生きることの哲学
その① 「生きること」
皆さんは生きるということはなんだと思いますか?
私はこの議題にはさまざまな
アンサーがあると思います。
それこそ、この世に生きている人間分の思想が
あるでしょう。
一人は、誰かを愛すること
一人は、なにかを達すること
一人は、この世に名を残すこと
一人は、楽しむこと
一人は、苦しむこと
周りの人間に聞いてみても答えは十人十色です。
しかし私はこれは全て不正解であるか、
全て正解であるかの、どちらかであると思います。
例えば、誰かを愛することをしなかったら
それは生きるということではないのか?
なにかを達成することができなければ
生きていることではないのか?
全部、違うでしょう。
全て正解というのは、それはその人が
正解だと思ったらそれは正解だと私は
思うからです、なぜなら生はその一人だけの
生であるからです。
ただ、これは個人的解です。では
一般概念的な生とは何か。
科学や理論的に述べることは簡単ですが
これは私の哲学です。
生とは何か、それはすなわち
「死ぬまでの暇つぶし」であると思います。
宇宙ができ、星ができ、太陽系ができ、地球ができ、
環境ができ、生が生まれました。
奇跡の数十乗の末に生まれたものが私たち人間です。
奇跡といえば、聞こえはいいですが
これは偶然というものです。
私たちはたまたま生まれてしまったのです。
言い方を悪くすると勝手に生を与えられました。
そして驚くことに数十年という時間を
与えられて、特にノルマや義務はありません。
とても暇ですね。しかも生まれた環境のシステム
的になぜか死は疎まれ生かされます。
だから、とりあえず生きているけれど
偶然生まれた時間に意味なんてありません。
人生が充実することは、死ぬまでの暇つぶしが
かなり楽しかったか、
そこそこ楽しかったか、
普通に暇だったか、
くらいしかないです。
国、宗教、戦争、お金、主義、学習、趣味趣向、セックス、仕事、薬物、文化
これは暇人が生んだ壮大な暇つぶしです。
学校に行きなさい、勉強をしなさい、
お仕事をしなさい、家族を作りなさい
これらはこうやって暇つぶしをしなさい
と提案してるのと相違無いです。
勝手にやらせろって感じです。
自殺は悪いことじゃありません、
暇つぶしに飽きたからやめるだけです。
みなさん、昔の暇人が作り出した
常識や国や偏見や法にとらわれすぎなのです。
目的のない数十年の時間は本来、
想像を絶するほど自由であるはずです。
故に、生きることは死ぬまでの暇つぶし
というほかありません。
故に、私の人生はこういうこと。というのは
私はこうやって暇を潰しますということなので、
間違いであるはずがありません。
今の世の中この考え方だけでは
色々難しいので一概には言えませんが、
生きるとは要はこういうことです。
みなさん気楽にいきましょう。
以上、私なりの哲学でした。