act.9 聖域 (1)
リニアトレインのスピードが、徐々に落ちているのがわかる。慣性の力が働いているのを、全身で感じ取る。目蓋を開くと、窓に投影された数字が、すごい速さで減っていた。時速五百キロから、ゼロに近づいてゆく過程。
新北京市から巨都まで、約二千百キロメートルの旅。四時間余りの長旅だけど、半分以上寝ていたから、なんだかあっという間だった。僕はうんと大きく腕を伸ばして、欠伸した。お父さんは、ほとんど同じ姿勢で頬杖をつき、嬉しそうに窓の外を眺めていた。砂嵐しか見えないと思うんだけどな。
「起きたか」
お父さんが振り向きながら言い、僕は微笑み返した。お父さんは耳のうしろを掻きながら溜め息をついた。
「しまったな。もし、朝一番の列車に乗っていたら、このあたりで海が見えたのに」
「海」
一応、映像で見たことはある。でも、本物の海はまだ見たことがない。これまで特に気に留めたことはなかったけど、ちょっと見てみたい気もする。
「ああ、海だよ。すごく青い。新東京市は、大陸からちょっと離れた島国にあるからな」
「うん、それは知ってる」
「もう知ってたのか」
お父さんは意外そうな顔をした。かつてそれが日本列島と呼ばれた島の連なりであったことを、僕は数年前に調べていた。「九頭竜」という姓の由来や自分のルーツに、すごく興味があったから。
「さすがおれの息子……」
お父さんが目を丸くしてつぶやいたので、ちょっとだけ誇らしくなった。でも、彼はすぐに窓の外へ目をやり、少し淋しそうな遠い眼になった。昔のことを思い出すと、自然とそうなってしまうみたいだ。
「お父さんはな、大学は人文学部歴史文化学科で、東洋史専攻だったんだ」
「そうなの?」
今度はこっちが驚く番だった。
「そうなんだよ。進学して大学教授になるつもりだったのに、なんで政治家なんかになっちまったのかなあ。人生ってわかんないもんだよな」
よくわからないけど、僕は頷いた。人生が不可解なものであることについては、全面的に同意する。それにしても、お父さんが歴史学の教授を目指していたなんて、ほんと意外だ。もし本当にそうなっていたら、もっと前から一緒に暮らしてこられたのかな。
「ま、これからは農業だ。おれは世界一の酪農家になるぞ」
そう言いながら、お父さんは思いっきりしかめ面して両腕を伸ばした。