無防備な姿を晒す。
少年は、そのまま顔の横に拳を持っていき、肘を相手に突き出す形になる。
そのまま肘を打ち込む。
その一連の動作を見たマスターは、驚嘆するしかなかった。
子供のできる動きではなかった。
蹲る男を前に。
「これでよろしいですか?」
静かに訊ねる。
「ああ、合格だ。
ただ、少し質問をさせてくれ」
親のことや、どこで戦いの技術を身に付けたかなどを尋ねる。
回復術師であることは伏せて答える。
両親ともに他界。
技術は独学。
?は言ってない。
その他の質問も、できるだけ?にならないように答える。
「分かった。
一週間ほど時間をくれ」
その時間で、ギルドの情報網を使って確認する。
もし、少年が?をついていて、例えば、親が健在なら、相談して許可を取る必要がある。
結果。
少年を、冒険者として登録するのに障害となるものはなかった。
となると、少年の冒険者ギルドへの加入は、ギルド側から頼みたいぐらいだった。
ギルドには、いつかその地位を向上させようという悲願がある。
ある種の社会不適合者の受け皿という側面は残しつつ、周りの者から尊敬される、そんな組織になろうとしている。
その為には、能力が高いだけではなく、人格的にも優れた者が必要だ。
キヤルは、現時点で、実力は申し分ない。
性格も良さそうだ。
後は、ギルドが後見となって教育すれば、将来、ギルドを背負って立つ人材に育ってくれるだろう。
実は、最後の教育というのが、ギルドでは無理だということに、マスター本人が気付いていない。
かくして、キヤルは、冒険者になった。
すぐにでも、シアンと接触しようと思ったが、彼女は、子鬼退治に出ていて、不在だった。
彼女を待つ間、暇なので、自分も依頼を受ける。
依頼をこなし、帰ってくると、すれ違いで彼女は、別の依頼を受けて不在。
そんな、すれ違いを、三度繰り返し、彼女の記憶を頼りに、いつ、この街にいるか調べることに思い至る。
そして、今日。
シアンは、ギルドにいる筈。
ギルドの扉の前。
深呼吸。
この扉を開けた時からが本番。
そう思うと緊張する。
大丈夫、うまくやれる。
そう自分に言い聞かせて、扉に手をかける。
治癒の勇者キヤル、やり直しのはじまり。
気の習得など、もっと詳しく書こうとして、止めました。
前回投稿分なのですが、実は書き始めてから、キヤルの設定を間違えていることに気づき、書き直しました。
結果、投稿日がずれて、申し訳ありませんでした。
農民の子供であることを忘れて、鉱山の街で生まれ育った話を書いていました。
そちらでは、シャッコーは、事故で足を怪我して、働けなくなり、酒におぼれ、家族に暴力を振るうような人間でした。
妻の死と、キヤルの回復術で足が動くようになったことで、心を入れ替えて働くようになります。
その様子を見たキヤルが、大人はちゃんとすれば、すごいんだと思うようになった、というお話でした。