第一章 組織と僕と「ボク」
──あれから約3年後。
僕ーー竜堂 累は変わらず『リフレイン』に所属し続けている。
・・・最近どうかって? …全然だよ、どうもしていないんだ。だって僕、団の中で一番下っ端なんだ。
──え? どうしてかって? そんなの、聞かなくたって分かっているくせに。そうやってみんな僕をバカにするんだ。『そんなことも出来ないのか?』って。
もう慣れちゃったけどね。別に教えてもいいよ、言った所で僕が置かれている状況は変わらないし…?
僕が一番下っ端であるその理由。
──僕は血が苦手だからだ。
* * *
「──ゼウス、今日はこの依頼に向かえ。
ソイツは色んな奴らから恨みを買っているそうだ。
このくらいお前には造作もないだろう、半日で済ませろ。いいな?」
「了解でーす。」
「ハンス、お前はこれを。ジェイス、お前は机に置かれた依頼を頼む。ライガ、お前はーー」
──今日もいつもと同じ命令が飛ぶ。
命令を出しているのはもちろん、団のリーダーの赤坂 蓮さんだ。リーダーが提示した罪人を時間内に処理する…
それがリフレインの仕事だ──。
リフレインでは、殺傷能力に優れている者ほど偉い。
今みんなの頂点に立っているのは…不思議だけど「僕」と同じくらいの年代の子で、その子が扱っているのは死神が使っていそうな鋭い刃を持つ大きな鎌だ。
『可愛い見た目に反して凄く強くて、誰よりも残酷。』
そう、誰もがが口々に言っている。
一番偉いのは彼女だと。
でも本当に強くて偉い人と言えばリーダーの蓮さんだろう。今は『暗殺者』の職を引退しているらしいけど、現役の頃は誰よりも強かったから、リーダーの右に出る者は居なかったって言われているくらいだそうだ。
僕なんか、リーダーの足元にも及ばない。
いくら背伸びしたって届かない人なのだ。
「──おい、累。聞いているのか?」
「…え? あっ…えっと、その…!」
「…はぁ。」
物思いに耽っていたら急にリーダーに声をかけられた。話が全く分からないくらいに悩んでいたんだろう、リーダーの溜息がはっきりと耳に届いた。
「…累、今日はどうするんだ。ここ最近はずっと任務に行っていないだろう。」
「…ごめんなさい。殺せる気が全くなくて…。僕じゃなくても殺せるんじゃないかって思うんです。僕なんか、殺す前に殺されちゃいますよ…きっと。」
「…。」
──ちなみにリーダーには内緒にしてある、僕が『血の類が何よりも苦手だ』ということを。しかし「どうして行かないのか」と事ある毎に聞かれるため、その時は『自信が無い』『一撃で殺せない』と言って誤魔化している。
そろそろ怪しまれているから違う誤魔化し方を考えないと…と思ってはいるが、他に良い言い訳が見つからずにいた。
「…はぁ。」
「…。」
──まただ。また、リーダーの溜息が嫌という程はっきりと聞こえる。きっと…僕に呆れているんだろう。何故なら僕は母さんの仇を討つ為にリフレインに入団したのだ。
だと言うのに、今までそれらしい事は何一つ出来ていない、入団したあの日からずっと。
もちろん、僕だって出来ることならそれらしい事を早くこなせるようになりたいと思う。
「(こんな時、血が苦手じゃなかったら…っていつも思うんだ。血を見ただけで目眩に襲われて吐き気がして…僕、リフレインに入って正解だったのかな…。)」
「…累。おい、累!」
「…。」
『ちょっと、累ー。呼ばれてるよー?』
「…え!? あ…はい!」
『意識体』とかいう、声だけの存在らしい『ルイ』さんの声でやっと我に返った。
どうやら、僕はまたひとりの世界に入ってしまっていたらしい。ここ最近になって、一人になるといつもこうだ。僕には『欠点』があるから、それについて深く思い悩む癖があるのだ。いつか直さなきゃって思っているけれど、上手く出来そうになかった。
我に返った僕が返事をすると、リーダーはこう言った。
「…今日は蛍の仕事に同伴しろ。蛍はリフレインのトップだ。あいつの働きを見れば…何かしら恩恵を受けられるだろう。経験を積んでこい、累。」
「えっ。で、でも…蛍ちゃんの仕事の邪魔にでもなったら…。」
「…そこは心配要らないだろう。別に一緒に殺れとは言っていない。これはあくまでも蛍の仕事だ、お前はただ近くで見ていれば良い。
…それでも、行く気にならないか?」
「…えっと…。」
リーダーはそう言って、何とか僕を『任務』に行かせようとするけれど…僕はどうも気乗りしなかった。
ふっと顔を俯かせて沈黙を貫くことしか出来なかった。
──トップの実績を持つ少女、零利 蛍。歳は多分僕と同じくらいだと思う。この子が一番強いという。
そんな彼女の『仕事』に落ちこぼれの僕がついて行ったら…きっと、迷惑にしかならない。彼女も…そう思っているに違いない。
そう思っていた時、コツリ…と靴音を立てて彼女が現れる。
「──パパ、おはよう。今日は誰?」
「ああ、蛍。今日はこいつ…No.100の異名を持つ女だ。」
「…女? ねぇ、パパ。今日は女が標的なの? 珍しいこともあるのね。」
「…罪の前じゃ男も女も関係ないからな。
…あと、俺はお前の親じゃないと何度言えば分かる。」
「…えっ。ひどい! いつもは許してくれるのに今日はダメなの…? ずるい…。ねぇ、どうして? なーんーでー?」
「…はぁ。分かった分かった…もう良い。好きに呼べ。
…ああ、そうだ。蛍。今日は累と一緒に任務にあたってくれ。累はまだ経験不足だ、お前の優秀な姿を見せてやって欲しい。邪魔しないと俺が保証しよう。…どうだ?」
彼女にとって親同然の存在である蓮から説得されると、蛍は少し考える仕草を取る。
しかし、やはり累と同じく気乗りしないようで…。
「経験不足な子には慣れてもらうのが一番だとは思うけど…私の手間が増えるわ、パパ。殺られる前に殺らなきゃいけないのに、まず先に累が殺られちゃったらどうするの?」
「…!」
『殺られる』。
その言葉に僕は肩を震わせて密かに怯え、自分が滅多刺しにされる所を想像してしまって吐き気を覚えた。
だと言うのに、リーダーはまるで他人事のようにぽつりと呟いた。
「…問題ないだろう。累も暗殺者の一人だ、何かあった時は自分の身は自分で守る。万が一の時は…お前と『KEI』が居る。何とでもなるだろう。頼んだぞ。」
『あっれれ〜? 蓮ったら、いつの間にワタシの存在に気づいてたのー? いけずぅ。ワタシは蛍にしかキョーミないんだけどぉ…ま、蛍の手間が増えたら困るし…手くらいは貸したげる!』
──どうやら蛍ちゃんの中にも『意識体』が埋め込まれているらしい。最強の肩書きを持つ彼女に何故『意識体』が必要なのか…僕にはイマイチ分からないが、何かしら理由があるんだろうと思うしかなかった。
「──わ!?」
色々な事を考えていた矢先、グイッと服の裾を引っ張られて転びそうになってしまう。
何とか踏み留まって転倒を阻止すると、目の前には蛍ちゃんの姿があって…僕を冷たく睨んだと思ったら、半ば強引にグイグイと引っ張られていく。
「…行くなら行くよ、累。」
「ちょっ、ちょっと待って蛍ちゃん…!」
──僕の手を握る彼女の手は僕よりも少し小さくて細いのに、いつもその手で大きな鎌を振るっている。
僕も血が苦手じゃなかったら…3年の間に、彼女のように少しは強くなっていただろうか。
手を握られながら、ふとそんな事を考えた。
当の彼女は特に気にせずどんどん突き進んで行くだけだったけど。
「(…僕にも…君みたいな力があったらな。)」
決して声に出さなかった、叶うはずがない無謀な願いごとに対して──…。
『──…なら、何時かボクにその手助けをさせてよ。キミが何よりも望んでいる力をあげるし…キミの無念を晴らしてあげるよ…?』
──そんな、誘惑の声が脳裏を過ぎった気がした。
* * *
──とある路地裏にて。
「…よくのうのうと私の前に現れたわね。
『リフレイン』。私が裏の世界で何と呼ばれているのか…知っているの?」
「ええ、勿論。そのくらいとうに知っていマスよ。No.100…狙った目は逃さない…でしたっけ?
まあ、そんなの…私の前では無意味です…けど!」
そう言って目の前の女の人「No.100」と呼ばれている今回の標的に、鎌の刃を振り下ろす蛍ちゃん──いや、『蛍・KEI』って言った方が良いのかもしれない。
今の彼女は、僕の知っている蛍ちゃんじゃない。彼女は彼女のままだが、殺っているのは蛍ちゃん一人じゃない。
「(…あれが…『意識体』の使い方なんだ…いつもの蛍ちゃんとは全然違って見えるから…何だか、嫌だな…)」
──ゴトリ。
何かが地面に落ちた音が僕の耳に響いた。
「(…? 何の音だろう…)」
そう思って僕はその音がした方へ、何も考えずに振り向いてみた。
「…え?」
──振り向かなければ良かった。
咄嗟に後悔したけれど、時は遅かった。
振り向いた先にあったもの、そして僕の目に入ってきた光景に目を背けたくても全身が強ばってしまって何も出来なかった。それ以上何にも言い表せず…ただ立ち尽くすだけだ。
──僕が見たもの…それは、地面にごろりと転がった女の人の首と、壁にもたれかかった首から下の身体。
そして地に広がる血。血。血。ーー血の海だった。返り血が至る所に飛び散っていて、この血全てが女の人の血液で出来た「海」なのだと理解した途端、すごく恐ろしかった。
「っ…ひッ!」
血の海を見た瞬間に足の力が抜けてその場に崩れ落ちた。今すぐにでも逃げ出したかったが、やはり体に力が入らず体が無意識にガタガタと震え出す。
力を振り絞って数歩後ろに体を引き摺って下がると、後ろに引いた僕の右手にべっとりとしていてやけに生々しい血液がべっとりと付着した。震える手を自分の目の前まで持ってきて、じっと凝視する。
大丈夫。大丈夫、僕は血を見ても平気だ。
と自分に言い聞かせて。しかし──。
「…う…あ…あぁ…うわあぁぁぁぁッ!」
──…嗚呼、やっぱり…僕は血が苦手だ。
どうしていつもいつも「赤」ばかり僕の目に入ってくるんだろう。
母さんの仇は今でも討ちたい。けれどそのためだけに人を殺して、鮮血を撒き散らさせて、そのためだけに死なせてまで、愛する母親の仇討ちをしたいとは思わない。
僕はただ僕から大切な人をそしてものを奪っていった人たちに謝って欲しいだけ。
──なのにどうして僕たちは人を殺すのだろう、殺さなければならないのだろうか。
本当に、それしか方法がないのだろうか。
そんな過酷な状況にいてもいなくても、僕が感じることはただ一つだけだ。
「(僕は…誰かを殺したり傷つけてまで…生きていたくないよ…殺傷なんてしたくない…)」
* * *
「──…累。ねぇってば。累!」
「う…え、あ…?」
どうやら、僕は一面に広がる赤色の光景に耐え切れず気絶してしまっていたらしい。朦朧とする意識の片隅で蛍ちゃんの声が聞こえてうっすらと目を開ける。
あれから大して時間は経っていないらしい、辺りは未だに赤一色の世界だった。唯一『助かった』と思ったのは、首と胴体がいき別れたあの女の人の亡骸がなくなっていたことだ。あれがまだココにあったらまた気絶していたに違いない。運良く気絶を免れても発狂していただろう。
とは言うものの、「血」が目の前にあるこの状況では、意識を保てていること自体が自分にとっては珍しいのだが。
「…僕…。」
『累ー。アンタ、大丈夫〜? 血見ただけで倒れちゃうなんて! まさかとは思うケド〜…アンタ、こうなるとは知らずにココに入ったんじゃないでしょうね?』
蛍ちゃんの中にいる『意識体』のKEIさんが僕に話しかけてきた。声だけの存在であるため、彼女の声以外での感情の起伏は全く分からないが…恐らく僕を馬鹿にしているのだと思う。
今の僕を目の当たりにした人の殆ど…(いや全員と言ってもいいかもしれない)が真っ先に聞いてくる質問がそれだったから、今では声の高さを聞くだけでその人の感情をある程度把握することが出来ていた。
「…その…。」
正直に『知らなかった』と言えたらどんなに楽だろうか。だが、親の仇討ちを目的に『リフレイン』へ入団した僕が『知らなかった』と言い出せるはずもなく…答えに迷ってしまう。
言葉を濁す僕に不快感を覚えたKEIさんが苛々した様子で答えを催促する。
『ねぇ、どうなのよ。』
「…っ、え、そ、その…!」
「…KEI、そのくらいで止めてあげて。
…累、大丈夫? ほら、立てる?」
「え、あっ…」
蛍ちゃんはそう言ってKEIさんを止めると、僕にそっと手を差し伸べてくれた。座ったままの僕に優しく微笑んでいるその姿は『殺し』をしていた時とはガラリと違って、彼女が殺ったのだとはどうしても思えなかった。
その手を掴んでいいものかと内心躊躇っていると、優しい彼女は自ら僕の手を取って僕を立たせてくれた。
──『殺し』をしている時の彼女はまるで知らない人のようで恐ろしいけれど、何だかんだ僕のことを気にかけてくれるのは素直に嬉しかった。『友だちじゃない』と彼女自身から言われてしまえばそれまでだが、僕にとって彼女はたった一人の友だちのようだった。少なくとも、僕はそう思っている。
「あ…ありがとう、蛍ちゃん…。」
「ううん、気にしないで。同い年だもの。
…ね、直球かもしれないんだけど…累って血が苦手なの?」
「うっ…」
核心を突かれたその問いに僕は思わず唸った。それを肯定と受け取った彼女は、少しだけくすりと笑っていた。
いつも皆から笑われているから『嫌だ』と思うはずなのに、蛍ちゃんのその微笑みは不思議と嫌にならなかった。むしろ…ちょっと恥ずかしい気もする。
「やっぱり。いつも何かと理由を付けて仕事を断っていたからおかしいと思ってたの。
でも…どうするの? ここでは殺すことが当たり前だし血なんてこれからも嫌って言うほど見るようになるよ? それに、ここじゃパパがリーダーだからバレたら一貫の終わり…それは分かってる?」
「…うん、分かってはいるんだ。僕だって…出来ることなら最終目的に相応しい事がしたいよ。でも…心ではそう思ってるのに体が言うことを聞かないんだ。」
「…。」
──蛍ちゃんが言いたいことは痛いほどよく分かっている。そして心配してくれていることも。『仇を討ちたい』。それが理由で『リフレイン』に入ったのに、『血が苦手で殺せない』なんて事実がバレたりでもしたら、それこそリーダーが大嫌いな裏切り行為にあたる。下手をすれば生きてはいられなくなるだろう。つまり、「死」だ。
「死」を考えただけで背筋がゾッとした。
それを必死に隠すように、僕は半ば強引に話の話題をすり替えた。
「ね、ねぇ。蛍ちゃんはどうして『リフレイン』に入ったの? それに…血が、怖くないの?」
「うーん。どうして…かぁ、難しい質問かも。私ね、生まれた時からリフレインに居たから深く考えたことなくて。大した理由なんてなかった気がする…もし理由があったとしても、もう忘れちゃった。」
「…。」
「…私だって、最初から血が平気だった訳じゃないよ? 出来ることなら血は見たくなかったし…幾ら『仕事』とはいえ、人を殺す理由が分からなかった。ましてや知らない大人たちなら尚更ね。でも…数をこなす毎に何にも感じなくなったの。いつから…かは忘れちゃったけど。」
「…そう言えば…その武器はリーダーからの…?」
「うーん。まあ、そんな所かな。」
蛍ちゃんの『過去』を聞いて、心做しか距離が縮まったような気さえした。
しかしそれは『浅はかだ』とでも言いたげに、KEIさんが面白可笑しそうに告げる。
『──ね、と・こ・ろ・でぇ〜。
累、アンタ…ヤバいんじゃなーい?
今までは上手く躱してきたみたいだけど〜
もうそろそろネタ切れっしょ? どうする?
バレたら、最悪殺されちゃうかもネ♪』
「──! そ、そうだ…どうしよう…!」
『キャハハ! ホント鈍感で危機感のない子ぉ。
それくらい常識の範囲内じゃない!
場を乱す裏切り者はイラナイっ♪
累はリーダーに殺されるっ♪ 殺されるっ♪
キャハハ! 今一の見せ物になるね!』
「うぅ…」
確かに、これがバレたらタダでは済まない。
僕はあの時『教訓』を教わっている、それさえ守っていればいつか必ず母さんの仇が討てる…と。今の僕はバレるかもしれないという危機感よりも、『教訓』を破った時どうなってしまうのかという恐怖の方が大きかった。
これは当然の理屈だが、リーダーは殺傷能力に優れている。裏切ったとすれば無事で済むはずがない事などとうに分かりきっていた。それを考えただけで体が小刻みに震えて、生気が失われてゆく気さえする。
「…累。」
「っ…」
淡々とした蛍ちゃんの声は、まるで僕の心臓を射抜くかのように鋭くそして冷たく僕を貫いた。
──ああ、終わりだ。と半ば諦めかけて、彼女の口から一体どんな罵倒の声が放たれるのだろうとヒヤヒヤしていた時だった。
「…大丈夫。皆には黙っておくから。」
「…え?」
『ちょっ…蛍!? アンタ、何言って…!』
僕はもちろん、KEIさんにとっても彼女の言動は予想外のものだったらしく、結構狼狽えているのが声で分かる。リーダーの事が大好きで尊敬している彼女のことだ、アジトに帰ったら即皆にそしてリーダーに真実を告げ口し、裏切り者を処罰するように企てるものだと思っていた。
そんな僕にとって彼女の言葉は罵倒なんかよりももっと驚愕するものだったため何も言えず、目をぱちくりさせていたら不意に彼女がこう言った。
「誰でも最初は苦手意識があるものよ。
パパも言っていたけれど、これは『見るより慣れろ』。つまり経験を積めば良いのよ。経験を積めばそのうち慣れてくるから、このくらい平気になれるよ。」
「…蛍ちゃん。」
「…ほら、帰ろ。思ったより時間使っちゃったし…
パパを待たせたら怒られるもん。
KEIも…これなら文句言えないでしょ?」
『…はー。ま…アンタの事だし、そういうとは薄々分かってたケド〜…ちょっと甘やかし過ぎじゃナイ?』
「経験を積む。それしか無いでしょ?」
『…ハイハイ。ソーデスネー。』
蛍ちゃんの言葉に圧倒されたのか、KEIさんは棒読みで告げると溜息を零していた。
若干強引さが滲み出ていたが、渋々でも納得を示してくれたKEIさんにお礼を言って僕の手を取る蛍ちゃん。
「ほら、こんな暗い話はもう終わり!
早く帰るよ! 累! 置いてくよ。」
「あっ、待って…! 蛍ちゃん!」
僕よりも小さな蛍ちゃんの手に引かれながら、やっとの思いで彼女の歩幅に合わせて帰路に着く。
口では恥ずかしくて言えなかったけど、すごく嬉しかった。蛍ちゃんの『あの言葉』に心から救われた気がした。
「(…僕もいつか…苦手を克服するんだ…
そして、君の隣を…歩きたい。もっと…もっと欲張りが許されるなら…僕は、いつか君を守れるくらい強くなりたい…殺しなんて止めて…いつの日か──…)」
僕は確かな決意を胸に抱き、自ら彼女の手を優しく解くと彼女の隣に並んで歩く。照れ隠しでニコッと笑うと隣の彼女もくすりと微笑んでくれて…心の奥がほっこりと暖かくなった。
──でも、僕は知らなかったんだ。
蛍ちゃんが本当はどんな人で、この時何を考えていたのか…そしてその『心の色』のドス黒ささえも…知らないフリをしていたんだ。
* * *
「(ふん…)」
──『蛍』はニヤリと笑う、彼の視線が届かない心の奥底で。
──ねぇ、知ってる? 貴方のように愚かで浅はかで…団の風紀を乱す人を、私たちは『裏切り者』って言うのよ──?
* * *
「…。」
「…黙ってないで何か言ったらどうだ。累。俺が納得出来るように説明してみろ。」
──アジトに帰還して『仕事終了』の報告をしてから約10分が経った頃、僕はリーダーから『至急確認したいことがある』との連絡を受け、ホールへ向かった。
集会場所に着くやいなや、リーダーからふとこんな事を聞かれたのだ。
血が苦手で、殺傷行為に反対の意を示しているというのは事実か──…と。
その言葉を聞いた瞬間、声が出せないどころか、体が凍り付いたように微動だに出来なかった。何故、僕自身しか知らない事実をリーダーが知っているのか。何故それが皆に伝わっているのか…全く見当がつかなかった。今それを知っているのは、もちろん本人である僕と…共に仕事に向かっていた蛍だけだ。
しかしそれを彼女に確認するような勇気は持ち合わせておらず、ただ硬直することしかできなくて…まともに言い返せない僕を、皆の鋭く冷たい視線が真っ直ぐに射抜いている。
「…どうなんだ、累。説明しろと言ったのが聞こえなかったか? まあ…このまま沈黙を続けるのであれば、問答無用で裏切り行為を働いたと見なすだけだがな?」
「っ…あ、の…」
「(っ、蛍…ちゃ、ん…)」
助けを求めるように、近くに居た彼女に視線を移した。彼女なら…きっと「違う」と言ってくれるだろうと信じていたから、そんな浅はかな希望を抱いていたのだ。
彼女が、皆に告げ口をしていない理由なんて何一つとして掴んでもいないのに。ただただ彼女を信じてみたかった、信じていたかった。
「…。」
──僕の視線に気が付いた彼女が、笑う。
ふわりと優しい笑顔で僕に微笑んだ。
「(っ…蛍ちゃ…!)」
──ふい。
「…ぇ。」
だが次の瞬間、つい今まで僕に微笑みを浮かべていた彼女から一瞬にして表情が消え去る。そして…彼女自ら視線を逸らされ、無視された。時間が止まったかのように思えた。
激しい絶望感が全身を駆け巡り、生暖かくじめっとした冷や汗がどっと吹き出る。
「…どう…して…? 蛍、ちゃ…ん?」
「…。」
どんなに声をかけても、彼女はそれ以降全く見向きもしてくれなかった。
「っ、蛍ちゃん! ねぇ! 蛍ちゃん…!
なんで…? どうして無視するの…!?
ねぇ! 蛍ちゃん! どうして僕を見てくれないの!? ねぇ…何で!? っ、蛍ちゃんッ!」
激しい絶望感に苛まれ、僕はまるで正気を失うかのように彼女の名前を呼び続けた。
「…蛍。先に部屋に戻っていろ。
少し…長引きそうだ。」
「…分かったわ、パパ。」
半ば発狂し出した僕を見たリーダーが溜息を零して、蛍ちゃんにぽつりと告げた。蛍ちゃんは、リーダーであり父親(代わり)でもある蓮さんからの伝達に素直に頷いて、自分の部屋へ颯爽と向かっていく。
僕はその間もずっと、彼女の名前を呼び続けた。
「っ…どう…して…」
信じていた同期の彼女に見捨てられた、その事実が痛いほどに僕の心を深く抉った。
唯一の『希望』を失ってしまった僕は、膝の力が抜けてその場に落胆した。顔を俯かせて床に手をつく。目からボロボロと溢れ出る涙を止める術は…今の僕にはなかった。
声を押し殺して泣いていると、コツリと靴音が響く。リーダーの蓮さんだ、僕の目の前に立って僕を冷たく見下ろしている。
「…累。」
「…ふ…く…うゔ…っ」
「…俺は、お前に完全に失望した訳じゃあない。お前を見下しているつもりもないし、それなりに愛着を持って接してきたつもりだ。だから、お前にチャンスをくれてやろう。」
「…チャンス…?」
「そうだ。それに応えることが出来たら、これ以上の咎めは無しだ。お前を見直してやらないこともない。…どうだ、受けるか?」
「…。」
──こんな僕にも、まだチャンスをくれる事がとてもありがたかった。
涙が出そうになるのを必死に堪えながら、灰に縋るような思いでこくりと小さく頷いた。僕の承諾を確認したリーダーは僕に頷き返すと、僕と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「…よし。累、賢明なお前にチャンスだ。
──あれを見ろ。」
「…あれ?」
そう言って、リーダーはくいと自分の背後…僕から見て北方向を指差した。不思議に思ってリーダーが指差す方向に視線を移すと、僕は呆然とした。
「…え?」
視線の先に居たのは、真っ赤な鮮血を周囲に撒き散らしてぐったりとしている…蛍ちゃんだった。その体は度々痙攣していて、遠目で見ても分かってしまった。
──ああ、あの傷の深さでは、もう長くないだろうと。
「…かさ…ね…」
「っ…あ…あぁぁぁぁぁ!」
真っ赤な血で濡れる蛍ちゃんを見た僕はまず先に絶叫した。頭を抱え、止まりかけていた涙がまたも止めどなく溢れ出る。何とも言えない怒りが僕の体を支配し、ギリッと奥歯を強く噛み締めてリーダーを睨みつけた。
この時、僕は初めてリーダーに強い眼差しを向けたかもしれない。こんな状況でも、その珍しい光景にリーダーは関心を示し…にやりと僕に微笑みかけた。
「ほう…お前はこの俺にも、そんな目を向けるようになったか。良い目をしている。まるで…お前に初めて会ったあの日のような目をしている。」
「…んなの…そんなのどうでもいいです…!
どうして…どうして、蛍ちゃんを…!
蛍ちゃんは…あなたの子供ではないんですか!」
「…生憎だが…俺に子供はいないのでな。
あいつが勝手に父と呼んでいただけだ。」
「っ…あなたに…人の心はないんですか!
どうしてそこまで人の善意を、心を踏みにじれるんですか!?」
ぶつけようのない怒りを露わにして、感情に任せて目の前の男、赤坂 蓮に言い放つ。
別に改まって答えられなくとも既に答えは出ているようなものだったが、何故か聞かずにはいられなかった。地面が抉れるのではないかと思えるくらいに爪や指を地面に突き立てて、溢れ出る感情を全て蓮にぶつけた。
するとやはり予想通りの答えが返ってくる。
「…そんなもの、俺たちには不要だ。心は武器の斬れ味と軌道を鈍らせる。心があるせいで殺傷能力が鈍るなど言語道断。」
「だからこそ、俺はお前たちに『意識体』を埋め込ませ、奴を常に傍に置いている。いつ、どんな時でも確実且つ迅速に殺傷出来るように。奴らは、言わばお前たちの裏の顔…【裏顔】だ。」
「…り、がん…?」
ぽつりとその単語を繰り返すと、赤坂 蓮はそうだと言って頷いた。
「『悪』を裁くには正義役が必要だろう?
裏顔は言わば『正義役』の象徴だ。」
「…え?」
「…累。俺はな、この世界を愛しているんだ。この…狂った世界を。だからこそ、『悪』を裁かなければならないと思っている。『悪役』が居るから、この世はすだれていく。ならば…」
「ーー悪を滅ぼす『役』が必要だと思っている。だから俺はここを立ち上げた。累、お前は俺を何処まで愉しませることが出来る? 何処まで俺を堕としてくれる?」
「っ…」
「(この人は…狂ってる)」
そう、思わずにはいられなかった。
底知れぬ恐怖を感じて一歩後ずさると、いつの間にか背後に回られていた数人のメンバーに強く押さえつけられた。
「っ、嫌だ…! 離してッ!」
「ーー累。お前の思いを聞こう。
お前は…俺の期待に応えられる人材か?」
「っ…!」
ーー冷たい。氷のように凍てつく視線だ。
まるで、否は許さないとでも示すような眼差しだった。
その視線に見つめられ、体の奥から何とも言えない震えが現れて自分を恐怖のどん底に突き落とす。震える声を何とか押し殺し…言葉を必死に紡ぐ。
「っ…ぼ、く…は…」
「…かさ…ね…っ」
「ーー!」
満身創痍な蛍が、自分を名前を呼び…僕に助けを求めた。
そのか細くも確かな声を聞いた途端、今までハッキリしなかった頭の中が一気に晴れやかになる。まるで霧がかっているかのように霞んだ目の前が鮮明に浮かび上がる。
「(…そうだ。僕は…決めたんだった。誰も傷付けないって。誰かを傷付け殺してまでこの世界に生きていたくないって…! リーダーに言われたから何だ。リーダーの期待に応えたいから何だ…! 今更…僕の決意を無駄にしない! 僕は…僕はーー!)」
「っ、僕は! あなたにだけは従わない!」
「…何?」
「何があっても、僕は僕の道を進みます!
あなたに何を言われようと、何をされようと…!
僕は彼女を殺さない。いいえ、彼女だけじゃない。
誰一人も…殺さない! 僕が傷つけさせません!」
ーー何と思われようと、何を言われようともうどうだっていい。僕は殺さないと決めたのだ。
それに、きっと母さんだって僕がこんなことをしていると知ったら悲しむだろう。こんな『殺り方』では、たとえ仇を討てたとしても喜んではくれないだろう。殺傷を伴った仇討ちなんて…優しい母さんが望んでいるはずがないのだから。
僕は初めてリーダーに、組織に反発した。
ありったけの覚悟と決意を声に乗せて。
もう二度と…赤い色を出さないために。
シンと辺りが静まり返る。きっと、僕が…こんな僕が反発の意を示した事に驚いているのだろう。しかし、次の瞬間…組織の空気が一変した。ーーそして。
「ーー…本当、アナタは…累はとことんお馬鹿さんで…
アタシ達を平気で裏切るのね。」
「ーーえ?」
体が、凍りついた。
今まで血塗れて倒れていたはずの蛍が、まるで何もなかったかのように体を起こしたからだ。ゆっくりと体を起こすと、顔にべっとりと付いた自分の血液を右手の親指だけでグイッと拭い取った。
「っ…なん…で…」
「…何?ふっ、まさかとは思うけど…アナタ、アタシが本当に殺られたとでも思っていたの? ふっ…ふふふ…ばっかみたーい。」
「…え?」
「このアタシがそう簡単に殺られる訳ないでしょう?
それにぃ…パパがこのアタシを殺すとでも思った?
無駄な早とちりご苦労様?」
「っ…!」
ーー『仕事モード』の蛍ちゃんだ。そう思った時には、もう全てが遅かった。まるでそれを思わせるかのように『彼女』の声が脳裏に響き渡る。
『キャハハ! あーあ、残念ね。累。
アンタ…遂にアタシ達を裏切っちゃっタね?
だからあれほど忠告してあゲタのに!』
「…え?」
『えー! 今の状況、分かっていないの?
アナタって、とんだお馬鹿さんなのね!』
「…累。あなたはリフレインの教訓を破った。そんなあなたは反逆者。」
「ここにいる以上、パパが掲げる教訓は絶対規範。何よりも重く大事であることくらい…とうに分かっていたでしょう?」
「え!? ち、違うよ…蛍ちゃん! 僕はーー!」
ーージャキン。
鋭く甲高い音と共に、累の喉元の辺りから鉄錆びた香りが鼻先を掠った。
「ーー! ぁ…っ」
「…累。『殺られる前に殺る』。それが俺たちの教訓だとお前には直々に教えたはずだ。裏切り行為は…重罪だということも。」
リーダーの蓮は愛用する黒刀を累の背側から細い首に食い込ませ、『反逆者』を殺気が込められた鋭い眼差しで睨みつけた。
ーー血だ。赤い鮮血が自分の首筋を辿って流れてきて…冷たい床に付着した。
「ーーひっ…!」
『死』が間近に迫っているこんな時でも、僕の血嫌いは驚くほどに健全だった。赤くもドス黒い血液を見た途端、背筋がゾッとして体が震え上がる。
瞳孔が収縮して息が荒くなる中、リーダーの男は愕然とした態度で冷淡と言い放つ。
「…俺はとても残念でしかないよ、累。
お前なら…使えると思っていたんだがな…。」
「あ…あぁ…っ」
「ーー…だが俺は『優しい』からな。
安心しろ、お前を殺しはしない。」
そう言って、男は僕の頬に手を添えた。
数多の鮮血を浴び穢れたその手で…僕に触れる。
嫌だ、と思っても今は体が思うように動かずただ震えるしか出来なかった。
「しかし…お前は絶対規範の教訓を破った。
その代償はしっかり取ってもらうぞ。」
「ーー待たせたな、『RUI』。
喜べ、お前の依代(からだ)が今、見つかった。」
「…ぇ。」
『ーー…ひふふフフッ…嗚呼…嗚呼…ッ!
やっと…やっとだ! 待ちくたびれたよ…!
やっと…この依代で、この手で人を殺せる…!
この身に真っ赤な血を存分に浴びられる至福の時が来たんだーー!』
男が呼んだ『RUI』という、あの声だけの存在感『意識体』。彼は蓮に呼ばれると、僕の目の前で…いや脳裏の中で怪しく嗤い、高揚するように高笑いし始めた。
『ひふふフッ…さぁ、蓮!
さっさとボクにその子の…累のカラダを頂戴!』
「ああ、お前に言われずとも直ぐにくれてやる。
存分に殺せ。『RUI』。」
ーー蓮はパチンと指を鳴らす。すると僕は、叫び声を上げる暇もなく数人のメンバーに力強く拘束され、身動きが取れなくなった。
何か嫌な予感が全身を駆け巡り…何とか逃れようと必死にもがくが全然ビクともしない。
「ッ、やめて! お願い! 離して下さい…!
僕は…僕はーー!」
「ーー…累。お前という存在は今日という日で終わる。
だが安心しろ、『累』としてのお前はいなくなるが…
『お前』という存在は変わらずリフレインに居続ける。」
「ッ…嫌…嫌だぁぁぁぁ!」
「お前の中に殺戮者としての人格言わば裏の顔…【裏顔】を今から埋め込んでやる。史上最凶の暗殺者としての名を刻め。そして俺の…世界の役に立て。お前こそが『悪』を断罪する『善』となるんだ。これほどに嬉しいことはないだろう?」
「はな…はなせぇぇぇ! 僕は…人を殺してまで生きていたくない! 誰かを殺して血を見るくらいなら…今ここで死んだ方がマシだ…!」
半ば泣き喚きながら、累は必死に抵抗した。
人を殺すことに快楽を覚える殺人鬼になるのだけは何が何でもお断りだ。こんな…化物になってたまるものか。
せめてもの抵抗で舌を噛み切ろうと歯に力を込めた時、蓮が大きく溜息を零して…僕のお腹を蹴り上げた。
「ーーがっ! が…あ…っ」
ーー激しく咳き込む。ビチャッと生々しい音を立ててドス黒い血液が喉の奥から吐き出された。
「…そうだな。今のお前に何を言っても響かないだろう。安心しろ、累。すぐ終わる。」
「か…は…ッ」
「ーー紅。」
「は、はぁい。蓮さん。ごめんなさいね、累くん。
すぐ…スグに楽になりますからね。大丈夫、痛いのは一瞬ですから…」
ーーチクリ。悶え苦しむ僕の首筋に細い針のような鋭利物が突き刺さる感覚が走った。
「ーーいっ!」
それが麻酔針だと気付いた時には僕の意識はぼんやりと遠のいていた。
目を閉じてはいけないと思っても自分の意志に反して瞼がどんどん落ちてくる。もう…抵抗する力も残っていなかった。
「…恐れる必要はない。次目を覚ました頃にはお前は全てを忘れている。だから今はゆっくりと休むといい。
ーーまたな、累。」
「…っ」
「…だから言ったのに。パパに組織に逆らうなって。
本当…馬鹿な累。次目が覚めたら…もっと賢い累になっているといいな。」
『キャハハ! まったねー累っ!』
『ーー…くふふフ…お疲れサマ。累。後はボクに任せな?
大丈夫、キミは…累は全部ぜーんぶ忘れるから…気にしなくてイイよ?』
「いや…だ…ぼく…は…」
『…ほら、早くボクに身を委ねちゃいなよ。
キミの無念…ボクが晴らしてあげる。
【殺し】という名の救いで…ね?ひふふふ。』
ーーそれが、最期僕の耳に届いた声だった。
その声を最後に…僕は深い眠りに堕ちていった。
ーー嗚呼、僕はただ…母さんの仇が討ちたかった。ただそれだけだったのに…こんな…こんなことになるなんて。
あの時…蓮の手を取っていなければ何かが変わらなかったのだろうか。
あの時…彼の声に耳を貸していなければ僕は僕のままでいられたのだろうか。
あの時…あの時ーー…。
…なんて、今更何を思った所で遅いのだろう。
僕はーー…もう、ボクなのだから。
僕は最期に思う。ただ、これだけを思う。
ーー嗚呼。赤い…紅い血が見たい…と。