キヤル
キヤルのお話になります。
サブタイトル、いいの思いつきませんでした。
オグラシアン王国にある小さな農村。
そこに、一組の夫婦が、住んでいた。
夫の名は、シャッコー。
大柄で、筋肉質な身体。
厳つい顔。
農夫というより、戦士や武闘家のように見える。
妻の名は、ハッカ。
儚げな見た目どおり、病弱で、床に伏せることも多い。
領主に仕えるために来た、侍女の娘で、母が仕事の間、村に預けられていた。
そのことが切っ掛けで、二人は幼馴染として育ち、恋に落ち、結ばれた。
結婚して暫くして。
ハッカは、妊娠した。
身体の弱い彼女が、出産に耐えられるのか、不安だった。
無事、出産。
玉のような男の子が、生まれる。
キヤルと、名付けられた。
この村には、名前に関する、ある風習がある。
物騒な言葉と、色を示す言葉を組み合わせた名をつけると、不幸が避けて通るというものだ。
キヤルも、シャッコーも、それに倣った名だ。
黄色と殺で、キヤル(黄殺)、赤と殴で、シャッコー(赤殴)だ。
出産が祟ったのか、ハッカは、床に伏せる事が多くなった。
キヤルが、三つの頃。
村が小鬼に襲われた。
シャッコーは、先頭に立って、戦い、これを退治。
その際の怪我が本で、右腕が動かなくなった。
それで暮らしが苦しくなるということはなかった。
この村は、村の畑を、村人、皆で耕して、収穫を山分けする。
国に納める税なども、村長が一括で納める。
贅沢をしたいなら、森に入って、薬草などを採取するか、獣を狩って、街に売りに行く。
だから、暮らしてはいける。
しかし、ハッカの為の薬などは買えない。
滋養にいい食べ物も滅多には食べられない。
それでも、家族三人、幸せに暮らしていた。
キヤルが六歳の春。
キヤルに手伝える仕事はなく、母の寝る寝台の横で、大人しく遊んでいた。
少年にとって、それは遊びだったが、実際には、文字の勉強だった。
箱に敷き詰めた砂に、指で文字を書く。
さらさらした感触が好きだった。
「キヤル」
母に呼ばれた。
か細く、小さな声。
「なあに?」
母のもとに寄る。
いつもなら、どんなにしんどくても、身体を起こしてから、声をかけてくるのに。
今日は、寝たまま。
「どうしたの?」
枕元で訊く。
「あのね、キヤル。
お父さんと仲良くね。
…ごめんね」
そう言って、目を閉じようとする。
だめだ。
と思う。
このまま目を閉じれば、キリコお爺さんのように、二度と起きなくなる。
近所の老人との永い別れを思い出す。
老人は、ただ寝ているように見えた。
しかし、ただ寝ているのとは、決定的に違う雰囲気があった。
母も、そうなる。
予感。
「だめだよ!お母さん!」
お別れなんかしたくない。
もし、別れが来たのだとしても、最期の言葉が、ごめんなさいだなんて。
認めたくない。
母の目は閉じられ。
生気が薄れていく。
だめだ!だめだ!
そう思うも、子どもになにが出来るというのか。
絶望の淵に立つキヤルに。
大きな力が繋がった。
それを感じ。
その意味を理解する。
希望。
母の頬に触れる。
暖かい。
まだ、大丈夫。
「ヒール」
何も起きない。
「ヒール!」
何も起きない。
「ヒール!」
何も起きない。
「ヒール!」
何も起きない。
涙声の。
「ヒール!」
力を感じたのは、勘違いだったか。
「ヒール!」
いや、力は、今も感じる。
「ヒール!」
「ヒール!」
「ヒール!」
「ヒール!」
喉が枯れる。
「ヒール!」
それでも、止めることは出来ない。
「ヒール!」
………
……
…
「ただいま」
夕方。
シャッコーが帰って来た。
いつもなら、出迎えるキヤルが来ないことを訝しむ。
ハッカの待つ寝室に向かう。
息子も、そこにいるだろう。
途中でキヤルと会う。
「…おかえりなさい」
声がおかしい。
泣いているのか。
顔を見る。
涙の跡。
何か、悪戯でもして叱られでもしたのか。
キヤルは、普段、大人しく、悪戯など滅多にしない。
その分、叱られ慣れていないから、少し叱られただけでも、泣くし、落ち込む。
「どうした?」
「お母さんが、寝ちゃったの」
予想外の言葉。
嫌な予感。
一緒に寝室へ。
一目で理解する。
愛する妻が、二度と目覚めぬ眠りに就いたことを。
念のために、確認する。
冷たい。
脈も触れない。
「冬は越したから、まだ、大丈夫だと思ってたんだがな」
溜息。
「キヤル、母さんは、何か言っていたか?」
「お父さんと、仲良くしなさいって。
あと、ごめんなさいって」
「そうか…」
ごめん、だ?
なにを謝ることがある。
こちらは、感謝しかないというのに。
キヤルは、父が泣いているのかと、その顔を仰ぎ見た。
涙はない。
「…すこし、お隣に行ってくる。
母さんの傍にいてやれ」
シャッコーは、隣りの夫婦に事情を説明する。
「一緒にいてやりたい。
お任せしていいか?」
夫婦は、承知してくれた。
旦那が、村中に知らせに行ってくれる。
嫁の方は、シャッコーについて来る。
家に帰る。
隣りの嫁は、ハッカの眠る寝室へ。
ハッカを、死に装束に着替えさせ、化粧を施してくれる。
死に装束と言っても、特別な物ではない。
形は決まっておらず、色は白。
柄のある物は、良くないとされる。
もし、それがない場合は、作らねば。
箪笥の一番上に、それは、有った。
いつ、その時が来てもいいよう、準備していたのだろうか。
夕飯の用意もしてやった方が良いかと、思ったが、それは、シャッコーが自分でやっていいた。
片手が動かないのに、慣れた様子で料理を作っていた。
彼女は知らないことだったが、この家では、料理はシャッコーの仕事だった。
ハッカの体調が良いときは、二人で台所に立つこともあった。
もう、そんなことはない。
食卓には、三人分の、野菜のスープと麺麭。
ハッカが、この家を出ていくまで、三人分の食事が用意される。
それを見て、彼女は暇を告げる。
キヤルにとって、母のいない食卓は珍しいものではなかった。
だから、寂しくはなかった。
静かな夕食が終わり、キヤルは眠るために自室へ。
シャッコーは、自分とキヤルの使った食器を片付ける。
シャッコーも、夫婦の寝室へ。
大きなハッカの寝台の横、少し小さな寝台に腰掛ける。
安らかな横顔を眺めて考える。
右手が動けば、もう少し何かしてやれたろうか。
例えば、狩りに出て、精のつくものを食わせてやれば、もう少し生きてくれたろうか。
いや、彼女は、食が細い。
あまり変わらなかったろうか。
ならば、薬草などを採ってやれば。
いや、病気であったわけでもない。
あまり意味がないかもしれない。
なら…
取り止めもなく、そんなことを考えてしまう。
そのうちに、空が明るんできた。
ハッカの、食べ残しを畑に撒く。
井戸から水を汲み、食器を洗ってから、朝食の準備。
三人分の皿を並べて、キヤルを起こす。
朝食を終えて、キヤルに部屋で大人しくしているよう言いつける。
二人分の食器を洗っている最中に来客。
棺を作るための採寸に来てくれた。
互いに無言で御辞儀。
十分ほどで帰る時も無言で御辞儀。
今日は、もう誰も来ないはず。
寝室へ。
日が暮れるまで二人きり。
キヤルを呼んでやろうか、迷ってやめた。
うたた寝をした。
何か、夢を見たように思うが、覚えていない。
もう、暗くなっている。
夕食の準備のために部屋を出る。
ハッカの食べ残しを、畑に撒く。
三人分の食事を用意して、キヤルを呼ぶ。
キヤルは、今日は、なにをしていたのだろう。
いつもなら、畑を手伝って、そのまま子供たちと遊ぶか、ハッカと一緒に家で大人しくしているか。
静かな食卓。
キヤルは、賢い子だ。
なにが起きているのか、理解はしているだろう。
あの時、泣いていたことからも、それは分かる。
なにか、声をかけてやるべきか。
そう思うも、なにを言っていいか、分からない
結局、無言のまま、食事を終える。
「おやすみなさい」
自室に戻る子供の背に、挨拶を返し、今日、話したのが、挨拶だけであることに気付く。
二人の食器を、片付けて、寝室へ。
とりとめのない、詮無きことを、また、考えてしまう。
考えても、どうしようもない事は、理解している。
それでも、考えてしまう。
夜明け前に、少し眠って、夜明けに目を覚ます。
ハッカの食べ残しを、畑に撒いて、水を汲む。
食事を洗って、朝食の用意。
今朝は、その間にキヤルが起きてきた。
挨拶をして、大人しく座っている。
朝食を終えて部屋に戻ろうとするキヤルを、呼び止める。
今日は、待っていなければならない。
暫くして、ノックの音。
玄関を開けると、村中の人間がいた。
その真ん中に棺。
「少し、待ってくれ」
そう言って、ハッカを迎えに、寝室へ。
そこでも、片腕が動かないことに歯噛みする。
両手が使えれば、彼女を抱き抱えることなど雑作ないのに。
なんとか抱えるが、足を引き摺ってしまう。
玄関を出ると、何人かが手伝いを申し出てくれたが、丁寧に断る。
キヤルに手伝わせ、彼女を棺に横たえる。
一人が、案内のため先頭を歩き、その後をシャッコー親子。
その後、棺を抱えた数人が続き、更に後ろを村人全員がついてくる。
村から少し離れた森に入り、暫く歩く。
少し開けた場所に、大きな穴が掘ってある。
その手前に棺が置かれ、蓋が開かれる。
シャッコー、キヤルの順に、手向けの花を棺に入れる。
村人たちも、それに続く。
春先ということもあり、棺の中は、花でいっぱいになった。
村長が、祈りの言葉を捧げる。
夫をよく支え、子を育て、非の打ち所がない良い人であった。
だから、旅路の果てに待つ人々よ。
どうか、彼女を迎え入れてほしい。
そんな意味の祈りだった。
言葉が、終わり、再び棺が閉じられる。
男たちの手で、棺が丁寧に穴の底に降ろされる。
みんなで、その上に土を被せていく。
道具は使わない。
その上に、石を置く。
ここに、ハッカが眠っているという目印。
いつか、わからなくなるだろう。
その時は、彼女の体が、森と一つになったということ。
魂は、どこか遠くの安息の地へ。
体は、ここで森と。
村に帰る。
手を洗いに井戸へ。
井戸は、三つある。
各自、自分の家に近い所へ。
シャッコーは、そこで謝意を述べる。
家路へ。
もう夕暮れ。
あっという間のように思っていたのに。
だが、森まででも、結構な距離がある。
時間がかかって当然だ。
そういえば、キヤルは泣かなかった。
やはり、理解していなかったのだろうか?
家に着いて、夕食の支度。
キヤルは、大人しく座っている。
食卓に並んだのは、二人分の食事。
キヤルは、寂しく思う。
それは、シャッコーも同じ。
父は、食事に手も付けず、涙していた。
葬儀が終わるまで、彼は後悔しかしていなかった。
いま、一人分少ない食卓を見て、やっと悲しみが訪れる。
子が泣いていないのに、自分だけが泣いて情け無い。
そうは思えども、一度堰を切った涙は止まらない。
キヤルは、父を心配して、席を立ち、傍による。
これでは、あべこべだ。
そう思うと、情けなさが募り、余計に泣けてくる。
なかなか、泣き止まない父親を前に、途方に暮れるキヤル。
どこか痛むのだろうか?
痛いの痛いの飛んでいけ。
そんな、おまじないの気軽さで。
「ヒール」
唱えてしまう。
「あぐっ!」
悲鳴をあげる。
それに驚いたシャッコーが見たのは、頭を抱えて蹲るわが子の姿。
何が起きたのか。
狼狽え、何もできずにいる父の前で、子はぴくりとも動かなくなる。
そんな!
最愛の妻を亡くしたばかりだというのに、子供まで。
キヤルを抱きかかえる。
息はある。
安堵するが、では、どうする?
なにかの病気か、そうでないのかも分からない。
分からなければ、聞くしかない。
隣りの嫁さんを頼ることにする。
慌てて、家を出て、隣の家へ。
乱暴に扉を叩く。
「誰だい?」
迷惑そうな声。
「俺だ。キヤルが大変なんだ。少し見てやってくれないか?」
扉が開かれ、女が出てくる。
シャッコーに抱きかかえられたキヤルを見る。
「どうしたっていうんだい?」
見た目には、眠っているようにしか見えない。
「分からないんだ。
ただ、いきなり悲鳴を上げて、頭を抱えて」
女も、別に医術の心得があるわけではない。
それでも、三人の子供を育てた経験はある。
額に触れ、熱を確認。
脈も見る。
異常はなさそうだ。
呼吸も正常のように思える。
「おかしなところはないようだけどねぇ」
「そんなはずはないだろう!」
思わず大声が出てしまう。
「…もしかしたら、だけど、心労かもしれないね」
「心労?」
「子供は、思ったよりも繊細なんだよ。
心労で、頭が痛くなったり、腹を下したり、色々あるんだよ」
「心労で、こんなことになるのか?」
「あたしも、気を失うまでっていうのは知らないけど」
シャッコーが、手をあげた可能性も考えたが、その痕跡は見当たらない。
「まあ、二、三日、様子を見て、また痛むようなら、街の医者にでも見せるんだね。
それぐらいの金は、村長に言えば出してくれるだろ」
「そうか、すまなかったな、いきなり押しかけて」
一応は、納得して家に帰ろうとする、その背中に。
「あんたも、ハッカが死んだからって、いつまでもクヨクヨしてるんじゃないよ。
子供にはね、親がいつもどうりじゃないってのが、こたえるんだから」
返事はなかった。
溜息で見送り、
「今、両手でキヤルを抱いてなかったかい?」
その疑問は、夕飯を急かす声の前に霧散した。
シャッコーは、家に着くと寝室へ向かった。
ハッカの使っていた寝台に横たえた。
まだ、母の香りの残っている場所で、安心して眠れるだろう。
シャッコーも眠ることにする。
朝。
目が覚めたシャッコーは、まず、キヤルの様子を見る。
静かに眠っている。
起きてくれれば、安心できるのだが。
我が子が、無事に目を覚ますことを祈り、部屋を出る。
食卓の上には、昨日の食べ残し。
スープを鍋に戻す。
麵麭は、もう一度炙ればいいだろう。
水を汲みに井戸へ。
片手で釣瓶を使うのにはコツがいる。
縄を引いて、手を放し、縄が戻る前に、その先を掴む。
その繰り返し。
シャッコーの体躯であっても、時間がかかる。
早朝、誰もいない時間に来るのは、それが理由だ。
手が滑って、縄を掴み損ねる。
反射的に、反対の手が出る。
縄を掴んだ右手。
驚くよりも、嬉しく思うよりも。
怒りが沸く。
その手を、石でできた井戸の縁に叩きつける。
何度も、何度も。
何故だ!何故、今になって!
どうせ動くようになるのなら。
なぜもっと早く。
彼女の生きているうちに動かなかったのか。
痛みを感じるのは、右手か、心か。
自らの血で、赤く染まった手を見て、やっと冷静になる。
違う。
こんなことを、してはいけない。
ハッカには、間に合わなかったが、キヤルがいる。
この手は、キヤルのための手だ。
そう思った彼は、この奇跡を愛する妻のおかげだと思った。
彼女が、不幸を持って行ってくれたのだと。
そうして落ち着いた男は、汚した井戸を洗い清め、水汲みを終わらせて、家に帰る。
起きてきていた息子を見て安堵する。
今日から、二人で生きていく。
その日から、シャッコーは、精力的に働いた。
もとより、片腕でもほかの村人と遜色のない働きをしていたのだ。
両腕のそろった彼は、人の二倍、三倍と働いた。
その時には、常に、キヤルが傍らにいた。
仕事を教えた。
このくらいの年の子供には、まだ早いという周りの声は聞かなかった。
キヤルも、熱心に教わっていたので、まだ、遊びたい年頃だろうに、という声は、すぐに聞こえなくなった。
狩りをしに、森へも行った。
手製の、子供用の弓を持たせ、扱い方を教える。
農具であれ、弓であれ、使い方によっては、人を傷つける。
それを、よく教えた。
子連れであっても、シャッコーが、狩りに出て、獲物を獲らずに帰ることはなかった。
シャッコーは、獲物を村の人間に分けた。
畑のものは、みんなのもの。
森のものは、取ってきた者のもの。
だから、みんな、遠慮をした。
しかし、今まで、片腕で迷惑をかけた詫びと、ハッカの葬儀の礼だと言われて受け取った。
詫びは、どうでもいいが、礼だと言うなら、受け取らないと失礼だから。
そして、キヤルが八歳の春。
毎年のことだが、冬の間に村で使った、あれやこれやを補充しに街へ行く必要がある。
基本は、持ち回りで、数人の男が行くのだが、シャッコーは毎年、行っていた。
三日の距離とはいえ、途中、野営などもしなければならない。
それなりの危険がある。
ありていに言えば、シャッコーは用心棒としていくのだ。
シャッコーの留守の間、キヤルは、隣で面倒を見てもらえる。
シャッコーは、安心して、村を出た。
キヤルは、朝夕の食事を隣で食べ、村の子供たちと一緒に日中を過ごし、夜は、自分の家で眠った。
三日目のこと。
その日、子供たちは、草刈りをしていた。
年長の何人かは、鎌を待たされている。
早く終わらせれば、それだけ長く遊べる。
そんな気持ちでいたからか。
一人が、自分の持つ鎌で、手を斬ってしまった。
それを見たキヤルは、迷いなく、少年に触れて。
「ヒール」
と、唱える。
この時、まだ、おまじないのつもりだった。
「ぎゃあ!」
酷い頭痛と、手の痛み。
酷い虚脱感。
思わず蹲るが、気絶には至らない。
逆か。
気絶に逃げられないほどに、手の痛みは酷かった。
悲鳴を聞きつけた大人が駆けてくる。
怪我をしたという子供は、平然としている。
それもそのはずで、どこにも怪我はなく、不思議そう。
悲鳴を上げたキヤルにも外傷はなかった。
憔悴はしていたので、日に当たりすぎたのだろうということになった。
これを切っ掛けに、キヤルは、自身の力を自覚する。
そして、その解明に乗り出す。
なぜ、母には効かなかったか。
父の時の痛みと、少年の時の痛みの違いは、なにが原因か。
夜、自室で実験をする。
虫や、蜥蜴などの小動物。
それらに傷を付けて、治す。
死んだ者は、治せないのは分かった。
しかし、死の定義が曖昧だ。
首を落とすと、心臓は動いていても、死んでいるということになるようだ。
逆に、心臓が止まっても、すぐなら癒せる。
術をかけるときの痛みについても、いくらか分かった。
例えば、虫の前足を千切って、それを癒すと、手が痛んだ。
後ろ足だと、足が痛い。
つまり、相手が感じている痛みを、自分も感じるのだろう。
では、中足を、治したら、どこが痛むのか。
どこも痛くならない。
対応する場所がないからか。
では、父の腕を直したとき、頭だけが痛んだのは、もう痛みを感じていなかったからか。
数日をかけ、そこまでの仮説を立てた。
シャッコーが、帰って来た。
物言わぬ姿で。
馬車に轢かれそうになった子供を庇ったという。
目立った外傷は、なかった。
頭を強く打ったのがいけなかったらしい。
もし、自分が一緒にいたのなら。
キヤルは、そう思う。
父は、死ななかった、と。
父と一緒に街に行った男から、数冊の本を手渡された。
それは、教本だった。
キヤルは、俺と違って賢いから。
そう言っていたと。
その日から、キヤルは、学んだ。
文字を。
算術を。
畑仕事を。
そして、治癒の力を。
特に、治癒の力を解明することに力を入れた。
その結果、一つの大きな力だと思っていた、それが、たくさんの力の集合だと判明した。
そのうちの一つを選んで発動させることに成功する。
痛みはあったが、いつもより軽い。
頭痛はなく、虚脱感もない。
別の一つを使ってみる。
これも痛みはあるが、軽い。
ただ、少し虚脱感を感じる。
もう一つ別のものを。
そうやって、一つずつ試していく。
日中、怪我人が出ると、術を使って、治してやった。
親切心からだけではない。
それも、彼の中では実験だった。
夏頃。
この辺りを治める領主から迎えが来た。
村の者が、街の商人にキヤルの癒しの力の話をし、それが領主の耳にも入ったのだった。
領主の館で待っていたのは、領主の娘だった。
彼女は、石化病という奇病にかかっていた。
手足の先から、徐々に硬質化してゆき、終いには心臓が止まって死に至る。
病気は治したことがなかったが、簡単に癒せた。
手足が重く感じ、熱っぽい感じがしたが、それだけだった。
領主は、甚く感謝し、何か褒美をと言ってくれたが、断って、村に帰る。
領主は、キヤルへの感謝を、村の税の一年間免除という形で現した。
そのおかげで、村のみんなからも、感謝された。
夏の終わり。
兵士の一団が、村を訪れる。
整列する兵士。
その中央に、若い女性。
「オグラシアン王国第一王女、スカーレット姫殿下である!」
村の人間を集め、平伏させた。
「この村に、キヤルという子供はおるか!」
名を呼ばれた少年は立ち上がる。
「こちらへ!」
言われるがままに、兵士の前に立つ。
「そうではない。姫様に顔を見せるのだ」
そう言われて、姫の許へ。
値踏みをするような目で見られる。
「ふーん?普通の子供ね」
そう言って、兵士の一人に目配せ。
兵士は、腰の剣を抜き、手近にいた男に切りかかる。
「なにを?」
「早く治さないと、死んじゃうわよ?」
慌てて切られた男に駆け寄る。
「ヒール!」
男は一命をとりとめ、キヤルは、痛みに蹲る。
「成程、普通の回復術師ほど痛がってないみたいね」
納得したように、呟く。
「キヤル、今日から、お前は、治癒の勇者よ。
ついてきなさい」
断るという選択肢はなかった。
もし、断れば、兵士が村のみんなに襲い掛かるだろうということは、容易く想像できた。
こうして、キヤルは、生まれ育った村から旅立つことになった。
これは、治癒の勇者の別れの物語。
キヤルのお話というより、シャッコーのお話かなという雰囲気。
キリコ爺さんは、斬黒と書きます。