佇む
つい先日、予期せぬ雨が降った時のことである。至急帰宅せねばならない傘を忘れた私に雨が止むまで待つという選択肢は存在せず、スーツを濡らしながら、自らの不注意を嘆きながら、俯きながらも家に足を急がせていた。
駅から離れ、住宅地を抜け、裏道を少し通った先に私の住居はある。崩れかけた借家であるが、都内であるのに家賃が一万円を切るという破格の値であったため、不安を感じながらも貧乏性であった私はその家を借りたのだ。
そんなボロ家の前に、見知らぬ誰かが佇んでいた。遠くから様子を伺っているわけにもいかず、私はその人物に近づき、どういうわけか声を掛けた。これには私自身驚いている。私は極度の人見知りであり、初対面の人間に進んで話しかけることは無いからだ。
しかしその長身体躯を布のようなものに包んだ人物は私の言葉に反応することはなく、ただただ何かを繰り返し呟いているだけだった。私は返答を諦め、目的を果たすために玄関へ向かい、扉に手を掛けた。
玄関の扉は開いていた。案の定である。やはり私は鍵を閉め忘れていたのだった。鍵を閉め、念のためもう一度開け再び閉めて確かめ振り向くとそこには誰も立っていなかった。
その日以来、私は借家に帰っていない。今思えば話し掛けたことがいけなかったのだろうか、それとも姿を見てしまったことがそもそもいけなかったのだろうか私には分からないが、友人に頼んで見てきてもらったその借家の前には今もずっと、その人物が佇んでいるという。