第四章 はじめまして?
千紗の脱いだばかりの靴の横に、私の入った段ボール箱を置き去りにしたまま、千紗の両親と千紗が、何やら言い争いをしている。
私が生まれて以来こんなにも目まぐるしく状況が変わり驚きの連続の日はなかった……と言っても生まれて数週間だが、多分一生の中でもこんな日は来ないだろう。
疲れ切っていた私は、いつしか夢の中に入っていった……。
……車の往来が激しい大きな道を横目でチラッと見ながら、目の前の垣根をくぐりフワリと塀に飛び乗る白い猫が見える。
青い瞳と真っ白な輝くような毛並みのその白猫は、貴婦人のような気高さを感じさせる。しなやかな動きでトンと塀から降りると、すぐ横の小道を早足で走っていく。
一つの小さな家の前に着くと、白い手を器用に使って扉を開け、音もなく中に入った。
「ニャ〜ン、ニャ〜オ」
白猫は、甘えた声で小さく鳴いた。すると
「やぁ、よく来たね」
と言いながら嬉しそうに青年が奥の部屋から出てきた。白猫も嬉しそうにしっぽをピーンと立てて、青年の足に頭や身体を何度も何度もすりつけている。
「何かの美味しいものはあるかな。さぁ、おいで」
青年は、白猫の食べ物を探そうと部屋の奥に戻ろうとするが……白猫は青年の足元を行ったり来たりしていて、手足を踏まないようにと、ゆっくりしか進めない。青年は怒ることもなく、白猫のペースに合わせて笑顔でゆっくりと……足元に白猫を纏わせながらすり足で奥の部屋に戻っていった……。
襖がスーッと開いて……階段をタンタンタンと上がっていく二人の足音……小太鼓のような音……。
ふと夢から覚めた私は、きれいな白猫だったなぁとぼんやりした頭で思い返していた。どれほど眠っていたのか分からないが……千紗が早足で戻ってきた。
『待たせて、ごめんね。私のママが猫だけは絶対ダメだって言って聞かなくて……。パパにも今夜だけだぞって念押しされちゃった』
一難去ってまた一難とはこの事だろうか……と私はため息をついた。続けて千紗は深刻そうな顔をしながら言った。
千紗が小さな頃から、捨てられたり迷っている犬や猫と仲良くなると、ただ一緒に暮らしたいと思っていたらしい。私のような子猫もそうだが、千紗よりも身体が大きな迷い犬や年老いた老猫、人懐っこい土鳩やヒヨコなど、様々な種類の生き物を家に連れ帰った事があったという。しかし、翌朝目が覚めるといつも居なくなっていたという。千紗なりの予防策として、出会った場所は……千紗の歯医者の近くの大きな川に掛かっている橋を渡った所だと、詳しく場所の説明をしていたと言った。
私は、千紗が眠っている間にまた元の場所に戻されるのかもしれないと不安になってきた。こんなに不安で心細い思いをするなら、きれいな白猫の夢を見続けていたかった……。千紗を見上げる私の目に涙が滲んできた。視線を落としたまま千紗は小さな声で言った。
『もし元の場所に戻されたとしても……できたら動かないで待ってて。必ず迎えに行くからね。……でも、もし新しい飼い主さんになってくれそうな人がいたら……その方が幸せに暮らせるのかもしれない。ごめんね』と、千紗は申し訳なさそうにうなだれた。
私は、一体どうなってしまうのだろう……。固く冷たい箱の中で不安だからか寒いからなのか、私の身体が小刻みに震えてきた……お母さんの温かいおなかに潜り込みたい。