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02 聖女降臨

 ◇


「イタタ……」


 放課後、聖女が帰ってしまう前にと、急ぎ廊下を駆けていたダリアは、曲がり角で男子生徒と衝突しそうになり、回避しようと試みた末、足を滑らせ知り餅をついてしまっていた。

 男子生徒は目の前で盛大に転けたダリアの顔を見て、差し伸べかけた手を引っ込めた。


 彼は気不味そうな顔をし、ダリアから目を逸らす。

 よく見れば彼はダリアのクラスメイトであり、おそらくはダリアの浮気に関する噂を聞いたのだろう。何事もなあったかのように、そそくさとその場を去ってゆく。


「全く、なんなの」


 その姿に思うところはあったものの、駆け足だったのはダリアの方で、どちらが悪いかと言われれば間違いなくダリアである。

 男子生徒はただ、静かに廊下を歩いていたのだから。

 それに今は文句を言っている時間さえ惜しかった。

 だから複雑な思いをグッと飲み込み、立ちあがろうとしたその時……真っ白でしなやかな、美しい手が差し伸べられた。


「大丈夫ですか?」


 透き通った美声。

 視線を上げた先にいた、神々しい金の髪を下ろし、優しく微笑む女性の姿は、さながら天使であった。

 一眼見て分かった。彼女がこのアウロラ学園で名を馳せる『聖女』であられると。


 この王立アウロラ学園には二人の有名人がいる。

 神々しささえ感じさせるほどの優しさを抱擁した天使のような女生徒である『聖女』……アイリス・エリエル。誰もの目を引く美貌に、学内でも五本の指に入るほどの成績。聖女と評されるほどの性格のみならず、何もかもが常人を超越した女生徒だ。


 そしてもう一人、聖女とは対極とも言ってもよい、別ベクトルの有名人。まるで恋愛小説に出てくる悪役のような、意地の悪い性格と策謀に長けたご令嬢『悪役令嬢』ロベリア・アメトリア。こちらも侯爵家のご令嬢だ。

 王族や一部公爵家の生徒を除けば、この学園屈指の有名人だ。


 そんな相反する性分の二人。

 二人は仲が悪いとか、軋轢があるとか、そいう話は聞かないけれども、いつかは衝突するのではないかと。その時、一体どちらが勝つのかと、そんな話を聞くこともこの学園では珍しくはない。

 そして今まさに、ダリアは聖女の方に用事があって、探している最中だった。

 まさしく奇跡のような出来事。


「アイリスさん、ですか?」


 ダリアに名を呼ばれ、アイリスは少し難しい顔を見せた。

 アイリスは話をしたことがある人の顔と名前はしっかり覚えるよう、日頃から心掛けている。だが、その記憶の中にダリアの顔はなかった。


「え、えぇ、そうですけど……お知り合い、ではないですよね?」


「はい」


 ダリアは目的の聖女と出会えた奇跡に、ぱあっと顔を明るくし、自力でヒョイっと立ち上がった。スカートについた汚れを軽く払い、身なりを整えた後で、ダリアは真っ直ぐとアイリスの顔を見つめた。


「アイリスさん。私はダリアと言います。相談があってあなたを探していました。助けて欲しいんです。その……お時間、よろしいでしょうか?」


「今から?」


「はい!」


 助けてほしい。

 その言葉を聞いた以上、話も聞かずに断るという選択肢はアイリスにはなかった。それに、彼女がかなり焦った様子で曲がり角を駆け、転けた瞬間をアイリスも見ていた。

 自体は急を要すると見える。


「そうですね、私は構いませんが……とりあえず、場所を変えましょうか」



 学内に幾つかのテラスがあるのだが、その広さの大小に関わらず、基本昼休憩の間は大勢の生徒がいる。とは言え、流石に放課後ともなると人は少ない。

 ダリア曰く、相談の内容は人に聞かれても特に問題はないとのことだったが、アイリスは気を使い、幾つかのテラスの中でも一際ひっそりとした小規模なテラスへと向かった。学園内にひっそりと設置されたこのテラスは知らない生徒も多い。

 実際、ダリアはここの存在さえ知らなかったようで、アイリスは物知りだなぁと呑気に考えていたり。

 対面の形で席に座ると、早速本題に入る。


「それで、相談と言いますと」


「実は先ほど、婚約者に婚約の破棄を言い渡されまして」


「それはまぁ……」


 婚約破棄と聞き、慎重に言葉を選ぶアイリスを見て、ダリアは慌てて言葉を付け加える。


「いえ、婚約を破棄されたこと自体は構わないんです。元々、家の関係で結ばれた婚約ですし。正直、彼がどんな人かもよくは知りません。顔はいいですけど、好みではないですし、全然気にしてないんです!」


「そうでしたか」


「はい!」


 アイリスは様々な可能性を考慮し、ダリアの顔を注意深く観察する。元気な声で「気にしていない」と答えるダリアからは、無理に強がっている様子も、何か裏があるようにも見えない。ただそこには、微かに焦りと不安が感じられた。


「それでは、何が問題なのでしょうか?」


「彼は……アレスは婚約を破棄するにあたって、私が浮気をしたことが原因だと言ってきたんです。それで、慰謝料を請求するとも」


「浮気、ですか」


「勿論、私はそんなことしてません! 心当たりは全くないんです!」


 浮気なんかした覚えがないと言うのに、カイルという男と浮気したことにされている。

 そしてそれを理由に、婚約を破棄され、慰謝料を請求されていると。

 しかもアレスは、両親にはもう、ダリアが浮気をしたとの報告を送ったと言う。


「なるほど……そんなことが」


「私、本当に浮気なんてしてないんです! 正直まだ、そういう色恋とかよく分かりませんし……」


 ダリアは最低限、貴族の家の者として身なりには気をかけているものの、それ以上はしないと言った様子が対面で座るアイリスからは見て取れた。仕草にも目を光らせているが、今のダリアが演技であるとは思えない。

 嘘をついている感じもない。

 きっとこの明るく、素直そうな彼女こそ、嘘偽りのない姿なのだろうと。

 そんな彼女を見て、本格的に相談に乗ってもいいかもしれないと、アイリスはそう思い始めていた。

 だが、それよりもまず、聞かなくてはならないことが一つ。


「質問なのですが、どうして私に?」


 アイリスは学園の内外で『聖女』として名を馳せ、多くの人が好感を寄せる人物ではあれども、職員でもなければ法律家でもない。

 侯爵家の娘ではあるが、ここでは一般の生徒でしかない。

 そしてアレスという男も、貴族ということで多少存じてはいるものの、ほとんど接点がない。


「聖女様は、悪き心を浄化してしまうほどの優しさと、先生方さえ超える聡明さを兼ね備えた方だと聞きましたので! 何より、生徒の悩みも次々に解決していると!」


「そ、そうですか」


 アイリスはダリアの言葉に困ったような笑みを浮かべた。アイリスとしてはただ、皆に優しくあろうと接しているだけのつもりだし、いくら成績が優秀とは言えども、先生方よりは賢いはずはないと思っている。

 しかし、困っている人を、助けを求める人を見捨てられず、彼ら彼女らの悩みの解決に協力し続けていたところ、いつしか『聖女』という異名が付き、生徒の間で頼りになる相談者のような立ち位置を築き上げてしまっていた。


 正直な話、アイリスには、その立場が気に入っているとか、聖女と呼ばれて嬉しいとか、そういうものは一切なかった。

 ただ、目の前で本当に困り、本気で悩む人を見捨てられない。


 もう二度と、あの頃の自分には戻らないと決めていたから。


 そうして動き続けた結果、その立場は今や頼れる『知恵の神』的なものへと、昇華してしまっていたのだ。

 だから、今さらダリアのような生徒の来訪に驚くようなことはない。


「それで、浮気していないと証明するにあたって、是非聖女様のお知恵を借りれればなぁと」


「そういうことでしたか」


 大前提として、アイリスは一生徒。いくらアイリスが優しいとて、あまりにも小さな悩みは丁重にお断りしている。

 アイリスだって暇ではないのだ。

 しかし、目の前のダリアの抱える問題は、本人の明るさに濁されているが、かなり深刻な問題だと見える。


「浮気をしていない証明、ですか」


「はい!」


 アイリスだが、聖女という異名が広く根付いて以降、この手の相談を受けることは、実は何度かあった。

 過去のその手の相談の中には明らかに相談者に問題があるものもあったが、そうでない限り、その手の話題でも協力なんとかしようと手を尽くしてきた。


「お力になって頂けますでしょうか?」


 瞳をキラキラと輝かせ、期待の眼差しを向けるダリアを見て、アイリスは決断する。

 彼女の抱える問題を共に考えよう、と。

 そして可能ならば、その問題を解決しようと。


「分かりました。やれる限りのことはやりましょう」


 アイリスの承諾を聞き、顔色が明るくなるダリア。

 問題解決のため、アイリスは初めにダリアに現状を尋ねた。分かる限り、全てを教えて欲しいと。


「今の状況、ですか」


 ダリア自身、よく分かっていないため、説明に時間はかからなかった。


「なるほど、そうですか」


 一通り話を聞いた後、アイリスは瞳を閉じ、脳内で思考を巡らせた。

 今回の一件、ダリアが白だったとして、考えられる可能性を、そしてその際の最善の解決方法を。


「そうですね。明日、まずは一度、カイルという方にお会いしましょうか」


次は22時に投稿します。23時は……読む人がいるのだろうか。

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