07 冤罪の結末
◇
翌朝。
アレスが目の下にクマをつくり、重い体を引きづり登校した教室ではアイリスが待ち構えていた。
その隣には怒るダリアと覚悟を決めたカイルの姿がある。
「これは……」
この面子。自分が嵌めた二人が揃っているこの状況が偶然なはずもなく、そしてダリアとカイルの表情を見て、事情を理解するのに、そう時間は掛からなかった。
「アレスさんですね」
聖女アイリス。昨晩、アレスの元を訪れたロベリアに肩を並べる有名人であり、ロベリアとはまた違うベクトルの強敵。
アイリスの存在感は凄まじく、クラスの注意はこの一点へと向いてしまっている。
「そうだ」
「あなたは巧妙な罠でカイルを嵌め、ダリアとよく似たカツラを被った女性を、ダリアだと言い張らせた。そして彼女に浮気をしたと、そう冤罪をかけた。違いますか?」
アイリスのはっきりとした口調で告げられた、おおよそ真相と言っていい内容に、反論しようと口を開くも、一言目が出てこなかった。
アイリスの攻めはどこまでも正攻法で、故に読みやすい。そして言い訳もし易い。その反面、真っ当であるが故にアイリスのやり口は崩しにくく、どれだけ言い訳を重ね粘ろうと、じわりじわりと追い詰められる。
一時凌ぎは出来るかもしれないが、最終的には負ける。
また、アレスは昨晩の出来事を思い返していた。
アレスはあれからロベリアとのやりとりをなん度も反芻し、自分がいかに不利な状況に置かれているかを改めて把握していた。
このままいけば、どれだけ必死に足掻こうと『聖女』か『悪役令嬢』のどちらかの策がアレスを破滅に追いやるだろう。
争うだけ無意味。
睡眠不足なせいか、頭もろくに回ってはいなかった。
「……あぁ、そうだ」
だから諦め、潔くそう認めた。
アレスはもうとっくに、勝ち筋の見えない暗雲の中で、考えることに疲れていた。
「随分とあっさり認めるのですね」
ダリア含め、他の面々が驚きの反応を示す中、アイリスだけはどこかこうなることが分かっていたかのような冷静さを保っていた。
「あぁ、ここで足掻いたところで意味なんかない」
すでに、彼の心は折られていた。
あまりにもあっけない解決に、クラスメイトは勿論、ダリアたちも困惑していた。
それからアレスは「疲れた」と言い、フラフラとした足取りで寮へと引き返していった。今日はもう講義に出る気力さえないと。
「追わなくてよかったのですか?」
アイリスのそんな問いかけにダリアは複雑な表情を浮かべた。
「いや、なんか呆気なさすぎてちょっと面食らっているというか」
ダリアがどこか引っ掛かりを覚える一方で、アイリスは薄々、アレスの身に何かが起きたことを察していた。
目の下のクマといい、妙に元気がないことといい、昨日……何かがあったことは明らかだ。
あの後、カイルもダリアもアレスとは接触していない。アイリスは彼らに不用意に接触しないよう念を押し、二人はそれをしっかりと守った。
だから、ダリアの浮気の冤罪の一件に、アイリスが足を突っ込んだことさえ、知らないはず。
となると、
「全く、心配性なんですから」
紫髪の女性の顔を思い浮かべながら、アイリスはそう呟いた。
◇◆
週末、浮気の疑いが晴れたダリアは、お礼を手にアイリスの部屋に向かった。一般的な学生寮と違い、貴族の子らの住まう寮の部屋は大きく、立派である。ちなみにアイリスより下とは言え、同じような寮に住んでいるため、今更驚きはない。
「先日はありがとうございました! これ、お礼です」
「あら、ありがとうございます」
ダリアが買ってきた菓子をアイリスが受け取る中、部屋の扉がガチャリと音を立て開く。
「失礼するわね……って、あら、先客?」
「こ、この方って」
部屋へと入って来た、毒々しい紫の髪に派手やか格好の女性……ロベリアの登場に、ダリアは取り乱していた。
聖女と悪役令嬢のご対面。全く違う、二人の有名人の邂逅に、理解が追いついていなかった。
一方で、アイリスは、
「あら、ロベリア! 久しぶり」
嬉しげに、そう声を発する。
さらにダリアの困惑は色濃くなってゆく。
そんなダリアを他所に、平然と会話を続ける二人。
「しばらく会ってなかったけど、元気そうね」
「アイリスこそ、相変わらずな様子ね」
悪役令嬢とは思えない自然な笑みで応答するロベリアを前に、ダリアは頭上に疑問符をいくつも浮かべた。
「これは、どういう……」
目の前の光景に、信じられないと驚愕するダリアに、ロベリアは鋭い、悪役令嬢らしい強い眼で問う。
「何? 聖女と悪役令嬢が友人なら何か問題でも?」
「い、いえ」
「そう」
ロベリアはダリアにそう言うと、机に箱を置いた。それは奇しくも、ダリアがお礼を選ぶ際、悩んだ二択の、選ばなかったほうの菓子だった。
「どうして急に? 私、誕生日でもなんでもないですよ?」
「アイリスのお陰で臨時収入が入ってね」
あの後、アレスはリリーに傷を負わせたことを白状した。白状する必要は必ずしもなかったが、ロベリアに弱みを一つ握られたまま今後を過ごすくらいなら、いっそ全て吐き出して一思いに終わらせようと、そう考えたのだろう。
それを知ったアレスの両親は和解のため、リリーに大金を納めると言った。
それを抜きにしても、あの後で売り捌いた指輪でロベリアは臨時収入を得ている。どちらかと言えばこの菓子はその指輪分のものであった。
「やっぱり、あらかじめ彼の心を折っていたのは、ロベリアでしたか」
「えぇ、お陰でやりやすかったでしょう?」
ロベリアのお陰で、事態がアイリスの想定よりずっと早く、そして穏便に解決した事は事実だ。ダリアの身の潔白も、有耶無耶になる事なく、完全な形で証明された。
「それにしても、どこでそんな情報を?」
「私にはあなたと違い、広い情報網があってね」
「その努力を勉学に注げば、学年上位は硬いでしょうに」
「でもお陰で上手く行ったでしょう?」
確かに、ロベリアの言う事は事実だ。しかし、アイリスはその解決方法については、納得していなかった。彼女たちが何をしたのかは、薄々察しがついている。リリーが手に包帯を巻いて登校したいたことは、確認済みだ。
「余計なお世話です。どのみち、地道に追い詰めれば彼は認めざるを得ない状況に……」
「それ、どれだけ時間がかかるのかしら? 赤の他人のために毎度毎度、体力と時間を費やすあなたは見ていられませんわ」
そう言い合い、鋭い視線をぶつけあう聖女と悪役令嬢。
アイリスはロベリアの「手段を問わない」やり方には否定的だった。ロベリアは、害を成す敵を倒すためなら、どんな卑怯な手だろうと使う。
今回はまだ可愛いものだったが、ロベリアは悪を倒すためならそれを超える悪にさえなる。
アイリスは、ロベリアのその考えには共感できないと常に言っていた。相手を倒すために、相手と同じステージに降りたのでは元も子もないと。
一方でロベリアは「正攻法にこだわる」アイリスの非効率的なやり方には否定できだった。手段を問わない相手を前に、手段を選ぶアイリスのやり方は理解に苦しむ。ロベリアにとって大切なのは結果だ。
手段を選んでいてたが故に、大切なものを守れなかったなんて、終わり方は御免だと。仮に手段を選ばず、戦った先で守れなかったのであれば、その時はもうどうしようもなかったのだと、納得もいく。
そんな互い、反する思考を持つ二人だが、軽く睨み合ったのち、ふっと笑みをこぼした。
「相変わらず、変わりませんね」
「本当に、アイリスも頑固ね」
互いに互いのやり方は認めない。それはずっと変わらないだろう。
それでもその信念だけは尊重している。
互いに、友人が何を見て、何を感じ、その末に選んだ道なのかを知ってるから。
道が違えたとは言えど、始まりとなった傷の痛みは同じだから。
「ロベリアがいるという事は、リリーもいるのでしょう?」
「えぇ、大切な部下ですもの」
「……部下、ですか」
ロベリアと長い付き合いのあるアイリスだからこそ、知っている。ロベリアがリリーを心底大切に思っていることを。しかし、それを表に出してしまえば、リリーがロベリアの弱点だと露呈するも同義。リリーは平民であり、本人のスペックがいくら高かろうと、ロベリアよりずっと崩し易い。
だから、表向き、道具のように扱う。あたかも急所にはなり得ないように振る舞う。
それを組んだアイリスは、あえて部下呼びを訂正させようとはしなかった。
代わりに、
「なら、せっかくですし、四人でお茶をしましょう。と言うわけですので、リリーさんもどうぞ中へ」
アイリスに呼ばれ、部屋の前に控えていたリリーも中へと入って来た。
ロベリアもアイリスの提案に意義は唱えなかった。無言の肯定、と言うやつだ。ダリアという、信頼しきれないぞんざいがいるが故だろうが、どこまでも徹底したロベリアの言動に、関心しつつも苦笑を浮かべる中、
「えっ、悪役令嬢と!?」
悪役令嬢とお茶をするという、急展開に驚愕するダリア。
そんなダリアの溢した驚愕の言葉を聞き、リリーはぴくりと眉を顰め、殺気の籠った瞳で睨んだ。
「ロベリア様に何か文句でも」
「いえいえ、文句なんて滅相も!」
本当に殺されるのではないかと本能が警鐘を鳴らす睨みを前に、慌てふためくダリア。そんな彼女を見てロベリアは笑みをこぼす。
「愉快な方ですね」
「えぇ、とても優しくて、良い方でしょう」
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