04 聖女の推論(下)
「確かに、私の話はあくまでも推測。確たる証拠はありません」
アイリスの敗北を認めるかのような言葉に、ダリアは不安を覚え、カイルは可能性を見出す。
アイリスとて、確たる証拠がない事はもちろん、分かっていた。
彼女の推論に矛盾はなく、説得力があるように聞こえるものの、実のところ証拠はない。どれも憶測の域を出ない。
「だ、だったら」
カイルがまだ抵抗する意味はある。
カイルには、アイリスの推測を認めるわけにはいかない事情があった。認めた先にあるのは破滅だ。
臆病な性分に飲み込まれないよう、必死に自分を奮い立たせる。
しかし、カイルが何かに怯えていることはアイリスどころか、ダリアの目にもはっきりとわかるほどに、もう隠し切れてはいなかった。
だから、アイリスは優しげな声色で言う。
「誓いましょう。もし、真実を話してくれるのであれば、私が責任を持ってあなたの学園生活を守ると」
真っすぐとその綺麗な瞳で言い切って見せた。
アイリスは彼に会った時点で薄々、分かっていた。
彼は脅されて動いているのだと。こうして相対している感じ、カイルはどう考えても自主的に悪行を働くタイプではない。
それにこの一連の出来事……あまりにも彼にメリットが無さすぎる。ダリアとの浮気を証言したとして。このまま行けば、伯爵家の息子から婚約相手を奪った彼は終いだ。平民の彼には、ダリア以上に後がない。
それでも、彼にはそう言う方がまだマシと言える事情があったのだろう。
そう予測したアイリスは、どちらに着くか悩む彼に、最後の一押しを加える。
「これはアレスが、ダリアさんとの婚約を破棄するために行われた計画。そのためにあなたは利用された。おおよそ、あなたはダリアと浮気したように見えるよう、仕立て上げられたのでしょう。違いますか?」
「そ、それは……」
カイルの証言がなくとも、カイルとダリア似の女性がホテルに入って行ったのは事実。そしてその時間帯、ダリアにアリバイがないこともまた事実だ。
そしてカイルとダリア似の女性が歩く姿を、大勢が目撃している。そして他にも幾つかの偽造証拠が残されている。
カイルとダリア、二人が揃って否定しようと、覆しにくい状況は揃っていたわけだ。
浮気者たちの醜い言い訳にしか聞こえない。
「もし、あなたが嘘の証言をすれば、あなただけは許すようアレスが両親を説得するとでも言われたのでしょう。当事者のアレスが、そしてその両親が許せばそしてあなたは、学園にとどまる事はできる。だから、その手を取った」
どうせ破滅なら、まだ救いの可能性がある方へと。
「勿論、アレスの提案は怪しいもの。それでも、何もしないよりはマシだろうと。そうお考えになったのでしょう。しかし、そんな上手くいくとは思えません」
アレスがカイルを庇ったとて、両親がそれを受け入れるかはかなり怪しい。そもそも、アレスがカイルを庇うかどうかさえ怪しいのだ。
アイリスの分かりきった正論に、カイルが初めて本音を吐露する。
「そ、そんなこと分かってるさ! でも、知らなかったんだよ! 街中で綺麗な人に声かけられて……。後々、全て聞いた時には、もう遅かったんだよ」
カイルは途中、言葉を詰まらせながらそう言いうと、その場に崩れ落ちた。
せっかく努力し、入学した名門の学園……そこで積み上げた成績も、全てが一瞬にして崩れ落ちる音が、絶望が、彼を支配した時、真っ暗な闇にたれた一本の糸。
それがいくら細く、心元なかろうと、その糸を掴まずにはいられなかった。
「全て嵌められた気がついた後で、アレスから言われたのですね。あなたを守る。だから、手伝えと」
「そうだ。怪しいことくらいは分かってたさ。でも、平民の僕にはどうしようもなくて……どんだけか細い糸だろうと、掴むしかなかったんだ」
全てを聞いた後では、アイリスもダリアも彼を責めるに気にはならなかった。平民が伯爵を前にいかに無力か。この国で生きるものなら知っている。
特に念入りに立てられた策に嵌められた彼にはなおさら、どうすることもできなかったのだろう。
「アレスとは、中々のやり手なようですね。おそらく、これら全てを計算した上で、彼が適任だと判断したのでしょう」
彼ならば、美人が誘えば乗ってくると。
彼ならば、その細い救いの手を取ってしまうと。
「た、確かに、私よりは断然頭良かったけど」
ちなみに学園の大半はダリアより頭が良いが、勿論、そんなことを突っ込む人物はこの場にはいなかった。
こうして、とりあえず浮気冤罪の真相は明らかとなったわけだが。
しかし、ダリアからすれば真相を知ったからといって、それで満足し、納得できる状況ではなく、
「そ、それで、どうするの?」
不安げな顔でアイリスに問う。
それに対し、アイリスは淡々と告げる。
「明日、正々堂々、私から今の出来事をアレスに突きつけます。その際は、カイルにもダリアにも同行してもらいます」
「えっ、それでなんとかなるの?」
策でもなんでもない、あまりにも真っ当で、真っすぐな行動にダリアは不安を強めた。自分よりずっと聡明な彼女であればもっと、自分には思いもよらないような策を思いつくと、そう考えていたからだ。
それはカイルも同じで、不安気にダリアの顔を眺めていた。
「なるはずです。カイルが嵌められ、脅されていた事実を彼に突きつけます。そのためにもまず、カイルさんには証言を撤回して頂きます」
「そ、それなことで?」
今更、カイルが何を言おうと、浮気者たちが反論をダラダラしているように捉われかねない……それがカイルの危惧していたことだ。
どれだけカイルが否定しても、信用してもらえない可能性は大いにある。
「これがアレスの仕込んだ策である以上、嘘である以上、必ずどこかに綻びは生まれます。例えばそのホテルに行き、ダリアであるか今一度確認すれば、可能性はあると思います」
筆跡は真似できても、容姿の完全一致は不可能なはずだ。
「た、確かに……スタイルは似てるけど、顔は少しだけ違うし、声は明らかに違った。ダリアよりずっと低かったと思う」
「フロントでは素顔を晒していましたか?」
「……あまり見られないようにはしていたとは思う。ただ、あからさまに隠したりはしていなかった。今思えば、メイクでダリアに寄せていたけど」
ダリアの潔白を証明するには些か心細いが、それでも十分だ。
アレスもダリアも、どちらの言い分も疑わしい状況に持ち込めば、少なくとも一方的にダリアが責められる事態は回避できる。慰謝料の取り下げくらいは叶うだろう。
「おぉ! つまり一件落着ってこと?」
婚約の継続についてはどうでもいいダリアは、嬉しそうに声を上げた。
「えぇ……」
一方でアイリスは少々、晴れない表情をしている。
それに気がついたダリアとカイルは、不思議そうにアイリスの顔を見つめた。
「やっぱり、ダメなの?」
「いえ、ただ……」
アイリスが抱える一つの懸念。
それは、
「もし。彼が明日まで無事でいれば、ですね」
意味深なアイリスの小言に、首を傾げる二人。
アイリスは知っている。
この手の事件の時に動き出すもう一人の存在を。
続きは明日の朝、です!