エイトブリッジで晩御飯
人探しは簡単に終わった。
背中に大きな翼を持つ有翼族は、他種族の中にいると目立つ。
だから、クロエとシアンの二人を街の中央広場で待たせ、ロックとキヤルの二人が手分けをして、母親を探すという方法をとった。
クロエの母をキヤルが見つけ、仲間と合流するまで一時間もかからなかった。
「本当にお世話になりました」
礼を言う母に。
「お気になさらないでください。困った時はお互い様ですから」
と、笑顔で返す。
「で、二人はこれからどうするんだ?俺様達はそろそろ宿を探そうと思ってるんだが」
「この街の御領主様にお会いしたいと思っています」
領主の館は広場の北側、すぐ目と鼻の先。
「そうか。約束があるんだな?」
「いいえ。特にお約束はしておりませんが…」
約束など無くともクロエなら会って貰える筈。
ただ、そう言える根拠も、クロエが継承者であり、ハクロが共存派の重鎮であるという事だけで、改めて言われると確実に会って貰えるかは不安になる。
「なら、会って貰えるかは分からないな」
「そうでしょうか?」
「魔族のしきたりとかには詳しく無いが、人間の感覚だと、偉くなるほど会うのが難しくなる」
魔族でもそうだ。
例えば、余所者が、部族の長に会いたいとやって来たとしても、直ぐに会えるものではない。
「もし、良かったら俺様達がなんとかしてやろうか?」
その言葉に、クロエ、母、シアンの三人が、驚く。
「ロック、私たちだって、ここの領主と知り合いって訳じゃないんだよ?」
「ああ、領主とは面識は無い。だけどな、会う方法はある」
自信満々に言い放つ。
「まぁ、今から会いに行って、駄目なら俺様達の所に来てもいい」
有難い申し出を無下にしておいて、駄目なら、また頼むという事が出来るほど母の面の皮は厚くない。
「でしたら、お願いしようかしら」
失敗るわけにはいかない。
出来るだけ、確実な方法を選ばなければ。
「よし、なら今日は同じ宿に泊まるとしようか。その方が明日一緒に動くのに都合がいい」
広場近くにも宿はあったが、値が張るので、北門近くの宿を取った。
一階が食堂、二階が客室という作りの一般的な宿である。
夕食もそこで取る事になった。
四人掛けのテーブルしか無かったので、店主に無理を言って、テーブルを二つくっつけて、五人で利用する。
その代わり、テーブル一杯に料理を注文した。
有翼の親子は食べ切れない事を心配したが、三人は平気な顔。
「これ、美味いな。味付けは薄いが、その分肉の旨みがガツンと来る」
「私はこっちの魚の方が好きかな」
ロックが食べているのは、昼間の串焼きと同じような物で、シアンの方は川魚の塩焼きだ。
どちらも、素材の味を生かすよう薄く味付けしてあるように二人は感じた。
「でも、この魚、大きいよね。やっぱり、川が大きいからそこに住んでる魚も大きくなるのかなぁ?」
シアンが村で食べていた魚に比べ、倍はあろうかという大きさに感心する。
因みに、今まで彼女が食べて事のある中で、一番大きなものでも、指を伸ばした手のひらと同じ位か、それより少し大きいくらい。
「それでも、この河では小さな方なんですよ。本当に大きな物はロックさんより大きいらしいですよ」
「へぇ。美味しいのかな?」
「ロックさんより大きい魚でしたら、ムルルクの事でしょうか?私達も食べた事はありませんけど、美味しいという話は聞いた事があります」
「ムルルク?」
「はい、とても獰猛な魚で、人も食べてしまうと聞きます」
「じゃあ、獲るのも命懸けだ?」
「はい、ですから、余り食べる機会は無いらしいのですが、身はよく締まっていて美味しいということです」
「へぇ、食べてみたいね」
「うぁ!これ、辛い!」
スープを飲んだクロエが悲鳴を上げる。
それは野菜を煮込んだ透明なスープで、見た目は辛そうではなかった。
「そう?少し胡椒が利き過ぎだけど、辛いって程じゃないよ?」
同じ物を食べたシアンは平気そう。
母が娘に水を手渡しながら言うには。
「皆さんは、これらの料理を薄味に感じられておられるようですが、私達にとっては十分、濃い味に思えます。」
クロエも水を飲みながら、その通りだと、頷いている。
「僕たちと、魔族の方では、そんなにも味覚が違うんですね」
「やっぱり、人間向けの魔族料理って事か?」
「そうかもしれませんね。でも、一般的な魔族の味付けとも違いますね。この料理は味が複雑に思えます」
「複雑、ですか?」
「はい。この焼き魚も、塩だけではなく、他の調味料が使われていると思います。私達は調味料をあまり使わないので、何を、どの位使っているかまでは分からないのですが」
「ええっ!塩だけじゃない?」
「僕たちが濃い食べ物に慣れ過ぎて、微妙な味が分からないってことですかね」
「じゃあ、この料理を魔族の人が食べたら、人間料理だと思うのかな?」
「だとしたら、こいつは、人間料理でもなく、魔族料理でも無くて、エイトブリッジ料理って事か?」
食べる者によって味の感じ方が違うという事を楽しみながら、晩餐は進む。
「全部食べちゃったね。あんなにあったのに、凄い」
食後のお茶を飲みながら、クロエは感嘆する。
が、その驚きの言葉には、少し語弊がある。
彼らが平らげた料理は、初めに並べられた物だけではない。
ロックが、次々と追加注文をしていたから。
実際は、菜譜の、ここからここまで、全部持って来い、とやったのと変わらない。
「食える時に食えるだけ食う。それが冒険者の流儀ってもんだ」
それにしても限度がある。
「そうそう。デザート何か頼む?」
シアンが同意し、更に何か食べるか尋ねる。
「ええっ!まだ食べるの?」
「甘いものは別腹って言うでしょ?」
「そうですね。何か果物とかあるでしょうか?」
「何だ?そんなので良いのか?」
「どういう意味ですか?」
「いや、昼間のアイスとやらは無いにしても、甘い菓子を頼めば良いじゃねぇか」
「ロックさんは、そういうのが良いのですか?じゃあ、僕も、そうしようかな?」
「いや、今更、そんな小芝居しなくても…」
キヤルの甘いもの好きはバレているのだから、隠そうとしなくてもいいのに、と思う。
「それはそうと、今晩はいいんだよな?」
「駄目ですよ」
「何で!いつもなら許してくれるだろう!」
「ロックさんは朝帰りどころか、昼まで帰って来ない事もありますから。そんな事になったら何のために同じ宿にしたのか分からなくなるじゃないですか」
「朝には、いや、なんなら夜明けには帰って来る!約束するから!頼む!もう三日も我慢してるんだぞ!」
ロックの勃たなくなる病気の治療として、彼の性欲は、キヤルに管理されていた。
少年に頼めば治るとしても、その症状が出る事自体が嫌なロックは、それを素直に受け入れている。
そもそもの原因が、その少年にある事も知らずに。
「何の話し?」
「クロちゃんは知らない方がいいかな」
事情を知らない二人は、大の大人が、年端もいかない子供に頼み込んでいるさまを見て、不思議そう。
キヤルとロックが、同年代なら、何を話しているのか、母の方なら察したかもしれないが、まさか、この歳の差で性の話をしているとは思わない。
「ロックさんも、気付いておられるでしょう?」
「それくらい、二人で充分だろ?だから、な?」
「駄目です。危険が想定される時は、纏まって行動するのも、冒険者の常識ですよ」
「危険って、なに?」
「それも、クロちゃんは知らないでいいかな?」
実は、彼らは監視されていた。
冒険家ギルドを出た時から一組、クロエと出会った後から、もう二組、彼らの後をつけて来る者たちがいる。
ギルドを出てすぐについてきたのは、人間、今もシアンの後ろ、少し離れた席からこちらを覗っている。
これは多分、ギルドの構成員だろう。
ロックの噂を聞いて、騒ぎを起こさないか監視しているという所か。
クロエと合流した後の二組は、両方とも魔族。
片方は入口近くの席で、もう片方は大胆にも隣の席に座って、こちらを見ている。
魔王派と共存派、それぞれの手の者だろう。
しかし、クロエの素性を詳しく教えてもらっていないシアンは、別の可能性を考える。
クロちゃんは、可愛いから人攫いに狙われている!
そう思い、クロエに余計な心配をかけまいと、言葉を濁した。
「クソ!機嫌良さそうだから、許しが出ると思ったのに!」
「機嫌が良い?僕が、ですか?」
確かに、いつもより、よく食べ、よく喋ったように思う。
上機嫌の理由も、ある。
クロエとの予定外の邂逅ではない。
仲間二人の行動が嬉しい。
キヤルは、二人にちゃんとした大人になって欲しいと思っている。
そもそも、それが世界をやり直した理由。
少年は、大人は自分よりなんでも出来て凄い存在なのだと思っている。
だから、普段、素行が悪くとも、本気を出して、ちゃんとすれば、魔王討伐などやってのけると信じていた。
だから、大人しく言う事を聞いていた。
決戦の時も後方で大人しくしていた。
結果は惨憺たるものだった。
しかし、それくらいで、大人を諦めない。
ちゃんとしなかったから駄目だっただけだ。
もっと、ちゃんとすれば良い。
そう思って、やり直しを選択した。
そして、今日。
シアンは、人見知りという欠点を克服出来るであろう可能性を見せてくれた。
もっと、沢山の人と関われば、それだけで彼女の欠点の一つは無くなるだろう。
彼女はまだまだ、直すべき所も、成長しなければならない所もあるが、それでも大人になりたてであるという事を考えれば、充分だ。
少年を真に歓喜させたのは、ロックの言動だ。
いきなり尻を蹴られ、人にぶつけられたというのに、それに意味があると考え行動してくれた。
いきなりの無礼に、怒るのではなく、その理由を尋ねてくれた。
そして、熟練の冒険者としての観察力と思考力も示してくれた。
これで女癖が治れば理想的な大人だ。
それが一番の難関だろうが。
運ばれて来たパイを一切れ口に運ぶ。
熱を加えられた果物は、甘味を増し、とても美味だ。
口元が綻ぶ。
ハッとして見れば、ロックたちが、ニヤニヤしながら、こちらを見ている。
咳払いをひとつ。
「あ、明日は早いんですから、食べたらすぐ寝ますよ」
平静を装うが吃ってしまった。
食後のお茶も終えた一行は部屋へと引き上げる。
二人部屋を三つ取ってある。
本当は一人部屋二つと、二人部屋一つの組み合わせが良かったのだが、親子を真ん中の部屋にしたいので、そうするしかなかった。
階段を上がってすぐ右手の部屋にキヤルとシアン。
その奥の部屋に親子。
その更に奥がロックの部屋になる。
その奥にも二人部屋が続いて、廊下を挟んで向かいは一人部屋が並んでいる。
キヤルとシアンが同室なのは、いつもそうしているからである。
キヤルとロックの組み合わせは、教育に悪いとシアンに反対されている。
ロックも一人の方が気兼ねなく好きに出来るので(主に女性関係で)それに従っている。
「何でキヤルがこの部屋にいるの?」
部屋に遊びに来たクロエが不思議そう。
明日、領主に会えるのなら、それでお別れになるのだから、今晩位は、仲良くなった友人と過ごすのも良いだろうと母に勧められて、この部屋に来ていた。
「キヤルはいつも私と一緒に寝るんだ」
「へぇ、甘えん坊なんだ?」
「心外です!それでは僕がシアンさんと一緒に寝たがっているみたいじゃないですか!」
「違うの?」
「違いますよ!僕は一人でも寝れます!」
二つある寝台の片方に潜り込み、
「おやすみなさい」
と、挨拶して眠ろうとしたのだが。
「シアンさん?」
「なに?」
「寝台は二つあるんですから、向こうへ行って下さい」
シアンは、当然の如く、少年の隣で寝ようとしている。
「私、枕が変わると寝れない質なんだよね」
彼女にとって、少年は抱き枕。
「クロちゃんもおいでよ。お話ししながら寝よう」
その言葉に従うクロエ。
少女二人に挟まれる形になる。
「狭いですよ!向こうに行って下さい!」
「だから、枕が…」
「僕は枕じゃありません!それに、野営の時とか、平気で一人で寝てるじゃないですか!」
「野営の時は、何があってもいいように、熟睡しないようにしてるから」
反論のしようはあったが、そうすると、何時ものように長くなりそうだったので止めておく。
この後の予定の事を考えれば、少しでも彼女を眠らせておくべきだ。
「クロエさん、出来れば仰向けになって頂けませんか?」
自分を見ようとしての行為ではなく、シアンと話をする為の体勢であることは承知だが、それでも寝顔を覗き込まれているようで、落ち着かない。
「私達、仰向けでは寝れないんだよ」
「ああ、翼が有るからですか?」
その事を失念していた。
「そうだよ。だから、眠るときは、こうやって横向きか、座ったままなんだよね」
キヤルには見えていないが、彼女の翼は、その大半が寝台からはみ出ている。
「うつ伏せにはならないの?」
シアンの疑問と同じ事をキヤルも思っていた。
「前はうつ伏せでも寝たんだけど、最近、何故か胸が苦しくて」
「ふうん?なんでだろう?」
「お二人とも寝ないのなら、向こうに行って下さい。僕は寝たいんです」
この会話の流れはよくないと感じた少年は会話を断ち切ろうとする。
「怒られちゃったね」
「ねー」
くすくす笑っている。
「邪魔にならないように小声でね」
「うん」
いや、話をするなら場所を変えてくれと、思いはするが、それを口に出してもどうにもならない事を知る彼は、静かに目を閉じた。
夜中。
一行の泊まる宿の裏口に。
覆面姿の怪しい影が二つ。
片方の影が扉に向かい針金状の道具で開錠を試みている。
二人は、明かりを持っていないため、指先の感覚頼りの作業だが、さしたる時間も必要とせず、扉は音もたてずに開いた。
暗い店内、二人は迷うことなく階段を上がり目的の部屋の前へ。
ただし、偵察役は、目標の部屋を確認しただけであり、その後に目標が別の部屋に移動している事を知らない。
二人は宿に侵入した時と同じく、片方が鍵開けを試み、もう片方が周囲を警戒する。
こういう宿の場合、宿の鍵よりは、部屋の鍵の方が難度の低い傾向がある。
簡単に開錠し、相方に合図する。
が、反応がない。
振り向いて愕然とする。
そこには鞘に収まったままの刀を持った女と子供が立っていた。
相棒は女の足元に倒れている。
鍵開けを始めるまで、この廊下には誰もいなかった。
それは確かだ。
自分にも相棒にも気付かせないように部屋から出て、相棒を無力化した。
そんな馬鹿なと思うが、目の前の現実を否定する方がよほど馬鹿だ。
ならば、どうするか。
自分に気付かないうちに相棒を処理する手練れに戦いを挑むのは愚かしい。
ここは逃げの一手だ。
階段側には二人がいるので、奥に向かう。
突き当りは窓になっているので、それを突き破って逃げる。
そう決断して踵を返した。
その瞬間。
激痛。
悲鳴は何とか噛み殺したが、立っていられず、その場に倒れてしまう。
何が起きたのか確認する。
足首の腱が、両方とも斬られている。
女が不機嫌そうな顔で、刀を納めているのが見える。
「もう。眠いんだから、手間をかけさせないで」
友を狙った悪漢に怒りを覚えている訳でないのか。
両足がこの状態では逃げようが無い。
「おう。終わったか?」
男が部屋から出てきながら気楽そうに尋ねる。
「ロックさん、ちゃんと手筈通りしてくださいよ」
この男と挟み撃ちの予定だったという事か。
「よお、これ、貰っていいか?」
「何をするつもりですか?」
「決まってるだろ?尋問だよ、尋問」
「構いませんが、殺しては駄目ですよ」
そう言いながら子供が近づいて来る。
人質に取るか。
しかし、子供だというのに、動きに隙が無い。
「『ヒール』」
触れながら、そう唱える。
痛みが消える。
「回復術?」
しかし、少年が苦しむ様子はない。
それに、痛みと引き換えのように襲って来た、この倦怠感はなんだ。
「変な細工しなくていいのに」
言いながら男は侵入者を抱えた。
「こちらはどうします?」
「そっちは男だろ。お前らに任せる」
答えて部屋の中に戻ってしまう。
「いいの?」
「構わないでしょう。情報は必要ですし」
「でも、アイツ、Hしたいだけじゃない?」
「まあ、いいんじゃないですか。尋問はロックさんに任せて、僕たちは寝てしまいましょう」
だから、その尋問を真面目にしないのではないかという懸念を言ったつもりだったのだが、少女にとってもどちらでも良い事だったので、睡眠を優先した。
宿の侵入者ともっと派手な戦闘をするつもりだったのですが、一方的にあっさり終わってしまいました。