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プリズムの楽園  作者: 高倉麻耶
act.9
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act.9 聖域 (3)

 お父さんに初めて会ったのは、まだ一週間前のことだ。その日、彼は四年間の任期を終えて、政治の世界から引退した。

 すぐにわかった。短く刈り込まれた黒髪、長い睫毛の下にきらりと光る黒い瞳、その眼差し。僕が大人になったら、きっとこんな顔になるだろうと思った。

 目が合ったとき、お父さんは顔を歪めた。その表情の意味がわからなくて、僕は困っていた。怒りなのか、悲しみなのか、驚きなのか――そうしたら、お父さんは突然口を押さえて泣き出した。嬉しいときにも人は泣くのだということを、僕はそのとき初めて知った。


 「巨都(メガロ)」の異名を持つ新東京市は、その名の通り世界最大の外殻都市(シェルドームシティ)で、他のドームとは比較にならないほどの広大さを誇る。世界で二番目に大きいのは新北京市、その次は新上海市、そして新香港市とくるのだけれど、巨都は新北京の三倍以上もの面積を持っている。

 僕たちの新しい住まいは、その中心地である「中央聖約地(セントラルコヴナントエリア)」にあるらしい。そこは通称〈聖域(サンクチュアリ)〉とか、コーヴとか呼ばれている。カナンと呼ぶ人もいて、それは「約束の地」という意味なんだとか。ほんと、名前が多いってのは面倒臭い。とにかくその場所に住むことができるのは類稀な幸運で、ごく一部の人間しか、踏み込むことすらできないという話だ。


 コーヴの住人を選ぶ基準は何だろう? おそらくは血統と健康条件あたりか。とにかく、相当難しい資格なのだということを、出発前にアガサから聞いた。でも実際にどんなところなのかは、行ってみないとわからないし、手放しでは喜べない。お父さんは、そこでイユイさんと一緒に、〈農業〉というやつをやるらしい。


 プリズムの天井から注ぐ光は本当に綺麗で、僕は半ばお父さんに引きずられるようにしながら、ずっと上を仰いで歩いた。


「首が疲れるぞ」

「うん」


 生返事になってしまう。撮影しながら歩いているんだから、しょうがない。瑠果にこのきらめく光を見せてあげられるなら、首の痛みなんかどうだっていい。


「ほら」


 お父さんに強く手を引かれ、促された。はっと視線を前に戻すと、雪のように白い髪をしたボブカットの女性が、にこにこしながら立っていた。民族的な、ちょっと変わった衣装を着ている。遠目には、カラフルな花瓶の上に白い薔薇の花が差してあるみたいにも見える。


「あの人?」


 指差して訊ねると、お父さんは無言で頷いた。その女性は、赤いストライプが三本入った白杖を左手に持っている。これは全盲のしるし。


「イユイ!」


 お父さんは彼女に向かって、大きく手を差し伸べた。イユイさんは優しそうな微笑を浮かべ、お父さんのほうへ右手を伸ばしている。それはとても自然な動きで、普通に目が見えているかのようだった。


「ほんとに目が見えないの?」


 僕の質問に振り返ったお父さんは、イユイさんの右手を握りながら怪訝な顔をした。


「本当だよ。なぜ?」

「だって……」


 説明しようとしたけど、うまく言葉にならなかった。何か奇妙な違和感がある。でも、それをどう言えばいいのかわからない。


 瑠果と同じアルビノの特徴をもった容姿。ずっと瞼を閉じているからわからないけど、虹彩の色は、瑠果と同じように赤いのだろうか。年齢は知らないけれど、たぶん童顔で、ふっくらした顔立ち。鼻筋や顎はすらりとしていて、睫毛も長い。けっこう美人だと思う。それに、なんだか雰囲気がいい。ふんわりしていて、優しそうで。

 僕は、まるで大人になった瑠果を目の当たりにしたようで、不覚にもドキドキしてしまった。お父さんがこの人を好きになった理由も、なんとなくわかる気がする。


「はじめまして、ミカ」


 イユイさんはお父さんの手を離し、右手を僕のほうへ差し伸べた。仕方なく、僕は彼女のほうへ手を伸ばした。

 ふっと、抜けるような感覚があり、そのままなんの抵抗もなく指先が触れた。イユイさんに対して、絶対領域が働いていない。アンチコードを持っているのだろうか。


「――イユイさんって、お医者さんなの?」

「そうね、確かに医療行為もするわ」


 柔らかそうな頬にうっすらと微笑を浮かべたまま、彼女は静かに頷いた。


「わたしはね、スピリチュアルカウンセラーなの。ちょっと特殊なほうのね。でも、どうしてわかったの?」

「……なんとなく」

「そう。勘がいいのね」


 僕はイユイさんとお父さんの間に挟まれ、二人と手を繋いで歩き始めた。磨き上げられたつるつるの白い床に、見上げた角度で映っている三人の姿。見た目には普通の親子みたいに見えるかな。

 なにげなくイユイさんの足もとを見て、おかしなことに気がついた。お父さんと僕は、一歩進むたびに絶対領域が働いて、少しだけ浮いている。でも、サンダルを履いた彼女の足は常にすばやく、抵抗なしに地面に直接降りている。絶対領域を持っていないのかな? そんなはずはない。コーヴには純血種しか入れないはずだ。となると、絶対領域はあっても動作を止めている、ということ……? こんな人ごみで?


「二人とも、シェロム新東京へようこそ。どう、好きになれそうかしら?」


 不思議な単語。シェロムって何だろう? 初耳だ。するとイユイさんは、白杖をセンサーのように少し前へ突き出しながら答えた。まだ、何も尋ねていないのに。


「あ、外殻都市のことよ。巨都ではシェルドームを縮めて、シェロムって呼んでるの」

「ふぅん」


 どうして、訊ねようとしたことが先にわかったんだろう。イユイさんって不思議な人だ。


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