第1話:七年間の献身と、奈落への突き落とし
王立宮殿の大広間は、シャンデリアの眩い光と貴族たちの芳香に包まれていた。今宵は建国記念パーティー、そして第一王子カイルと、その婚約者である私、エルゼ・フォン・ブラウの成人の儀を祝う場のはずだった。
しかし、壇上に立つカイル様が放った言葉は、祝辞ではなく、冷酷な宣告だった。
「エルゼ・フォン・ブラウ! 貴様との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!」
楽団の演奏が止まり、静寂が広間を支配する。何百もの視線が、一斉に私へと突き刺さった。好奇、嘲笑、そして明らかな嫌悪。
私は静かに頭を垂れたまま、その言葉を受け止めていた。視界の端に映る自分の手は、土気色に沈み、ひび割れた陶器のように荒れている。
「……理由は、伺ってもよろしいでしょうか。カイル様」
震える声を抑えて問い返すと、カイル様は鼻で笑い、隣に立つ美しい少女の肩を抱き寄せた。隣国の第三王女、リリアーナ殿下だ。彼女は花の蕾のような美貌を誇り、その肌は雪のように白い。
「理由だと? 鏡を見たことがないのか。その醜悪な姿、枯れ木のような髪、立ち上る不気味な魔力……。お前はもはや聖女などではない。ただの『汚らわしい呪いの器』だ。そんな女が、我が王国の次期王妃として隣に立つなど、国家の恥辱でしかない!」
周囲からクスクスと忍び笑いが漏れる。
「本当だわ、あの肌を見て」「夜会に現れること自体が非常識よ」「呪い溜めが移りそうだわ」……。
彼らは、何も知らない。
七年前。カイル様が狩りの最中に古の魔王の呪いを受けたあの日、私が何をしたのか。
本来なら彼は、全身が腐り果てて死ぬはずだった。それを救ったのは、私の家系に伝わる禁忌の魔導具と、聖女と呼ばれた私の魔力だった。
「私はこの七年間、あなたのために……」
「黙れ! 恩を着せるつもりか? 私が呪いに打ち勝ったのは、私自身の高潔な魂があったからだ。お前はその恩恵に預かり、婚約者の座に居座り続けただけではないか!」
カイル様は、本気でそう信じているようだった。私が「身代わりの魔導具」として、彼の痛みを、熱を、そして呪いの蝕みをすべて引き受けてきたことを。私が醜くなったのは、彼が英雄として称賛されるための代償だったことを。
「もはや用済みだ。リリアーナのような清らかな女性こそが、私の隣にふさわしい。お前のような穢れた女は、今すぐこの国から失せろ。二度とその醜態を私の前に晒すな!」
リリアーナ殿下が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて私を見下ろす。その瞳には、一欠片の同情もなかった。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
七年間、一度も外したことのなかった首元の黒いチョーカーに指をかける。これは、カイル様から流れてくる呪いを私の体内で抑え込み、周囲に漏らさないための「封印の調整具」だった。
「……わかりました。お望み通り、婚約解消の書類には後ほどサインを。そして、お望み通り、私はこの国を去ります」
私は静かに、しかしはっきりと告げた。
「ですがカイル様。お別れの前に、私が七年間お預かりしていたものを、すべてお返しいたします」
「預かっていたもの? ふん、金貨の一枚でも返そうというのか。そんなものは――」
カチリ、と硬質な音が響いた。
私がチョーカーの金具を外した瞬間、広間の空気が凍りついた。
私の首筋から、目に見えるほどの黒い霧が噴き出す。それは持ち主を探すかのように空中をうねり、一直線にカイル様へと向かった。
「な、なんだこれは!? やめろ、来るな!」
カイル様が悲鳴を上げる。しかし、黒い霧は情け容赦なく彼の体に吸い込まれていった。
それは、私が七年間、一秒たりとも休まずに肩代わりし続けてきた「魔王の呪い」。
しかも、聖女の体を通さず、持ち主に逆流したそれは、長い年月を経て数倍の威力に膨れ上がっていた。
「ぎああああああああっ!」
カイル様がその場に転がり、のたうち回る。
彼の輝かしい金髪は一瞬で白髪に変わり、瑞々しかった肌は、今の私と同じ……いや、それ以上にどす黒く変色していく。
抱き合っていたリリアーナ殿下は、その異様な姿に絶叫して彼を突き飛ばした。
「ああ……ああ……体が、焼ける! 誰か、誰か助けろ!」
必死に助けを求める彼に、手を差し伸べる者は誰もいない。近衛騎士たちですら、彼の体から溢れ出す圧倒的な禍々しさに、剣を抜いたまま後退りしている。
私は、自身の体に劇的な変化が起きているのを感じていた。
呪いの重圧が消え、魔力が本来の輝きを取り戻していく。ひび割れていた肌は、脱皮するように剥がれ落ち、その下から真珠のような白い肌が姿を現した。
枯れ木のようだった髪は、さらさらとした白銀の輝きを放ち、広間の光を反射している。
本来の私の姿。
カイル様を救うために捨て、彼が「醜い」と蔑んだその姿へと、私は戻ったのだ。
「それではカイル様。……さようなら」
私は絶叫する元婚約者に背を向け、一歩も振り返ることなく大広間を後にした。
背後で王様や王妃様が騒ぎ出す声が聞こえる。衛兵たちが慌てふためく音がする。
けれど、もう関係ない。
私は自由だ。この足は、もう誰かのための身代わりではなく、自分の人生を歩むためにあるのだから。
夜の冷たい風が、新しく生まれ変わった私の髪を優しく撫でた。
行き先は決まっている。
こんな呪い塗れの国よりもずっと北。私の「力」を正しく評価し、三年前から秘密裏に招待状を送り続けてくれていた、冷徹と謳われる「呪術大公」が待つ帝国へ。




