強盗対処まにゅある
九月になっても暑いから暑苦しい人物を書いてみた。
「金だ! ありったけの金を! この店の全身全霊の金をよこせ!」
私の名は山下。現在絶賛強盗に襲撃されている。
以前勤めていた会社をとある事件(後にハト事変と呼ばれる)によってクビになり、コンビニバイトなどに身をやつす羽目になった。
曲がりなりにも新しい一歩を踏み出したところでこれだ。どうやら私はとことんついていないようだ
「どうした、何故応えない! そうか、わかったぞ! 俺の声にハートが足りないんだな! よし、見ていろ、否、聞いていろ! 今、俺の全身全霊のシャウトを聞かせてやろう!」
大きく息を吸い込み始める強盗。私は何も言っていないのに、勝手にヒートアップしている。なんだか暑苦しい人物だ。持ってる凶器もアイロンだし。
ふと、強盗が息を吸うのをやめた。何かが起ころうとしている。
「金! を! 出せ!」
突如、膨大な音の本流が私を貫いた。目の前の一人の人間が発したとは信じられないほどの、まるで百万人の人間が同時に叫んだかのような声が私の鼓膜を激しく掻き鳴らす。
何だ、この声量は。ここまで感情に満ち満ちた声は聞いたことがない。
「どうだ! 届いたか、俺のソウルが! まだ足りないのなら、何百回だって、何千回だって叫んでやる! 俺の声が、お前の心に届くその日まで!」
レジのカウンターに身を乗り出し、唾を吐き散らかしながら吠える強盗。その唾液はいくらか私の衣服に付着したが、私は不思議とそれを汚いと感じなかった。
私がその時抱いた感覚は、甲子園球児が流す涙を見たときのものに似通っていたのだ。
目の前の男の必死が、全力が、私の萎えきった心を動かそうとしている。
思えば私は会社をクビになって以来、努力だとか情熱といったものとは無縁の日々を過ごしてきた。要するにふてくされていたのだ。
そんな中で目の前のこの男は、この感情の塊のような男は、私にとってあまりに新鮮で衝撃的な存在に思えたのだ。
自然、私の手がレジスターへと伸びていた。
馬鹿な。私はこいつに金を渡そうとしているのか。そんな思考は頭の片隅に追いやられ、レジスターは無情にも開いてしまった。
一万円札、五千円札、千円札をまとめて強盗に手渡す。
しかし、男は何故か受け取ろうとしない。札束には目もくれず、そのギラギラとした瞳で真っ直ぐに私を睨みつけている。
その視線に、私はどこか心を見透かされているような気がした。
強盗が烈火のごとく吠えた。
「甘えるな! この店の全力はこんなもんじゃないだろ! もっと金を出せよ! どうして札束だけで諦めるんだ! お前の本気を見せてみろ!」
要領を得ない言葉だが、私はこの男の叫びを心で感じ取った。
そうか、お前は札だけでなく、硬貨までも持っていこうと言うのだな。文字通り、根こそぎレジスターの中身を持っていこうと言う訳だ。
まともな強盗なら、札束だけ奪ってさっさと逃げ去っていたことだろう。
私はこの男の愚直さに、敬意すら抱くようになっていた。
レジスターの中の小銭をかき集める。せめてこの偉大なる愚か者の熱意に報いようと、できるだけ急いで。そして男が爽やかな笑顔で差し出した革袋に、札と硬貨を飛びこませた。
さぁ、羽ばたくといい。もはや君がここに留まる理由は、ない。
しかし、男は動こうとしなかった。既にその顔から笑みは消え、何故か憤怒の形相で私を睨みつけている。
「あんた、あんた本当にそれでいいのかよ!」
男が凶器のアイロンをレジの台に叩きつけた。思わず身がすくむ。
何故だ、どうして彼は怒っているんだ。目的は果たしたはずだ。早くここを去らなければ、騒ぎに気付いた者が警察を呼ぶかもしれない。
そんなリスクを犯してまで、君が得るリターンは何だ。
「このままだと俺は逃げちまうんだぞ! この金は店の金じゃないのか! みすみす持っていかれるのを見逃して、あんたは本当にそれでいいのかよ!」
何てことだ。この男は、私のような人間にチャンスを与えようとしてくれているのか。かつての情熱を取り戻すチャンスを。かつての私を取り戻す機会を。
しかし、できない。私はもはや終わってしまった人間なのだ。彼の心遣いには本当に感謝しているが、私が取り押さえるには、彼は眩しすぎる。
ああ、私を見るな。その燃え盛る瞳で私を見ないでくれ。
「私には、できない。そういったことは、警察の仕事だ」
「ふざけんな!」
アイロンが私の肩を殴打した。コンセントが刺さっていないため熱されてはいなかったが、それでも鈍い痛みが私の身体を襲う。
悶絶する私を無視して男は言葉を続けた。
「俺は、常識だとか世間体だとか、そういったもんを全部かなぐり捨ててここに立っている! 俺の心のままにここにあるんだ! あんたは違うのかよ! 望んでそこに立っているんじゃないのかよ!」
望んで、立っている? そんなはずがないだろう。何故私はいい歳してコンビニでバイトしているんだろうと何度も考えたさ。ここは、私の望んだ場所ではない。
本当に? 本当にそうなのか?
頭の片隅に追いやっていた疑問符が、大きく膨らんできた。
ここに来た時のことを思い出してみろ。クビになって路頭に迷っていた私を拾ってくれた店長のことを、優しく仕事を教えてくれた佐々木さんのことを、可愛らしいマキちゃんのことを。
あのときの私は、望んでそこにいたのではないのか。情熱を以て仕事に取り組んでいたのではなかったか。いつから、こんなに腐ってしまったのだ。
私の心で燻り続けていた種火が、激しく燃え上がるのを感じた。目の前の男の言葉を喰らい、もっと大きく、もっと激しく。
もはや肩の痛みなど感じない。私はゆっくり立ち上がると、不敵な目で強盗を睨んだ。
「そうだ、忘れていたよ。君のおかげで思いだせた。私は望んでここに立っていたんだ。だから悪いけど、その金を渡すわけにはいかない」
「よく言った! ならばやることは一つだ!」
そう、やることは一つ。もはや言葉など要らない。
青年はアイロンを捨て、拳を握った。私はレジ台の下にあるスイッチを押し、バックヤードに逃げ込んだ。
数分後、遠ざかっていくサイレンの音をBGMに、私はもはや会うことはないであろう男へ敬礼した。
彼の熱意は私の中で生き続けることだろう。
ちなみにマキちゃんは女子大生です。