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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蒼イ空

作者: 琅來

流血表現はありませんが、少し残酷な表現があります。また、差別的な発言がありますので、苦手な方はご注意下さい。

 ――綺麗な、蒼い空が見たい。

 それが、いつの頃からかの、()の願いになっていた。




『……主。お館様の所へ行って参ります』

 その、獣のように深く唸る響きを持つ声に向かって、まだ澄んだ……声変わりもすんでいないような少年の声が、軽やかに告げた。

「良いよ。行ってらっしゃい」

 少年がそう言うと、その獣のような声の気配は、どこかへと消え去った。

 少年は目を閉じたままそれを感じると、そのまま不意に苦笑した。

「ほんっと、どうして毎回、こうも律儀に断るのかなぁ。きっと、僕が『駄目』って言っても、絶対に父上の所に行くんだろうにさぁ。……それに『主』、って、なぁ……」

 少年は、仰向けに寝転がると、暗い天上を見詰めて言った。

「『あれ』の本当のご主人は、あれが言う『お館様』……つまり、僕の父上じゃないか。なのに、どうして僕を『主』って呼んでるんだろう。第一、あれが僕の傍にいるのも、絶対父上が命じたからだよなぁ……じゃなきゃ、絶対に僕の傍になんている訳ないし……」

 少年はそう言うと、視線を横に転じた。

 そこに見えるのは、とても、とても太い鉄格子。

 その少年の細い手首と比べても、まるで比べ物にならないほどに太い。

 少年は、その鉄格子に向かって、ゆっくりと手を伸ばした。

 そして、それに触れるか触れないかの所で手を止める。

 その様子は、牢の中から必死に手を伸ばしているような――それでいて、何の力も籠もっていない、気楽に手をかざしているような様子でもあった。

「この扉が、もし開いたら……そうしたら、僕はどうするんだろう?」

 少年はそう呟いたが、本当は、少年の心は決まっていた。

 ただ、面倒臭いから、言葉にしないだけで。

 ……ただ、誰にも聞かれたくないから、口に出さないだけで。

 父に告げ口されたくないから、敢えて言わない。

 ただ、それだけのこと。

「もし、この扉が開いたら……僕は……」

 外に、出る――

 それは、もう随分昔から、決めていたことだった。

 鉄格子に向かって伸ばした手を、少年は、狂おしい光の籠もった目で見詰めていた。




 彼は、生まれた時から……物心が付いた時から、ずっとここにいる訳ではない。

 ここは――つまり、彼が閉じ込められているのは、地下に掘られた牢屋。

 床には一応敷物が引いてあるが、壁と天井は土や岩盤らしきものがむき出しになっている。

 お世辞にも、居心地の良い環境とは決して言えない。

 たったの一条の陽の光ですら、ここには決して届かないのだ。

 少年がここに閉じ込められたのは、彼の記憶が正しければ、確か今から四年ほど前。

 彼が、八歳の時だった。

 それまでは、ずっと、毎日が楽しかった。

 優しく笑い、でも厳しく、色んなことを教えてくれていた父。

 綺麗で良い香りのする、いつも微笑んで見守ってくれていた優しい母。

 悪戯ばかりする自分をたしなめて、でもいつも一緒に遊んでくれていた、周りからの信頼も篤いしっかり者の兄。

 屋敷を歩いていると、いつも笑って、そして丁寧に受け答えをしてくれた、家族のようであった数多くの使用人達。

 少年の記憶には、そういったものが、まだ色鮮やかに、そして鮮明に残っていた。

 けれど、その後……一体何が起こったのか、彼には思い出せない。

 ただ、何かがあったと、それだけ――それだけは、憶えていた。

 彼の記憶に残っているのは、いつもは優しげな微笑を浮かべている母が、顔を激しく歪め、うずくまりながら泣き叫んでいる姿。

 温厚で厳格で、いつもどっしりと構えている父が、彼が見たこともないほどに酷く狼狽え、そして怒声を洩らしている姿。

 優しい兄が、何故かは分からないが、ひたすら顔を歪めて、少年が見たこともないような視線でこちらを睨んでくる姿。

 家族のそれらの思いを感じた時に覚えた、まるで、何度も何度も鋭い針で刺し貫かれるような胸の痛み。

 助けて、誰か来て、と思うほどの、凄まじい何かがあったこと。

 それだけだ。

 それしか、彼の記憶にはなかった。

 気が付いたらこの牢の中にいて、父が、厳しい顔で見下ろしていた。

『父上……?』

 彼は、目が覚めたばかりのような寝惚け声で父を呼んだ。

 すると、突然父はぎょっとした顔になり、足早に牢の中から出て、重い鉄格子の扉を閉めてしまった。

『どう、して……? 父上?』

 震える声でそう呼ぶと、父は目を逸らしたまま言った。

『お前には、ここにいてもらう。食事など、必要な物は届けさせるから安心しろ。決してここから出るな』

 そう口早に言い残し、厳重に鍵を閉めると、父は彼の視界から消え去った。

 少年は弾かれたように立ち上がると、その姿を追うように、必死に鉄格子に縋り付いた。

 けれど、そのあまりにも太い鉄格子は、決してびくとも動かない。

 まだ細い少年の腕は、その鉄格子の間を通ったが、体が通るほどの広さはない。

 彼はその鉄格子の隙間から必死に手を伸ばし、胸を占めた何だか分からない感情に泣き出した。

 だが、今なら、それが何だったのか分かる。

 あの時、自分が覚えた感情は……『絶望』だったのだと。

 それ以来少年は、父にも母にも兄にも、一度も会ってはいない。

 本当は、とても、とっても会いたいのに。

 この四年間で少年と会話を交わしたことがあるのは、姿のない、獣のような声を持った『何か』だけだ。

 それが何なのかは、彼にもよく分からない。

 ここに閉じ込められて、気が付いたらいた。

 姿を見せたことはただの一度もないが、少年に時々話し掛けてくれる、唯一の存在だ。

 そして、こちらを『主』とは呼んで来るが、それが仕えているのは、それが『お館様』と呼ぶ、自らの父である。

 だからなのか、毎日それは父に会いに行っているようだ。

 なので、少年はそれを通じて、ずっと家族の様子を訊いていた。

 だが、実際に家族を目にすることは一度もなく、それがくれる情報も断片的なものでしかないので、それを聞くたびに、彼は狂おしいほどに家族に会いたくて仕方がなくなった。

 けれども、それを聞かないということは絶対に無理である。

 狂おしい感情にさいなまれるとしても、聞かずにはいられないのだ。

 会いたいと思うから、どうしても訊いてしまう。

 そして、ますます家族への想いを募らせ、そしてまた訊いてしまう。

 そんな、悪循環だった。

「……どうして兄上達は、ずぅっと僕に会いに来て下さらないんだろう。僕は、本当に、すっごく会いたいのにさ……。母上と兄上はとっても優しいから、僕がもし空が見たいって言ったら、きっと叶えて下さるだろうなぁ……」

 そう。

 彼の……少年の、望みは……。

 空を、見ること。

 それも、曇天ではない。

 真っ青な、綺麗な青空。

 蒼い、空――蒼天を。

 いつの頃から、ずっと……それだけを、願っていた。

 ここに閉じ込められてからの四年間、彼は一度も外に出ていなかった。

 知らなければ、欲することもなかっただろう。

 だが、少年は知っていた。

 雲一つない蒼天の元、太陽の明るい陽射しを浴びて遊ぶ楽しさを。

 ここは、それとは最も縁遠い場所だから。

 だから、どうしても、外に出たかった。

 遊びたい、とまでは言わない。

 だけど、せめて――

 せめて、空、だけは……。




 いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。

 少年は、瞳を開けた。

 いつものように、その瞳には、荒削りの土がむき出しの天井が映った。

 天井はかなりの高さがあって、彼がどんなに伸び上がっても、跳び上がっても、決してそこに手が届くことはなかった。

 少年は上半身を起こすと、伸びをして口を開いた。

「……ねえ、いる?」

 だが、その声に答える者はない。

「ふ~ん……そっか。まだ、父上の所から戻ってないんだ……」

 彼は唇を尖らせ、つまらなそうに言った。

 本当にここでは、眠るか食事をするか、それとも『あれ』と話すくらいしか、やることもないのだ。

 せめて本の一冊でもあれば、この退屈も紛れただろうに。

 少年はそう思って再び横になると、何気なく顔を横に向けた。

 そちらにあるのは、鉄格子だ。

 少年は、その鉄格子、と言うよりも、その鉄格子に付いている扉を見るのが嫌だった。

 それを見ると、四年前に、そこに縋り付いて泣いたことを……つまり、父に見捨てられたことを思い出して、自分の無力感を悟らずにはいられなくなり、いても立ってもいられなくなるのだ。

 だから、この鉄格子に触れることは、この四年間絶えてなく、そのせいで、ここまでじっくりと鉄格子を見るのは四年振りだった。

 視線をゆっくりと動かしていた少年は、ある所に目を留めた。

 そして、大きく息を呑んで、思わず大声を出しそうになった。

 だが、何とか手で口を押さえると、ゆっくりと起き上がった。

 そして立ち上がると、鉄格子に付いている扉に近付き、恐る恐る手を伸ばした。

 最初に……四年前に触れた時は、どんなに揺さ振っても、拳が赤く腫れ上がるほど叩いても、びくともしなかった。

 ほんの寸分たりとも、全く動かなかった。

 なのに、今は――軽く押しただけで……ゆっくりと、扉は動いて行った。

 そうして……完璧に、開き切った。

 そう、何故かは知らないが、この牢の鍵は、開いていたのだ。

 いつの間に、とは思ったが、今は、そんなことは問題ではない。

 彼は、一つ武者震いをすると、牢の外に一歩足を踏み出した。

 少年の足には、何の履物もない。

 つまりは、裸足だ。

 牢の中は一面に敷物が引いてあるので、そのままでも構わなかったが、その外には何もない。

 むき出しの土になっている。

 少年は、そこから伝ってくる冷気に、思わず足踏みをした。

「冷たい……」

 その拍子に、少年の軟らかい足の裏は、土の上に数多くある石を踏んでしまった。

「いっ、たっ……」

 思わず脚を抱え込んでうずくまったが、ここで留まっていては、折角外に出られたのに、空が見られないことになってしまう。

 少年は顔を顰めながら、一歩一歩を、踏みしめるように進んで行った。

 しばらく歩いていくと、土でできた階段が見える。

 彼は、こんな距離を歩くのはとても久し振りだったので、そこに行き着く前に、軽くよろめいてしまった。

 だが、壁に手を付き、何とか歩き出す。

 壁に縋るようにしがみ付きながら、ゆっくりと前に進み、そして土の階段を昇って行く。


 まだ――まだ、見えない。

 陽の光すら――ここには、まだ届かない。


 彼は激しく息を吐きながら、確実に、ゆっくりと階段を昇って行く。

 そして、唐突に終わりは来た。

 俯きながら昇っていた彼の瞳に、目映いほどの光が届いた。

 少年は驚き、顔を上げ……そして、その明るさを認めると、陽の光に負けないほど顔を輝かせ、あとほんの数段しか残っていない階段を、今までの疲労困憊した様子からはとても想像できない勢いで駆け上がった。

 一気に地上に躍り出た少年は、思いっ切り空を見上げる。

 ……蒼い、空があった。

 雲一つない、綺麗な空が。

 蒼天が。

 彼が――望んで望んで、心から求めたものが。

 何の遮りもなく、一面に。

 広がっていた。

「空だ……空が、あるっ……! あはっ……、凄い……凄い、綺麗……」

 空を見上げた彼の瞳から、涙が一筋零れ落ちた。

 久し振りの明るさに、目が痛い。

 何よりも、あれほど見たかった空が……こんなにも近くに見える。

 手を伸ばせば、届きそうだ。

 少年は、天に向かって思いっ切り手を伸ばした。

 その明るさに……少年の心は、歓喜に包まれる。

 喜びに身を震わせながら、一歩、踏み出した。

 その時だった。

「あ、れ……?」

 足が、思うように動かなかった。

「ど、した、だ、ろ……? 僕……あ、れ……? 何、か、変……」

 少年の顔から、喜びの色は消え、不思議そうな、訝しむような表情になった。

 何とかもう一歩踏み出そうとしたが、上手く動かずに、足をもつれさせて転んでしまった。

 何とか顔から倒れずにはすんだが、少年は倒れたまま、必死に腕で体を支えようとする。

 だが、起き上がることができない。

 顔を持ち上げるだけで、精一杯だった。

「なん、え……どぉ……、て……?」

 少し、呂律が回らなくなってきている。

 そのことに愕然としながらも、少年は、必死に腕を伸ばした。

(嫌だ……すぐ、そこに……あるのに……)

 彼は、力を振り絞って、顔を上げる。

 その目に差し込んで来たのは、鮮やかな、太陽の光。

 四年前までなら……その光を目にすれば、覚えるのは楽しさだけだったであろう。

 だが、今は……体中から、力が抜け落ちる。

 まるで、力が入らない。

「ど、し……て……?」

 彼が、残っていた精一杯の力を振り絞って、太陽を見上げた――その時に。

 彼は……全てを、思い出した。

 思い出した途端、思わず、笑いが込み上げてきた。


 ……何だ、とっても、簡単なことだったんじゃないか。

 忘れていた自分が……馬鹿だったんだ。

 耐えられずに、忘れてしまった自分が、愚かだったんだ。

 どうして父上が、自分を牢に閉じ込めたのか。

 どうして、誰も自分に会いに来てくれなかったのか。

 どうして今、自分の体には、全く力が入らないのか。

 理由は……こんなにも、簡単だったんじゃないか。

 父上は、こんな自分を、人前にさらしたくなかっただけ。

 家族は、自分を怖れ、嫌悪していたから来なかっただけだ。

 そうして、何故、自分の体に、こうまで力が入らないのかは――

 何故なら、自分は――

 ……吸血鬼、だから。

 どうして今まで、血を飲まないで生きて来られたのかは、分からない。

 でも……吸血鬼の、天敵。

 それ、は。

 自分が求めて止まなかった、あの、陽の、光――


 少年の瞳から、光が、失われた。

 持ち上げていた顔が落ち、その体中から、全ての力が失われた。

 力なく横たわった彼の体が、さらさらと崩れ落ちていく。

 そして、最後には、白い灰となった。

 軽く風が吹いただけで、その灰は、はらはらとどこかへと飛んで行ってしまう。

 灰は――少年の体だった物は、呆気なく風に吹き飛ばされ……そして、跡形もなく、消え去った。

 最後には……少年が『存在』していたことを示す物は、全て、消え去ってしまったのだ。

 ただ太陽だけは、地上の哀しみが映らないかのように、ただ、いつものごとく、燦々と地を照らし出していた。

 少年が、ずっと求めていた、あの明るい光で。




 ユラ……と、空気が揺れたかと思うと、そこに、突如として一人の少年が現れた。

 一体、どこから現れたのだろうか。

 それは、誰にも理解できない。

 その少年は、クス、と笑い声を洩らした。

 まだ声変わりが済んでいないのか、随分高い声である。

 その少年は、続けて、クスクスと笑い続けた。

 一体、何が可笑しいのか、本当に楽しそうに、幼い声で笑い続ける。

 その表情もとても幼く、子供そのものの表情だ。

 彼は、ようやく笑い止むと、微笑みながら言った。

「……やっと、開放されたよ。ほんっと、長かったなぁ……。もう四年か」

 少年は、背後を振り返った。

 そこに見えるのは、どこまでも深く、地下へと続く階段。

 そう……あの、吸血鬼となってしまっていた少年が出て来た、あの座敷牢に続く、長い階段だった。

 それまでの、まるで天使のような表情を一変させて、侮蔑の表情でそこを見下ろすと、少年は言った。

「馬鹿だなぁ、あいつは。僕はもう何年も前に、隙を見てあの鍵を開けてたのに……四年も気付かないなんて、馬鹿だとしか言いようがないよ。本当に……」

 少年は、嘲るような笑みを浮かべた。

「本当に、あいつ、僕と血が繋がっているのかな? しかも、いくら双子……揃い子だとしても、向こうの方が、一応『兄』なんだろう? 僕の、兄上なんだろう?」

 少年は……彼の言ったことが真実だとしたら、吸血鬼の少年の双子の弟は、十二歳という年齢にまるで似付かわしくない、疲れたような溜息を付いた。

「全く、とんだとばっちりだよ。ったく……何で吸血鬼なんかに血を吸われちゃうのかなぁ? 兄上は。ちゃ~んと兄上を管理しておかなかった父上も父上だよなぁ。あ、長兄もかぁ。向こうの方が僕らより六つも年上なんだし。全くなぁ。揃い子は不吉だ不吉だって言うんなら、ちゃんと気を付けてもらわないとねぇ。揃い子は、いずれは魔物になるって言って、生まれて間もない僕を捨てたくせにさ。……まあ、僕のこういうところが不吉って言われるんだろうけど。普通、憶えてないからねぇ、赤ん坊の時のコトなんてさ。あいつだって、僕とおんなじ揃い子だけど、全く憶えていなさそうだったし。って言うか、はっきり言って馬鹿じゃないのかな? 兄上は。普通、自分が吸血鬼に吸血されたことなんて忘れないだろう?」

 少年は、再び嘲笑を浮かべた。

「全く……生まれたばっかりの、双子の弟である僕を捨てて。そして、双子の兄であるあいつを手元に残して。そこで、僕達の人生はきっぱり別れたはずだったんだ。一生会うことも、関わることもなかっただろうよ。なのに、あいつが吸血鬼なんかに吸われたせいで、僕は実体をなくすしかなかった。声しか持たない、化け物に成り下がるしかなかった。……双子って、本当に恐ろしいよ。僕は吸血鬼に吸われてないのに、あいつが吸われたせいで、こっちまで引きずられて化け物にならなくちゃなんなかったんだ」

 少年は、突如として悔しそうな顔になり、盛大な歯軋りを洩らした。

「しかも、父上は……よっぽど、あいつが好きだったんだな。わざわざ地下牢に閉じ込めて、陽の光が届かないようにして、死なないようにして。しかも僕に、

『お前は兄上に付いていろ。あいつが外に出て死なないように。そして毎日報告しろ。話は以上だ』

 だとさ。ったく、ふざけてるよ。たわごとを言うにしてもほどがある。初めて会った実の父親に、そんなことを言われるこっちの身にもなれってんだ。兄上が死んだら、僕は元の姿に戻れるのに、わざわざあいつを生かす必要が何であるんだ? ないだろ。普通、さ」

 少年は、視線を動かして、自らの目の前に、そびえ立つように見える塀――ではなく、彼が生まれ落ちた屋敷の壁を見詰めた。

「それに、あいつの所からこの屋敷に行くたびに、長兄に侮蔑されるしさ……よっぽど、化け物とか異質なものが嫌いなんだなぁ、彼は。あいつ、長兄はとっても優しいとかふざけたこと言ってたけど、長兄は嫌ってたよ、兄上のこと。蔑んでいたとか、嫌悪してたって言っても良いぐらいに。いや、それでも足りないぐらいに、が正しいか。ま、吸血鬼になる前のことは知らないけどね。別に、特に興味もないし」

 少年は、にっと笑みを浮かべた。

「ったく、ここの家族って、み~んな揃いも揃って、馬鹿だよなぁ。会いに行かなかったら、いくら閉じ込めて生かしておいても、何の意味もない。むしろ邪魔。さっさと殺しておけば良かったのにさぁ。吸血鬼は、結局どこまで行っても吸血鬼でしかなくて、ただの化け物なんだし。妙な仏心を出すからいけないんだよ? しかもこっちまで巻き込むしさぁ……。八年も前に棄てたはずの、僕まで」

 少年は、くるりと踵を返した。

 その視線の先にあるのは……森。

 鬱蒼と茂っていて、今は昼間だというのに薄暗く、普通は、子供どころか大人でさえも、足を踏み入れるのにはかなり躊躇うはずだ。

 だが、少年は全く躊躇うこともなく、悠然と、まるで自らがこの森の王者だと言わんばかりの居住まいで、森の中へと足を踏み出した。

 だが、突然ぴたっと足を止め、最後に屋敷を振り返る。

 しかし、それは離れたくないという未練の念からではなく、ただの、本当にただの記念でしかなかった。

「さようなら。血の繋がった、僕の馬鹿な家族達。僕は本当の(・・・)家族の所に戻るよ。血は繋がっていないけど、僕にとっては、あの人達こそが本当の……本物の家族だからね」

 そして、まるで天使のような微笑みを浮かべて言った。

「聞こえないだろうけど、血の繋がった父上と母上に。『僕』という存在を創り出してくれてありがとう。そして、棄ててくれてありがとう。そのおかげで、僕は大切な家族と一緒に暮らせるから。八歳の時に生き別れてしまったけど、今はもう違う。また、僕は家族と暮らせる。……さようなら。ありがとう」

 そう言い残すと、少年は、今度こそ踵を返し、鬱蒼とした森の中へと消えて行った……。



(終)

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