読めている敗北
立憲の幹部の方々って頭良いんです。本当です。
党本部の会議室は、異様なほど静かだった。
夕方の光がブラインド越しに差し込み、机の上の資料の山に斜めの影を落とす。
立憲民主党代表・神谷は、黙ったまま紙をめくっていた。
その指先は、どこか疲れている。
幹事長の河野は、椅子に深く腰掛け、腕を組んだまま天井を見つめている。
選対本部長の水野は、資料を前にしたまま、ペンを回し続けていた。
誰も口を開かない。
沈黙を破ったのは神谷だった。
「……全部、分かってるんだよな。これ」
彼は、参議院の新制度案の概要図を指で叩いた。
「完全比例。地方票の読み替え。実施は2031年。現職はほぼ落ちない。自民は減らない。むしろ安定する」
河野が、ゆっくりと顔を向ける。
「改革の顔をした、完璧な自己保存装置だ」
水野が小さく笑った。
「ここまで綺麗に作られると、感心しますよ。普通、比例にしたら与党が死ぬ。でも、これは死なない。死なないどころか……」
「野党が分裂する」
神谷が言葉を継いだ。
「……しかも、俺たちが“反対する理由”が弱い」
三人の間に、重たい空気が落ちた。
「分かっているのに、殴れない」
水野が口を開いた。
「代表、正直に言います。これ、国民に説明したら“良さそう”に聞こえます」
「だろうな」
「民意反映。死票削減。地方格差是正。顔の見える比例」
「全部、正しい」
河野が低く言った。
「問題は、“正しい”ことだ」
神谷は目を閉じた。
「俺たちはいつも、“歪んでいる部分”を殴ってきた。でも今回は……」
「歪みが、見えない」
水野が続けた。
「構造を理解できる有権者は1割もいません。『これ、自民に都合よくない?』って言っても、証明が難しい」
「陰謀論に見える」
神谷が呟いた。
「野党が弱体化する設計」
河野が資料をめくった。
「れいわ、参政……増える。でも人材が追いつかない。崩れる」
「維新は伸びるが、連携不能」
「共産は増えても孤立」
「国民は、政策ごとに自民と組める」
水野は、机に拳を置いた。
「つまり……」
「俺たちは、“軸”になれない」
神谷が言った。
「野党第一党なのに、“不可欠な存在”になれない」
それは、敗北の中でも最も苦しい種類の敗北だった。
「反対すると、悪役になる」
水野が苦笑した。
「反対キャンペーン、やりますか?」
神谷は首を振った。
「『民意反映に反対』
『地方是正に反対』
『死票削減に反対』
……全部、俺たちが悪役になる」
「しかも」
河野が続けた。
「この制度、長期的には“安定”を生む。暴発しない。極端化しない」
「国民は、疲れてる」
神谷が呟いた。
「変革より、安定を選ぶ」
「見えているのに、止められない」
沈黙。
窓の外では、車のクラクションが鳴った。
水野が言った。
「代表。これ、詰んでます」
神谷は、苦笑した。
「……ああ」
河野が続ける。
「分かってる。でも、言葉にできない。説明しても伝わらない。反対すれば、逆効果」
「しかも」
水野が付け加える。
「2031年実施。今の我々が責任を取る頃じゃない」
「巧妙だ」
神谷は、机を見つめた。
「完璧に、“政治的に通る”設計だ」
「それでも、何かを言わなければならない」
しばらくして、神谷が立ち上がった。
「……負けるのはいい」
二人が顔を上げる。
「でも、“気づいていたのに黙っていた”とは言われたくない」
河野が微笑んだ。
「代表らしい」
水野が頷いた。
「どう言います?」
神谷は、少し考えた。
「正面からは殴れない。だから……」
「問いにする」
「問い?」
「“これは誰のための制度なのか”」
二人は黙って聞いている。
「“誰が得をして、誰が損をしないのか”」
「“なぜ、今なのか”」
神谷は、窓の外を見た。
「答えは言わない。だが、疑問は残す」
「勝てない戦いでも、立つ」
水野が小さく笑った。
「苦しいですね」
「政治は、だいたい苦しい」
神谷は静かに言った。
「だがな……」
彼は振り返った。
「この制度は、俺たちを殺さない。だが、役割を殺す」
「それだけは、黙って受け入れられない」
河野が立ち上がった。
「……やりましょう」
三人は、無言で頷いた。
勝てないと分かっている戦い。
しかし、それでも声を上げなければならない戦い。
夜の党本部の廊下に、彼らの足音が響いた。




