二度目の死
とある年の4月9日、俺はマンションから飛び降りて自殺した。
どれくらいの苦痛かは記憶に無い。ベランダから、自分の体が下へ遠ざかっていたのは覚えている。
俺に似つきもしない可愛い才女の妹が落ちていく俺を見ていた事も覚えている。桜が完全に散り、若々しい緑の葉をつけ始めた頃の事だ。
多くの学生や、社会人たちが新しい日々への旅立ちを決める中、俺は無様に上の世界への門出を切ったのだ。
悔いは無かった。死んで当然だった。前世の記憶が蘇る度、俺はそう自分に言い聞かせている。
死後の事は覚えていない。天国か地獄かなんて覚えていない。転生して物心ついた時には、この記憶だけが鮮明に残っていた。
転生したという表現が正確かは知る由もない。ただはっきり感じるのは、このマンションという場所から飛び降りたという記憶は、まごうことなき夢ではないという、妙な自信があった。
そして今、俺は首輪に繋がれて、馬車の後ろに乗せられている。
「大丈夫?凄い顔色悪いよ・・・・」
そばにいた可愛らしい少女が、俺の事を心配そうに見つめてこう尋ねた。
「あぁ、大丈夫だ・・・・」
俺はそれだけ彼女に対し、返答した。彼女の状態も俺と同じ、ボロ布といっていい服を着せられ、首輪をつけられ、鎖で両手を繋がれている。俺や少女に限らず、この馬車に乗っている多くの人間が、同じ状態だった。年齢は全員20に満たない少年少女たち、赤子に毛が生えた位の子どもすらいる。俺が下手すれば年長者かもしれない。無論、彼らは全員、囚人では無い。
奴隷・・・・。そう、俺が異世界に来てなったのは、豪運の勇者でもなく、強靭な魔王でもない。みすぼらしく汚れ、非力な奴隷だった。
そしてこの異世界は、生前俺が罵倒し、嘆いた世界なんかより、直情的に身分格差があり、差別が横行し、疫病にまみれ、当たり前のように人間が人間を誑かす、醜悪極まりない場所だったのだ。
唯一、救いがあるのなら、それはきっと、俺が自殺する前の世界では自由・平等・権利の侵害が許されないとされながらも多くの弱い人間がそれ故に抑圧され、その徒労から内心で互いを恨み、妬み、僻み、せがんでは、嘆き、どこかで誰かの失態や弱みに飢えていた醜さといった部分が、この世界では、隠すことなく素直に吐き出される事、いわゆる「嘘」が無かったのだ。前世の世界でもこの異世界で起こっている事は場所や生まれが変われば平然と横行していた。しかしその一方でそれを良しとしない偽善者か利権者か、或いは本当に善人か聖者か知らない者たちによって生みだされた雲の様な定義が、僅かに垣間見えていた。しかしこの世界ではそもそもそんな概念の欠片も無いのだ。その見方を変えれば素直な現実だけが、無常を受容する上での救いだったのだ。
ドンっ
「きゃっ」
傍の少女が、馬車の止まる勢いで倒れそうになる。とっさに俺は少女を受け止めた。
「ありがとう」
不可抗力で受け止めたに過ぎない俺だったが少女に礼を言われる。俺の前世なら、セクハラまがいで逆に言われるのだが、所変わればという事だろうか・・・容姿も前世にいた頃より端麗になっている事も幸いしているのだろう。しかしこの奴隷という身分では、何一つ意味を成さない。唯一、売り物になるという事くらいだろうか・・・。
程なくして、屈強な人売りの男に、順に車両から降ろされる奴隷の少年少女たち、出たと思えばそこは檻になっており、絶対に逃がすことは無いという彼らの鋼の精神を俺は感じた。
奇縁か、少女は俺の横に居た。俺を含めた殆どの人間が死んだ目をしているのに、彼女の瞳はどこか生き生きとしていた。妙なものだ。商人は俺たちを売りさばくのに夢中だった。一人一人、買われていく少年少女達、俺はそんな中、生き生きとした少女にこう問いかける。
「なぁ・・・辛く・・・・ないのか?」
少女は一呼吸送るように目を少し閉じた後、やがてこう口にした。
「辛いかもしれない。でも諦めちゃいけない・・・・どんな時でも、いつか希望は来るって、シスターが言ってたの」
その言葉に俺は、何処までもやるせなさを感じた。暫くして、少女は引き取られた。買ったのは娼館の主人。先行投資か、はたや即戦力か、いずれにせよ彼女に待ち受ける先に、エセ修道女の語る希望など無い事は明白だった。
その後も、奴隷の販売は続くが、結局俺が最後まで売れ残った。中途半端に年長者だった事が災いしてしまったのだろう。この異世界の人間の平均寿命は、俺の前世の世界に比べれば短いものだ。ましては栄養状態も芳しくない奴隷は最たるものだ。俺は、商品としてのデッドラインに近かったのだ。
困り顔で商人が俺を見つめてこう呟く。
「う~ん、如何せん鮮度がよろしくないか。多少顔が良いから期待したのだが・・・やはり大人たちと一緒に始末すべきだったかなぁ・・・」
そんな時だった。商人に声を掛けたものがいた。相手は綺麗な軍服を纏った小綺麗な青年将校と部下たちである。青年将校は商人と俺を見ながら交渉をしている。暫くして商人の顔が少し晴れ、それと同時に、俺はその小綺麗な青年将校に引き取られるのだった。非常に彼は丁寧な対応で俺に接したのち、部下に俺を任せるのだった。兵士に連れられ、宿舎に到着するも間もなく伝令兵がやってくる。
「一晩ここで休んだら出発だ」
伝令兵の通達はその一言で俺は全てを察した。訓練もまともに無く、程なくして出発、渡されたのは粗悪な鉄に「魔力」を込めて作られた一戦限りの使い切り鎧と剣だった。之に出陣時に、飲めば一たびどんな者も力を発揮できるが、効力が切れた後に即死するという「魔薬」の小袋が、直前に渡されるという。
この日、俺は売られると同時に、死に場所を与えられるのだった・・・・。