エイトブリッジの夜
朝。
まだ夜が明けきる前。
宿の前の道の端で。
キヤルは格闘術の鍛錬をしていた。
師匠は頭の中。
治癒術で読み取った記憶。
勘違いされるかもしれないが、記憶を読み取ったからといって、その記憶にある技術が、そのまま使えるようになる訳ではない。
記憶を読み取れば、相手が覚えていない事ですら、知ることが出来る。
知ることが出来るだけである。
例えば、これで相手の感じた痛みは分からない。
何か怪我をした時の事を思い出してほしい。
思い出した時。
その怪我をした場所は痛みを訴えたろうか?
痛かった事は思い出せても、痛みがぶり返す事は無い筈である。
つまり、記憶が読めたからといっても、全てを理解できるわけではないのだ。
それに、体格の差もある。
記憶を読み、コツを掴むことが出来たとしても、それは元の人物の体格での事。
今の少年の身体に合わせる調整が必要だ。
そのような理由で、彼は毎朝の鍛錬を日課にしている。
「毎朝、毎朝、精が出るな」
下穿きを穿いただけのロックが声をかけてきた。
「おはようございます、ロックさん」
「おう」
「どうしたんですか?こんなに早くに」
いつもなら寝ている時間である。
「ん、尋問が終わったんでな、情報を共有しとくかと」
「まさか、今までやってらしたんですか?」
「おうよ、働き者だろ?」
「いえ、今までかかるとは。ロックさんは尋問が苦手なんですね」
「はん!言うじゃねぇか!」
「それで?何か分かりましたか?」
「ああ、賊は魔族、猫耳族の女、胸は嬢ちゃんより三割程小さい。男性経験は少ない、数える程しか経験してないはずだな。奥を突くより、浅い所を擦るようにする方が気に入ったようだ。あと、後ろから突くときに、雁を上に引っ掛ける様に意識してやるとすんげえ声で啼く。余程気持ちいいんだろうな」
「何の話しをしてるんですか?」
「何って情報の共有だって言ってるだろ?」
「そんな情報は、いりません」
溜息一つ。
「冗談だ。初めは共存派を名乗ってたが、そんな訳ねぇからちょっと責めてやったら魔王派だと白状した」
「何で共存派ではないと?」
「それ、本気で言ってるか?」
首を振って否定する。
どの派閥であっても、いきなり強硬手段に出る必要は無い。
まず、普通に接触して、駄目なら攫うなり何なりすればいい。
という事は、襲撃者は一度は親子に接触したことのある派閥の手の者という事になる。
共存派の重鎮に会いに来た親子に、共存派が接触した事があるのなら、二人は今、キヤル達と行動を共にする必要が無い。
となれば、襲撃者は、別の勢力の者という事だ。
「拐かして、魔王の所に連れて行くつもりだったらしい。南門を出て少し行った所に魔王軍が集結しつつあって、まず、そいつらと合流する算段だった」
「その軍の規模は?」
「それは知らなかった。この街に住んで、冒険者をやってたら、軍の方から接触があって、仕事を受けたって事だからな」
「元々魔王派ではあるけど、軍と行動を共にしていた訳ではないと?」
「ああ。住処が何処かも聞いてある。確認に行くか?」
「その必要はありません」
昨夜、回復術をかけた時に、記憶は読んである。
それと、この報告に齟齬は無い。
記憶を読める事は秘密にしてあるので、こういう情報は聞いておかないといけない。
「他に、何かありますか?」
「この街に住んでる魔王派は、数十人程度。普段は、普通に仕事をしながら、共存派の動向を探ってて、何か掴んだら、合図をして集まって共有するらしい。何人かの名前、特徴と住処は聞き出した。やるか?」
「まさか。彼らと事を構えるつもりはありませんよ」
「っても、仕掛けてきたのは向こうだぜ?一回の失敗で諦めるとも限らねぇし」
「それでもですよ。専守防衛でいきましょう」
「それでいいのか?」
「はい。こちらから出向いてまで、というのは面倒です」
魔王派であるという事は別に犯罪ではない。
思想は別として、普通に生活する善良な市民なのだ
それなのに、こちらから手を出すとなると、事前、事後に色々と手を回さなくてはならない。
「おまえ、そういうとこ、あるよな」
「何の事です?」
「面倒くさがりって言うか、実害が出なけりゃそれで良いって言う」
「良いんじゃないですか?」
「危険の芽を予め摘んでおくのも重要だぞ?」
「危険?僕たちにですか?」
「俺様たちじゃなくて、例えば、嬢ちゃんが攫われるとか」
「僕たちが、そばにいてですか?ありえないでしょう」
「言い切るかよ」
「まさか、自信がないんですか?」
「そんな訳ねえだろ。ただ、人を護ってっていうのは慣れてねぇし、遣り辛い」
「ロックさんにも、苦手な事があるんですね」
「苦手とまでは言ってねぇぞ」
「ああ、成程」
「何が成程なんだ?」
「尋問をしたいのですね?」
「い、いや、別に、したい訳じゃねぇよ。ただ、必要があればだな…」
つまり、魔王派に居るであろう女性に対して不埒な事ができるかもしれないと期待しているのだ。
「そろそろ、シアンや嬢ちゃんも起きてくるだろうし、朝飯にしようや」
誤魔化そうとして、白い目で見られた男は、話を変えて逃げ出した。
朝食の前に、賊を宿の人間に引き渡す。
説明が面倒なので、ただの物取りだろうと説明する。
昨夜の内に引き渡しても良かったのだが、それだとロックが遊べないので、今朝になった。
因みに、ロックの玩具にならなかった方、魔族の男はこの時まで簀巻きにされてキヤルたちの部屋の隅に転がされていた。
「今日はまず、ギルド本部に行くぞ」
朝食の席でロックが宣言し、キヤルは、それで領主に会う手段を理解した。
クロエ親子が驚くほどの量の朝食を平らげた後、一行はギルドに向かう。
街の中央広場、領主の館の向かいにあるギルド本部は大賑わいだった。
新しい依頼を求めてくる冒険者が、一番多い時間と重なっていたから。
受付で認識証を見せると、すぐに案内しますと二階、奥の部屋に案内される。
案内人に付いて行ったのは、キヤルとロックだけ。
シアンと親子は一階で待ってもらう。
ギルドマスターに呼ばれたのは、キヤルたちだけである。
どんな話をするかも分からないのに、無関係な二人を同席させるわけにはいかない。
シアンが残ったのは、二人を放っておく訳にもいかないから。
ギルドマスターの執務室は、応接室も兼ねているらしく部屋の中央に大きなテーブルとソファーがあり、その奥に立派な執務机がある。
ソファーの横には背もたれのない椅子が二組。
「そういえば、ギルドの目もあったっけな」
小さく呟く。
「それでも呼ばれてない人を許可なく同席させるのは失礼ですから」
「冒険者が余計な気を回すんじゃねぇよ。さっさと女性組を連れてこい」
執務机で書類仕事をしながら、禿頭の巨漢が言う。
少年が、シアンと親子を連れて来ると、禿頭の中年は仕事の手を止め、一行に椅子を勧めた。
ロックは既に座って足を組んでる。
「俺がこの街のギルドを仕切っているシークだ。そっちはキヤル、ロック、シアンと、クロエさんと、その御母堂で間違いないな?」
何故、自分の名前まで知っているのかクロエは不思議に思った。
「自己紹介しないで済むのはいいが、覗き趣味は感心しないな」
「監視を付けていた事は謝ろう」
マスターは素直に謝罪したが、それはそれで面白くないらしく、ロックはそっぽを向いてしまう。
「それは構わないのですが、僕たちに何の御用でしょう」
「ああ、大した事じゃないんだ。お前さんの顔を一度、見ておきたいと思ってな」
「僕ですか?」
「ああ、実はヨークァンのギルドから、各ギルドに向けた、依頼っていうか、注文が届いていてな」
ヨークァンというのは、キヤルとシアンが出会った街である。
「ヨークァンのギルドからの注文ですか?」
「ああ、未来のエースが、武者修行の旅に出るから、妙な仕事を受けて怪我なんかせんように気を付けてやってくれってな」
「何ですか?それは?」
仕方のないことではあるが、子ども扱いされているようで面白くない。
「今までの街のギルドではそんな事言われませんでしたが?」
「まあ、放任主義な奴が多いからな。問題がない限り、手も口も出す気は無かったんだろう」
「じゃあ、あんたは過保護な質なのか?」
「まあ、そうだな。期待の新人が、問題の多い馬鹿と組んでいるって聞いてな。それが本当ならどうにかしてやるべきかなと」
「うん。確かに、シアンみたいな斬りたがりと一緒に居たら何時、大怪我するか、分からんもんな」
この男は本気で自分に問題が無いと思っている。
受けた依頼は全て完遂している。
それだけ見れば、彼は優秀な冒険者と言える。
問題は女性に対する行動だ。
性的暴行を含む、彼の女性問題は、冒険者としても、制裁を受けるかどうか、ギリギリの線の上。
今まで制裁を受けなかったのは、強姦した相手が、冒険者か犯罪者であること、一般市民相手には、一応は合意の上での行為であるからだ。
ただし、その合意の得方に問題がある場合もあるのだが。
「私のわけないでしょ!」
彼女にも、問題がないわけではない。
何かというと、すぐ刀を抜き、斬りかかる。
その相手が、専ら、仲間のロックであるので、ギルドが関与する事ではないだけだ。
もしそれが、一般人や、秘蔵っ子キヤルに向けられるなら、対処しなければならない。
何時、問題を起こすか分からない二人といつまでも組ましておくわけにはいかない。
そう思って、三人の為人を見極めようと、呼び出したのだが。
「うん。悪かった。どうやら報告に不備があったようだ。俺が口を出すようなことは無かった」
「大してお話しもしていないのに、それでいいんですか?」
二人に問題が有る事は承知のキヤルが尋ねる。
「おう、こう見えても、人を見る目って言うか、パーティーを見る目は有るつもりだ。お前らの、なんて言うか、空気感ってやつは心地良い。そんな奴らはおかしな事にはならん」
「そうですか?」
三人とも、マスターの言う事が今ひとつ分からない。
他人から見ないと理解できない事なのかもしれない。
「さて、こっちの用件は、それで終いだ」
三人の様子に、苦笑しながら宣言。
「そっちにも、何か俺に話が有るんじゃねぇか?」
その目は黒翼黒髪の少女を見ている。
「はい。こちらの親子が、ここの御領主様にお会いしたいという事で、ギルドの方から口をきいていただけたらと思いまして」
「そっちのお嬢さんなら、いきなりでも会ってもらえそうだが?」
「実は僕たちも同席したく思っていまして」
「お前たちはハクロに何の用が有る?」
クロエがハクロに会う理由は見当がつく。
しかし、この冒険者たちが、彼に会う理由は?
「クロエさんの身柄は、僕たちが預かるので余計な手をお出しにならないよう、ご忠告をと」
「おいおい、お嬢さんが何者で、ハクロ殿がどんな立場の人間か、分かっていて、そんなことを言うのか?」
「はい。クロエさんが継承者だというのは承知しています」
「なら、ハクロ殿に任せた方が、万事上手く行くだろう?そちらも、その方が安心出来るでしょう」
その問いに、母は頷く。
「いいえ。ハクロ様に継承者を預ける訳にはいきません。最悪、殺されてしまう懸念があります」
「それは、また物騒な事を。しかし、それは無いだろう。彼に、いや、共存派に継承者を殺す意味が無い」
「しかし、前例があります」
「ん?どういう事だ?」
「まず、何故、共存派が継承者を殺す意味が無いのか、ご存知でしょう?」
「殺しても、すぐ、次が選ばれるからだ」
「何故、それをご存知で?」
「それは前例があるから…まさか」
「その、まさか、です。前例を作った張本人が、ハクロ様なのです」
「いやいやいや、ちょっと待て、根拠のある話なんだろうな?」
「はい。まず、継承者が殺されたのは、このエイトブリッジです」
「それは知っている、魔王関連の資料に書いてある。だが、それは根拠にならんだろう。物取りや、ただの喧嘩の末って線もある」
「それまで所在不明だった方が、いきなり街の真ん中で死体として見つかったんですよ?」
「それまでハクロ殿に匿われていたって言うのか?それなら何故死んだ?」
「ハクロ様は、共存派の中でも魔王を排斥しようという勢力の方です。魔王に対処する術を模索されています」
「魔族が?それは無理な話だ」
「その通りです。ですが、だからといって、手をこまねいている事が、彼には出来ませんでした」
「それで、継承者か…」
魔王の事を調べようと近づけば、その影響下に置かれて自意識を無くす。
だから、魔王に関係する者、継承者を調査することで、魔王の何かしらを知る事が出来るのではないか。
そう思ったのではないか。
「はい。継承前であっても、魔力的な繋がりがあるのではないか、とか、色々調べようとなさったのでしょう。しかし、手違いから殺してしまわれた」
「いや、例えそうだとしてもだ、死体を街の真ん中に放り出す事は無いだろう?それまで隠してたんだ。死体の一つや二つ秘密裡に処理する事だって…」
「それでは御供養出来ません」
「供養だ?」
「はい。彼は、憎しみで殺したのではありません。あくまでも手違いです。であれば、丁寧に埋葬し、供養をと考えても不思議ではないでしょう」
秘密裡に処理しようとすれば、見つからないように埋められて、墓もない。
しかし、殺人事件の被害者として見つかったのなら、丁寧に埋葬される。
「筋は通っているように思うが、証拠は無いだろ?御婦人はどう思われますか?」
この場合、納得させなければならないのは、当事者の二人だ。
「分かりません。親切にしてくださった方のお話です。信じようかとも思いますが、それでも…」
「そうですか。では、僕の言葉を証明致しましょう」
「そんな事が出来るのか?」
「はい。そのために、皆さんにご協力頂きたい事がございます」
退屈だったのか、シアンは船を漕いでいる。
不真面目な少女剣士を、そのままにキヤルは協力の内容を説明した。
お盆休みに、もっと先まで書いて、なんなら休み中に上げるつもりだったのですが、今書くべき所じゃない所ばかり頭に浮かんでダメでした。
エピローグ後の話なんて今考えてもしょうがないのに…