観戦!魔王軍一万VS勇者二人 改訂版
前回の話では説明不足かと思い、書き直した物になります。
ただ、くどいかもしれません。
この話で初出のキャラもいますので、良ければお読みください。
「本当に、二人で行っちまいやがった…」
呆れて呟く。
広い平原。
敵陣は影が見える程度の距離。
二人の姿は、背中が、やっと見えるくらい。
「ねぇ、おじさん」
ぼうっと見送っていると、シアンに呼ばれた。
初めて会った時は、ロックやキヤルの陰に隠れて、オドオド、キョドキョドしていたくせに、会う度になれて来たのか、今では、おじさんと気軽に呼んでくる。
振り向くと、護衛の冒険者の一人と目が会った。
笑っていた。
何時も偉そうにしているギルドマスターが、おじさん呼ばわりされているのが面白いのだろう。
ディースが睨むと、目を逸らし、口笛を吹く振りをした。
「おじさんってば!」
「ええい、なんだ!」
権威を振り翳す気もないが、威厳は必要だ。
「水晶出して。早く見ようよ」
「まだ早いだろう?」
「いいから、早く!」
冒険者の一人に、合図して、小振りの西瓜ほどの大きさの水晶玉を受け取る。
「おじさん、自分の荷物は、自分で持たなきゃ」
高い報酬を払っているのだ、荷物運びくらいで文句を言われる筋合いはない。
因みに、急な話である事と、いざという時、最低でも、クロエとハクロを安全に逃がす為に命を賭けてもらわなければならないということで、相場の三倍を前金で支払い済みだ。
「魔法の道具は使うと疲れるんだぞ?」
魔法の道具は、起動と、維持に、少量だが魔力を必要とする。
魔力を体外に放出すると、同時に生命力も流れ出てしまうので、疲労を感じる。
訓練を積めば、生命力の流出は抑えられるのだが、魔術師でもなければ、そんな修練を積む事はない。
「じゃあ、私が使う!」
「これを渡そうとしたら、その円の中に手が入るだろうが」
疲労を嫌って、腕を失う訳にはいかない。
いざという時、疲れていては困るので、護衛の者に任せる訳にもいかない。
結局、ディースが使用するしかない。
起動の為の言葉を唱えると、水晶に、キヤルとロック、二人の姿が浮かび上がる。
のんびりと、何か話をしながら、歩いている。
「ねぇ、声が聞こえないよ?」
「音は聞こえん。そんな上等な物は、どこぞの国の宝物庫の中にしか無い」
一応、ハクロの方にも確認をしてみるが、やはり、向うの水晶玉も音は拾わない。
「ふーん。こうやって見ると、川の北と南じゃ、道も違うのね」
水晶の映像は、少し上空からの視点であり、その視点であらためて見て、そう思ったのだろう。
「ああ、北側、人間の領域は、大きな道には石畳を敷いて、舗装してあるが、こちら側、魔族の領域は、踏み固められた地面が道になっているだけだ」
「まあ私の田舎の近くも、こんな道だったけど、なんで魔族の人は、ちゃんと道を作らないの?」
「作らない、じゃなくて、作れないんだ。道を舗装するのにどれだけの金と人手がいると思ってる」
人間は国として纏まり、金を集め、人も集められるが、魔族は、基本部族単位でしか纏まらない。
「?でも、あそこで暇そうにしてる人が大勢いるじゃない?」
魔族の軍勢を指して言う。
「暇そうって…」
しかし、確かにそうだ。
人間憎しで、あれだけ集まる事が出来るのなら、それを平和的、建設的な事に使えば、どれだけ魔族のためになるか。
「二人は、何を話してるんだろう?」
言葉に詰まったディースを余所にクロエ。
「んー、唇は読めないから、分かんない。おじさんは?」
「俺も読めん」
現役時代も、基本、戦うだけだった彼に、その手の技術はない。
連れてきた冒険者たちも、戦闘力重視で選抜したので同様だ。
年の功でハクロに期待したが、彼にも無理だった。
「何を話してるか、予想は出来るか?」
「多分、殺していいか、確認してるのかなぁ?」
「なんだ?それは?」
「キヤルがね、いつも、出来るだけ殺すなって言うんだけど、今日は相手が多いから、どうするのかなって」
シアンがロックの立場なら、そう考えて、確認する。
そして、確かにそんな会話もあったのだが、この時、二人は、全然、別の話をしていた。
その内容はというと。
「これが終わったら、一緒に娼館に行こう」
「嫌です」
にべもなく、即答。
「女を抱いてこそ、一人前の男だぞ?」
「僕は、まだ子供です」
「だから、女を抱いて大人になろう!」
「あんまり、しつこいと、また、シアンさんに斬られますよ?」
「そしたら、また治してもらうよ」
「だいたい、なんでそんなに勧めてくるんです?」
「そりゃ、楽しい事は、早めに知っといた方がいいだろ?」
本当はキヤルが性の悦びを知れば、ロックの楽しみを禁止しなくなるかもしれないという思惑もある。
「正直、興味はありますが、今でなくていいです」
正直に言った方が諦めるだろうと思った。
「えぇー。マジか?娼館に連れて行ってやるって言ってんだぞ?興味あるなら、二つ返事でついて来るとこだろ?」
「今は、それよりも大事な事がありますから」
「ふぅん。で、シアンと嬢ちゃん、どっちだ?」
「…何の話ですか?」
「だから、初めての相手はどっちがいいと思ってるんだ?」
「なんで、そうなるんですか?」
「どっちかとヤリたいと思ってるから、他の女に目が行かないんだろう?」
「違います」
「初めては惚れた女がいいなんて、青いなぁ。まぁ、俺様も初めては惚れた女だったからなぁ」
知っている。
緑の瞳の、芯の強そうな女性。
彼の姉であり、恋人であった人。
それが彼の初恋。
記憶を読んで、それを知っても、実感として感じることができないのは、自分にその経験がないからか。
「初めて入れた時は、そりぁもう、感動するぞ。あったかく包まれる感じなのに、締め付けて来て、吸い付いて来て。もう、離さないとか言われてるような感じで」
具体的に言う事で興味を引こうという作戦だ。
「…よく分かりません」
「そうか?」
確かに、経験しないと分からないか。
「うん、でも、まあ、あの二人なら、お勧めは嬢ちゃんの方だな」
まだ、諦めない。
「何てったって、胸がデカい」
「胸の価値は大きさではないと仰ってませんでしたか?」
「それは、そうだ。しかし、小さいと出来ないが、大きいと出来ること、というのがあってだな」
両手で胸を寄せる真似をしながら。
「紅葉合わせと言って、こう…」
「説明して頂かなくとも、知っています」
「なんだ、知ってるのか。このムッツリめ」
そう、知っている。
『やり直す』前、スカーレット姫相手に経験もある。
確かに、気持ち良かった。
柔らかい肉に包まれるだけでも、気持ち良い。
始めは、滑りがよくないが、彼女の汗や、自分のアレやコレやで、滑りがよくなってからは、止めて欲しいと、懇願するほど気持ち良かった。
そう、気持ち良かった。
だが、それだけに。
それは。
屈辱の記憶。
「ん?どうした?」
「どうもしませんよ?」
「いや、怒ってるだろ?」
「怒ってません」
そう言う言葉にも怒気が籠っている。
こんな状態の相手に何を話しても、効果はないと判断したロックは、暫く、黙る事にする。
何がいけなかったのだろう?
キヤルの想い人は、シアンだったろうか?
それなのに、胸が大きくなければ出来ない事を話題にしたのが悪かったのだろうか?
次は、胸の無い女の魅力について話そう。
なんとも緊張感のないことである。
「殺すなって、なんだってそんな事を?」
「死んじゃうと、治せないからじゃない?」
「敵を治すことはないだろう?」
「うん。私も、そう思うよ」
「それでも、キヤルに従うんだな?」
「恩人だからね」
「恩人?怪我でも治してもらったのか?
「そうじゃないけど…」
仲間の冒険者に襲われかけたのを、救ってもらった。
もし、キヤルがいなければ、今頃どうなっているか、分からない。
ディースは、少し待って、シアンに話す気がないと判断し、重たくなった空気をどうにかしようと口を開く。
「まだ、少しかかりそうだな。今のうちに魔王軍の様子でも見てみるか」
映像を切り替える。
雑多な魔族が見える。
道を挟んで、東西に別れているが、この道を通ろうとする者はいない。
遅めの朝食か、早めの昼食か、煮炊きの煙も見える。
全く統制されていない。
「同じ種族同士で集まっているようだな」
そう隊分けされている訳ではないようだが。
「巨人族の姿もあるな」
巨人族は、小さくとも人間の倍、大きいと三倍の身長になる種で、動きは多少鈍いが、巨体に見合った怪力と体力を誇る。
彼等は同族で集まっておらず、西側に二人、東に三人、それぞれ単独でいる。
「こうやって見ると軍って感じじゃないな」
人間の軍隊は、支給された装備で統一され、一つの集団であると分かるが、目の前のそれは、装備も種もバラバラで、とても一つの纏まりに見えない。
「防具を着けている人は、あんまりいないみたいだね」
防具を着けていないどころか、上半身、裸の者も見える。
「私たちは、飛ぶのに邪魔だから、あんまり重たいのは付けないようにしてるんだけど、他の人たちも何か理由があるのかな?」
「いや、単に防具を用意する資金がないだけだろう」
実は魔族領には、貨幣経済が浸透しきっていない。
エイトブリッジや人間領で生活している者は普通に貨幣で売り買いするが、そうでない者は基本、物々交換だ。
魔王軍には、人はいても、金がない。
兵に武具を支給することなど、やりたくても、出来ないのだ。
彼らの武器も防具も、基本、自前の物だ。
「ウチには、魔族の冒険者もいるが、ソイツらは普通に武器も防具も着けるからな」
「そうだ。おじいちゃんもこっちに来て」
シアンが、少し離れた所いた、ハクロに呼びかける。
「水晶が二つあるんだから、キヤルとロックが離れても見えるようにしようよ」
「ん?二人は一緒に戦うんじゃないのか?」
「二人一緒に戦ったら、ロックが大変でしょ?」
ロックはその場の状況、相手の思考、その他の要素、全てを把握、計算して自身の行動を決める。
そこにキヤルがいると、計算が難しくなる。
ロックにキヤルの行動が読み切れないためだ。
「ああ、成程」
前衛が射手を護って戦うのが定石ではあるが、この人数差である。
守り切れるものではない。
そうであるならば、初めから分かれて戦う方が、誤射の可能性がない分、楽ということか。
そうディースは、微妙に誤解して納得する。
その視点で見れば、魔王軍は、一応、定石を守っているようだ。
最前衛に、身軽で近接戦が得意な、猫耳族、豚頭族などを置き、その少し奥に、耳長族など、弓や魔力弾など、遠距離攻撃の出来る者たちを配置している。
敵軍に対しては、この最前列が突撃。
その突撃が敵陣に届くまでの間、射手が敵の数を減らす。
その後、後ろの主力が進軍してくるまでの時間を、前衛が稼ぐ。
そんな戦い方を想定していると思われる。
だが、たった二人を相手にする場合など、想定の外だろう。
「ん、そろそろか?」
二人が立ち止まる。
丁度、矢が届くか、届かないかの距離。
「絶妙だな」
ロックの距離感覚に感心する。
銃を使う者にとっては、距離の把握は基本だろう。
ロックが何事かを言い、それに反応した一部の兵が彼らに向かう。
二十人ほどだろうか。
その先頭を走る者に、ロックの銃撃。
右肩に鉛玉を受けた男は、その衝撃で倒れ、同時に一団の足が止まる。
その脇をキヤルが駆け抜ける。
「ロックが敵を挑発して、少しずつ釣り出して、各個撃破という作戦だな」
続け様に、弾が切れるまで撃ったのは、距離がある内に撃ち尽くし、再装填の時間を稼ぐためだろう。
しかし、それでは敵が止まってしまったのは計算外なのではないか?
ディースは、そう考えて心配する。
いや、敵が止まっても、再装填の時間は出来るので、それでよいのか。
「何、言ってるの?」
ロックが先頭を走る敵を撃ったのは、恐怖を呼び起こすためだ。
銃声は人目を惹く。
たった二人の来訪者に興味を持っていなかった者も注目せざるを得ない。
負傷し倒れた仲間を見て、何事が起きたのかと足が鈍る。
そこに二撃目、三撃目と追撃を加える事で、銃という物の危険性を知らしめる。
そして、死を感じ、足が止まる。
軍という集団の強みは、死への恐怖を薄めることにある。
一対一では、自身の死を強く感じても、十、百、千と集団の数が多くなるにつれ、死ぬのは自分ではない、隣の誰かだと、無意識に考えてしまう。
ロックの攻撃は、それを嘘だと思い知らせる。
ロックには走ってきた数十を相手にしているつもりはない。
少なくとも、銃声を聞き、こちらを見る事の出来る全てに恐怖を呼び起こす腹づもりだ。
早々に玉を撃ち尽くしたのも、その一環。
次はないと、安心し、動き始めた所に、『空の一撃』による有り得ない一撃。
もし、それが、その一撃限りの物だとしても、そう確信できない敵は、動くに動けなくなる。
近付けないのなら、近づかずに攻撃を。
そう考えると、ロックでなくとも読める。
銃声を聞き、ロックに注目していた射手たちが一斉に矢を放ち、魔力弾を撃つ。
彼等はロックという点を狙わない。
敵のいる空間という面を狙う。
故に、何所へも逃げられない。
「ヤバい!」
だから、盾を持てと言ったのだ!
「うーん、銃だとあれを全部迎撃するのは難しそうだよね」
私なら、二回、いや、三回、刀を振れば無傷で切り抜けられるかな?
シアンは心配していない。
ロックの笑みを見たからではない。
彼が、この状況を作ったのだ。
であれば対策がない訳がない。
風が逆巻く。
無数の矢弾は、風の壁に巻き取られ、標的に傷一つ負わせられない。
「凄い、凄い!」
これにはシアンも驚いて歓声を上げる。
「風陣弾か!」
風陣は、風刃と化し、敵陣に襲い掛かる。
魔族軍は負傷者を下がらせている。
「ふむ。軍としての基本は出来ているな」
「どういう事?」
「負傷者を下がらせているだろ?」
負傷した者は、足手纏いだ。
速やかに下がらせて、邪魔にならないようにするのが鉄則。
「下策だよね」
シアンはつまらなそうに。
「なに?」
「だってさ、ロックの手の内が全部読めたわけじゃないでしょ?それなのに元気なのが前に出てきたら、別の攻撃が来て、対策が出来なくて、怪我人が増えるだけでしょ?」
「つまり、ロックの攻略法が分かるまで踏みとどまるのが正解だと?」
「うん。動けないくらいの怪我なら、下がらせてあげないとだけど、自分の足で下がってるのもいるでしょ?」
まだ戦えるものまで下がらせる必要はない筈。
「ほら」
シアンに促されて見ると、炎が敵陣を焼いていた。
「爆炎弾か」
「ね、新しい怪我人が出たでしょ?」
「うむ…」
シアンの言う通りなのだが、俄かに頷き辛い。
今の爆炎でも死者は無かったようだが、怪我人が留まっていればどうなっていたか。
しかし、そのディースの考え方は、軍を指揮する者の思考ではない。
上に立つ者は、少ない損害で、大きな益を得る考え方をしなければならない。
その観点で言えばシアンが正しいのだろう。
映像のロックが電撃を放つ。
そのわずかな表情の変化に。
「これは失敗だったのかな」
「なぜだ?」
「思ったより奥まで攻撃が届いたのが嫌だったんじゃないかな?」
「それの何所がいけない?」
「ロックの把握していない所に弱いのがいたら殺しちゃうでしょ?」
「だから、そんな事を気にしてる場合では…」
豚頭の男が、一人突撃。
それの足元が凍りつき、倒れる。
「出来るんだから、やらないと。キヤルに嫌われるのは、ロックだって嫌なんだよ」
嫌われるとか、そんな問題か。
その感性に絶句する。
魔族の二度目の斉射。
それは、やはり風に阻まれる。
「一緒に突撃する奴がいたら面白いのに」
「どういう事だ?」
「あのね、『空の一撃』って、どこが一撃なんだって思わない?」
「それは、そうだが…」
「あれは一撃ずつって事なんだって」
「何の話だ?」
要領を得ない。
「だから、撃った弾が何かに当たるまで、次が撃てないのよ」
「つまり、あの風が吹いている間は、次が撃てない?」
「そう。そこに突撃されたらどうなると思う?」
「格闘でどうにか凌ぐしかないだろうな」
「ね?面白そうでしょ?」
「それは、どうだろう…」
仲間の危機を面白いとか。
最近の若いのの考えることは分からん。
ギルドマスター、ディース、もうすぐ四十歳。
老いを感じるのはまだ、早いと思うのだが。
面白いかどうかは別として、二発目の風陣弾で、勝敗は決したと言ってよかった。
何をしても、近づく事すら出来ない。
傷一つ、付ける事も出来ない。
怪我人が多数出ている。
それなのに、目の前の男は汗一つかいていない。
それで恐怖を感じない者は、ただその感覚が麻痺しているだけだろう。
恐怖を覚えた兵の集まりは、最早、軍とは呼べない。
逃げ出す機会を待つ、臆病者の集まりである
ロックはこの流れを、大群と対峙した時から読み切っていた。
まず、彼は自分たちが勇者だと名乗らなかった。
それをしてしまうと、相手にとって、是が非でも倒さねばならない敵になる。
簡単に処理出来る相手と思わせておく。
その上で挑発。
少し脅せば逃げ出すだろう。
なんなら殺してしまっても構わない。
その程度に思って近づいて来る。
伝令を後ろに送った様子はない。
それで相手が軍ではなく、戦える者がただ集まっただけの存在であると確信する。
軍とは兵が将の手足となり動くことに、その真価がある。
手足が勝手に動いてはいけない。
シアンとディースがその事に思い至らないのは、彼らがあくまで冒険者であり、軍に属したこともなかったから。
ロックは違う。
彼は貴族に拾われ、その教育を受けている。
もし、彼の『父』が戦に出る事があったなら、彼もそれに同行する事になっていただろう。
実は、敵も味方合わせて、軍という物を真に理解しているのは、ロックただ一人と言っても過言ではなかった。
先制の一発。
警戒度を上げると共に、いきなり撃ち尽くす愚挙を見せる。
やはり、馬鹿なのだと思ったところに、予想外の一撃。
下げられた警戒度は、すぐまた引き上げられる。
そして、無数の矢を防いで見せた。
近寄るしかないと思い動き出そうとする機先を制し、炎を。
その調子で、動こうとする者を見極め、雷撃、鉛弾。
その時の、ふざけた態度も彼を狂人に見せる。
再び防がれる矢の雨。
何をしても傷一つつけられない。
勇者や人間の軍を相手にするならともかく、狂人相手に傷付く事はない。
彼らに戦わない理由、逃げ出す理由を与える。
それが、ロックの選んだ殺さずに勝つ手段。
キヤルの疾走は、犬頭族の群れに阻まれた。
彼等は魔族には珍しく武装する事を好む。
その一団も革鎧と片手剣で武装していた。
キヤルを阻んだ理由は、仕事に忠実な質の者が多いからだろう。
例え子供と言えども、侵入者を見逃す事が出来なかった。
キヤルを目掛けて振り下ろされる無数の刃。
しかし、それらは掠りもしない。
何人かに拳をたたき込み、悶絶させる。
革鎧が役に立っていない。
が、一団のリーダーと思しき男に対しては苦戦しているようだ。
向うの攻撃は躱しているが、こちらも有効打を打てていない。
「キヤル、調子が悪いのかな?」
シアンが心配する。
「あれで調子が悪いのか?」
「うん。何時ものキヤルなら、あれくらいの相手なら楽勝の筈だよ」
「末恐ろしいな」
キヤルは、相手が何かに気を取られた隙に、それを踏み台に跳躍する。
「あ、逃げた」
そして魔族を踏み台に、次々と跳躍。
「本当に、調子が悪いのか?」
調子が悪くてこんな芸当が出来るものなのか。
伸びて来た巨人族の太い腕を一瞬で折って、更に跳躍。
「本当に、調子が悪いのか?」
信じられない。
「あ!危ない!」
キヤルに向かって飛来する槍に気付いたシアンが声を上げる。
空中では躱せない。
その筈だが、何とか身体を捻って躱す。
距離があった為、狙いが少し甘かったのが幸いした。
「ほら、ボタンが持ってかれた!」
それが彼の調子が悪い事の証左だとでも言うのか。
「ボタン一つで済んでよかったじゃないか」
普通の人間なら、この一撃で大怪我だ。
その一撃を切っ掛けに、行く先を決めたように、真っ直ぐ飛翔し始めるキヤル。
「キヤルは何所へ?」
「今の槍を投げて来た相手を目指すんでしょ」
「何故?」
「群れを潰すには頭を潰すに限るって言うでしょ?」
「それは、そうだが頭?」
「うん。あの槍を投げて来たのが、本当に頭かどうかは分からないけど、強者である事には間違いないでしょ?」
「強い者から倒していこうと?」
「そのつもりなんだと思う」
やがてキヤルは、一角族の男の前に降り立つ。
何事か言葉を交わし、男の大剣が閃く。
数十回、剣が振られ。
数十回、躱される。
シアンが、飽いて、欠伸を一つ。
「よく欠伸なんかできるな。仲間の危機だぞ」
「危機?どこが?」
「どこがって…」
「私に斬れないのに、こんな奴に斬れる訳ないじゃない」
「斬れない?斬っていたろう?」
「あれは斬らしてくれたの。おじさんたちに危ないよって教える為にね」
雑になった剣戟を掻い潜って、正拳の一撃。
「これは…浸透頸?」
「なにそれ?」
「武闘家たちは気という物を操って戦うんだが」
気というのは、血液と同じように、体中を巡る力だ。
その力を操作することで、身体能力を強化し、打撃の威力を上げる。
「その技の一つで、自らの気を相手に流し込んで、相手の気の流れを乱して倒すというものだ」
キヤルがその技を使ったことで、ディースは合点がいった。
キヤルの身軽さも、打撃の強さも気を使ったものだと。
それを口にすれば、また、シアンに何を言っているのかと言われそうだが、今回に限っては正解だった。
キヤルが男の角を蹴り折って、決着。
「なるほど、こういう事か」
「何が?」
「相手を殺さないというのが、ここで生きてきたという事だ」
「よく分からないんだけど」
「例えば、今の相手が敵の大将だとしてだな、それを殺してしまうとどうなる?」
「さあ?」
「少しは考えろ。周りの連中は仇を討とうとするだろう?」
そうだろうか?
と、シアンは疑問に思う。
その大将が、偉ぶって嫌な奴なら、そんな事思わないだろう。
ただ、仲間が殺されたからという方が仇を討つ気になるだろう。
この辺は、組織に属する者と、属していても自覚がない者の差だろうか。
「キヤルが幾らその強さを見せつけていても、敵わぬまでも一矢報いる、なんて突っ込んで来る奴が出てくる。そしたら、それに続く者も現れる。いつまで経っても終わらない」
兵が慄く様が見える。
「だけどな、殺さずに戦意だけを刈り取った場合、周りの連中に戦う理由がなくなる。大将が戦いを止めたのに、敵わない相手に向かっていかないといけない道理はないだろう?」
水晶には雪崩をうって逃げ出す兵が映っている。
キヤルは一角の男を前に反省をしていた。
今回、自分は何をしたのかと。
今までの鍛錬の成果を試すつもりだった。
回復術ではない、気の操作による身体強化で、身が軽くなり、足も速くなった。
それで始めは敵を躱すことができた。
そうキヤルは思い込んでいるが、それは誤解である。
確かに、足は速くなっているが、彼が何者にも邪魔されず、敵陣に入り込めたのは、敵の油断のお陰である。
子供に何ほどのことが出来るのか。
自分が止めずとも、誰かが止める
事実、犬頭に止められる。
そして、彼らを倒す事もできず宙へ逃げ出す。
回復術を使えば、そんな無様を晒す事はなかった。
強者を選んで倒す。
その内に大将に当たるだろう。
その大将を倒せば、軍は瓦解する。
そんな思惑だった。
それなのに、逃げた。
この時点で回復術を解禁すべきだった。
何故、そうしなかったのだろう。
自問するが、答えは出ない。
実は、少年は、緊張し、興奮していた。
一万もの大群との戦いである。
そうで当然。
しかし、自覚はなく、故に判断を誤る。
早くかたをつけないと死人が出るという、ロックの言葉も、頭から抜け落ちている。
だから、宙を跳びながら強者と思しき者を探し続けた。
巨人族の腕を折っただけで済ましたのは、それを強者と認めなかったから。
彼の基準はロックとシアンだ。
そうそういる者ではない。
しかし、目的の為には、目立つ巨人をきっちりと倒す方がよかったのではないか。
そうした方が相手の動きから、次の目標が早く見つかった筈ではないか。
今思えば、そうなのだが、その時心に浮かんだのは。
『楽しくなってきたのに、邪魔なさらないで下さい』
だった。
気は反発する性質がある。
自分の気と、踏み台になる兵の気の反発。
それを利用して跳んでいるのだが。
その感触と感覚を、楽しいと思ってしまっていた。
故に飛来する槍に気付くのが遅れ、ぎりぎりで避けることになった。
しかし、冷や汗をかかされたお陰で目的を思い出せた。
槍を投げて来た者は、強いだろうか。
期待してそちらに向かう。
一角族の男と目が合う。
その男の周囲は開けている。
つまり、その男に近寄りがたい理由、強さか地位の高さがあるという事だろう。
男の前に降り立ち、かけられた言葉に、挑発で返す。
この辺はロックのやり方に学んだものだ。
攻撃を躱しつつ、ハズレだと思う。
大して強くない。
簡単に挑発に乗るところを見ると、将の器でもないだろう。
浸透頸を放つ。
男に流し込まれた気は、その体内で彼の気と反発しあい、その流れを乱す。
気が乱れるとまず体の自由が利かなくなる。
今回はその程度の効果だが、酷くすると内臓の働きを阻害し死に至らしめる事も出来る。
気の乱れは、一角族の回復力をもってしても簡単には治せない。
そうは思ったが、初めての技だ。
加減し過ぎたかもしれない。
念の為、角を折る。
周りの兵が慄いている。
逃げてよいと言ってみたら、本当に逃げ出した。
逃げて行くのは周りにいた者だけではなかった。
軍全体が逃走を始めている。
ロックが上手くやってくれたのだと思った。
それに引き換え自分は何をしたのか。
たった一人を倒しただけではないか。
それも、少し強いくらいの、大して重要でもない相手を。
実は、それは誤解で、彼が倒したのは、この軍の将であり、最強の一人であったのだが、少年に、それを知る術はなかった。
また、犬頭族を何人か倒したことは印象に薄く忘れていたし、巨人の腕を折ったことに関しては、その程度では倒したと言えないと勘定に入れていない。
やっぱりロックさんは凄い。
大人はちゃんと仕事をする。
子供な自分は出来なかった。
それがキヤルの今回の戦いに対する評価。
この軍の真ん中あたり、中衛とでも言うべき辺りに、一人の牛頭族の男がいた。
牛男族は巨体で怪力だが、性格は温厚な者が多く、魔族の中では珍しく畑を耕して日々の糧を得る。
この男も穏やかで面倒見がよかった。
彼の周りには、単身、部族を離れ、軍に合流しても同族がいない者たちが集まっている。
彼らの面倒を見ているうちに、その纏め役として全軍に認識されていた。
男は前衛が賑やかな事を訝しみ、三眼族の男に様子を見に行かせた。
額に三つ目の目を持つ三眼族は、遠見と透視の力を持つ。
今は、一党、車座になって座り三つ目の報告を受けている。
前衛で戦いが始まっているのに、座り込んでいるとは。と思うかもしれないが、彼らにはなんの情報も命令も下りて来ていない。
平時の如く振る舞って咎められる謂れもない。
「なんか前衛のヤツら戦ってますぜ」
「戦っている?敵軍が来たなんて、聞いてないぞ?」
「それが、相手は軍じゃないようで」
「軍ではない?なら、いったい何と?」
魔物、例えば、大鬼でも出たのか?
「それが、人間が一人喧嘩を売ってきたらしくて」
「人間が一人だけ?」
「はい、人間の男が炎や雷を放ってるんです」
「炎や雷?双角族ではないのか?」
双角族は、その名の通り、頭に二本の角を持つ種族で、怪力と、炎や雷を生み出し放つ力を持ち、魔族最強種の一つと言われている。
「違います、角は有りませんでした」
「それなら対処は簡単だろう。何故、こんな騒ぎになる?」
「それが、ソイツには矢も剣も効かないらしくて」
彼が見たのは人間が一方的に攻撃しているところで、何故、こちらから攻撃しないのかは、それを見ていた辺りの者に尋ねた。
矢が効かず、近づくのも難しいと聞いたのを、矢も剣も効かないと勘違いしている。
「なにかの間違いじゃないの?ちゃんと見てきたの?」
牛頭の隣りに座る単眼族の女が問い質す。
「いや、俺が見たのは睨み合っているところだけで…」
「なんだ、じゃあ信用できないじゃない。ガセを掴まされたのよ」
「いや、その男の足元に矢がいっぱい落ちてたし、男は傷一つ負ってなかった。ガセじゃねぇ!」
三眼の男は何人もの兵の陰に隠れ、その身体を透視して相手を見ていた。
それなのに目が合った。
勘違いではない。
男はニヤリと笑い、左手に持つ、金色に輝く、見た事もない道具をこちらに向けた。
危険を感じ、回れ右、一目散に駆ける。
背中が熱風に煽られ、肩越しに見やると、先程まで彼を隠していた兵たちが焼かれ、倒れていた。
駆け出すのが、一瞬遅ければ、自分もあの中の一人。
ゾッとする男の耳に風に乗って笑い声が届く。
「それに火を使ってくるのは、確かだ!見ろ!」
背中を見せると、髪が縮れていた。
「なにさ、大したことないじゃない」
「一瞬、早く駆け出したからこれで済んだんだ!じゃなきゃ全身火ダルマだったんだ!」
「ビビっただけの癖に。ものは言いようよね」
「なんだと!」
「なによ!」
「喧嘩をするんじゃない」
この二人は顔を合わせれば口喧嘩を始める。
「それで?その炎は魔法なのか?呪文は唱えていたか?」
「あ、いや、炎を撃ち出してくるところは見てなくて」
「ビビって逃げ出してたからね」
「うるせえ!」
「だから、やめろと言っている」
諫めると、
「すいません」
と、三眼は頭を下げるが、単眼は知らん顔。
「でも、金色のこれくらいの道具をこちらに向けて来ました。それが魔法の道具なんじゃないかと」
魔法の道具でも、使用には合言葉が必要なのだが、声を聞くには距離があったし、背を向けていたので唇を読むこともできなかった。
「だから、もうちょっとちゃんと見てたらよかったのに」
「だから!それじゃあ俺は黒焦げだって!」
やいやいと、やり始めるのをもう止めない。
前衛が得体の知れない相手と戦闘をしているのは確か。
そういえば、先程、宙を飛ぶ子供を見た。
ただの子供にそのような芸当ができる筈もなし。
なにかが起きている。
そう思っても、どこからも命令がない以上、動くに動けない。
命令を待たず動くにしても、非常識な出来事に、どう対処していいのかも分からない。
それでも。
「皆、昼飯は後だ。いつなにが起きてもいいように準備をしておけ」
心構えは出来る。
本来ならこのような話しは、指揮官の元、人払いをして行うべきものである。
なんの仕切りもない、こんな場所で、しかも何の権限もない者に報告されるべき話しではない。
このやり取りは、周りの魔族たちの耳にも入る。
当然だ。
彼らも前衛が騒がしいことは当然、気付いていて何があったのか知りたがっていた。
聞き耳を立てていて当然。
そして、この話しは噂になる。
既に剣も矢も効かないという尾鰭の付いた噂。
広まるうちにどんな変化をするものか。
それして、前衛から下がってくる怪我人の存在が噂に信憑性を与える。
恐怖と興味に全軍が包まれる。
そんな中、後衛の一部が逃げ出す。
牛頭の所には何の命令もない。
なかったが。
「よし、お前たちも逃げろ」
相手が人間の軍だというのなら、前衛に加勢をと思うが、得体の知れない化け物が相手で、後ろはもう逃げ始めているというのなら、無理に戦って痛い目に会うことはない。
「この声の聞こえた者は逃げろ!誰かに咎められたら俺のせいにすればいい!」
牛頭は周りの兵たちにもそう声をかけた。
後ろが敗走し始めた事に気付いた前衛も逃げ出す。
彼等は逃げ出す機会を待っていたのだから。
一万の兵対二人の勇者。
勇者の圧勝であった。