act.8 天国 (3)
「腹減ってないか」
「ううん」
僕は首を横に振り、カートに並んだスナック菓子のパッケージを眺めた。これといって、特に欲しいものは見当たらなかった。
「ミカ。これ、何だかわかるかい」
声と同時に、目の前に銀色の物体を差し出された。小さい。片手の掌におさまるサイズで、まるっこい筒型をしている。でも、どうもペンの類ではなさそうだ。側面にはアンティーク風の細かい装飾が施され、片側の先端には、透明なガラスの球体が埋め込まれている。もう片方には、繊細なボールチェーンで繋がれた、小さなキャップがついていた。
「ペンダント?」
「カレイドスコープ。こうするんだ」
お父さんはキャップを取り、片目を閉じてその部分を覗き込んでから、僕にゆっくり手渡した。そっと受け取って、僕はお父さんがしたのと同じように、キャップを取った部分を覗いてみた。意外なほど重みがあった。顕微鏡と同じようなレンズが嵌め込まれていて、その奥には、不思議な眺望が広がっていた。
「まわしてごらん」
「こう?」
僕は間違った方向にまわしたらしい。お父さんは笑いながら手を横に振り、親指と人差し指でねじる動きをしてみせた。その動作で示されたとおりに、中を覗いたまま、本体をねじるように回転させてみた。
「わ、すごい綺麗」
三角の窓に映っているのがこの世界の景色だということは、すぐに気づいた。お父さんの顔や、手や、服の端、靴の先。椅子の角、窓枠、電光掲示板。すべて逆向きになっている。
球面を通して三角に切り取られたそれらは、鏡に映って幾何学的な光と影を創り出し、すぐには目を離せないほど、不思議な景色になりかわる。ほんの少し映し方を変えるだけで、見慣れたものがこんなに綺麗になるなんて。
「何が見える?」
父の問いに、僕は片目を閉じて小さなカレイドスコープを覗き込んだまま、笑いながら答えた。
「天国」
それは生まれて初めて触れた、万華鏡の世界だった。