エイトブリッジ狂騒(後)
彼女はじっと待った。
狩猟民族である彼女達は待つのに適した体をしていた。
彼女ら有翼の民は、今でこそ集団で狩猟を行うが、その昔は単独で狩りをしていた。
隠れ潜み、目当ての獲物が来るまで気配を消す。
長くて一月。
飲まず食わず、眠りもしないで、じっとしていても体調に異変は起きない。
彼らに言わせれば、その間、目と耳だけが起きていて、体は眠っている様なものだという。
そうして待って、少ない機会が訪れるや否や、翼を広げ、一直線に獲物に襲い掛かる。
弓や魔法を使うのは、彼らの長い歴史から見れば、ごく最近の事。
暴れる獲物を力で抑え込み、空高く舞い上がり、地面に叩き付け、息の根を止める。
そんな狩猟方法だから、猟は腕力に優れる男の仕事だった。
勿論、だからといって、女に狩りが出来ないという事ではない。
彼女も祖先から受け継いだ、身体能力を使って。
その一瞬を。
待ち続けている。
ハクロは地下に続く階段を下りながら考えていた。
クロエを解放する必要があるかもしれないと。
守備隊の奮戦を信じてはいるが、数が違いすぎる。
このままでは、継承者が奪われるのは、確実。
人間領に逃がした方が良策か。
周囲を囲まれてはいるが、幸い彼女は空を飛ぶ事が出来る。
魔族軍の中にも空を飛ぶものがいるかもしれないが、その数は少ない筈。
魔王軍の頭上を飛び越えて行けば逃げ切れるだろう。
考えが纏まった頃、丁度、目的の牢の前に辿り着いた。
「あなた、誰?」
牢に備え付けられた寝台に、膝を抱えて座っている少女が誰何の声を上げる。
老人は、その言葉の意味が分からず、戸惑う。
「あら、勘の良い事」
背後からの声に驚き、振り返る。
そこには誰の姿も無い。
が、気配は感じることが出来た。
「何故、貴女がここに?」
思わず尋ねる。
「んー、継承者をね、どこか隠し部屋に匿っていると思ったのよ」
そう答えながら、姿を現すスカーレット。
「だから、あなたの後を付ければ案内してもらえると思ったの。でも、何のひねりも無く地下牢だなんて、小細工した甲斐がないわね」
巧妙に隠された、入るのにも魔法の鍵が必要などの困難のある部屋が有ると思い込んでいた。
だから、騒ぎを起こして、魔法で姿を消して後をつける、という手間をかけた。
完全に気配を消す魔法を使用しなかったのは、気付かれるかもしれないという緊張感を楽しむためだ。
「初めまして、後継者さん。私は術の勇者、スカーレット。あなたが魔王になれば敵になる女よ」
「ご丁寧にどうも。でも、私は後継者なんかじゃないわ。私はクロエ。誇り高い有翼族の女。それだけよ」
「ごめんなさい、クロエ。あなたがどう思っているかは関係ないのよ。そうよね、御老人?」
「その通り。継承に本人の意思は関係ない」
「それで?今のうちに私を殺しとく?無駄らしいけど」
面白くなさそうにそっぽを向く。
「そんな事はしないわ。どちらかと言えば死なれる方が厄介だし」
「では、何故、この様な事になっておるのかご説明頂けるかな?」
ハクロには、スカーレットの意図が掴めない。
「そうしても良いんだけれど、余りゆっくりともしていられないでしょ?」
誰のせいだ、と怒鳴り付けたい衝動は抑える。
「確かに。では、どうすると?」
「クロエを私の管理下に置かせてもらいます」
「そうすれば魔王の継承は防げると?」
「そうね。それは保証するわ」
ハクロに選択肢は少ない。
であるならば、この騒動を画策し、この後の流れも想定して準備をしている筈の王女の思うが侭にさせた方が良いのではないか。
「…分かった。好きにするがいい」
臍を噛む思いで告げ、一歩下がる。
「さぁ、クロエ、魔王になりたくないのなら、こちらに」
「何?なんで、あなたの言う事を聞かないといけないの?」
そう言いながらも、魔王になどなりたくないクロエは素直に従う。
「後ろを向いて、手をこちらに」
言われたようにする。
兎に角、ここから出たい。
出ることが出来れば、機会が巡る事もあるかもしれない。
スカーレットは呪文を唱えると、後ろ手に回されたクロエの両手首に触れる。
「ちょっと!何したの!」
「勝手に動かれると面倒だから拘束させてもらったの」
両手首がくっついて、どんなに力を込めても離れない。
手を後ろに回した、この格好では腕が邪魔で翼を動かす事も出来ない。
「ハクロ殿、牢を開けて頂けるかしら」
黙って牢の鍵を開ける。
「さ、付いて来なさい。走って逃げるのはお勧めしないわよ。今、この館は魔王軍に囲まれているから」
ハクロを見ると、頷いてきた。
逃げ場は無いという事か。
王女を先頭に三階、彼女に宛がわれた部屋を目指す。
戦闘の喧騒が聞こえて来て、館が魔王軍に包囲されているというのが、事実だと理解する。
扉を開けると、メイドとキヤルが揃って迎え入れた。
「お早かったですね」
予定ではもう少し時間がかかると思われていた。
こんなに早く戻って来たのでは少年の疲れは、幾らも癒されていない。
「ハクロ殿の聞き分けが良くてね」
老人が、もっと抵抗するだろうと踏んでいた。
殺してしまう事も含めて、色々と想定したのに拍子抜けだ。
クロエの後に続いて部屋に入ってきた老人の姿を見て納得する。
「どういたしますか?掃除役が到着するまで、もう少しかかると思いますが」
「そうね。シアンとロックにも働いてもらいましょう」
「それなのですが…」
「何か問題がある?」
「お二人ともすでに、遊んでおられます」
「ああ、そういう事」
シアンが我慢しきれないのは、ある程度、想定内だったが、ロックまでというのは、少し驚いた。
スカーレットは窓に歩み寄り、それを開け放つ。
「シアン!ロック!本気で遊んで良いわよ!」
大声で指示を出す。
これで掃除役、街の近くに潜ませた正規の兵たちの到着まで持ちこたえられる。
どころか、彼らの出番はないかもしれない。
正規兵の投入は人間の軍がこの街を守るために戦ったという事実を作る為。
ただ、それはあくまでついでであって、絶対に必要な事ではない。
勇者二人が、街を守って大軍を退けた、でも良いのだ。
そうして振り向いた王女の背中に衝撃。
何者かが背中にぶつかって来たのだ。
「母さん!」
窓から飛び込んで来た影を見たクロエが驚きの声を上げる。
彼女は娘から引き離され、館から放り出されてから、今までこの時を待ち続けていた。
館を見張る事の出来る路地に身を隠して、寝る事も、食べることもせず。
騒動が起きてからは、近くの建物の屋根に移動して。
彼女は、娘が心配する程、無鉄砲ではなかった。
空いた窓、それを開けた女の後ろに見えた黒い翼。
その瞬間、放たれた矢の如く。
一直線に娘に向かって飛翔した。
そこに何者がいようと関係ない。
クロエの驚きは母の突撃に対してだけではない。
その変わり果てた姿も驚くに値した。
痩せ細った体。
頬はこけ、目だけギラギラと輝いている。
翼の羽も艶が無い。
有翼の民は単独で狩りを行う際、一月は飲まず食わずで獲物を待つという。
彼女の待った時間は、三ヶ月。
最早、飛ぶ力も無かったはず。
それでも、彼女は、飛んだ。
娘のもとへ。
「飛びなさい!」
王女の上に馬乗りになりながら叫ぶ。
メイドが不敬な女を蹴り飛ばそうとする。
スカーレットの価値を知っていれば、人質に取るなりしただろうが、それを知らない女は、簡単に王女を開放して、攻撃を躱す。
メイドは、主と少年を庇える位置で構える。
二人を守らないといけないので、自ら攻め込むのは難しい。
ハクロは突然の出来事に戸惑い動きが止まってしまっている。
長く生きた歳月は、彼の頭脳から柔軟さを失い、咄嗟の事に対応できなくしてしまった。
飛べと言われたクロエは、しかし、それを行えず。
「何をしているの!早く!」
そう言われても後ろ手に拘束されていては、腕が邪魔で翼が動かせない。
女は、白い光球を幾つも生み出し、狙いも付けず、撃ち放つ。
その多くは、床や壁を焦がし、メイドに迎撃された。
その内の一つは老人の胸に命中し、彼はその場に倒れ伏す。
第一波の首尾は、彼女にとっては、上々。
続けて、メイドと、その後ろ二人に向けて魔力の塊を放つ。
老人が倒れたのであれば、この部屋に残る脅威はメイドだけと、彼女に攻撃を集中する。
絶え間ない攻撃を懐から抜いた短刀で捌きながら、メイドは毒づく。
「これだから魔族は!」
魔族は人間と違い、魔力の操作に呪文を必要としない。
高度な事を行う時には必要なのだが、今のように、魔力の塊を放つだけならば息をするように行う。
距離をとられ、続けざまに攻撃されては防戦に回るしかない。
しかも、下手に躱すと、後ろに庇った二人に攻撃が当たってしまう。
そんな事になってしまえば、自分の存在価値がない。
このまま耐え続ければ、主が呪文で、この女を排除するだろう。
しかし、それも彼女の矜持を傷付ける。
たった一人の刺客の対処に主人の手を煩わせるなんて。
「母さん、もういいから!やめて!」
クロエは母を止める為の言葉を放つ。
魔力は生命エネルギーだ。
彼女の疲弊しきった体で乱用すれば、その命を危険にさらす。
「何が!もういいって言うの!」
「だって、これじゃ、飛べない!」
「そんなことない!あなたの翼はそこにあるでしょう!」
更に言い返そうとした娘の目に、信じたくない物が映った。
母の胸に輝く光で出来た矢が突き立っていた。
「うわああああああああ」
絶叫。
高まる魔力と爆発音。
「ぐううう」
痛みに蹲りたいのを必死で堪え。
翼を広げる。
その両手には、手首から先が無かった。
「まさか!拘束を解く為に自分の手を!」
そう、クロエは両手の間に魔力球を生み出し、その場で爆発させたのだ。
両手を失う代わりに、翼の自由を得た。
母を、その亡骸を連れて行きたいとは思った。
しかし、その時間は無い。
命を懸けてくれた母を、もう、自分の足手纏いにする訳にはいかない。
自分が失敗した理由にする訳にはいかない
だから。
一人で。
飛ぶ。
勿論、邪魔は入る。
メイドは短刀を投げたが、狙いが甘かったのか、羽ばたきに弾かれてしまう。
王女の呪文は間に合わない。
クロエは飛ぶ。
狂騒の空へ。
シアンは、嬉々として刀を振っている。
本気を出してよいと言われた。
たくさんいる。
たくさんきれる。
ニコニコと笑顔で。
返り血に塗れながら。
断末魔と。
納刀の音を聴きながら。
本気を出してからでも、既に数百の命を絶っていた。
軽い足取りで。
怯え、逃げるのも忘れた魔族の間を歩く。
ただ、それだけにしか見えない。
それなのに。
チィイイイイン…
魔族たちは細切れより細かく切り刻まれ、赤い霧へとその身を変じた。
その度に少女は赤く染まり。
上機嫌。
「うはははは!」
馬鹿笑いしながら銃を撃つ。
ロックの行動は、手加減を止める前と変わらない様に見える。
しかし、消費される命の量は増えている。
一人ずつ殺すのを止めたから。
ロックが打ち出す弾丸は三人の魔族の体を容易く貫通する。
やりすぎるなと釘を刺されていた彼は一撃一殺を心掛けていた。
つまり、手加減していたのだ。
しかし、本気で遊べと、許可を得た。
王女が目的を達成したのだろう。
そう判断して、行動に移す。
一度の引き鉄で最低二つの命を奪う。
これでは無視はされまい。
敵は数の多さが仇になる。
密集しているので、実は一人ずつ殺すより、一度に複数人殺す方が楽なのだ。
「そこだ!」
一度に六つの屍が出来上がる。
「おお!新記録!」
襲撃という熱病に侵された魔族たちは一人ずつ殺されるのなら無視できた。
隣の誰かが死んでも、自分は大丈夫。
そんな根拠の無い事を思い込めた。
しかし、死の数が増えるにつれ、そののぼせた頭に水をかぶされたように、恐怖に青ざめる事になる。
次が自分ではない保証が無い事を思い出す。
銃士の視線に映りたくない。
この場から逃げ出したい。
そう思っても、周りの味方が邪魔で何処にも逃げ場がない。
それどころか死を振りまく銃士の存在を、未だに知らない後方の味方に押され、死へ一歩、近づかされてしまう。
ロックもシアンも死を量産していた。
ハクロ邸の守備隊も、スカーレットの連れて来た護衛の兵も戦ってはいるが、実質は二対三千と言って良い状況だ。
冗談の様な事が成立してしまっている。
大量の死を前に誤解があるかもしれない。
これを成立せしめているのは、二人の攻撃力ではない。
どんなに攻撃能力が高くとも、多数の敵に囲まれれば対処しきれず、体力を削られ、怪我を負い、最後には沈む事になる。
これが無双など冗談である理由。
しかし、二人とも掠り傷一つ負っていない。
シアンに至っては汗もかいていない。
シアンは、一定の範囲内に侵入して来たものを全て斬った。
敵も、その獲物も、飛来する矢や、魔法さえも。
攻防一体の神速の居合い。
それが多勢に囲まれて、なお、無傷で、最小の体力しか消費しない秘訣であった。
ロックの方はというと、しっかりと汗はかいている。
しかし、それは、そうしたいから。
運動をしに出て来たのに、汗ひとつかかないなど、あって良い筈がない。
だから、ワザと隙を見せ、攻撃を誘う様な真似もする。
攻撃されれば、ワザと大きな動作でそれを処理して、更に隙を作って見せる。
そうすれば運動にもなるし、銃を撃つのにも都合が良い。
ただ撃つだけなら、そんな事をする事はないのだが、ロックは一発の弾丸で何人倒せるか、という遊びをしている。
弾丸の威力、貫通力は、もちろん、発射直後が一番強く、距離を置く毎に弱まってしまう。
であるならば、最初の標的は近ければ近い程、都合が良い。
だから、不必要に大きく動き、隙を見せ、時には言葉で挑発したりもする。
それでも、傷一つ負わないのは何故か?
それは彼の持つ特殊な感覚のお陰だ。
それは、この場の全ての生き物の存在を感知し、その行動を予測する。
例えば、今、目を閉じたとしても、脳裏には周囲を囲む敵の姿がはっきりと写し出されている。
ロックはこれを周囲に存在する生命、魂の形を感じているのだと思っている。
今日は、そこまでではないが、調子の良い時には相手の思考を読む事さえ出来る。
その超感覚を用いて、未来予測と見紛う程の行動予測を行う事で、場を支配する。
もちろん、その為には、桁外れの集中力や、無尽蔵の体力も必要な訳だが、彼はそれも持っていた。
「ほら、ほら、ほら!どうした!腰抜けども!」
言いながら、銃口を右に向け、そちらからの攻撃を牽制する。
そうすれば、左の鼠面の一匹が、愚かにも大振りの攻撃をしてくる。
ドンピシャ!
心の中で、呟き、鼠面に一発。
その額を貫き、後方の犬面の口に飛び込む銃弾。
それは更に後ろにいた牛頭の首の骨を砕いて止まった。
それは銃士の予定通り。
「わははは!」
笑い声を上げるが、その心の内では、冷静に次の行動を計算する。
そんなロックの超感覚の感知範囲に、新たに侵入者。
それは背後、上空を飛んで来た。
ここから遠ざかろうとしていると予測する。
女だ!
「逃がすか!」
反射的に空に一発。
もちろん殺しはしない。
捉えてご褒美タイムを楽しみたい。
大きな翼、その右側が撃ち抜かれる。
翼を傷付けられた女は、高度を維持することが出来ず、ロックの頭上を越え魔族の集団の只中に墜落する。
周囲の魔族も、それを見ていた
それはそうだろう。
その銃口がどこを向くかによって次に死ぬ者が決まるのだから。
そして、黒い翼の女が撃たれて落ちたのを目撃する。
動揺が走る。
この場で黒い翼の女の、その意味を知らないのはロックだけ。
その認識の違いが、ロックの読みを狂わせる。
魔族たちはその女を確保するために行動を始め、彼らが、そう動くと読めなかったロックの行動は遅れる。
「あ!こら!待ちやがれ!その女は俺様のだ!」
しかし、魔族たちが、その言葉を聞く筈もない。
それどころか、死神の前から逃げ出す良い口実が出来たと、我先にと女の落ちた方へ駆け出す。
女は魔族の波に飲まれ、ロックの手の届かない所へ運ばれていく。
「くそ!もっと手前に落ちる様に撃てば良かった!」
後悔の言葉を吐くが、自分の失敗がどんな意味を持つのか。
彼は知らない。
狂騒の夜は終わりを告げようとしていた。
本当はもう少し先まで書く予定でした。
ニ対三千はハッタリです。
普通に考えれば、数に任せた襲撃で、後方の兵まで真面目に戦闘するとは考えられないと思います。
虐殺はしないまでも、掠奪とかをすると思われます。
でも、派手な方が面白いですよね?