朽ちる大樹、堕ちた翼
キヤルはまず、ハクロを回復させられた。
彼を襲った魔力球は、樹木の様に硬い表皮に阻まれ命まで奪うことは出来ていなかった。
衝撃で気を失わせただけ。
目を覚ましたハクロは状況を把握し、絶望する。
「ワシを殺せ…」
力なく呟く。
「何を言い出すの?」
「お前たちは、魔王を殺すつもりなのだろう?封印するのではなく」
「そうね。封印なんてまどろっこしい事は、もう終わりにしたいわ」
「ワシが生きておる限り、それは叶わんよ」
ハクロは樹霊人の秘術を明かす。
「貴方が生きている限り、クロエは死なない?」
クロエが魔王軍に連れ去られた以上、彼女は、間もなく、魔王を継承するだろう。
ハクロの言葉が真実ならば、それは倒す事の叶わぬ、不死身の魔王の誕生を意味する。
スカーレットは、老人の願いを叶える事にする。
ただし、この場でそれをする訳にはいかない。
共存派の指導者に相応しい舞台を用意しなければ。
王女は、一時的に老人の持つ権限を預かり、自らの権限と合わせて、指示をだす。
自ら連れて来た兵と、街の兵には、街の損害の把握と、復興の手助けを。
キヤルには怪我人の治療を。
筆頭メイドには、その護衛、表向きは少年の手伝いを。
ロックは寝てしまったので放って置く。
シアンは、返り血に染まった身体を清めた後、自らの護衛として、そばに置く。
自らは、領主の館で、各種問題に対応して指示をだす。
戦いが終わっても、街の狂騒はまだまだ続く。
スカーレットが、司令塔の役目を負うと言っても、彼女の仕事は少ない。
人間の兵も、魔族の兵も、自ら判断し、行動できる。
逐一指示を出す必要は無く、現場で判断しきれない案件のみ王女が判断、指示を出す。
下の者が優秀なら、上の者は楽という事だ。
そんな訳で、スカーレットは、空いた時間で、ハクロから話を聞く事にした。
魔王に関する王女の知識は、人間にしては詳しいという程度でしかない。
王家の秘伝の中に、魔族でも知らないだろう知識はあるが、それは魔王と戦うには、役立たない。
楽して勝てるのなら、それに越した事はない。
そう思っているが、一番楽そうな方法はもう取れない。
老人の知識の中に、何か役立つ物があればいいのだが。
ハクロは、館の一室に軟禁されていた。
自らの死を望むくらいだから、大人しくしているが、自害をされても困るので、見張りは付いていた。
結論から言うと、期待外れだった。
ハクロの持つ魔王に関する知識は、スカーレットのそれと大差なかった。
ハクロは、初代魔王降臨時から生きている。
更に、見た目は森の賢者然としているので、期待したのに。
ハクロ自身、魔王をどうにかしようと、調べはしたが、魔族の身では、魔王に近づく訳にもいかず、調べる対象は、専ら継承者の事になる。
しかも、継承者は協力的ではない事が殆どだ。
それに、ハクロは今でこそ思慮深い老人に見えるが、本来、バリバリの武闘派であり、頭を使う事は得意ではなかった。
ハクロの知識は、そこらの魔族と大差ないといってよかった。
ただ、一つ。
継承者が死んだ時、すぐに代わりが指名されるという事実が、知れ渡っている事だけは、老人のお陰と言って良い。
と、言っても、ハクロが継承者を、その手で殺した事があり、その時に、託宣が下り、魔族の全てが、継承前に継承者に何かあっても、即座に次の継承が選定されると知ったというだけの事なのだが。
「見た目に騙されたって事ね…」
そういえば、昨日の会談の時も、慣例通り、とか、詳しくは部下がご説明します、とかしか言ってない。
ハクロが意味の有る言葉を発している所など殆ど無かった。
自己紹介の言葉は真実だった。
ただ、年を経ているから、経験した事が多いだけ。
考えて見れば、長い年月を費やして、共存派でしかないというのも、彼の無能の証左である。
魔族は、魔王派、中立派、共存派に分かれる。
これが、おかしい。
なぜ、反魔王派が無いのか。
そもそも、魔族の多くは魔王などどうでもいいのだ。
だから、一番多いのは中立派なのだが、これは積極的にそう名乗っている者は殆どおらず、どちらかと問われれば、中立だという事だ。
魔王を利用しようと考える者が、魔王派や共存派を名乗る。
魔王の力を利用して人間を滅ぼそうと考えるのが魔王派。
魔王の恐怖を利用して人間と共存しようと考えるのが共存派。
そう、魔族にとって魔王とは、居なくてもいいが、居るのなら便利に使おうという程度の存在でしかないのだ。
ハクロが共存派を組織したのは、魔王に対抗する為に人手が必要と考えだからだが、それが反魔王派でなかったのは、それでは人が集まらなかったからである。
それはいい。
初めは共存を目指すだけの組織だとしても、時間をかけて反魔王の思想を浸透させればいいのだ。
しかし、現状、そうなっていない。
長い年月をかけてそう出来なかった。
老人が無能であったという事だ。
例えば、スカーレットなら、孤児を集め反魔王の教育をする。
もちろん、表向きは共存派として育てる訳だが。
それだけでも、数十年あれば、共存派内に、反魔王派閥が出来上がり、もう数十年で共存派は反魔王派に変わるだろう。
「まぁ、いいわ。それなら殺しても惜しくないという事だしね」
その呟きを聞いても老人は反応しない。
既に死を受け入れてしまっている彼にとっては意味のない言葉だったから。
キヤルは戦いに傷ついた人々を癒す為に奔走していた。
どんな大きな怪我でも、一瞬で完治させる回復術は、正に奇跡の御業であった。
勿論、少年以外にも回復術師は存在する。
しかし、彼等は、余程の事がない限り、術を使おうとはしない。
代償が大きすぎるからだ。
気が狂う程の苦痛。
初めて術を使うときは、それを甘く見ているから使用できる。
しかし、それを一度でも経験してしまえば、二度と使う気にはなれない。
狂わずに済んだのは幸運だったからだと分かるから。
次に術を掛けた時、耐えられる自信など持てる筈もないから。
そして、それだけの代償を払っても、恩恵を受けるのは自分ではないのだ。
どんな人間も我が身が可愛い。
ハイリスク・ハイリターンである回復術の事を知っている者から見れば、苦痛に耐えながら、次々と人々を癒す少年は、聖人君子に見えた。
癒しを求めていた者は兵士だけではなかった。
戦闘に巻き込まれた一般人や、元々病気を患っていた者もいた。
初めは、キヤルが怪我人の元に赴いていたが、次第に怪我人たちの方から、キヤルの元に来るようになって来た。
活動を始めた朝、夜明け前は大怪我をした兵がいると聞くとそちらに行き、怪我の大小にかかわらず、その場の全員を癒して次の場所へ移動していた。
昼前には、衛兵の詰所の一つを借りて、臨時の施術所にしていた。
「次の方、どうぞ」
メイドが、患者を招き入れる。
本来なら、キヤルの方が、並んだ患者の方に向かい、次々と施術して行くやり方が効率は良いのだが、それだと有り難みが薄れるという事と、少しでも少年の負担にならないようにと、メイドがこのやり方を選んだ。
こんな時、キヤルは騙しているような気がして、少し気まずく感じる。
キヤルは回復術を使用する際、自らにも同時に使用する事で、代償である苦痛を感じずに済ます事が出来る。
だが、それを知られては、周囲の人の為にならないと、自分に回復術はかけないで、苦痛を感じるようにしている。
演技では、ばれると思うから。
何故、人の為にならないのか。
それは、際限無く回復出来ると分かった人は、甘えるからだ。
無茶な事でも平気でする様になる。
今、一番困るのは、死ななければ、負けではない、キヤルさえいれば、今の実力でも、魔王に勝てると、他の勇者が思ってしまう事だ。
その考えは、大きくは間違えてないかもしれない。
が、実際にそうした時、真っ先にキヤルが殺されたらどうなるか?
それだけで、詰む。
そうならない為に、キヤルは自分の力を隠し、他の勇者に、勝つ努力をしてもらおうと考えているのだ。
そんな理由があっての事とはいえ、心配をかけているのだと思うと、少し悪い事をしている気がする。
そんな風に思いながら、回復術をかけて、患者を癒やしていると、ある女性の順番になった。
身体のあちらこちらに火傷を負っている。
火事に巻き込まれたのだろう。
それだけなら珍しくもなかった。
彼女は、その両手に抱いていた。
物言わぬ子供を。
「この子を…お願いします」
自分はさておき、我が子の復調を願う。
親なら当たり前だろうか。
キヤルは、その子供を見る。
年は五歳くらいか。
既に親に抱かれる年ではない。
「申し訳ありません、僕には出来ません」
「なぜ?!」
「回復術は生きている者にしか効果が無いのです。お子さんはもう…」
少年に代わり、メイドが説明する。
「そんな!この子はまだ生きてます!まだ温かいんです!」
その温かさは、錯覚。
その子は既に冷たくなっている。
「分かりました、術をかけてみましょう」
そう言って、親子に両手で触れる。
「ヒール」
母親の火傷は跡形もなく。
子供に変わりはない。
「そんな!もう一度、もう一度だけ、お願いします!」
「ごめんなさい。何度やっても同じなんです」
それは、いつか試した事のある者の言葉。
それを感じた母親は、したくもない納得をしてしまう。
我が子は死んでいる。
「ああ!」
嗚咽。
詰所の兵が、母親を優しく連れ出す。
まだまだ患者は多い。
可哀想だが、彼女一人に時間を割く訳にもいかない。
こんな時、キヤルは己の無力を痛感する。
回復術の事だけではない。
もっと、いいやり方が有るのではないかと思うのだ。
今のでは、ただ母親に、愛する子供の死を突き付けただけ。
大人なら、もっと良い方法が取れるのだろう。
自分の如才なさに落ち込む。
「そろそろお昼ですね。申し訳ありません。勇者様は、しばらく休憩させていただきます」
メイドが周りに宣言する。
「待って下さい。僕は休まなくても…」
「そう仰ると思っておりました。ですが、私が何の為にいるとお思いですか?」
聞いている体だが、答えは待たない。
待って、護衛の為などと答えられては困る。
「勇者様が無理をしないよう、見張る為です。勇者様はご飯も食べないおつもりでしょう?」
このやりとりは偶発的な物だが、メイドには具合が良かった。
こんな問答をすれば、治癒の勇者は子供ながら、食べる間も惜しんで、人々を癒そうとした、と評判になるだろう。
この場には詰所の兵、数人がいるだけたが、噂を広めるにはそれで充分。
「勇者様にはお休みいただきます」
キヤルではなく、兵達に宣言する。
「どうぞ。列にはもう、自分で歩く事が出来るものばかりで、急を要する者はいないようですから」
「でしたら、重篤な方が来られたら、すぐに僕を呼んで下さい」
とは言うが、治癒の勇者の力が必要な者は、既にあらかた癒し終えているだろう。
「奥のお部屋をお借りします。さ、行きましょう」
詰所の奥には炊事場のついた休憩用の部屋があるので、そこを借りる。
「座って、服を脱げ」
「え?何故ですか?」
「脂汗が酷い。拭いてやる」
キヤルは自分に回復術を使用する事で、術を使用する代償を打ち消す事が出来る。
しかし、彼は普段はそれをしない。
その理由は先に述べた通り。
では、どの様にしているか。
回復術師は普通、数多ある回復術を無意識に全て発動させている。
その為、代償も、その全てを一度に払っているのだ。
キヤルは、それを意識して、ある一種類の術を発動させる事にしている。
故に、代償の苦痛も、一種類で済ます事が出来るのである。
その術の代償は痛みの共有。
被術者の怪我の痛みを感じてしまうものである。
耐えられはする。
耐えた結果、彼は脂汗まみれになった。
「あの、自分でやります」
「そんな様で遠慮なんかするんじゃない」
座って緊張が解けたのか、疲れが押し寄せて来ていた。
それ以上、遠慮するのもしんどいと思って、言う通りにする。
隙を見て自分に回復術をかけるつもりだったのにこれでは、それもやりにくい。
キヤルの体を丁寧に拭き清めた後、メイドは食事を作る為に炊事場へ向かう。
食材も好きに使っていいと言われている。
キヤルはその間に自分に回復術を使用する。
瞬時に疲れは消え去る。
身体のものは。
心に積もった疲れまでは術では消せない。
先程の母子の事を思い、陰鬱な気分になる。
昨夜の有翼の女性も救えなかった。
彼女の場合は、癒せても、王女たちに酷い目に遭わされただろうから、それで良かったと、言い訳も出来た。
他にも手遅れの者は沢山いた。
回復術に、死者を甦らせる力が無いのは、周知の事実であるので、それらを癒せと言って来る者はいなかった。
自分は、その事に甘えていたのではないか?
自分に出来ない事から、目を逸らしていたのではないか?
「ほら、食べろ」
目の前に、野菜のスープの皿が置かれる。
「嚙むむことが億劫でも、飲むくらいなら出来るだろう」
本当は時間をかけて、もっと野菜を柔らかくしたいのだが、今は、そこまでは出来ない。
「そこまでは疲れていません。いただきます」
とは言っても、食欲が無いのも事実だった。
「お前はもっと周りの大人を頼れ」
「えっと、何の話ですか?」
唐突に言われて意味が解らない。
「さっきの母子に責任を感じているだろう?」
「それは…」
「そんな必要はない。大体、お前はまだ子供なんだ。出来ないことが多くて当たり前だ。勇者だから、癒しの術が使えるからと調子に乗るんじゃない」
「調子になんて…」
「ああ、言葉が悪かったな」
素直に失言を認める。
「だけどな?治癒の術が人よりも使えるからと、その力の及ばない所まで責任を感じるのは、自分を過大評価している事にならないか?」
「それは、そうかもしれません、ですけど…」
「ですけど、じゃない。出来もしない事を、出来たかもしれないと、悔やむな。無駄だ」
「無駄ですか?」
「ああ、無駄だな。悔やんでも何にもならん。そんな暇が有るのなら、出来る事をしっかりとやれ。今、出来ないだけだ、と思うのなら、一刻も早く出来るようになれ。その為に努力しろ」
「だけど、僕は、今、あのお母さんが可哀想に思ったんです」
「成程。お前の落ち込みの理由は、そっちか」
「はい。お子さんはどうにも出来ないとしても、お母さんの方の悲しさを、どうにか出来たかもしれないと思ったんです」
「自惚れだな」
「自惚れてますか?」
「ああ、それに傲慢だとも思う」
「そんな…」
「いいか?誰かの悲しみを、他人がどうにか出来ると思うな。悲しさは、その人にとって、とても大事なものだ。その人が自分で受け止めてどうにしなければいけない。その悲しさが深ければ深い程な」
「そうなんですか?」
「当たり前だろう。悲しく感じるという事は、それが大事なものだという事だ。他人はそれを想像できても、真に理解する事は出来ない。理解できずに何ができる?」
例え、記憶が読めたとしても、それを自分の物として感じられない限り、理解出来たとは言えないのだろう。
「本人が悲しみを自覚して、亡くしたものの大きさを理解する事を邪魔をしてはいけない。そういう意味では、お前のやった事は、彼女が正しく悲しみを感じる切っ掛けになった。褒められて良い事だ」
いつまでも我が子の死を受け入れられずにいるよりは、一刻も早く、それを受け入れて、悲しんで、立ち直る。
その方が彼女の為だ。
「分かりました」
本当は、よく理解出来ていないかもしれない。
それでも、その事を心に留め置いておこうと思った。
「でも、意外でした」
「ん?何がだ?」
「貴女に、こんな風に、お説教されるとは思っていませんでした」
「そうか?」
「はい。心なんて、邪魔だと思っているとばかり…」
「ふん、馬鹿を言うな。任務の上で心を殺す必要はあるし、その為の訓練も受けている。だけどな、私は人間であることを止めはしない。そんな事をすれば、本当に護るべきものを、見誤る事になる」
彼女は、裏の仕事も任されるが、本来の仕事は、王女の護衛なのだ。
「本当に護るべきもの、ですか?」
「ああ、人を護るというのはな、その人物に怪我をさせなければいいという物でもないのだ」
「どういうことですか?」
「今度、機会があれば話してやる。今は身体を休めておけ。暫くしたら、また働いてもらうのだからな」
本当は休む必要は、もう無いのだが。
「分かりました。では、少し横にならせてもらいます」
素直に備え付けの寝台で横になる。
そうすることで、このお姉さんが納得するのなら、それがいいと思ったから。
夕刻。
街で一番の広場。
そこに作られた急ごしらえの舞台の上。
ハクロは、縛られ、跪いていた。
その横には、美貌の姫が集まった群衆を睥睨し立っている。
その反対には剣の勇者。
ここは断罪の場。
「聞きなさい!」
集まった人々は、その一言で静まり返る。
街の長が縛られている不思議や、これから何が起きるのかという興味で、騒めいていた。
それがあまり大きくもない言葉の威厳に負け治まったのだ。
「この者、ハクロは重大な罪を犯しました!」
この場にいる皆が、その言葉を理解する為の時間を一瞬だけ置く。
どういうことだと、騒ぎ出す前に。
「この者は!人間と魔族の融和を謳いながら!その実、魔王軍に与し!不死の魔王を生み出そうと画策しました!」
「そんな馬鹿な!」
否定の声が、あちこちで上がる
「そして!その目論見は完遂しているのです!あなた方、魔族の全ては魔王にその意思を奪われ!我々人間は滅亡の憂き目に遭う事でしょう!」
広場の騒ぎは大きくなっていく。 「昨夜の魔王軍襲撃も、事を成したこの者が、継承者を魔王軍に引き渡すために引き起こされた物なのです!」
「そんなことしないで、普通に引き渡せばよかったんじゃ?」
「勇者様たちが来るのが早かったからじゃないか?」
「自分が本当は魔王派だってばれるのは都合が悪かったんだろ」
「そういえば、夜は閉じられてるはずの街門が開いてたって…」
仕込んだサクラが、民衆の思考を誘導している。
「私は勇者として!この街と友好を結ぶ国の姫として!彼を断罪しなければなりません!」
民衆を見渡す。
大半の者は彼女の言葉を信じたようだ。
「しかし!私達にも慈悲はあります!彼の言い分を聞き、それが納得のいくものならば、許しを与える事も考えようではありませんか!」
広場がどよめく。
「さあ!ハクロ殿!何か言い分が有ればお言いなさい!」
民衆が、その言葉を聞き逃すまいと、静まり返る。
「…何も無い。殺せ」
「聞きましたか?皆さん!彼は言い訳を良しとしませんでした!そして!その罪を己の死でもって贖うつもりであると!潔いと賛辞を送りたいと思います!流石は長きにわたりこの街を治めた人物なだけはあります!ならば!私達もそれに応えるべきでしょう!シアン!」
呼ばれた剣士は無言で刀を抜く。
「彼女の刀であれば、彼は苦しむ事なく、あの世へ旅経つ事が出来るでしょう!」
処刑人というのは、忌み嫌われる存在だ。
それを勇者の一人が担うという。
それは、ハクロに対しての敬意のように思われた。
姫は剣士に頷いて見せる。
それを合図に剣士が、少し動いたように見えた。
チン。
刀が鞘に収まっていた。
ゆっくりと、老人の首が落ち、血が噴き出す。
悲鳴と歓声。
千年を生きた老木の最後だった。
クロエは、体の中から、何かが抜け出したような感覚を覚えたが、特に気にも留めなかった。
そんな事より、傷付いた翼が治るかどうかの方が重要だった。
手首より先を無くした事よりも、魔王の元へ連れて行かれようとしている事よりも、痛んで飛べない事の方が、彼女にとっては大事だった。
あれから何日経ったか、彼女には分からない。
翼の傷は大分治ったが、動かすと、まだ痛い。
不意に背中を押され、二、三歩前に出る。
その瞬間、彼女の意思を、何者かが圧し潰そうとして来る。
必死に抗う。
心は何とか抵抗出来てはいるが、体は勝手に前に進む。
夢遊病者の様な足取りで歩く。
いつの間にか、目の前に紅く輝く石がある。
石を両手で持ち、胸に押し当てる。
抵抗も無く体内に溶け込む石。
その時、それが魔王の力の源なのだと理解した。
先程まで感じていた、クロエを支配しようとする力が増す。
人間の死をのみ望む意思。
それ以外の思考も感情も許さない。
人間を殺す。
圧倒的、衝動と強迫観念。
それに抗い続ける。
いつの間にか、両手は元に戻り、背中の翼の痛みも無くなった。
それなら、飛べるだろうか。
翼を広げるが、空まで届かない。
もし、ここで大空を、存分に愉しんだなら、それで満足し、心を手放したかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
見えない鎖で大地に縫い留められ、木を飛び越える事すら出来ない。
これでは諦められない。
この身体も、心も自分の物だ。
訳の分からない相手に渡すものか。
身体は勝手に歩き出す。
死んでやろうと思っても、自分の意思では指一本動かすのも難しい。
たまに、上手く動かせる瞬間があるが、舌を噛み切る寸前、爪で首を掻き切る寸前に、思い留まってしまう。
それが自分の意気地無さからか、魔王の生存本能の為かも判別出来ない。
そうしていると、周りが騒しくなる。
自分が訳の分からない相手に、身体と心を守る戦いをしているのに、その周りで無遠慮に騒ぐなんて、何を考えているのか。
邪魔に感じた彼女ほ右手を振る。
これは彼女と、魔王の意思の一致した行動になった。
少し、静かになったが、まだまだ、うるさい。
何度か腕を振る。
その度に、幾らか静かになるが、すぐに、また、煩くなる。
その度に、苛立ち紛れに腕を振る。
やっと静かになったと思ったら、目の前に男の子が立っていた。
これは魔王にならなかった、けれども魔王と呼ばれた少女の物語。
やっと、お爺さんの始末が終わりました。
予定に無かったキャラなので、大分手こずりました。
予定にないと言えば、メイドさんもそうですが、彼女は、この作品で唯一まともと言える性格の持ち主かと思えるので、まだ出番があるかもしれません。
今回、投稿分のラスト、クロエが魔王化に抗うくだりは、その内書き直したいと思います。